川端 裕人『PTA再活用論―悩ましき現実を超えて』
2008年刊行。
「きちんと調査したこと」と「個人的体験」が入り混じって書かれているので読みづらかったけど、PTAの問題についてはこの1冊でだいたいわかるんじゃないかな。
PTAは交通安全協会とはちがうのか
最近、「PTAに入るかどうか」がちょっと話題になってるみたいだね。
そんな議論が出るまで「PTAは任意加入」だってこともぼくは知らなかったし、まして「任意加入なのに保護者の意志も聞かずに勝手に加入させる」こともあると聞いてびっくりした。
勝手に加入させるって、もう詐欺集団じゃないか(全部のPTAじゃないにせよ)。
PTAに関する議論を耳にして、交通安全協会を思いだした。
運転免許を取得したとき、「運転免許申請費」と「交通安全協会加入費」を払うように言われた。
ん? なんだこれ? 免許申請費があるってことはそれさえ払えば免許はとれるのでは?
単純に疑問に思った(そのときは交通安全協会のことをまったく知らなかった)ので、窓口のおばさんに「交通安全協会ってのは加入しなくてもいいんですか?」と訊いてみた。
するとおばちゃんは血相をかえて、「加入は義務じゃないですけどねっ。でもみなさん入っていただいていますよっ! 交通安全協会はうんたらかんたら……」と怒りの説明をはじめた。それを聞いて「あ、これはヤバい団体だな」と察して「加入しません」と言った。
「みんなやっている」を押し文句として使うやつは、ろくでもないものを売りつけようとしていると相場が決まっている。
おばちゃんはその後も「んまあ、我らが交通安全協会に入らないなんて何考えてるのかしら……」みたいなことをつぶやいていたが、ぼくは黙ってその場を離れた。
その後「交通安全協会は警察OBのための天下り組織だから金を恵んでやる必要はない」という認識が広まって、「まるで義務であるかのような加入のさせ方」は、ぼくが知っているかぎりなくなった。
いや、交通安全協会の組織や活動を否定するわけじゃないんだけどね。騙して加入させようとする手口が悪質だったから嫌いなだけで。
だからまずぼくが思ったのは、「PTAも誰かの金儲けのためにある集団なのかな?」ということだった。
でも、どうやらそうではないみたいだ。
PTAの負担ってどれぐらい?
作者の川端裕人さんは、小学生の親としてPTAの役員をやったことがあるそうだ。
PTAの役員業務の負担についてこう書いている。
年間166日!
1回あたりの時間は長くないとはいえ、主婦がパートに出る日数より多いかもしれない。
さらに、個々の学校のPTAの上位組織として日本PTA全国協議会というものがあり、その役員(これも保護者の中から選出される)にいたっては年間700時間ぐらいの拘束もあるという。
この時間を仮にパートにあてていたら数十万円。さらに1校あたりの役員は数十人いるから、1つの学校につきざっと1千万円。日本全体でどれだけの小中学校があるのか知らないけど、全国規模で見たら数千億という額になるだろう。
賃金換算するととんでもない労働が、ボランティアという名前の半強制システムによって吸い上げられている。
ぼくは震えあがった。
これだけの労働を搾取され、しかもそれが「ベルマークを切って貼る」という不毛な作業に費やされるなんて!
うちの娘はまた就学前だが、PTAにはぜったいに入るもんか!
同調圧力には負けないぞ!
と拳を握りしめた。
PTAって必要なの?
そもそもPTAってなんなのか。
いや、知ってはいる。Parent Teacher Associationの略だろう。すなわち保護者・教師連盟。
ぼくが小学校のときもあったし、母が役員をやっていたこともある。
母は「みんなやらないといけないのよ……」とため息をつきながらもPTAの集まりに参加していた。さいわい母は専業主婦で時間の余裕もあったし我が家は経済的にも困窮していたわけではなかったから、負担は大きくなかっただろう。
でも両親とも正規雇用で働いている家庭や、貧困や離婚や病気といった事情を抱えている家庭ではPTA役員をする負担は大きい。だからといって個々の事情を勘案していては役員選びは余計に難航する。
そこまでたいへんなPTAだが、小学生のぼくには、何をやっている組織なのかまったくわからなかった。学校の一室に集まってお茶を飲みながらおしゃべりしているおばちゃんの集まり。それぐらいの認識だった。
いや、大人になった今でもPTAが何をやっているのかわからない。
「やらないといけない」という情報はあるのに、「何をやっているか」はほとんど伝わってこない組織、それがPTA。
そもそも Parent Teacher Association なのに Teacher のイメージはまったくないぞPTA。
筒井康隆の作品に『くたばれPTA』という小説があったけど、あれは必ずしも筒井康隆だけのゆがんだイメージとは言い切れない。けっこう世間一般にも「くたばれ」とまではいかなくても「PTAはなくてもいい」というイメージがあるんじゃないかな。
PTAの歴史について。
GHQ(マッカーサーのアレね)からPTAを作ることが推奨され、PTAは「保護者と教師が共に学んでいく場」として誕生したらしい。
なるほどねえ。
当初は重要度の高い組織だったんだね。この頃は「PTAなんかなくてもいい」という人はいなかっただろうねえ。
昔の貧しい家庭で育った人が「1日3食のなかで給食がいちばんまともな食事だった。ぼくは給食で大きくなった」なんて書いているのを読んだことがある。その給食を支えていたのがPTAだったのだ。
