2021年5月13日木曜日

【読書感想文】資源は成長の妨げになる / トム・バージェス『喰い尽くされるアフリカ』

喰い尽くされるアフリカ

欧米の資源略奪システムを中国が乗っ取る日

トム・バージェス(著) 山田 美明(訳)

内容(e-honより)
石油やダイヤモンドのほか、多くの資源に恵まれているアフリカ大陸。だが、そこに暮らす人々の多くは厳しい貧困と内戦に苦しんできた。膨大な資源が生み出した巨額の金はいったいどこに消えたのか?長くアフリカに住み丹念に取材を重ねたフィナンシャル・タイムズ紙の記者が直面したのは、欧米が作り上げ、中国がブラッシュアップした巧妙な略奪のシステムだった。グローバル経済の実態を暴く!


 タイトルが『喰いつくされる』でサブタイトルが『中国が乗っとる』なので「中国ひどい!」みたいな内容かとおもいきや、そうでもない。
 たしかに一部の中国企業もアフリカで暗躍しているが、悪いのは中国企業だけでない。欧米の企業も悪いし、アフリカの為政者も悪い。
 ちょっとこのタイトルは中国を悪者にしすぎだなあ。


 本の内容は、ほとんどタイトルが表しているとおりだ。
 アフリカには、天然資源の豊かな国が多い。石油、ダイヤモンド、天然ガスなどが産出される。だが資源が見つかったことでその国が豊かになるかというとそんなことはない。むしろ逆で、政治の独裁が進んだり、他の産業が衰えたり、悪い面のほうが多い。

 サリムの調査チームは、天然資源の輸出に依存している国について、世界銀行のデータを詳細に検討した。その結果、一九六〇年から二〇〇〇年にかけて、天然資源が豊富な貧しい国よりも、そうでない貧しい国のほうが、成長が二~三倍速いことがわかった。この期間に経済成長を維持できなかった四五か国のうち、実に三九か国が石油や鉱物資源に大きく依存していた。また、一九九〇年代、世界銀行から融資を受けていた国は例外なく、石油産業・鉱業に依存している割合が高い国ほど、経済が悪化していた。

 意外なことに、天然資源は経済発展をもたらすどころか、成長の妨げになることのほうが多いのだ。
 もともと民主主義制度があって経済的に十分強い国が資源を手に入れた場合は有効活用できるが、そうでない国の場合は経済バランスなどを崩す原因になってしまう。

 資源によってかえって産業が衰えるこの現象は、オランダでガス田が見つかってから他の産業が衰えたことに由来して、「オランダ病」と呼ばれる。

 この病気は、貨幣を通じて国に入ってくる。輸出された炭化水素資源、鉱物資源、鉱石、宝石にドルが支払われると、自国通貨の価値が上がる。すると、国内製品に比べて輸入品のほうが安くなり、自国の企業が弱くなる。こうして輸入品が国内製品に置き換わると、地元の農民は耕作地を放棄する。それでも工業化が始まれば、このプロセスは後退していくが、このような状況になってしまうと工業化はなかなか進まない。天然資源を加工すれば、その価値を四〇〇倍にできるかもしれない。だが工業力のないアフリカの資源国家では、原油や鉱石がそのままの形で流出していき、どこかほかの場所でその価値を高める加工が行われる。
 こうして経済的な依存症の悪循環が始まる。ほかの産業が衰えると、天然資源への依存率が高まる。天然資源ビジネスにしかチャンスはなくなるが、わずかな人々しかそのチャンスはつかめない。鉱山や油田の開発には莫大な資金が必要になる反面、農業や製造業に比べ、労働力は少なくてすむからだ。配電網や道路、学校といったインフラを整備すればチャンスは広がるが、石油や鉱物資源によってほかの産業が衰退していくため、インフラ整備もおろそかになってしまう。

 ナウル共和国という国を知っているだろうか。オーストラリアの北東、太平洋に浮かぶ小さな国だ。
 ほんとに小さい。面積は21平方キロメートル。日本の面積を小学校数で割ると17平方キロメートルぐらいらしいから、ナウルはだいたい平均的な小学校の校区ぐらいの広さだ。狭い。

