2016年3月30日水曜日

【エッセイ】さよならまずいピザトースト

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まずかったなあ、給食のパン。

うちの小学校では給食のおばちゃんたちの手作り給食が出されていたから、おかずはおしなべておいしかった。

ただ、パンと牛乳だけは市の給食センターから届けられていて、そのパンがまずかった(牛乳も薄くておいしくなかった)。
給食センターのパンは古代ギリシャでアリストレテスが食べていたのと同じくらいパサパサで、薄い牛乳で流すようにしなければ飲みこめない代物だった。
「だめだめ! そんな乾いたものにここを通させるわけにはいかないよ!」
と、のどちんこによく通行を拒否されたものだ。

ぼくの父親は和食派だったから朝食はいつもごはんだった。
だから、給食で出てくるパサついたコッペパンが、この世のパンのすべてだった。
ぼくにとっては、この世のすべてのパンがパサついていたということだ。

高校生になって学校帰りにパン屋で焼きたてのパンを買い食いしたとき、
「これが……パン……!?」
と、感動にうちひしがれたものだ。



ほかに長い間まずいと思いこんでいた食べ物に、ピザがある。

ぼくの母親がつくるピザは、おいしくなかった。

母の名誉のために云っておくと、彼女は料理が得意なほうである。
家に遊びにきた友人からも「おまえんちのごはんうまいな」と賞賛されたものだ。おふくろの味だということは差し引いても、かぼちゃとツナの和え物などはかなりの味だと思う。
だが、煮物やおひたしは得意でも、昭和三十年生まれの母にとってイタリアンは縁遠いものだった。

母が愛読していた『暮らしの手帖』に載っていたのは、せいぜい「粉チーズで本格派。ミートソーススパゲティー」や「ハムとトマトでかんたんピザトースト」ぐらいのものだった。

今でこそ猫も杓子もカルボナーラだのペペロンチーノだのを食べているが(猫にニンニクや玉ねぎを与えてはいけません)、母が料理を学んだ時代にそんなものはなかった。
チーズの種類といえば雪印と明治とQBBしか知らない母に、モッツァレラだの、ゴルゴンゾーラだの、パルミジャーノ・レッジャーノだの、ボッテガ・ヴェネタだのいわれても、わかるわけがない(ファッションブランドが混ざっとる)。

昭和前半生まれのおばちゃんにおいしいイタリアンを作らせるなんて、宮大工にすてきなオープンキッチンを造れというようなものだ。やらせてみたら意外に渋くておしゃれなキッチンできそうだけど。

母のつくるピザといえば、ヤマザキの食パンにケチャップをかけて、明らかにおつまみ用の辛めのサラミを乗せ、玉ねぎとピーマンときゅうりとゆで玉子をトッピングして、とりあえずチーズ乗せときゃいいんでしょとばかりに雪印のチーズをふりかけ、真っ黒になるまでしっかりトーストした、ピザトーストだった。

ゆで玉子を乗せるのは栄養バランスをとるため。
きゅうりは冷蔵庫の残り物を片づけるため。
真っ黒になるまで焼くのは、残り物でおなかをこわさないため。
主婦の習性が存分に発揮され、結果、ぜんぜんピザじゃないものができてしまうのだった。

これを「はい、ピザよ」と出されていたのだ。
(母はピザトーストにかぎらず、食パンを黒くなるまで焼かないと気がすまない。「芳醇」を買ってもカリカリになるまで焼く。ぼくがトースターのタイマーを4分にセットしても、「こんなんじゃ焼けへんで」と勝手に8分にする)

外食でイタリアンレストランに行くことなんてなかったし、町内に宅配ピザ屋ができたのは中学校に入る年だったから、ぼくはその黒こげのきゅうり乗せパンこそがピザだと思っていた。

だからずっとピザは嫌いだったし、町内にピザ・カリフォルニアができたときは、あんな黒こげパンを誰がお金出して配達してもらうんだろうかとふしぎに思ったものだ。

しかし、あのピザこそが、ぼくにとってのおふくろの味。



 
今から数十年後。
年老いたぼくは今まさに息をひきとろうとしていた。
「あと177分後」
モニターに映しだされた余命予測は、血圧脈拍心拍数脳活動状況血中酸素濃度その他あらゆるデータにもとづいて導きだされたものであり、誤差±5%の水準で的中することが知られている。つまりほぼまちがいなくあと3時間後には死ぬということだ。
しかしぼくが苦しむことはない。
最先端の高濃度ヘルヂミニウム転回装置のおかげで、死ぬ直前まで臓器は正常に機能している。また、正確に死に向かってコントロールされたカウンセリングプログラムを受けてきたため、不安や怒りを感じることもない。

いくら科学が進んでも死は避けられない。だが最先端科学により、心身ともになるべく健全に近い状態で最期の瞬間を迎えることができるのだ。2016年頃には考えられなかった医学の進歩だ。

「なにか食べたいものはありませんか。できるかぎりのことは用意します」

モニターに映しだされたアンドロイドが、誰よりもあたたかい声で尋ねる。もちろんこれも穏やかに終末を迎えるためのプログラムの一環だ。

ぼくは眠たい頭をはたらかせ、すこし考える。
これが人生最後の食事だ。あたたかいものを食べたい。
いくら胃腸が正常に動いているとはいえ、もともとが年寄りの胃だ。ボリュームのあるものは食べる気がしない。軽食でいい。

「おかあさんのピザトーストが食べたい……」

なぜそれが口をついて出たのか、自分でもふしぎだった。
少しも好きな料理ではなかった。
むしろ、嫌いだったといってもいい。
だが今の気分にぴったり合うのは、人生最後の料理にふさわしいのは、あのピザトーストにおいて他になかった。

もちろんそれはすぐに用意された。
ぼくの脳波から読みとった記憶情報をもとに、母のピザトーストが忠実に再現される。
安物の食パンにカゴメのケチャップがふんだんにかけられ、ピーマンと辛めのサラミとゆで玉子ときゅうりが乗せられる。材料はすべて昭和末期のものに近い味が使われている。
最後に雪印のチーズをふりかけ、これ以上やったら炭になる、という状態までこんがりと焼く。

「焼きすぎたろ……。焦げてるし……」
病床に集まった家族、医師、看護師の全員が心の中で思っているのが伝わる。
だが誰も口には出さない。
もうまもなく死を迎える人間が「これこれ! これこそおかあさんのピザトースト!」とうれしそうにしているのに、誰が「そんなの食べたら癌になりますよ」と言えるだろうか。

ぼくはひさしぶりに身体を起こし、黒こげきゅうり乗せパンをほおばる。
手についたケチャップまですべて平らげ、やがてゆっくりと目をとじる。

もう、この世でやることはなにひとつない。

「ああ、まずかった……」

それが最期の言葉となった。

その死に顔には、まずかったという言葉とはうらはらに、満足そのものといっていい微笑が浮かんでいた……。

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