2026年4月27日月曜日

【読書感想文】宮口 幸治『ケーキの切れない非行少年たち』 / 「ふつうでいてほしい」が子どもを苦しめる

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ケーキの切れない非行少年たち

宮口 幸治

内容(e-honより)
児童精神科医である筆者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。

 新書としては異例の120万部を突破した本。かなり話題になっていたのであちこちで噂を聞いた。いい評判も悪い評判も。

 タイトルが良すぎたんだろうね。すごくキャッチ―だもん。「ケーキの切れない〇〇」といったパロディを言いたくなるぐらい切れ味のいいタイトル。『ルポ 非行少年』だったら1割も売れなかっただろうな。まともに読んでいない人でもこのタイトルだけで何かを言いたくなる。

「境界知能」に関心を抱くきっかけにするにはすごくいい本だとおもう。入門書としては。

 著者の体験談が中心で裏付けとなるデータは多くないので、この本だけを元に何か方針を立てたりするのは危険だとおもうが。



 少年院などで多くの“非行少年(少女も含む)”と出会ってきた児童精神科医の著者は、彼らの多くが生きることに問題を抱えていることに気づく。

 これまで多くの非行少年たちと面接してきました。凶悪犯罪を行った少年に、何故そんなことを行ったのかと尋ねても、難し過ぎてその理由を答えられないという子がかなりいたのです。更生のためには、自分のやった非行としっかりと向き合うこと、被害者のことも考えて内省すること、自己洞察などが必要ですが、そもそもその力がないのです。つまり、「反省以前の問題」なのです。これでは被害者も浮かばれません。
 こういった少年たちの中で、幼い時から病院を受診している子はほとんどいません。彼らの保護者・養育環境はお世辞にもいいとは言えず、そういった保護者が子どもの発達上の問題(絵を写すのが苦手、勉強が苦手、対人関係が苦手など)に気づいて病院に連れていくことはないからです。病院に連れてこられる児童は家庭環境もそこそこ安定しており、その親も「少しでも早く病院に連れて行って子どもを診てもらいたい」といったモチベーションを持っています。
 非行化した少年たちに医療的な見立てがされるのは、非行を犯し、警察に逮捕され、司法の手に委ねられた後なのです。一般の精神科病院に、こういった非行少年たちはまず来ません。

 彼らの多くは単純な作業ができない。「かんたんな図形を描き写せない」「短い文章すら復唱できない」といったレベルだ。

「目で見たものを脳で処理する」「脳で記憶した図形を描く」といったプロセスに問題があるわけだ。これでは「さあ黒板に書かれた漢字をノートに書いてみましょう」と言われてもできるわけがない。


 もちろん知的能力が著しく劣っている場合は知的障害者とされて特別な教育を受けるわけだが、問題は「知的能力」なるものが(たとえばIQのような)単一の尺度でかんたんに測れるようなものではないことだ。

 こうやってこうやったらこうなる、といった論理的思考は、「思索の深さ」とも呼ばれています。何ステップ先まで読めるかを予想する力といってもいいでしょう。知的にハンディのある人はこの思索が浅いと言われていて、先のことを見通す力が弱かったりするのです。
 しかし、ここで大きな誤解があります。もし知的障害を持っていたのなら、それまでに周囲に気付かれて、何らかの支援を受けられていたのではないか、と。
 しかし、軽度の知的障害者は、日常生活をする上では概して一般の人たちと何ら変わった特徴が見られないのです。軽度の知的障害者でも陸上自衛隊に入隊したり、大型一種免許、特殊車両免許を取ったりすることは可能です。特に軽度の知的障害や境界知能の人たちは、周囲にほとんど気づかれることなく生活していて、何か問題が起こったりすると、「どうしてそんなことをするのか理解できない人々」に映ってしまうこともあるのです。

 たとえば、運転免許をとれるぐらいの記憶力はあるけど、お金の計算ができなくてあればあるだけ使ってしまう、といった人もいるわけだ。

 そういえばぼくも中学生のときに学校で全員知力テストみたいなのを受けさせられて、「情報処理能力や論理的思考力は問題ないが他人の感情を推し量るのが苦手」みたいな結果をつきつけられたことがあった。