 このナウル、1899年にリン鉱石が発見されたことで大きく運命が変わる。海鳥の糞が堆積してリン鉱石になっていたのだ。このリン鉱石が高く売れたことでナウル政府は豊かになり、税金ゼロ、教育や医療も無償、国民みんな働かなくても食べていけるようになった。
 ところが次第にリン鉱石が枯渇してゆき、国民は働かないし他に産業もないものだから経済は破綻状態になった(最近新たに採掘できるようになりリン鉱石の輸出が持ち直してきているらしい。それもいつかは尽きるが)。

「売家と唐様で書く三代目」という有名な川柳がある。
 財産を残しても、孫の代になると初代の苦労を知らないから道楽をして財産を食いつぶしてしまう、という意味だ。
 労せずして得た財産は身につかない。オランダ病も似たようなものだろう。後に残るのは道楽癖だけだ。




 また、資源が壊すのは経済だけではない。民主主義も壊す。
 資源の採掘には莫大な初期投資が必要になる。すると外国企業が入ってくる。採掘権を得るためにリベートを渡す。政府に近い一部の人間だけが儲かる。その他国民の反感が大きくなる。軍事力によって押さえこむ。為政者は権益を手放したくないので民主的な選挙を否定・妨害工作する。かくして内紛が絶えなくなる……。

 アフリカの資源国家の支配者は、国民の同意を得なくても国を統治できる。それが資源の呪いの核心にある。資源ビジネスがあるかぎり、支配する者と支配される者との社会契約は成立しない。社会契約とは、ルソーやロックといった政治哲学者が提唱した理論である。政府は、国民の同意を得て、国民の自由をある程度奪う代わりに、国民共通の利益を守る。そうすることで政府は、国民から正統性を認められる。これが社会契約である。だが資源国家の国民は、支配者の責任を問うこともできず、略奪の分け前を手に入れようとするだけの存在に成り下がってしまう。このような状態は、サウジアラビアの王族やカスピ海沿岸諸国の絶対的指導者など、専制君主にとって理想的な財政システムを生み出す。生涯にわたりアフリカの貧困の原因を研究しているオックスフォード大学の教授ポール・コリアーは、収集したデータを見ると、さらにいっそう悪質な影響があることがわかるという。「資源の呪いでいちばん怖ろしいのは、民主主義がうまく機能しなくなることだ」

 資源がない国では、政府の財源は基本的に国民の労働・納税だ。
 国民が政府に反旗を翻し、労働や納税をボイコットしてしまえば政府もまた倒れる。だから政府は国民の声を完全に無視することはできない(いくらかは無視するけど)。

 だが資源国家はそうではない。国民の労働や納税がなくても外国企業から入ってくる金があれば豊かな暮らしができる。
 たとえば産油国であるアラブ首長国連邦には普通選挙がない。石油収入で成り立っているから国民の声を拾いあげる必要がないのだ。




 日本は天然資源が少ないと言われている。石油もガスも鉄鉱石もほぼ100%輸入している。最近でこそ日本近海にメタンハイドレートが埋もれていることがわかったなどと言われているが、まだまだ採取や実用化には至っていないようだ。

 アラブ首長国連邦は教育費も医療費もほぼ無料で税金もないと聞いて「資源が豊富な国はええなあ」と感じていたが、『喰い尽くされるアフリカ』を読むと、日本にたいした資源がなくてよかったんだろうなと感じる。

 もしも資源が豊富な国だったら、幕末あたりか、太平洋戦争後にきっと外国に占領されていただろう(まあ資源が豊富だったら太平洋戦争を起こさなかった可能性もあるが)。
 太平洋戦争後にアメリカかソ連に占領されていたんじゃないだろうか。(村上龍 『五分後の世界』がまさにそういう世界を書いた小説だ)。
 もしくは、今頃中国に攻めこまれているかもしれない。
 大した資源がない(あっても豊かな水や温暖な気候など輸出しにくいもの)おかげで、今も独立国の地位を保っているのかもしれない。




 中国の対アフリカ貿易額は、2002年には約130億ドルだったが、10年後には1800億ドルになり、アメリカの対アフリカ貿易額の3倍になったそうだ。

 中国が経済成長したからというのもあるが、他にも理由はある。

 先述したように、資源によって急激に潤うと政権は独裁状態になりやすい。内戦により、政府軍が民間人を虐殺するようなケースもある。アンゴラのように。
 すると欧米諸国は政府軍の行動を非難し、経済制裁のため貿易を停止する。すると政府は困ってしまう。資源が輸出できないし、外国のものが入ってこなくなるのだから。

