2024年11月12日火曜日

【読書感想文】浅倉秋成『九度目の十八歳を迎えた君と』 / 若さも恋も人を狂わせる

 九度目の十八歳を迎えた君と

浅倉秋成

内容(e-honより)
いつもより遅めの通勤途中、僕は駅のホームで偶然、高校の同級生・二和美咲の姿を目撃した。他人の空似ではなく、十八歳のままの彼女を―。誰も不思議に感じないようだが、彼女に恋していた僕だけが違和感を拭えない。彼女が十八歳に留まる原因は最初の高校三年生の日日にある?僕は友人や恩師を訪ね、調べ始めた。注目の俊英が贈る、ファンタスティックな追憶のミステリ。

 社会人の主人公は、たまたま駅のホームで高校生のときに好きだった女の子を見かける。なぜか彼女は高校生のまま歳をとっておらず、以前と同じように高校に通っていた。
 だが周囲は誰もそれを疑問におもっておらず、当然のように接している。歳をとらない人なんているはずないと言っていた人も、彼女の姿を見たとたん「いろんな人がいますから歳をとらない人もいるでしょう」なんてことを言いだす。

 なぜ彼女は歳をとらないのか、なぜ周囲はそれを疑問におもわないのか、そしてなぜ主人公だけが疑問におもうのか……。


「誰にでも平等であるはずの年齢が平等でなくなったらどんなことが起こるか?」という非現実的な謎を追い求めるSFミステリ。謎自体が超常現象なので、当然ながらその答えは著者の頭の中にしかなく、万人が納得のできる答えなんてのはないに決まっている。

 無理のある設定だからこそ作家としてのほら吹きの才能が試される。よくできたほら話を広げてくれれば「なるほどね。この設定ならこれが答えになるか」とおもえるし、そうでないならまったくもって納得のいかない種明かしになる。

 で、この作品はどうだったかというと……。

 うーん、まあ、ぎりぎりありかな、という感想。「なぜ歳をとらないのか」というおもいきった設定にしては、解が“弱い”。彼女と同じような思いを抱えた人なんていくらでもいるわけで、その中で彼女だけが高校生活をくりかえすことに対する理由にはなっていなかったな。



 ミステリとしてはパワー不足だったが、青春小説としては悪くなかった。

 なにしろ高校時代の主人公は、好きな異性にふりむいてもらうために「ひとりでプラモデルを作り続けて部室をプラモデルでいっぱいにする」という計画を立てて実行するのだ。あほだ!

 でも、ぼくもこれに近いことはいろいろやっていた。なんとかして接点をつくろうと、意味なく好きな子のまわりをうろうろしたり。変なことをしてたらあの子に話しかけてもらえてそれを機にお近づきになれるんじゃないかと考えたり。冷静に考えれば、まわりをうろうろしているからって好きになるわけないのに。

 ふつうに考えれば、部室をプラモデルで埋めつくすよりも、話しかけるほうが百倍効果的だ。はるかにかんたんだし。でも、そのときは「一瞬勇気を出して話しかける」よりも「半年かけてプラモデルを作りつづける」ほうがかんたんで効果的だとおもっちゃうんだよねえ。若さも恋も人を狂わせるので、若いときの恋ときたら人をとんでもない行動に駆りたててしまう。


 主人公の行動を読んでいると、若い頃のからまわりを思いだしてほろ苦い気持ちになった。今となっては青春時代はただただ美しい思い出になっているけど、それだけじゃない苦い記憶もたくさんあったことを思いださせてくれた。ありがとうこんちくしょう。


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2024年11月8日金曜日

【読書感想文】逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』 / どこをとっても一級品

同志少女よ、敵を撃て

逢坂冬馬

内容(e-honより)
1942年、独ソ戦のさなか、モスクワ近郊の村に住む狩りの名手セラフィマの暮らしは、ドイツ軍の襲撃により突如奪われる。母を殺され、復讐を誓った彼女は、女性狙撃小隊の一員となりスターリングラードの前線へ──。第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作。

 ソ連の小さな村で母と一緒に猟師として暮らしていたセラフィマ。ある日、村にドイツ軍がやってきて母親を含め村民全員が殺されてしまう。

 ソ連の赤軍に救われたセラフィマだが、赤軍に村を焼かれたことで赤軍兵士に対しても怒りを覚える。生きる意味を失ったセラフィマだったが、母を殺したドイツ軍と、村を焼いた赤軍女性兵士のイリーナに復讐をするため、赤軍の狙撃訓練学校に入ることになる。厳しい訓練、仲間の裏切りなどを経て兵士となったセラフィマたちは前線に向かうが、そこは地獄だった……。