 もしも学校が国語や算数ではなく他人とのコミュニケーションを教えることを最優先する場であったら、ぼくも知的障害者として扱われていたかもしれない。



 学校教育というのは、みんながある程度の能力を持っているという前提で、一斉に物事を教えるようにできている。それだとどうしても指導からこぼれおちてしまう子が生まれる。

 しかし、ここで考えてみてください。小学校なら国語、算数、理科、社会といった学科教育でびっしりと時間割が埋められ、週にわずか1時間、道徳の時間があるだけです。では、道徳の時間で社会面の支援をしているか? これも否です。また、「トラブルがあった時、その都度指導している」だけでは、社会面の支援は偶然に必要性があって生じた程度に過ぎません。つまり、今の学校教育には系統だった社会面への教育というものが全くないのです。これは大きな問題です。
 社会面の支援とは、対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、問題解決力といった、社会で生きていく上でどれも欠かせない能力を身につけさせることです。これらのどれ一つでも出来ていなければ、社会ではうまく生活していけないでしょう。
 そういった最も大切な社会面の支援が、学校教育で系統立ててほとんど何もなされていないということが、私にはどうしても理解できません。学校教育で何もなされていないので、少年院に入ってきた少年には、一から社会面について支援していかないといけないのです。
 すぐにカッとなってしまう少年には感情コントロールの方法を、人にものを尋ねたり、挨拶したり、お礼を言ったりしない少年たちには一からその方法を、教えていかなければならないのです。これら社会面は、集団生活を通して自然に身につけられる子どもも多いですが、発達障害や知的障害をもった子どもが自然に身につけるのはなかなか難しく、やはり学校で系統的に学ぶしか方法がないのです。それが学べないと、多くの問題行動につながりやすく、非行化していくリスクも高まるのです。

「現行基準では知的障害とは言えないけど授業についていけない子」は一定数存在する。著者の推定では15%ぐらいはそんな子なのでは、と。

 15%というとぜんぜんめずらしくない。クラスに何人もいることになる。

 でも、そうした子らを切り捨てているのが現状だ。人的・物的・金銭的リソースの都合でそうせざるをえないのもわかるが、年齢別のクラスではなくもうちょっと柔軟にクラス分けをできたらいいんだろうな。この子は二年生の勉強を教える前に「描き写す」「言われたことを覚えてくりかえす」トレーニングをしたほうがいい、とか。

(『ケーキの切れない非行少年たち』では、そうした子どもたちの能力を伸ばすトレーニング方法を紹介している)



 とはいえ、教育現場での平等神話は根深いものがあるので、「子どもの発達状況別クラス」ってのはなかなか受け入れられないだろうな。特に親には。

 たとえば「おたくのお子さんは三年生ですけど、発達状況に遅れが見られるので一年生クラスでじっくり教えていきましょう」と言われて、すんなり受け入れられるとはおもえない。


 以前、あるドキュメンタリーで、障害を持つ子(言葉が話せない、ひとりで立つことができない子)のお母さんが「我が子を特別支援学校には行かせず、地元の公立小学校に進ませる決断をした。障害があるからって差別されないように、普通の子と同じように、普通の教育を受けさせたかったので」と語っていた。

 これこそが差別発言(彼女は特別支援学校に行く子は普通じゃないと見なしている)なのだがそのことにはまったく無自覚で、番組もまるでそれが美談であるかのように扱っていた。

 特別支援校でその道のプロがサポートするのと、三十数人のクラスに入って専門知識のない教師が教えるのとどっちがその子の健全な発達に有効かは明らかだとおもうのだが、その母親は「我が子にあった教育」よりも「“ふつう”の教育」を選択した。

 でもこれはめずらしいことではない。他人事だから「絶対その子にあったサポートをできる学校のほうがいいですよ」とおもうけど、同じ立場にあったらすごく悩むだろう。

 ぼくだってできることなら我が子は特別支援学校に通う子ではなく、みんなと一緒の学校に通う子であってほしいと思う。差別と言われようが。

 でもその「ふつうでいてほしい」という親の思いが、子どもを苦しめるのもまた事実。

 非行少年として少年院に入ることになった子らの中には、特別支援学校や支援学級に通っていたらもっと良い道を進めていた子もたくさんいるはず。

「ふつう」なんてないとわかっているのに、みんな我が子が「ふつう」に育つことを望んでしまうのよねえ。


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