 そこに中国企業が入りこむ。うちは気にしませんよ。取引しますよ。
 困っている政府は飛びつく。中国は資源が手に入る。win-winだ。殺される国民以外は。

徐京華は、国際社会からのけ者にされ、誰もビジネスをしたがらない政府を見つけ、その政府に天然資源を現金に変える既存のテクニックを提供するのだ。軍事クーデターにより設立された政府は「資金に飢えている」とティアムは言う。「彼らはそんなときに近づいてきてこう言う。『ほかの誰も資金を出してくれないのなら、私たちが出そう』国家の利益や自分自身の権威が危機に瀕していれば、その資金を受け取るに決まっている」

 しかしことさらに中国を非難する気にもなれない。
 欧米がやってたことを中国がやってるだけだから。日本だってアジア諸国でやろうとしてたことだし。




「資源があることがかえって経済成長の妨げになる」という話はすこぶるおもしろかったのだが、後半は疲れてしまった。

 アフリカの様々な国のケースが紹介されるのだが、国はちがえどやってることはほとんど同じだし、固有名詞がどんどん出てくるので関係を追っていくだけで疲れてしまう。
 新聞記者だけあって、新聞記事みたいな文章なんだよね。とにかく関係者の名前とかを丁寧に書いている。調べたことは全部書いている。司馬遼太郎の文章みたい。
 こっちは捜査官じゃないからすべての情報を知りたいわけじゃないんだよ。

 というわけで後半は飛ばし読み。
 一応最後まで目を通したけど、前半だけで十分だったな……。


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2021年5月12日水曜日

ツイートまとめ 2020年9月


時空のねじれ

パトロール

レインボーマウンテン

シベリア超特急

指定校推薦

優しさ

ファービー

ニコリの思い出

香港警察

クラウチングスタート

AI

枕草子

核心

裏切り

ジャーマン

PTA

暴力団



ナス

胴長

入場制限

偏見

2021年5月11日火曜日

【読書感想文】自殺の影響力 / 重松 清 『十字架』

十字架

重松 清 

内容(e-honより)
いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。吉川英治文学賞受賞作。


 いじめを苦に自殺した中学生。彼の遺書には、いじめをおこなった三人のうち二人だけの名前と、想いを寄せていたであろう女の子の名前、そして「親友」として僕の名前が書かれていた。僕は中学校に入ってからは彼とほとんど交流を持っていなかったのに……。


 という話。
 自殺した少年から「親友」と名指しされたせいで、周囲から同情され、少年の父親からは「親友ならなぜかばってやらなかった」と恨まれ、少年の母親からは「亡き息子の親友」として過剰にもてなされ、記者にはつきまとわれ、そのせいで事件のことを忘れることもできずに「十字架」を背負いつづける主人公。

 これはきついよなあ。もちろん「いじめの加害者」として名指しされるのもきついが、まあそれは自業自得だし、「おれのせいじゃないよ」と開き直ることもできるかもしれない。
 でも「親友」や「好意を寄せられていた相手」は、そんなんじゃないよと否定することもできない。忘れたいのに忘れられない。


 高校の同級生だったО君という子が卒業後まもなく自殺したらしい。理由は知らない。卒業後なんでいじめとかではないだろう。
 ぼくとO君はほとんど接点がなかった。同じクラスどころか隣のクラスになったことすらない。唯一の思い出は、高一のときにいっしょに文化祭をまわったこと。それもぼくと友人のNが歩いているところにO君も加わったってだけで、二人きりで話したことは一度もない。
 それでも、O君が自殺したと聞いたときは「ぼくにもなんとかできたんじゃないだろうか」「あの文化祭の後にもっと仲良くしてたらひょっとしたらO君は自殺せずに済む道を歩んでたかも……」とか考えてしまった。たった数時間話しただけなのに、責任の一端を背負いこんでしまった。

 もちろんぼくはいつまでもO君のことを考えたりせず、数年に一度思いだすだけなんだけど。
 しかし数時間話しただけの人間にもこうして後悔の感情を与えることができるのだから、自殺という行為の与える負の影響力はすごい。友人や家族だったらその影響は計り知れないだろう。