 いやいや、とんでもない小説だった。各所で『同志少女よ、敵を撃て』はすばらしいと絶賛する声を聞いたので期待して読んだのだが、期待を裏切らない、いや期待をはるかに上回る小説だった。まちがいなく今年読んだ本の中でナンバーワン。

 難しい題材だとおもうんだよね。独ソ戦で戦った女性兵士の物語って。はっきり言って多くの日本人にとってはまるでなじみのない題材だ。ぼくも少し前にスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』を読むまでは、ソ連では女兵士も最前線で戦っていたということすら知らなかった。

 だが「復讐を誓った少女が厳しい訓練と過酷な戦闘を経て成長し、裏切りや仲間の死によって傷つき、それでも強い敵を倒すために戦う」という王道少年漫画のようなストーリーによってとんでもなく惹きつける。

 ぼくは通勤途中の電車の中でこの本を読んでたんだけど、何度か乗り過ごしそうになったからね。それぐらい夢中にさせる筆力がある。

 そして王道少年漫画とちがうのは、主人公がずっと戦う意味を探していること。愛する人たちの敵討ちだったり、祖国を守るためだったり、仲間との約束だったり、純粋に狙撃が楽しかったり、いろいろ意味を付与するのだけれど、どれもしっくりこない。どれだけ成長しても、どれだけ敵兵を倒しても、かえって求める答えからは遠ざかっていく。

 少年漫画だと全面的に悪い敵がいるわけだけど、もちろん現実の戦争にそんなやつはいない。ヒトラーひとりに罪を押しつけて済む話ではない。敵にもいいやつはいるし、仲間にも悪いやつはいる。ナチスドイツは残虐なことをしたけれど、兵士や市民は家族を愛するふつうの人間だったりする。平和を守るために戦っていたソ連兵も、無抵抗の民間人や女性に暴行をはたらいたりする。


 ただ一度、「なぜ赤軍は戦うか」という議題の最中、次々と生徒たちが自らの思う動機を語り始めたとき、イリーナはそれを遮って、訓示めいた口調でこう言った。「個々の思いを否定はしないが、その気持ちで狙撃に向かえば死ぬ。動機を階層化しろ」
 イリーナによれば、「侵略者を倒せ」だの「ファシストを駆逐しろ」だのの動機は重要であるが、個人の心中にとどめておき、戦場へ行くまでの、動機の起点とすべきものなのだ。「いざ戦地に赴き、敵を撃つとき、お前たちは何も思うな。何も考えるな。……考えるな、と考えてはいけない。ただ純粋に技術に身を置き、何も感じずに敵を撃て。そして起点へと戻ってこい。侵略者を倒し、ファシストを駆逐するために戦っているという意識へ」
 生徒たちはその答えを難解と思い、困惑していた。
 ただ、セラフィマは、提示されたその考えを、まるであらかじめ知っていたかのように、何の違和感も持たずに受け取ることができた。自分とイリーナの間に、ある種の共通点があるようで気味が悪かった。

 なぜ戦うか。おそらく答えはないし、考えるだけ無駄なのだろう。デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』によると、多くの兵士は、十分な訓練を受けていたとしても、いざ戦地に行くと大半は相手を殺すことができないのだという。銃を撃てない、撃ったとしても無意識に外してしまう。それぐらい人を殺すことへの忌避感は強い。おそらく、戦う意味を考えれば考えるほど優秀な兵士からは遠ざかる。

 だが考えてしまう。なぜなら兵士とて人間だから。激しい戦闘が終われば飯を食い、睡眠をとり、仲間と話し、人間として生きることになるから。

 そこで葛藤が生まれる。『同志少女よ、敵を撃て』に出てくる兵士たちはみな答えを探している。百戦錬磨の兵士も答えを探し求めている。一切の迷いがないかのように次々に敵を殺す兵士は、その迷いのなさが原因で命を落とす。

 戦わないといけない理由なんてないんだろう。でも戦わないわけにはいかない。この小説には、敵前逃亡を図ったために味方から銃殺される兵士が描かれる。ソ連もドイツも同じ。ほとんどの人は戦いたくないのだから、それでも戦闘に向かわせるには「逃げたら殺される」とおもわせるしかない。殺さなきゃ殺される、だから殺す、だから敵もこちらを殺す。殺されないために。戦闘が戦闘を呼び、暴行が暴行を呼び、復讐が復讐を呼ぶ。

