2023年5月23日火曜日

親に似てしまった子

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 九歳の長女。

 両親のどっちに似ているかというと、迷わず父親似だと答える。つまりぼく似。

 外見の話ではない。性格や趣味嗜好がぼくに似ている。それも、悪いところが似てしまった。


片付けができない

 まったく持って片付けができない。脱いだら脱ぎっぱなし。パジャマも靴下も床に落ちてる。「片づけて」と言うとしぶしぶ洗濯かごへと持っていくが、言われないとやらない。

 タンスは機能していない。なぜなら着替えを探すときに服を全部床にひっぱりだして、そのままにしておくから。毎回服の山の中から今日着る服を探してる。「片づけて」と言うとしぶしぶ(以下略)。

 勉強机はありとあらゆるものが山積みになっている。引き出しは全部開きっぱなし。なぜなら引き出しの上にも物が積み重なっていて閉まらないから。

 ごみを捨てない。勉強机の周りからいつのものかわからないお菓子の袋が出てくる。ごみを食卓の上に置いたままにしている。あえてそのままにしてみるが、まったく気にすることなく食事をしている。


 とにかく片付けができない。これはもう何かの病気なんじゃないかとおもう。もしくは悪い魔法使いの呪いか。

 宿題は毎日ちゃんとやるし、習っているピアノもちゃんと練習しているし、親から見てもまじめな子だとおもう。なのに片付けだけがまったくダメ。「誰かが片付けてくれるとおもってる」わけではない。そもそも「どれだけ部屋が汚くてもまったく気にならない」から片付けなきゃいけないという発想自体がないのだ。


 おもえば、ぼくも掃除ができなかった(ぼくは宿題もできなかったしふまじめだったけど)。

 子どもの頃は母親から毎日のように「片付けて」「たまには掃除しなさい」と言われていたが、99%聞き流していた。自主的に片付けをしたことなんてほぼない。

 一応、友人が家に来るときぐらいは片付けをした。でもそもそも「許容できる部屋の汚さ」が人とだいぶちがうので、ぼくが「きれいになった!」とおもっている部屋は他人から見たらすごく汚い部屋だったとおもう。


 今でも片付けは苦手だ。できない、と言ってもいい。さすがにごみはすぐ捨てるが「また後で使うもの」を片付けることができない。また使うんだから出しっぱなしにしとけばいいじゃん、とおもってしまう。

 さすがに職場でも家でも共有スペースはきれいに使うよう心掛けているが、自分の机まわりはぐっちゃぐちゃだ。


食べ方が汚い

 食べているものをぽろぽろこぼす。食事の後、机の下を見るとぼくの椅子の下と長女の椅子の下だけすごく汚い。次女もこぼすが、まあこれは四歳児なのでしかたがない。四歳児とぼくが同じくらい食べ物をこぼす。で、それに輪をかけて長女がこぼす。ほんとに汚い。誰に似たんだ。そう、ぼくだ。

 昔からずっと「おまえ、よくこぼすな」と言われてきた。改まった席での食事などでは大丈夫なのだが、食べながらテレビを観ていたり、話が盛り上がったり、本を読んでいたりするともうだめだ(本を読みながら食べなきゃいいのだが)。どんどんこぼす。楽しい飲み会のときなんかはアルコールも手伝ってぼくのお皿のまわりは食べかすやこぼれた醤油だらけだ。

 片付けと同じで、そもそも「こぼさないようにしよう」という意識が低いのだ。飲み物はこぼしたらたいへんだけど、食べ物はちょっとぐらいこぼしてもしょうがないや、とおもっているんだとおもう。

 中国の食堂に行ったとき「殻や骨など食べかすは床に落としていい」というルールだった。なぜか食事マナーだけはぼくは中国人の血を引いているようだ(長女にも受け継がれている)。


音痴

 まったく音感がない。音の高低がわからない。というか気にしていないらしい。

 長女が三~四歳のときに歌っているのを聞いて「下手だけどこの年齢だからこんなもんか」とおもっていたのだが、長女の保育園の友だちが歌っているのを聞いて愕然とした。ちゃんと音程をとれているのだ。長女がへたなのは年齢のせいではなかったらしい。

 ぼくもド音痴だ。自分が音痴であることに中学生ぐらいまで気づかなかったぐらい音痴。友人から「おまえ音痴やなー」と言われ、まさかそんなはずはとおもい、自分の歌を録音して聴いてみて衝撃を受けた。なんつーひどい歌……。というか歌なのか。念仏よりも高低がない。

 小畑千尋『オンチは誰がつくるのか』という本によれば、幼いころからのトレーニングでだいぶマシになるらしい。だがぼくも音痴なのでトレーニングができない。そこで絶対音感のある妻にこの本を渡して「直してあげて!」と言ったのだが「小さい頃はそんなもんよ」ととりあってくれなかった。音痴じゃない人には、音痴になることのつらさがわからないのだ。

 ということで長女は今も歌がへただ。ずっとピアノを習っているのに歌がへた。それとこれとはべつらしい。今はよくても、中高生ぐらいで友だちとカラオケとか行くようになったらつらいおもいをするんだろうな……。だけどぼくにはどうすることもできないんだ。音の高低がわからないから。


理屈っぽい

 ああいえばこういう。注意をされたときに、理屈をつけて言い逃れしようとしたり、極端な例を挙げて反論してきたり、他人のミスはねちねちと責めたてたり……。いちいち理屈っぽい。

 ぼくも小学生のときはそんな子だった。担任教師から「おまえはへりくつばっかりや」と言われた。

 最近、とある有名人が論破王だとかなんだとか言われているらしいが、あんな感じだ。つまり嫌なやつである。

 ガキのころは「相手を言い負かしたら勝ち」とおもっているが、歳を重ねると「場を収める」「わざと負けてやる」「適当にあしらってやりすごす」ことが大事な局面のほうがずっと多いことに気づく。いちいち理屈で反論してもいいことなんてまるでない。

 人の振り見て我が振り直せということわざがつくづく身に染みる。娘がへりくつをこねくりまわしたり、枝葉末節を捕まえて揚げ足をとったりしているのを聞いていると、我が子ながらなんて憎らしいんだろうとおもう。ぼくの両親や担任の教師も同じ思いをしていたのだろう。

 子は親を移す鏡なんていうが、醜いところをデフォルメして映す鏡だ。悪意のこもった似顔絵に近いかもしれない。




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