 ところで今思いだしたんだけど、昨年ぼくのいとこも自殺した。
 自分でも驚くことに「身近な人の自殺」を思い浮かべたとき、ぼくはいとこのことを完全に失念していた。ここ二十年ぐらい会っていなかったとはいえ子どもの頃はよく遊んだいとこ(しかも亡くなったのはたった一年前)よりも、たったひとつの思い出しかなくてしかも二十年も前に亡くなったO君のほうを先に思いだした。びっくりだ。

 こっちの感受性の問題だろうか。
 O君の自殺を知ったのは十八歳のとき。いとこの自殺を知ったのは三十代。感受性が衰えているのかもしれない。

 この感受性の衰えは、いいことなのか悪いことなのか。




 いじめについて。
 ぼくはいじめられたという記憶はない。そりゃ殴られたとか悪口を言われたとかはいくらでもあるが、基本的に殴りかえしたし十倍にして言いかえした。たぶん悪口を言われたことより言ったことの方が多い。
 どっちかっていったらいじめっ子側だ。恥ずかしい話だけど、男子の集団でひとりの女子に嫌がらせをしたこともある。「どっちかっていったら」なんて言い訳をしてしまったけど、完全にいじめっ子だな。

 暴力を振るったり金品を要求したりということはないが、ばかにしたり、無視を決めこんだりは何度もやった。
 傍観者だったことなんて多すぎて覚えていないぐらい。誰かがいじめられているのを止めた、なんてことは一度もない。

 いじめの相手が自殺したり登校拒否になったりといったことはないが、それはたまたま相手が強かっただけで、相手やタイミングによってはそうなってもおかしくなかった。

 そんな極悪非道のぼくでも、自分が親になると「我が子はいじめとは無縁でいてくれ」と願う。なんと勝手なことだろう。


 しかしいじめはなくならない。
 教師の力量とか学校の体制とかそういうことじゃなくて、もう絶対になくならないとおもう。特に中学生のいじめが深刻化しがちだけど、中学生にかぎらず人間ってのはいじめをする生き物なんだとおもう。狭い集団で閉じこめておいたら必ずいじめをする。大学でも会社でも軍隊でも老人会でもある。
 ただ、大きくなるにつれて居場所や選択肢が増える。嫌なやつからは遠ざかる、嫌な集団からは抜ける、そういったことができるようになる。
 小中学生には逃げ場が少ない。クラスは自分で選べないし、部活もやめづらい。だからいじめが深刻化するんだろう。

 とはいえ。
 今はインターネットがある。物理的な距離を超えて、いろんなコミュニティに所属できる。中学生でもたいていのスペースにはいける。
「ネットいじめ」なんてのも問題になってるけど、インターネットの発達はこといじめに関してはプラスの要素の方がずっと多いんじゃないかな。
 いじめ自体をなくすことより、逃げ場所をつくることのほうがずっと大事だとおもう。


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2021年5月10日月曜日

男と女の外遊び

 週末は公園で遊ぶ。
 娘と、その友だちと。
 多いときだと十五人ぐらいの子どもと遊ぶことも。
 何か月か前、子ども十二人+おっさん一人でけいどろをした。

 子どもたちの成長とともに遊びも変わってきた。
 四~五歳のときはおにごっこ、かくれんぼ、自転車に乗るなど単純な遊びが多かったが、小学二年生になった今ではドッチボール、缶けり、けいどろなどちょっと複雑なルールのゲームをするようになった。

 二年生になると、男女別で遊ぶことが増えた。
 少し前までは男女みんなでわいわい遊んでいた。今もいっしょに遊ぶが、気づくといつのまにか男グループ女グループに分かれている。

 ただぼくらの時代とちがうのは「好きな遊びがそれぞれちがうから別々に遊ぶ」だけで、「男なのに女子と遊ぶなんて恥ずかしいぜ」みたいな雰囲気はぜんぜん感じないことだ。
 四年生ぐらいの子でも男女混成でドッチボールをしたりしているのをときどき見るから、時代は変わったんだなあ。ぼくが小学四年生のときなんて休みの日に女子と遊ぶなんてめったになかった。


