2021年11月2日火曜日

【読書感想文】川上 弘美『センセイの鞄』

センセイの鞄

川上 弘美

内容(e-honより)
駅前の居酒屋で高校の恩師と十数年ぶりに再会したツキコさんは、以来、憎まれ口をたたき合いながらセンセイと肴をつつき、酒をたしなみ、キノコ狩や花見、あるいは島へと出かけた。歳の差を超え、せつない心をたがいにかかえつつ流れてゆく、センセイと私の、ゆったりとした日々。谷崎潤一郎賞を受賞した名作。

 三十代独身女性と、ひさしぶりに再開した高校時代の教師である〝センセイ〟の交友をつづった小説。

 とても雰囲気のいい小説だった。
 特に何が起こるわけでもなく、ただ〝私〟と〝センセイ〟が一定の距離を保ちながら居酒屋で会ったり散歩したりするだけ。大きな事件は起こらない。旬のものを食べるとか、おろし金を買うとか、ほんとに些細な日々がつづられている。

 でも、その距離感が心地いい。おしゃれなラジオ番組を聴いているようで、特に何が得られるわけでもないけどじゃまにもならない。ほんの少しだけ気持ちが明るくなる。五十が五十二になるぐらいの、少しだけ。


 センセイは、笑っていた。笑うか、このやろ、とわたしは心の中でののしった。センセイは、大いに笑っていた。物静かなセンセイらしくない、呵々とした笑い。
「もうその話はやめましょう」わたしは言いながら、センセイをにらんだ。しかしセンセイは笑いやめない。センセイの笑いの奥に、妙なものが漂っていた。小さな蟻をつぶしてよろこぶ少年の目の奥にあるようなもの。
「やめませんよ。やめませんとも」
 なんということだろう。センセイは、わたしの巨人嫌いを知って、厭味を楽しんでいるのである。たしかに、センセイは楽しんでいた。
「巨人っていう球団はね、くそったれです」わたしは言い、センセイがついでくれた酒を、あまさず空いた皿にこぼした。
「くそったれとは。妙齢の女性の言葉にしては、ナンですねえ」センセイは落ちつきはらった声で答えた。背筋をいつもにも増してぴんと伸ばし、杯を干す。
「妙齢の女性ではありません、わたしは」
「それは失敬」
 不穏な空気が、センセイとわたしの間にたちこめていた。

 これは、〝私〟とセンセイが贔屓のプロ野球チームの話をきっかけに喧嘩をするシーンだが、喧嘩のシーンなのに品があるし、そこはかとなく楽しそう。

 贔屓の球団の話で喧嘩をするなんて、仲が良くないとできないもんね。相手に対する信頼がないと、相手の贔屓球団を「くそったれです」なんて言えない。

 この喧嘩だけで、ふたりの関係が良好であることがよくわかる。
 ま、作中ではこの喧嘩がきっかけでしばらく口を聞かなくなるんだけど。


 贔屓の球団をめぐって喧嘩をすることからもわかるように、〝私〟と〝センセイ〟は「大人の付き合いをしている子ども」だ。

 つまらないことで意地を張るし、相手の気を惹くためにちょっかいをかけたりもする。〝ガキ〟なのだ。そう、ぼくやあなたと同じく。


 自分が子どものときは、大人は大人だとおもっていた。いついかなるときも大人のふるまいをするのだと。
 特に、うちの両親は、息子が言うのもなんだけどものすごく〝まっとうな大人〟だった。
 悪ふざけもしないし、泥酔もしないし、下ネタも口にしないし、他人の悪口もあまり言わないし、わけのわからないことでやつあたりもしない。
 今にしておもうと、べつに両親が聖人君子だったわけではなく、「なるべく子どもの前では〝立派な大人〟としてふるまおうとしていた」のだと理解できるのだけど、子ども時代は「大人はいつでも自制心を保っているのだ」と信じこんでいた。
 中学生ぐらいになると両親のダメな部分も見えてくるようになって、だから反抗期になったわけだけど。

 しかし自分がいい大人になってみてわかるのは、大人になったからってぜんぜん良識的な人間になるわけではない。狭量だし、怠惰だし、身勝手だ。悪ふざけだってしたい。大人が悪ふざけをあまりしないのは「失うものが大きい」のと「ふざける元気もない」からだ。ほんとは大人だって子どもっぽいふるまいをしたい。少なくともぼくは。


