某中学校のオープンスクールに行った。娘が受験するかも、ということで。
校長の話、放送部の進行による質疑応答コーナー、校舎見学、体験授業。
すべて終わった後で娘に「どうだった?」と訊いたら、「図書室に本が多いのがよかった」と言っていた。ま、他の中学校を見たことがないからいいとか悪いとか判断のしようがないよなあ。
娘の判断に影響を与えちゃいけないとおもって何も言わなかったけど、ぼくは「いい学校だな」とおもっていた。
そうおもったのは、校長の挨拶の前に、進行を担当していた放送部の子が「それでは校長先生、てみじかにお願いします」と言ったからだ。言われた校長は苦笑い。
校長の話が長いことをいじれる環境。もしかするとそれすらも台本通りだったのかもしれないが、とにかく「生徒が多少は校長をいじってもいい」という姿勢を見せたことをすばらしいとおもった。
ぼくだって他の中学校を知らない。比較できるのは、三十年近く前に自分が通っていた中学校だけ。
ぼくの通っていた中学校では、生徒が教師を、それも校長を、おおっぴらにいじるなんてとてもできる空気じゃなかった。
なにしろ、講演に来たゲストが「みなさん足をくずして楽な姿勢でお聞きください」と言い、生徒たちが足をくずして楽な姿勢で話を聞き、講演が終わってゲストが帰ったら体育教師が「ほんとに足をくずすやつがあるかぁ! 失礼だろうがぁ!」とぶちぎれた学校だ。今考えても異常者だ。こういうやつがいるから生産性は上がらないのだ。
ぼくの中学時代、教師たちは「とにかく生徒をおさえつけること」を目的として生きていた。もちろん個々の教師にはそれぞれいろんな考えがあったのだろうが、少なくとも学校全体の姿勢としては「生徒ふぜいが教師にちょっとでもたてつく真似を見せたら殺す」みたいな感じだった。
その姿勢がもっとも表れていたのが朝礼や始業式・終業式などで、校長先生がお話しされている間は、私語はおろか、身体を動かすことすら認めていませんよ、という感じだった。
べつにぼくの通っていた中学校が荒れていたわけではなく、それどころか市内でも有数の“荒れていない学校”として有名だったぐらいで、それでも刑務所のような厳しさで生徒を管理しようとしていたので、その時代の公立中学校はどこも似たり寄ったりだったのだろう。
ぼくが中学生だった1990年代後半は、ヤンキーブームは去っていたものの、まだそれを若干引きずっていた時代だった。そのへんは当時の人気漫画にも表れていて、『SLAM DUNK』『幽遊白書』『GTO』など“元ヤンキーが主人公の漫画”が多かった(『ろくでなしブルース』のようにヤンキーどまんなかはダサいとおもわれていた)。
じっさい、ぼくらよりも十年ぐらい上の世代はわりと荒れていたそうだ。
というわけで教師たちも「ちょっとでも手綱をゆるめてまた不良が増えたら困る」とおもっていたのだろう。生徒に対してはとにかく厳しく厳しく接していた。時代だ。
もうひとつ、オープンスクールに行った学校がぼくの通っていた中学校とちがうところがある。
それは「私立でそもそも不良あるいは不良予備軍は入学してこない」ということだ。
そもそも荒れそうな人が入ってこない。だから締めつける必要がない。
そういや高校でも、トップクラスの進学校は校則がほとんどなかったり、服装や髪色が自由だったり、しめつけがゆるい。「おまえらなら、どこまでやっていいかわかるよな」という感じだ。そうでない学校は「自由にさせたらおまえら何するかわからないからめいっぱい締めつけとく」となってしまう。
自由を求めすぎると自由を与えてもらえない。
皮肉なものよ。
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