 時代が変わったと感じる一方で、男の子が好む遊び、女の子が好む遊びは昔とあまり変わらない(公園での遊びに関しては)。

 男子はドッチボールやサッカー、女子は鉄棒や縄跳びや長縄飛び。
 ぼくが小学生のときとほとんど変わらない。
 男子はやっぱり戦いが好き。はっきり勝ち負けをつけたがる。
 女子は争いを避ける。ひとりで技を磨いたり、みんなで協力する遊びが好き。これはもう生まれもっての性差なんだろうな(個人差あります)。

 ぼくは縄跳びも鉄棒も嫌いだった。苦手だったし。
 でも女子は鉄棒好きだよね。地上にいるより鉄棒にとまってる時間のほうが長いんじゃねえかっていうスズメみたいな女の子いるもんね。ずっとくるくる回ってる。
 やっぱあれかね。男子はちんちんがあるから鉄棒苦手なのかな。

 一方ドッチボールなんかははっきりと男女差がつきはじめる。
 ドッチボールって、苦手な子にとってはぜんぜんおもしろくない遊びなんだよね。ただボールをぶつけられるだけだもん。ぶつけられたらあとはほとんどやることないし。苦手→嫌いになる→ますます苦手になるの悪循環。
 けいどろだったら、足の遅い子でも助けてもらえたり、はさみうちによって敵をつかまえたりできるからみんな楽しめるんだけどね。


 他方、男子も女子も大きい子も小さい子も運動が得意な子も苦手な子も熱くなる遊びがある。
 リレーだ。

 まず、ルールがとにかくわかりやすい。三歳でもわかる。

 それから、走るのが遅い子でもがんばろうという気になる。遅い子が縮めた一秒と速い子が縮めた一秒は同じ価値を持つ。
 ドッチボールやサッカーは、何もしない人がいてもチームが勝つことはあるが、リレーだと何もしない人がいるチームは確実に負ける。だからみんながんばる。

 あと、ゲームバランスを調整しやすい。
 速い子と遅い子を同じチームにしたり、遅いチームは人数を減らしたり、速い子は二周続けて走らせたり、小さい子は半周前からスタートさせたり。
 さらに大人(主にぼく)が入ることでより調整がしやすくなる。差がつきそうなときは本気で走ったりわざとスピードを落としたりして、接戦になるように調整する。
 あからさまに手を抜いて走ると同じチームの子らから怒られるので、一生懸命走っているふりをしながら上手に手を抜かなくてはならない。わざと大回りをしたり。接待リレーだ。

 リレーはおもしろい。誰もが熱くなる。だからドラマが生まれる。
 箱根駅伝が何十年にわたって人気コンテンツでありつづけるのもよくわかる。


2021年5月7日金曜日

【読書感想文】闘争なくして差別はなくせない / 荒井 裕樹『障害者差別を問いなおす』

障害者差別を問いなおす

荒井 裕樹

内容(e-honより)
「差別はいけない」。でも、なぜ「いけない」のかを言葉にする時、そこには独特の難しさがある。その理由を探るため差別されてきた人々の声を拾い上げる一冊。


 少し前に、ある車椅子ユーザーのブログ記事がちょっとした話題になった。話題というか、どっちかというと「炎上」だ。
 経緯はこうだ。

 車椅子ユーザーI氏がJR小田原駅からJR来宮駅まで行こうとするも、JR職員から「来宮駅は階段しかないので案内できない。途中の熱海までにしてほしい」と伝える。I氏がバリアフリー法や障害者差別解消法を根拠に「駅員3、4人で車椅子を持ちあげて階段を移動してほしい」と伝えるも、駅員は拒否。だが熱海まで行くと、駅員が4人待機していて階段移動を手伝った。
  I氏はこの経緯を「JRで車いすは乗車拒否されました」というタイトルでブログ記事として公開、さらに新聞社にも連絡をして取材をしてもらった。

 この件に対して「車椅子ユーザーが抱えている社会的障壁が明らかになった」など評価する声も上がる一方、「事前に連絡すべき」「JRという会社に言うならともかく、現場の駅職員に迷惑をかけるのはおかしい」「そもそもこの人はJR職員」といった批判の声も上がった。