『センセイの鞄』に出てくる〝私〟と〝センセイ〟は、どちらも「子どもっぽいふるまいをしたい大人」だ。

 たぶんほとんどの大人がそうなのだろう。だから大人であるほどこの小説は染みる。




 しかしこの人、小説がうまいよね。

 映画を見たあとわたしたちは公園を歩き、映画の感想を言いあった。小島孝は映画の中のトリックにしきりに感心していたし、いっぽうのわたしは主人公の女性のかぶっていたさまざまな帽子にしきりに感心していた。クレープの屋台があったので、小島孝が「食べる?」と聞いた。食べない、とわたしが答えると、小島孝はにやっと笑い、「よかった、俺甘いもん苦手なんだ」と言った。わたしたちはホットドッグと焼きそばを食べ、コーラを飲んだ。
 小島孝がじつは甘いもの好きだということを知ったのは、高校を卒業してからである。

 これは〝私〟が高校生のときに同級生とデートをしたときの回想なのだが、これだけのエピソードでこのふたりがうまくいかないことがわかる。

 高校生のデートってこんな感じだよね。ぼくも高校生のときに女の子とふたりっきりで出かけたことがある。たった一回だけだったけど。そのときもこんな感じだった。最初から最後までかみあわなかった。
 気になる女の子と出かけられたのでうれしかったけど、ぜんぜん楽しくはなかった。たぶん向こうも楽しくなかっただろう。

 中高生ぐらいの男女って精神年齢がちがいすぎるんだよね……。



(ここから物語の展開に関するネタバレあり)


 中盤まではすごく好きな小説だったんだけど、終盤は期待はずれだった。

 〝私〟と〝センセイ〟が男女の関係になってしまうところや、〝センセイ〟が死んじゃう展開とか。

 いや、べつにそのこと自体はいいんだけど、とにかく性急だった。
 なーんか「物語をうまくまとめるために先生が死なされた」って感じなんだよなー。感動させるために殺されました、って印象。

 中盤まではものすごく丁寧に世界を構築してたのに、終盤はとにかく雑。


 そしていちばん嫌だったのが、終盤に夢のシーンが出てきたこと。

 前にも書いたけど、ぼくは「夢で心情表現をするフィクション」が大嫌いなんだよね。夢に登場人物の胸中を投影するのは、逃げだとおもっている。だって夢を使えば、それまでつづってきた世界とは無関係にどんな表現だってできるんだもん。

『センセイの鞄』は、せっかく登場人物の行動や会話や風景の描写によって精緻な世界をつくりあげていたのに、終盤になって突然の「夢」である。あーあ、安易。がっかりだ。

 正確なデッサンと技巧を凝らした筆さばきで精巧な絵を描いていたのに、最後にWindows標準ソフト・ペイントの「塗りつぶし」を使って着色しちゃったみたいなもんだ。そりゃないぜ。

 夢で心情表現をする小説はね、くそったれです。


【関連記事】

都合の良い夢を見せるんじゃない!



 その他の読書感想文はこちら


2021年11月1日月曜日

ツイートまとめ 2021年7月



学校が教えない

二世

レガシー

じゃんじゃん

みゃ

711

兄弟

女王

敵の恩人

感染を気にしないタイプ

東京オリンピックテーマ曲『地上の星くず』

インサイドアウト

ピラフマシン・ダチョウ形態

プレミアムフライデー

2021年10月29日金曜日

【読書感想文】井上 真偽『ベーシックインカム』

ベーシックインカム

井上 真偽

内容(e-honより)
日本語を学ぶため、幼稚園で働くエレナ。暴力をふるう男の子の、ある“言葉”が気になって―「言の葉の子ら」(日本推理作家協会賞短編部門候補作)。豪雪地帯に取り残された家族。春が来て救出されるが、父親だけが奇妙な遺体となっていた「存在しないゼロ」。妻が突然失踪した。夫は理由を探るため、妻がハマっていたVRの怪談の世界に飛び込む「もう一度、君と」。視覚障害を持つ娘が、人工視覚手術の被験者に選ばれた。紫外線まで見えるようになった彼女が知る「真実」とは……「目に見えない愛情」。全国民に最低限の生活ができるお金を支給する政策・ベーシックインカム。お金目的の犯罪は減ると主張する教授の預金通帳が盗まれる「ベーシックインカム」。

 ミステリ+SF短篇集。この趣向はおもしろい。

 ミステリ的な仕掛けがあり、さらにその後もうひとつSF的な仕掛けが待ち受けている。二段階の裏切り。

 人工知能、遺伝子工学、仮想現実、人間強化など、ちょっと先の技術をうまく活かしている。


 この人の小説を読むのは二作目。

 前に読んだ『探偵が早すぎる』は、個人的には好きなミステリじゃなかった。

 ノリがギャグ漫画みたいで。登場人物もトリックもストーリー展開もすべて嘘くさいし、かといってそれが笑いにつながるほどのユーモアもない。ひとことでいうなら「すべってる」状態だった。

