3歳の娘は「まちがえた」という遊びが大好きだ。
しょっちゅう「おとうちゃん、まちがえてー」と言ってくる。
そして、ぼくはわざとまちがえる。
とはいえ、覚醒剤に手を出したり不倫をしたりするわけではない。
そういう人の道をまちがえるやつじゃなくて、もっと単純な「まちがい」だ。
たとえば、保育園に行くためには右の道を通らなくてはいけないのにわざと左に行く。
妻の靴を履いてみせる。
犬を指さして「猫だ」と言う。
そして「あっ、まちがえた!」という。
ぼくがまちがえる姿を見て、娘はきゃっきゃっと笑う。
「それおかあちゃんの靴やでー」と訂正してくることもあるし、真似して自分もわざとまちがえることもある。そしておかしそうに笑う。
たあいもない遊びだ。
これを何十回もくりかえさせられる。
大人からすると「もうかんべんしてくれよ……」という気分になる。
しかし、この「まちがえて」の遊びは、3歳児にとってはけっこう高度なことをしているのかもしれないと気がついた。
- この生き物は犬である
- 猫という生き物もいる
- 犬と猫は別種であり、重なることのない概念である
身の回りのものをあるがままに受け入れていた時期は終わり、自分なりの常識を持ってそれに適合する/しないを判断しながら生きているわけだ。
おおっ、たいへんな進歩じゃないか。
つい1年前までうんこ漏らしてたのと同じ人間とは思えない。今でもたまに漏らすけど。
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