 数年前ならぼくも「車椅子での移動を駅員に手伝ってもらいたいなら事前に言っておけよ! 特別な対応を望むなら極力駅員に迷惑がかからないようにしたほうがいいんじゃない?」っておもってただろう。

 でも、昨年読んだ伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』のこの文章を読んで、身体障害に対するぼくのとらえ方は少し変わった。。

 そして約三十年を経て二〇一一年に公布・施行された我が国の改正障害者基本法では、障害者はこう定義されています。「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」。つまり、社会の側にある壁によって日常生活や社会生活上の不自由さを強いられることが、障害者の定義に盛り込まれるようになったのです。
 従来の考え方では、障害は個人に属していました。ところが、新しい考えでは、障害の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。障害学の言葉でいえば、「個人モデル」から「社会モデル」の転換が起こったのです。
「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だからひとりで旅行にいけない」ことや「足が不自由なために望んだ職を得られず、経済的に余裕がない」ことが障害なのです。

 車椅子に乗らないといけないことが障害ではなく、「車椅子だと他人に手伝ってもらわないと移動できない」ことが障害だとする考え方だ。
 眼鏡やコンタクトレンズがあれば近視の人が障害者でないのと同じように、エレベーターやスロープがどこにでもあって車椅子での移動にほとんど不自由を感じない社会になれば「車椅子に乗らないといけない人」は障害者ではなくなる、という考えだ。

 この考え方を知っていたから「これは脊髄反射的に是非を判断してはいけない問題だぞ」とおもった。
「駅員の手を煩わせた」という一点だけを見れば、たしかにI氏の行為は批判されるべきものだ。だがその行為を批判すべき前に「なぜI氏は駅員の手を煩わせる必要があったのか」を知るべきだ。

 ということで『障害者差別を問いなおす』を手に取った。




 とても勉強になった。
 そして、いかに我々健常者の認識が進歩していないかを。

 I氏の一件に対して「この人はクレームを言うのが目的だろ」という指摘がたくさんついていた。
「むやみに敵を作っても賛同者は集まらない。もっとスマートなやりかたがあるだろ」という立場だ。ぼくもかつてはこの立場だった。

 だが『障害者差別を問いなおす』を読んでわかった。I氏をはじめとする障害者が批判しているのは、まさにおためごかしに「むやみに敵を作っても賛同者は集まらない。もっとスマートなやりかたがあるだろ」という人たちなのだ。


 この本は『障害者差別を問いなおす』というタイトルではあるが、書かれているのは障害者差別全般の話ではなく、主に「〝青い芝の会〟の運動の歴史」である。

「青い芝の会」とは、脳性マヒの人たちによる障碍者団体。特に「神奈川青い芝の会」は激しい社会運動により1970年前後には多くの話題を集めた。

「青い芝の会」の行動綱領を読むと、その主張の激しさに驚かされる。

一、われらは愛と正義を否定する
 われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且、行動する。
一、われらは問題解決の路を選ばない
 われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発であるか、身をもって知ってきた。「われらは、次々と問題提起を行なうことのみ我等の行いうる運動であると信じ、且、行動する。
一、われらは健全者文明を否定する
 われらは健全者の作り出してきた現代文明が、われら脳性マヒ者を弾き出すことによってのみ成り立ってきたことを認識し、運動及び日常生活の中からわれら独自の文化を創り出すことが現代文明への告発に通じることを信じ、且つ行動する。

 彼らが目指したのは「健常者に居場所を与えてもらう障害者」ではなかった。障害者だからといって不自由を感じることがあってはならない、たとえ車椅子に乗っていても歩ける人と同じ暮らしができる世の中をつくるために闘うことだった。

 そのための活動のひとつが、1977~1978年におこなわれた「川崎バス闘争」だ。車椅子利用者が乗車するときには「介護人の付き添い」「車椅子を畳んで座席に座ること」を求めたのに対し、青い芝の会は「ひとりでも乗れるようにすること」「座り慣れた車椅子のまま乗車できるようにすること」を要求し、強引にバスに乗車したり、バス会社と揉めた結果バスの窓ガラスを割るなどしてバスの運行をストップさせたりした事件だ。