 試みはおもしろかったんだけどね。


『ベーシックインカム』のほうは、試みのおもしろさはそのまんまで、不自然さが薄れていた。
 こっちもかなり無理はあるんだけど、テーマがSFだから無理が効くんだよね。「そういう世界だから」で済ませられる。

『探偵が早すぎる』の感想で「この人の本はしばらく読まない」って書いたけど、この路線だったらまた読みたいな。


 SF+ミステリといえば、西澤保彦氏が有名で、タイムリープや瞬間移動などを使ったミステリを書いている。

 しかし西澤作品はギャグ漫画的なんだけど、『ベーシックインカム』のほうはより本格SFに近い。ミステリ要素がなくても成立するぐらい。


 ちなみに表題作『ベーシックインカム』はあんまりベーシックインカムと関係ありませんでした。


【関連記事】

【読書感想文】ピタゴラスイッチみたいなトリック / 井上 真偽『探偵が早すぎる』

【読書感想文】絶妙な設定 / 西澤保彦『瞬間移動死体』



 その他の読書感想文はこちら


2021年10月28日木曜日

投票に行こうと言われましても

  ぼく自身は国政選挙でも地方選挙でも毎回投票に行くんだけど、でも行かない人の気持ちもわかる。というか、行きたくないのに「投票しましょう!」と大上段に言われるうっとうしさがわかる。

 選挙前になると、いろんな人が「投票は大事ですよ! 若い人は投票しましょう! 投票しないと悪い世の中になりますよ!」って言うんだけどさあ。
 あれ、興味ない人からしたらたまったもんじゃないだろうなあと同情する。選挙カーと同じぐらいのノイズだろう。


 ぼくは投票に行くけど、それは政治や選挙が〝好き〟だからだ。
 興味を持っている。だからおもしろい。

 そう、選挙はおもしろいのだ。そこそこ興味がある人間からすると。

 毎回ドキドキする。
 自分の投票した候補者や政党の結果が悪くてもそれはそれで関係者でもないのに「何がダメだったのか」「次はどうしたらいいのか」とか考えるし、投票した人が当選したり議席数を伸ばしたりしたらもちろんうれしい。

 ぼくは大阪市民だけど、過去二回の大阪市廃止を問う住民投票はすごくおもしろかったもん。

 ぼくはアイドルに興味がないのだけど、アイドルグループの選抜選挙に投票する人はこんな気持ちだろう。


 で、もしぼくが「今度アイドルグループXのメンバー入れ替え選挙があります! あなたも投票できます! ぜひ投票に行きましょう! あなたが投票しないとあなたの意見がないものとされちゃうよ!」と言われたとする。

 はあそうですかべつにいいですけど。だって誰も知らないし。誰がセンターになってもかまわないし。

 仮に「スマホでホームページを開いてタップひとつで投票可能」だったとしても、やらない。ましてや「指定された日に指定された場所に、事前に配布された投票権を持っていって、候補者の名前を書く」だったらぜったいにやらない。

 

「選挙に行きましょう!」と言われる人の気持ちはそれと同じだとおもう。
「行きましょう」だけ言われてもなあ。

 アイドルの選挙に投票させたいんだったら、
「今度アイドルグループXの選挙があります」じゃなくて、
「アイドルグループXってこんなにすごいんですよ。Aちゃんはこんなにかわいいし、Bちゃんはこんなにダンスがうまいし、Cちゃんにはこんな特技があるし、ライブではこんなパフォーマンスをやっててすごい盛り上がりを見せるんですよ!」
っていうプレゼンをしなきゃダメ。

「選挙に行きましょう!」だけ言われても、行くわけがない。


 だから、呼びかけるとしたら「選挙に行きましょう!」じゃなく、

「この選挙区では前回の選挙ではJ党が大差をつけてR党とK党の候補者に勝利しました。しかし今回はR党とK党が候補者を一本化。これで勝敗の行方はわからなくなりました」

とか

「J党の過去4年間のスキャンダルは××、××、××。一方のR党がやらかしたのは××、××、××。I党は××、××、××をやっていますが反省の色はなし。さあ国民の審判で制裁を受けるのはどの党?」

みたいな、選挙のおもしろさを伝える努力をすべきだとおもうんだよね。

 選挙っておもしろいんだから。


 ま、そんなことしてもほとんど変わらないだろうけどね。

 個人的には
「若者はもっと投票に行こう!」じゃなくて
「年寄りは投票に行くのをやめて若者の意見を反映させよう!」と呼びかけたいけどね。

 20年後に生きてる可能性が低い人が舵を握ろうとするなよ(候補者も含めて)。



2021年10月27日水曜日

【読書感想文】西村 賢太『小銭をかぞえる』

 小銭をかぞえる

西村 賢太

内容(e-honより)
女にもてない「私」がようやくめぐりあい、相思相愛になった女。しかし、「私」の生来の暴言、暴力によって、女との同棲生活は緊張をはらんだものになっていく。金をめぐる女との掛け合いが絶妙な表題作に、女が溺愛するぬいぐるみが悲惨な結末をむかえる「焼却炉行き赤ん坊」を併録。新しい私小説の誕生。

