2022年8月8日月曜日

【読書感想文】矢野 龍王『箱の中の天国と地獄』 / 詰将棋に感情表現はいらない

箱の中の天国と地獄

矢野 龍王

内容(e-honより)
閉ざされた謎の施設で妹と育った真夏。ある朝、施設内に異変が起こり、職員たちは殺戮された。収容されていた他の男女とともに姉妹は死のゲームに強制参加させられる。建物は25階、各階には二つの箱。一方の箱を開ければ脱出への扉が開き、もう一方には死の罠が待つ。戦慄の閉鎖空間!傑作脱出ゲーム小説。


 あの矢野龍王さんの書いた小説ということで購入。

 あのと言われても知らない人もいるだろうが、ペンシルパズル(クロスワードとか数独とかのパズル)界ではかなりの有名人だ。ぼくは子どものときからペンシルパズル雑誌『ニコリ』を購読しているが、パズル作家として「矢野龍王」の名前はよく目にしていた。

 パズル界では有名な人が書いた小説だけあって、パズルのような作品だった。うん、パズルとしてはたいへんよくできている。小説として見たら……。まあかなり稚拙だ。文章とか感情表現とかはおせじにもうまいとはいえない。これだったらいっそ戯曲のほうがよかったんじゃないかな。「〇〇、階段を昇る。××、困惑の顔を浮かべる」みたいに説明と会話だけに徹したほうがかえってこちらの想像力をかきたてられたかもしれない。

 せっかくストーリーはよくできていたので、これで文章もうまかったら最高の小説だった。逆にいうと、シナリオは完璧だった。いや批判から入ってしまったけどほんとにおもしろかったよ。



 謎の男・般若に拉致されて集められた、とある施設内で暮らしていた六人。周囲には施設の職員たちの死体。逃げ場のない施設に閉じ込められ、制限時間内に脱出できないと施設ごと消滅させると告げられる。脱出を目指す六人だが、各フロアには二個ずつの箱があり少なくとも一個を開けないと別のフロアに移動することができない。だが箱にはさまざまな罠が仕掛けられており、間違った箱を開けると死に至ることも……。

 という、『SAW』や『CUBE』のようなデス・ゲーム。思考実験のような小説だ。

 正直、この手の作品はいくつも見ているので、今さら新しい発見はそうないだろうなとあまり期待せずに読みはじめたのだが、これがどうしておもしろい。

 ネタバレをせずにこの本の感想を書くことは不可能なので、以下ネタバレ感想




【ここからネタバレ】


・もっとウソくさくてもよかったとおもう。なんか一応布袋への復讐とか施設への復讐とかもっともらしい理屈をつけてるけど、しゃらいくさいというか。どうせ嘘っぽさはぬぐえないわけなんだから。「複数の人物を閉じ込めて、脱出できるか死ぬかのゲームをさせる」ことにリアリティなんかもたせられるわけない。だったら説明は最小限に抑えてほしい。へたな言い訳を長々と連ねられるより、「これはほら話だからそういうものとして楽しめ!」のスタンスでいい。

・その点、登場人物の名前が記号みたいなのはよかった。アポロだとかスカイラブだとかベビーフェイスとか宇宙人だとか布袋・大黒・弁天だとか。山田とか高橋とかにしても書きわけられないのをちゃんと理解している。リアリティのない記号みたいな名前にしたのは正解だとおもう。

・バカすぎる登場人物がいなかったのはよかったな。みんなわりと合理的に行動してるもんね。ベビーフェイスは当初はバカキャラだったけど途中からは急にふつうになってたし。

・すぐ死ぬ人たちにいちいち感傷的にならないのもいい。モブキャラはどんどん消費していく。これでいいんだよ、これで。しょせんパズルなんだから。詰将棋で捨て駒にする駒に感情移入しなくていい。人間の重みを与えない方がいい。そういう小説じゃないんだから。

・ある程度はご都合主義なのも、それでいい。ゲームの一部は運任せで、登場人物はバタバタと死んでいくけど、ヒーローとヒロインだけは死なない。前半どんどん死んでいって、ちょっとずつ追加されて、また死んで、でもヒーローとヒロインだけは死なない。予定調和的だけど、詰将棋だからこれでいい。気になるのはそこじゃないからね。

・スカイラブは主人公たちが知らない間に死んでいて「ははあ、これは序盤に死んだことになってるやつが敵の黒幕っていうあのパターンね」とおもっていたら、ぜんぜんちがった。まんまと騙された。勘ぐりすぎた。

・登場することなく死んでしまった人はあまりにかわいそうすぎる。『IN』を引いて、箱からも出してもらえなかった人。運任せのゲームとはいえ、それはさすがにひどい。チャレンジさえさせてもらえていない。

・自分たちを殺そうとした大黒の意識を失わせた後、その手からライフルを取り上げないのが意味不明。「なかなか取れない」から諦めるって何それ。あまりに非合理的。

・「箱に書いてある星の数から、中身の見分け方を見出す」→「ルール変更の箱を開けてしまう」ってなるのはいいんだけど、その後星の数を調べなくなるのはまったく意味がわからない。「余計な情報をもらっても、混乱するだけだ」って何それ。ルールが変わっただけで、ルールがなくなったかどうかはわからないのに。情報は少しでもあったほうがいいだろ。重要なアイテムである電卓を使わなくなるのもまったくもって理解できない。これも非合理的。

・施設内の狭い部屋に閉じこめられて暮らしていたのに、世間についての知識がありすぎる。一応家庭教師がいたという設定はあるけど、挨拶とか人付き合いとか身体を動かすこととかはほとんどできないんじゃないの?

