給食の歴史
藤原 辰史
戦前から現在に至るまでの給食の歴史について書かれた本。
子どものころはあたりまえのように給食を食べていて「あって当然」のものだった。現在、公立小学校の給食実施率は99%だそうだ。残りの1%は生徒数数人の学校とかかな。
だが、その歴史をたどると、給食は決してあたりまえのものではなかった。
明治時代は「金がなくて弁当がないから学校に行かない」という子が多かったため、給食が導入されるようになった。就学率を上げるために給食が導入されたわけだ。当時は食うや食わずの子どもも多かっただろうから「学校に行けばごはんが食べられる」というのはだいぶ魅力的なご褒美だったことだろう。言ってみればログインボーナスだ。
そんなふうにしてはじまった給食だが、何度も廃止の危機に瀕しているそうだ。戦中・戦後の物資不足、アメリカによる占領が解かれて援助がなくなったことによる資金不足などの経済的事情に加え、「みんなに同じものを食わせるなんて社会主義的だ」と反対する議員がいたり、「本来弁当をつくるはずの母親が楽をしたいからだ。給食は親子の愛情を阻害する」なんてピントはずれの批判をする議員がいたりしたらしい。昔も今も、何もわかっちゃいないじいさんが法律を作っていたのだ。
給食は政治の影響も大きく受けた。
アメリカは敗戦国である日本に対して支援をしながらも「自国の余剰食糧を買ってもらいたい」「小麦や乳製品などの輸出を増やすために日本の食文化を欧米化したい」といった政治的意図に基づいて、給食に対する要求を出している(もっと単純に、自分たちの食生活こそが最良だという思い込みもあっただろう)。
今でこそ米飯給食が増えたらしいが、ぼくが子どものころなんて米飯は月一、二回で、ほとんどはまずいパンだった。牛乳も不人気だったし(体質的に飲めない子もいるのにあれを強制するのはひどいよなあ)。政治的な理由もあったんだろうなあ。
給食のメリットは数あれど、昔も今もトップクラスに重要なのが貧困対策だ。
世襲議員や、官僚や大企業出身の議員にはこういう事情はなかなか見えないだろうなあ。
だから「給食は親子の愛情を阻害する」なんてとんちんかんなことを言ってしまうのだ。
たぶん、給食制度に反対する人は今ではほとんどいないだろう。
じっさい、給食はありがたい。経済的な理由や、「各家庭の親が弁当を作らなくていい」という時間的な理由はもちろん、プロの栄養士が考えたバランスのよい食事をすることができる、季節の食材や地元の食材にふれる食育ができる、家族以外の人と食事をすることにより食事マナーを身につけられる、給食当番をすることで配膳などを学べる……。そしてなにより、みんなで同じものを食べるのは楽しい。
うちなんか共働きなので夏休みや冬休みでも給食だけは実施してほしいぐらいだ(倍の値段になってもいいからやってほしい。そうおもっている家庭は多いだろう)。
2020年頃、コロナ禍で「給食のときはそれぞれ前を向いてだまって食べること」というお達しが下された。うちの子は「だまって食べないといけないからつまんない」と言っていた。そりゃあそうだろう。本来なら給食なんて日々の学校生活のなかでも一、二を争うほど楽しいイベントなのに、それが無味乾燥なものに変えられてしまったのだから(ついでにコロナ禍では休み時間の遊びなども制限されてて、ほんとに気の毒だった)。
もちろん嫌いなものを強制されたり、食べきれない子が居残りさせられたりといった“苦い記憶”はあるだろうけど、それはおおむね制度運用側の問題(というか教師の問題)であって、制度自体が悪いわけではない。
そんな給食制度も、決してあたりまえのものではなく、先人たちの努力、給食をなくそうとする連中に対する闘いの結果として今存在するのだということを改めて知った。
そういえば。
『となりのトトロ』で、サツキが「今日から私、お弁当よ」と言うセリフがある。お弁当を作るのを忘れていたお父さんに代わって、サツキがお弁当を作っているのだ。
(それも残り物ではなく、朝から七輪で魚を焼いたりしている。さらに弁当とは別に味噌汁など朝食も作っている。とんでもない小学生だ)
あれはサツキがとんでもなくしっかり者だったからなんとかなったけど、そうじゃなかったら「学校に遅れる(あるいは行かない)」か「弁当を持って行かずに他の子らが弁当を食べているときに我慢する」しかないわけだ。
戦争で両親のいない子も多かっただろうし、貧しい家も多いし、今のようにコンビニも冷凍食品もお惣菜屋もない時代、お弁当を用意するというのはたいへんな苦労だったにちがいない。
給食があればサツキの負担もだいぶ軽減されただろうになあ。
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