 自分でも理解不可能な感情が胸の内に渦巻いた。
 イワノフスカヤ村にいたとき、自分は人を殺せないと、疑いもなく思っていた。それが今や殺した数を誇っている。そうであれとイリーナが、軍が、国が言う。けれどもそのように行動すればするほど、自分はかつての自分から遠ざかる。
 自分を支えていた原理は今どこにあるのか。
 それは、そっくりそのままソ連赤軍のものと入れ替わったのか。
 自分が怪物に近づいてゆくという実感が確かにあった。
 しかし、怪物でなければこの戦いを生き延びることはできないのだ。


 今、パレスチナで戦争が起こっている。ニュースで観た映像で、イスラエル人のばあさんが「ムスリムの連中は皆殺しにしないといけない。女も子どもも関係ない。一人も残してはいけない」と語っていた。

 テレビで観ていたぼくはドン引き。えええ……。兵士を憎むならまだわかるが、子どもまで殺せって頭おかしいのかよ……、と。

 じっさい、そのばあさんは頭がおかしいのだ。その人だって、他の地域で暮らしていたなら、子どもまで皆殺しにしろなんておもいもしなかっただろう。でもきっと、身内を殺されたり、死ぬほどつらいおもいをさせられたり、あるいはそういう人に教育されたせいで、敵国の人間は子どもであっても殺していいと考えるようになったのだ。

 その映像を観たとき、ああもうこの戦争を理性で止めることはできないだろうなとおもった。戦争によっておかしくなった人たちとおかしくなった人たちが戦っているのだ。「これ以上続けても被害が増えるだけだから損ですよ」とか「ここで止めたらこんなメリットがありますよ」なんて言っても、止まれないだろう。

 どっちかが戦えなくなるまでやるんだろうな。敵味方ともに大量に人が死ぬことがわかっていても。悲しいけれど。



 物語の説得力がすごい。

 銃の説明、訓練とスキルアップの経過、戦闘の描写、内心の揺れ動き、戦況の説明。小説だとはわかっていても史実を見ているような気になる。

 なんでもこれが著者のデビュー作なんだとか。なんと。その才能と丁寧な仕事ぶりに圧倒される。


 話に説得力があるので、セラフィマの心情の変遷を追体験しているような気になる。冒頭で故郷の村人が皆殺しにされるシーンでは「なんでひどいことをするんだ」とおもっていたのに、セラフィマが厳しい訓練を経てドイツ軍と戦闘をするシーンでは「やっちまえ、ドイツ軍を全員殺してやれ」という気持ちになる。これこそが兵士の偽りのない心境なんだろう。どんなに戦いなんて無意味だとおもっていても、実際に戦地に赴き、共に笑いあった仲間が次々に殺されてゆく状況になれば「敵を殺さないと」という気になる。とても「ラブ&ピース!」なんて気持ちにはなれない。

 そんな「いけ! 撃て!」と考えている自分に気づき、己の中にも好戦性があることに直面させられる。そりゃあ戦争はなくならんわな。



 少女の成長冒険小説として読んでも、戦記物としても、女同士の友情物語としても、超一級品のすごい小説。

 だけど、気になるのは優れたミステリ作品を選ぶアガサ・クリスティー賞を受賞していること。もちろんミステリにはいろんなジャンルがあることは知っているけど、これは広義のミステリにも含まれないんじゃないだろうか……。何が謎なんだろう。教官・イリーナの思惑? でもそれはだいたい想像つくしな……。


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2024年11月6日水曜日

【芸能鑑賞】『最強新コンビ決定戦 THEゴールデンコンビ』

最強新コンビ決定戦
THEゴールデンコンビ

(Amazon Prime)

内容(Amazon Primeより)
MC千鳥!即興コントで一番面白い新コンビが決まる最強新コンビ決定戦開幕! M-1王者/KOCチャンピオンなど、人気・実力を兼ね備えた16名の芸人が、この番組でしか見られない8組のオリジナルコンビを結成。 挑むのは、地下から迫り上がってくるダイナミックなステージと難攻不落のお題!さらには、容赦ないムチャぶりで追い込む超豪華タレントの刺客が! 全8ステージで、200人の観客が「最も面白くないコンビ」に投票。各ステージ1組が脱落していく超過酷な最強新コンビ決定戦! 即興コントが最も面白い新コンビ、”ゴールデンコンビ”に輝き、賞金1000万円を手にするのは!?

 

(勝敗に関するネタバレを含みます。ネタの内容についてはなるべく具体的に書かないようにしています)