我が人生
ミハイル・ゴルバチョフ自伝
ミハイル・ゴルバチョフ(著) 副島 英樹(訳)
ミハイル・ゴルバチョフ。通称ゴルビー。
ソビエト連邦最後の首脳。ソ連が崩壊したのがぼくが小学校低学年の頃だったので、リアルタイムではゴルバチョフ大統領のことはほとんど知らない。
ただ、そのインパクトのある名前と、印象的な顔(「額にソ連の地図がある」なんていわれていた)が妙に印象に残っている。
Wikipedia「ミハイル・ゴルバチョフ」より |
かんたんに経歴を書くと、ミハイル・ゴルバチョフ氏は1931年生まれ。貧しい家庭で育ち、青年時代には独ソ戦も経験する(出征はしていない)。ソ連共産党の書記などとして活躍し、54歳でソ連のトップである書記長に就任。
ソ連の建て直しを図った「ペレストロイカ」や情報公開「グラスノスチ」など、おもいきった改革を進める。書記長時代にはチェルノブイリ原発事故も起こっている。アメリカ・レーガン大統領と軍縮交渉をおこなうなど冷戦の終結に努める。
1990年に大統領制を導入しソ連の初代大統領に就任するもクーデターの勃発などで政権は弱体化、1991年にソ連は崩壊し、ゴルバチョフは最初で最後の大統領となった。
大統領辞任後もロシアの政治に関わりつづけたが、2022年8月に91歳で死去。
そんなゴルバチョフ氏の自伝。
2022年7月に刊行され、奇しくもその1か月後にゴルバチョフ氏は亡くなっている。こういっちゃなんだけど、タイミングいいよね。
申し訳ないけど、ゴルバチョフ氏の訃報を目にしたぼくの感想は「まだ生きてたのか」だった。それぐらい、長く政治の表舞台からは遠ざかっていたので。
ゴルバチョフ氏は、「おひざ元のロシアでは評価が低く、西側諸国からは高く評価されている」人物だそうだ。海外からのほうが高く評価される首脳というのはなかなかめずらしい。
大きな理由のひとつが、ゴルバチョフ氏が推し進めたペレストロイカにある。
ざっくり言うと、ゴルバチョフ氏はソ連を「アメリカや西ヨーロッパのような国にしようとした」のがペレストロイカだ。統制経済から自由経済へ。
だから西側諸国からは歓迎されたが、既得権益を失ったソ連国内では人気がなかった。ゴルバチョフ氏のせいで既得権益を失った人がおおぜいいたからね。
また民主化により失業者が出たり、物価が上がったりして、生活が苦しくなったりもしたそうだ。それまでは「ぼちぼち働いていれば食うに困ることはない。貧しいけどみんな貧しいからしょうがないよね」だったのが、「一生懸命働けば豊かになれるけど、一生懸命働かないと食っていけない」になった。どっちがいいかはかんたんに決められないけど、前者が突然後者になったら困る人はいっぱいいるよね。
ソ連がアメリカなどの国から遅れをとっていたことを考えると、国のトップとしては改革に舵を切らなくちゃいけないのもわかるけど。
市場主義経済だと成果は市場で判定される(儲かる仕事がいい仕事)からわかりやすいんだけど、社会主義経済だと労働を「勤勉かどうか」で判定するしかなくなる。これはよくない。
「勤勉」ってのは成功するための手段のひとつであって(必須条件ではない)、「勤勉」それ自体を評価の対象にするとろくなことがない。「勤勉」を良しとすると、効率の悪い働き方をするのが最適解になっちゃうんだよね。「1時間で10作る人」よりも「10時間かけて10作る人」のほうが勤勉だからね。イノベーションが起こりにくくなる。
またソ連には資源があった。これはいいことでもあり、悪いことでもある。
「オランダ病」という言葉がある。オランダでガス田が見つかったために他の産業が衰えたことに由来する言葉で、「資源があることでかえって産業が衰えてしまう」状態を指す言葉だ。
ソ連もまたオランダ病に陥っていたのだろう。この病気に罹患すると、資源が尽きるまではなかなか方針を改めることができない。
ゴルバチョフ氏より三代前に書記長だったブレジネフ氏の話。
要するに、健康上の理由でまともな思考や判断ができなくなっていたのに、そっちのほうが都合がいいとおもう人が多かったので、側近たちは彼をそのまま書記長の座に留めおいたのだそうだ。
うーん。気持ちはちょっとわかるけど。トップの人は変にしゃしゃり出るよりも、お飾りとして何もせず座っているのがいちばんスムーズに動いたりするけど。
とはいえ、議論ができず、ときには意識や記憶を失ったりする人がソ連のような大国のトップを務めていたなんて……。おっそろしい話だなあ。案外こういうのが戦争の一因だったりするんだろうな。
ゴルビーの自伝を読んでいると、はじめのほうは理性的かつ客観的に物事を見られる人物なのに、トップ(書記長)になったあたりから、急に謙虚さを失って「人のせいにする」ようになったという印象を受ける。
軍縮会議がうまくいかなかったのは、こっちが妥協しているのにアメリカが譲らなかったせい。改革がうまくいかなかったのは、国内の反対派がじゃまをしたせい。国民の暮らしが悪くなったのは、後任者(エリツィン)のせい。
手柄は自分のものにして、失敗の原因はすべて他人に押しつける記述が目立つようになる。
実際はどうかわからないけどさ。周囲の邪魔があったせいでうまくいかなかったのかもしれないけどさ。でも、そこを乗り越えてなんとかするのが政治家の仕事でしょうよ。
自伝だからゴルバチョフ氏側の言い分しかわからないけど、書記長になって以降はずいぶん勝手な人だなあという印象を受けた。まったく謙虚さがない。
この傲慢な姿勢、何かに似ているなあとおもったら日本の政党だ。自民や維新が特に顕著だけど、失敗の原因はすべて他党に押しつけて、手柄だけは自分のものとして吹聴する。「我々がおこなったアレは失敗だった」なんて反省を口にしているのは一度も聞いたことがない。与党、権力者がかかる職業病みたいなものかもしれない。
やっぱり国や社会体制にかかわらず、権力を持つと人は傲慢になっちゃうんだよね。「己の失敗を認める」がいちばんむずかしい。どこでもおんなじだね。
あと、読んでいて感じたのは、被害者意識がすごいなということ。これはゴルバチョフ氏が、というよりソ連、ロシアが。
自分たちは敵に囲まれている、周囲はすべて敵、心を許せる外国はない、そんな意識がずっと漂っている。たぶんこれはゴルバチョフ氏だけじゃなくて現大統領であるプーチン氏も持ってる感覚なんじゃないかな。ひいては、ロシア国民が共通して抱いている感覚かもしれない。
まあ当たらずとも遠からずなんだけどさ。アメリカ、NATOにはさまれて。日本もアメリカ側だし、中国共産党とだって良好ではないし。四面楚歌と感じてもふしぎではない。
冷戦中はもちろんそうだったけど、冷戦が終わってからも西側諸国はロシアを敵と見ている。日本人だって、中国や韓国は「いろいろめんどうなこともあるけどまあうまくつきあっていきたいアジアの友人」ぐらいの感覚を持っている人が多いが、ロシアに関しては「まったくわかりあえない国」って距離感だもんなあ。
ロシアのウクライナ侵攻もそういう雰囲気が引き起こしたのかもしれないなあ。
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