小学生のとき、親に「早く寝ないとおばけが出るよ」「いい子にしてないとサンタさんが来ないよ」と言われるたびに「何をくだらないことを言っているんだ」とおもっていた。
「しつけのために嘘を教えるなんて、指導者の立場にある人間として正しい行いとはおもえない」とおもっていた。
「自分が親になってもおばけだのサンタクロースだの妖怪あずきあらいだのといった茶番に子どもは付きあわせないぞ!」と決意した。
で、自分が親になって数年たった今、おばけもサンタクロースもばんばん使っている。
「夜更かししてるとおばけが出るよ」「じゃあサンタさんに悪い子ですって報告しとくわ」と言っている。
こんな恰好をして脅したこともある |
同じく幼い子を持つ友人と話すと、やはりみんなおばけもサンタクロースも大いに活用しているようだ。
べつに積極的におばけだのサンタクロースだのと教えるわけではないが、子どもが保育園でおばけやサンタクロースの存在を仕入れてくるので、
「保育士がせっかく教えたものを、あえて否定することもあるまい」
と乗っかっているうちについつい依存してしまうのだ。
子を持ってわかる、先人の知恵の重要性。
おばけやサンタクロースというのは、いってみれば「賞罰の外注」だ。
ふだんは子どもに対する賞罰の権限は親が握っている。
「悪いことをしたから怒ります」
「言うこと聞かないと遊びに連れていきません」
「がんばったから好きなお菓子を買ってあげます」
と。
しかし、権限者が近くにいると都合が悪いこともある。
子どもが大きくなると、知恵をつけてきていろいろ反論されるようになる。
「こないだはよかったのになんで今日はだめなのよ」
「自分だって〇〇できてないくせに」
「なんで大人は好きなときにお菓子買ってるの?」
こう言われると困ってしまう。
親にもいろいろ事情があるのだ。
「忘れてた」とか「めんどくさい」とか「いいの! お父さんがいいって言ったらいいの!」とか、それぞれ正当な理由がある。
だがそれを子どもに言っても理解してもらえそうにない。
そこで、外注ツールを使うのだ。
それが、おばけであり、サンタさんであり、なまはげだ。
賞罰を与える主体が遠くの存在であれば、子どもの反論もなんなくかわせる。
「こないだはよかったのになんで今日はだめなのよ」
→ 「知らない。決めるのはおばけだもん」
「自分だって〇〇をできてないくせに」
→ 「おばけは子どもをさらうから、大人は関係ないんだよ」
「なんで大人は好きなときにお菓子買ってるの?」
→ 「大人のところにはサンタさんが来ないからね」
子どもというやつは、
大人はルールに従って生きているとおもっているし、
大人の言動は首尾一貫していなければならないとおもっているし、
大人は嘘をつかないと信じている。
大人の正しさを信じてくれることはありがたいのだが、そうすると現実とのズレが生じる。
そのズレを埋めてくれるパテがおばけでありサンタなのだ。
いやはやおばけさん、サンタクロースさん。
いつもたいへんお世話になっております。その節は存在ごと否定してしまい申し訳ございません。
もうほんと、おばけさんには足を向けて寝られません。どちらの方角にいるのか存じあげませんか。
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