 どこまでが実体験でどこまでが創作なんだかわからないところが魅力的な私小説。

 西村賢太氏の書く小説の主人公はほぼ同じ。幼少期に父親が性犯罪で逮捕され、自身も定職につかず、女のヒモのような生活をし、藤澤清造(戦前の劇作家)に入れこんで古書を買い集め、自堕落でありながら他人に対しても厳しい目を向ける男だ。つまりクズ。

 どの作品の主人公もほぼ同じなので、著者本人の姿がかなり濃厚に投影されているのだろう。私小説に対して「どこまでが事実かフィクションか」なんて話をするのは野暮だが、まあ九割方実体験なんじゃないかとぼくは睨んでいる。そうおもわせるだけの筆力がこの人の小説にはある。




『焼却炉行き赤ん坊』『小銭をかぞえる』の二編が収録されている。

『焼却炉行き赤ん坊』はヒモ男が同棲している女と喧嘩してひどい仕打ちをする話であり、『小銭をかぞえる』のほうはヒモ男が同棲している女と喧嘩してひどい仕打ちをする話だ。
 そう、どちらも内容はほぼ同じである。

 主人公のクズっぷりもいっしょだ。仕事をせず、趣味や酒や風俗に金を遣い、借金をくりかえし、返済の期日は守らず、同棲相手の父親にまで金を借り、断られると逆恨みする。
 すがすがしいほどのクズだ。

 自らに酔うように、昂然と続けてきたが、私はこの、完全にこちらを小馬鹿にしているに違いない、まるで図に乗り放題の言いようがたまらなく癇にさわると、もはや我慢のならぬものが腹の底から噴き上げてきてしまった。
「だからお前を、ちったあ見習えってのか。馬鹿野郎、てめえの説教なんざ、聞いてやる義理はねえよ。たかが郵便屋風情が何をえらそうにえばってやがんだ。マイホームを買ったからって、のぼせ上がるんじゃねえよ……何んならこの場でよ、てめえの同僚が見ている前で泣かしてやってもいいんだぞ」

 これは、かつての知り合いに嘘の理由をでっちあげて借金を頼みに行き、「一万円しかもらえなかったこと」に腹を立てた主人公が吐く捨て台詞だ。

 一万円もらっておいてこの言いぐさ。おそろしいほど身勝手だ。


 幸いにしてぼくは、友人にまとまった金を借りたことはないし、貸してくれと頼まれたこともない。せいぜい数千円立て替えたぐらいで、それもすぐに返してもらっている。

 しかし金の貸し借りをした人の話を聞くと「友人間で金の貸し借りをしてはいけない」と強くおもう。

 借金をくりかえす人の思考回路って「貸してくれた。ありがたい」なんておもわないんだろうね。借りたときはおもうのかもしれないけど、それは一瞬だけ。
 あとは「あいつは会うたびに返せと言ってきやがる。ケチなやつだ」「追加で貸してくれなかった。なんで意地汚いやつだ」になってしまうんだろう。




 西村賢太作品の主人公はどうしようもないクズなんだけど、心底憎むことができない。

 なぜなら、彼らが持つ身勝手さや傲慢さは、ぼくの内にもあるものだから。
 己の内にあるエゴイズムを拡大して突きつけてくる。それが西村賢太作品。


『焼却炉行き赤ん坊』『小銭をかぞえる』の主人公はどうしようもない男なんだけど、邪悪ではない。
 単なる〝幼児〟なんだよね。

 うちにもふたり子どもがいるけど、子どもというのはつくづく自分勝手な生き物だ。世界は自分を中心にまわっていると心の底から信じている。わがままを通せば最後は周りが折れてくれるとおもっている。周囲の人間が自分の機嫌を取ってくれないのは悪だとおもいこんでいる。

『焼却炉行き赤ん坊』『小銭をかぞえる』の主人公は、まるっきり幼児だ。幼児がそのまま大きくなったおじさん。

 とことんダメな人なんだけど、でもちょっとだけかわいいんだよね。幼児だから。

 だから金を貸してくれる女がいるんだろうな。母性本能をくすぐるのかしら。


【関連記事】

【読書感想文】己の中に潜むクズ人間 / 西村 賢太『二度はゆけぬ町の地図』



 その他の読書感想文はこちら