1960年代、日本全体が豊かになってきたことでPTAの支援がなくても学校教育にかかる費用は公費でまかなえるようになり、このへんからPTAの活動目的もあやしくなってくる。
教育を受けられることはあたりまえのことになり、「より質の高い教育」のための活動に向かうこととなる。
悪書追放運動を起こし、1978年には『テレビ番組ワースト7』を発表して改善がない場合は番組スポンサーの不買運動を起こしたという。
おそらくこういった活動が「子どもの楽しみを奪おうとする偏狭な考えのおばちゃん集団」のイメージをつくったのだ。
筒井康隆の『くたばれPTA』もこういった時代背景を受けて書かれたものだろう(たしかに筒井康隆には "悪書" も多いが、筒井康隆を読む子は賢い子だと思うけどね)。
手塚治虫もPTAの悪書追放運動のやり玉に挙げられたらしく、『鉄腕アトム』までもが非難の対象になっていたそうだ。今では多くの学校の図書館に手塚治虫作品が置いてあることを考えると、時代は変わったなあ。
ぼくが子どもの頃に『クレヨンしんちゃん』がヒットしたけど、あれもPTAから攻撃されていた。まあPTAが攻撃すればするほど話題にもなるし子どもは見たくなるだろうから、敵に塩を送っているだけなんだけどね。
とはいえ、「何をやっているのかわからない」けど、とにかく「子どもの楽しみを奪おうとする」というPTAのイメージはぼくが少年時代を送った1990年代には完全に定着していた。
PTAの悪口を言う人はいっぱいいても、「PTAがあってよかった!」と口にする人はいない。
おまけにみんなやりたくないのに半強制的に役員をやらされている。
じゃあいったい何のためにある組織なんだ?
結局悪いのはぼくらなんだけど
ぼくはPTA未経験だが、保育園の「保護者会の役員」というものは経験した。
保育園の行事のお手伝いをする係だ。
1年やって、ぼくも妻も不満がいっぱいあった。
- 毎年役員のメンバーが変わるんだから、ちゃんとマニュアル作ろうよ。そのときはたいへんでも翌年以降は楽になるから。
- 重要なことは口頭じゃなくて書面で伝えましょうよ。
- すべての行事に全役員が参加することないでしょ。せっかく手伝いにきてもらったのに明らかに手持ち無沙汰な人いるよ。交代でやろうよ。
- 会議のために集まってるけどほとんど確認作業だけなんだからメールとかチャットワークとかで良くない? みんな働いてるんだし。
- なんで事前に出欠確認とらないの? 人数を把握しといたほうがぜったいに当日スムーズにいくじゃない。
- ある程度の人が集まったらモラルにばらつきが出るのはあたりまえなんだからどうしても守らせたいルールは明文化しておこうよ。
とかね。
どれも、仕事だったらやっててあたりまえのこと。
でもぼくの不満のほとんどは、妻に対して愚痴をこぼしただけで改善の提案はしなかった。
いくつかは提案してみたけど、保育園側から「今まではこうやってきたから……」というわけわかんない理由で反対されて、「あ、そうですか」とあっさり引き下がった。
こんな顔になった |
だってどうでもいいもん。
どうせ来年はうちが役員じゃないし。
来年以降の役員の苦労を取り除くために、わざわざ波風立てたくないし。
マニュアル作るのに苦労するのは自分だから、反対されてまでやりたくないし。
こうやって世の中は悪くなっていく。
PTAは変わりつつある(一部では)
「参加自由形」で「自由にものが言える風通しのよい雰囲気」で「保護者が楽しく活動」していて「保護者も一緒に学んでいける」場であるPTAがあるのだとか。
まあ、そういうとこもあるんでしょう。
やる気に満ちあふれていて、周囲の人をまきこむ魅力があって、行動力のある人というのはけっこういると思う。
しかし、大多数はそうではない。
PTAは基本的には学校ごとに独立した組織だから、日本のどこかにすばらしいPTAがあったとしても、自分の校区がそうでなければ意味がない。
この文章が、PTAの抱える問題をすべて表している。
地域の子どもが喜んでくれるなら、ただ働きをしてあげることもやぶさかではない。
ぼくはそう思っているし、たぶん世の中の保護者もだいたいそんなもんだろう。
ただ、問題は「どの程度の労務を提供しなければならないのか」であり、「それが本当に子どものためになるのか?」である。
月に1~2回手伝うぐらいならいいけど、1年に100日以上も学校に行きたくはない。
運動会のお手伝いならするけど、「悪書追放運動」には加担したくない。
これはつまり「参加が義務化されている」から起こる問題で、「自分が参加したい活動だけ参加する」という制度であれば問題にはならない。
というわけで、結局最初に書いた「任意団体なのに強制的に加入させれらる」という問題に還ってくるんだよねえ。
著者は「強制的に加入させられることがあってはならないけど、でもなるべくみんなに入ってほしい」と書いている。
ぼくも同じ立場だ。
さっき「PTAにはぜったいに入るもんか!」と書いたけど、ちょっと思い直した。
とりあえず、自分の子どもが小学校に入るときには、入会も検討してみようと思う。でも何も考えずに入ることはしない。
ちゃんと活動内容の説明を受けた上で、入るかどうかを検討しようと思う。
積極的に変革をするまではいかなくても、無条件に加入する人が減れば、PTAも無駄の少ない魅力的な組織に変わらざるを得ないんじゃないかな。
その他の読書感想文はこちら
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