 これを読むと、前述のI氏の一件や、2017年に起きたバニラ・エア騒動(車椅子利用者がバニラ・エアの航空機を利用する際に車椅子に乗ったままの搭乗を拒否されたことに対して抗議した)などはなんと穏便なことだろうと感じる。

「車椅子での乗車を拒否されたから力づくでバスの運行を妨害する」と聞いて、どう感じるだろう。
 ほとんどの人は「もっと紳士的なやりかたがあるだろうに」と感じるだろう。ぼくもやはりそうおもった。「いくらなんでもそれは無茶だよ」と。
 だが「青い芝の会」が痛烈に批判したのは、まさにそういう人なのだ。

「むやみに敵を作っても賛同者は集まらない。もっとスマートなやりかたがあるだろ」の人たちは一見障害者に対して理解があるようでじつは完全に障害者を下に見ている。その自覚すらない

 それは「健常者からかわいがられる障害者になりなさい。そしたら我々が持っている権利の一部を障害者にも分け与えてあげよう」という立場なのだ。
「女の子はにこにこしてたほうがいいんだよ。愛嬌のある子のほうがみんなから好かれるよ」
というのと同じで、対等なものとは見ていない。言葉は悪いが、ペットと同じ扱いだ。


 この「川崎バス闘争」を読んで、ぼくは高校生のときに英語の教科書で読んだモンゴメリー・バス・ボイコット事件を思いだした。
 白人と黒人で座席が分かれていたアメリカで、ローザ・パークスという黒人女性が黒人優先席に座っていた。運転手から白人のために席を空けるように指示されたパークスが拒否し、警察に逮捕された。これに抗議するためにキング牧師がバスのボイコットを呼びかけ、さらには人種隔離政策に対する違憲判決につながった。

「川崎バス闘争」はまさに「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」と同じだとぼくはおもう。
 今、多くのバスでノンステップ型が採用され、車椅子やベビーカーのまま乗れるのがあたりまえになっている。ぼくも子どもが小さかったときはベビーカーを押して移動したからお世話になった。これは「青い芝の会」をはじめとする先人たちの闘いがあったからこそ享受できている利便性ではないだろうか。


 アメリカでは黒人が奴隷扱いを受けていた。だが多くの人の闘争により、奴隷から解放された。
 もしも黒人たちがずっと「白人のご主人様に立ち向かってたら、嫌われるだけだよ。嫌われないようにもっとうまくやらなくちゃ」というスタンスだったなら、きっと今でも「昔よりは若干待遇のよくなった奴隷」のままだっただろう。

 人権が制限されるかもしれない状況というのは、いってみれば「生きるか死ぬかの瀬戸際」だ。どんなことをしてでも人権を守らなければならない。たとえ暴力を使ってでも。
 暴漢に喉元にナイフをつきつけられている人に「暴力で抵抗するのは良くない。もっとスマートなやりかたをとるべきだ」と言えるだろうか。人権が制限されている人の闘争に「もっとスマートなやりかたを」というのは、それと同じことだ。




 先述のI氏も、バニラ・エア事件を引き起こした車椅子男性も、バスの運行を妨害した「青い芝の会」も、おそらくわざと事を荒立てたのだろう。
 あえてトラブルになるような方法を選んで。

 だが、これを「クレーマー」の一言で片づけてはいけない。事を荒立てないと、一部の人の人権を制限し、制限していることにすら気づかない社会にこそ問題があるのだ。

 横田弘は一九七〇年の時点で、〈今の我々は、相手に理解されようとする事よりも、むしろ相手に拒否される事が大切なのではないか〉と述べています(「メーデー会場にて」)。
 そもそも「他人を理解する」とは、その他人が自分とは異なる存在であることを認めるところからはじまります。「相手は自分とは異なる存在なのだから、相手のことを勝手に決めてはならない」という最低限の一線を守らなければ「相互理解」など成り立ちません。
「相手のことを勝手に決めてよい理解」は、強者による弱者の支配に他なりません。こうした「理解」は「自分の理解を超える者」「自分が心地よく理解できない者」を必ず攻撃します。
 横田が〈理解〉よりも〈拒絶〉が必要だと感じたのは、「あなたとは異なる存在がここにいるのだ」といったメッセージを発するためだったのだと思われます。真の「相互理解」を築き上げるためには、一度、根底から〈拒絶〉され、「健全者には理解できない障害者」といった像を立ち上げる必要があったのでしょう。
 青い芝の会の運動とは、「健全者」たちから過激だと忌避されるような言動を通じて自己主張しなければ、自分たちの存在などないものとされてしまう立場に置かれていた障害者たちによる闘いだったと言えるでしょう。

 そう、こういう人がいなければぼくらの多くは自分が差別者であることにすら気が付かない。
「すべての駅を車椅子に乗ったまま利用できるようにすると金がかかるから、車椅子ユーザーは前日までに何時に駅に着くので介助よろしくと伝えなければならないのはしょうがないよね」
という差別発言を、それが差別だということに気が付かずに口にしてしまうのだ。

……とはいえ日本にひとりしかいない病気の人でも快適に暮らせるようにするためのシステムをすべての施設に設置すべきかというとさすがにそれは無理なのでどこかで線引きをする必要はあるんだろうけど……。


 この本を読んでつくづくわかる。
 自分はずっと差別をしているのだと。そしてそのことにまったく無自覚であると。
「気が向いたときにふらっと電車に乗れる人と前日までに細かい日時を指定しないと電車に乗れない人がいる」ことを、なんともおもっていなかったことに気づかされる。

 右に引用した横塚晃一の文章を、もう少し細かく見てみましょう。横塚はボランティアたちに対し、〈その社会をつくっているのは他ならぬ「健全者」つまりあなた方一人一人なのです〉と呼びかけています。
「この社会には障害者差別が存在している」という言い方に対して、真正面から反対する人は、おそらく多くはないと思います。しかし、この「社会」という言葉は「大きな主語」の代表格のようなもので、「マジョリティ」はともすると、自分自身が障害者差別を残存させている社会の一員であることを忘れてしまいます。
 その人自身は個別に責任を問われることのない安全地帯から、「社会」という抽象的な存在に責任を押しつけるような発想に対して、横塚晃一は釘を刺そうとしているのです。彼は「健全者」という言葉を使うことによって、〈あなた方一人一人》へと呼びかけます。〈あなた方一人一人〉が、障害者と対立的な位置にいる「健全者」なのであり、そうした「健全者」がこの社会をつくっているのだと訴えているのです。

 恥ずかしながら、ぼくもこのブログで「○○は社会の問題だ」「国が救わなくてはならない」なんてものの言い方をしていた。
 そこにはまったく当事者意識がなかった。無意識に「ぼく以外の誰かがなんとかしてくれ」とおもっていた。
 そのことにも気づかず、自分は他人を思いやることのできる想像力豊かな人間だとおもっていた。とんでもない。いちばん無責任なのはぼくじゃないか。



 かつてぼくは「障害を持った児童は基本的に特別支援学校に入れたほうがいい」とおもっていた。もちろん自分の子どもに障害があれば、特別支援学校に入れるつもりだった。
 そちらのほうがよい教育を受けられるとおもったから。

特別支援学校とプロの仕事について

 だが、この文章を読んで自信がなくなった。

 これについては、各種障害者団体、障害児をもつ親の会、医療・福祉・教育関係者の団体などの間で激しい議論が交わされました。障害のある子どもは養護学校のような場所で、障害児教育の専門家から個性に合わせた特別な教育を受けた方がよいという立場と、障害のある子どもも、障害のない子どもたちと同じ場所で共に教育を受けた方がよいという立場がぶつかり合いました(前者のような考え方を「発達保障」、後者のような考え方を「共生・共育」と言いました)。
 養護学校義務化に対して、特に強硬に反対を唱えたのが青い芝の会でした。養護学校は障害児を地域の人間関係から隔離・排除することになるとして、全国の青い芝の会が一丸となって反対運動を展開したのです。その運動は、障害児の転入学を拒否した小学校への抗議行動や、文部省や各県教育委員会への座り込みなど、激しい実力行使を伴いました。

 ふうむ。
 少なくとも「ぜったいに特別支援学校のほうがいい」とは言えないかもしれない。だからといって青い芝の会のように「ぜったいに特別支援学校がダメ」とも言えないとはおもうけど。
 中学生ぐらいだったら自分で決めたらいいんだろうけど。でも六歳児には決められないよなあ。どっちがいいんだろう。ぼくの中でまだ答えは出ない。


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