・ラスト1ページで「般若がスーツケースに入ってた」ということが示唆される(だよね?)けど、さすがにスーツケースに何十時間も隠れるのは無理がある。楽器ケースに隠れてたゴーンじゃないんだから。しかも人間が入ってるスーツケースをかついで投げたりしてたけど。ゴリラの遺伝子が入ってるベビーフェイスならともかく、常人には無理でしょ。そして、人間が爆死するような爆弾であればスーツケースも無事では済まないし、さらにはもしも真夏たちが脱出に失敗していたら般若も死んでたわけで、「スーツケースに隠れる」というアイデアはさすがに無理がありすぎる。最後の「実はこんなに身近なところに隠れてましたー!」をやりたかったことはわかるけどさ。


 リアリティとか人間の心の動きとかは求めず、ただストーリーのおもしろさだけを楽しみたい人にとってはいい作品だとおもう。

 無駄がないんだよね。こういう作品って中盤は冗長になりがちだけど、そのへんもうまく処理されている。新キャラを投入したり、ダイジェストにしたり、ルール変更をしたり。随所に飽きさせない工夫がある。運と知恵のバランスもいい。

 ほんとにストーリーだけを取りだしたらこれ以上ないってぐらい完成されている作品だった。


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2022年8月5日金曜日

【漫才】やらない理由

「今度オペラのコンサートがあるんだけど、一緒に行かない?」

「オペラ? オペラってあのオペラ? 歌うやつ?」

「そう、そのオペラ。オペラって名前のチョコレート菓子もあるけど、そっちじゃなくて歌劇のほうのオペラ」

「オペラのチケットがあるの?」

「いや、まだない。おまえが行くんなら一緒に買ってあげるよ。S席でいい? 1枚19,000円」

「オペラってそんなにするの!? いや、いい。行かない行かない」

「じゃあA席にする? それともB席?」

「いや席の問題じゃなくて。オペラに行かない」

「えっ……。なんで?」

「オペラに興味がないから」

「なんで興味がないの?」

「そもそもちゃんと観たことがないから」

「なんで観たことがないの?」

「なんでって……。ええっと……。いや待て待て。オペラを観たことがないことに理由がいる?」

「いる」

「それはおかしいよ。何かをやることに理由を求めるのならまだわかるけど、やらないことに理由なんてないよ」

「そうかなあ」

「じゃあ聞くけどさ、おまえがポルトガルに行ったことないのはなんで? って聞かれても特に理由はないだろ。それと同じだよ」」

「おれポルトガル行ったことあるよ」

「あんのかい!」

「いいだろあったって」

「いやそれはいいけどさ。でも今は『行ったことないであろう場所』の例えとしてポルトガルを挙げたんだから、あったらダメなんだよ。じゃあウルグアイでもパラグアイでもいいけど、おまえが行ったことない場所に行かない理由を訊かれて……」

ウルグアイもパラグアイも行ったよ」

「あんのかーい! なんであるんだよ。世界中放浪してる旅人かよ」

世界中放浪してる旅人だったんだよ」

「もう! そういう話してるんじゃないんだよ! じゃあ、えっと……おまえはパラピレ共和国に行ったことないよな?」

ない。それどこにあんの?」

「今おれが考えた架空の国! おまえはパラピレ共和国に行ったことがないな? でも行ったことないことに理由なんてないだろ? そういう話だよ」

「行ったことないことに理由はあるよ

「は?」

おまえが考えた架空の国だからだよ。ほら、正当な理由あるじゃん」

「ああもう! じゃあなんでもいいや、おまえがやったことなさそうなこと。え~っと、おまえが学生時代にラクロス部じゃなかった理由は?」

「声楽の練習してたから」

「アイスホッケー部じゃなかった理由は?」

「声楽の練習してたから」

「じゃあおまえがクルージングをしない理由は?」

「そんな金があるならオペラ観にいきたいから」

「じゃあおまえが昨日おれの家に来なかった理由は?」

「オペラ観てたから」

「今おまえがマリファナ吸ってない理由は?」

「この後オペラ観るときに落ち着いた気持ちで楽しみたいから」

「全部即答できんのかよ! ていうかマリファナ吸わない理由はもっとあるだろ……。
 しかも全部オペラが理由なんだな。なんでそんなにオペラ好きなの?」

「えっ……。改めて言われたら、なんでオペラ好きなんだろう。なんでオペラ観にいくんだろ。冷静に考えると、オペラの何がいいのか、よくわかんないな……」

「やらないことすべてに理由はあるのに、やることに理由ないのかよ!」


2022年8月4日木曜日

年寄りは嫌い、若い子は条件付きで好き

 あのですね。みなさん、年寄りは嫌いじゃないですか。

 いや、いいんですよ。誰も聞いてませんから。嘘つかなくたって。お年寄りは大切にしないといけないとか、おじいちゃんおばあちゃんは国の宝ですとか、そんな嘘つかなくたって。

 いいんですよ。みんな嫌いなんですから。八十歳の人だって、百歳の人を見て「いつまで生きてんだ」とおもってるにちがいないんですから。

 そりゃあ自分の親戚とか、親切なご近所さんとか、高齢タレントとかは好きかもしれませんよ。でもそれはあくまで個別的例外でしてね。まあ一般には年寄りは嫌いなんですよ、みなさん。

 大丈夫ですよ、やましさを感じなくたって。昔から若い人は「年寄りはさっさとくたばりやがれ」っておもってたわけで、その若い人だった連中こそが今の年寄りなわけなんですから。

 もちろん今の若い人たちだってそのうち年寄りになって嫌われます。みんな若いうちは年寄りを嫌って、自分が年寄りになったら若い人から嫌われるんです。水が高いところから低い方に流れるのと同じぐらい、ごくごく自然のことなんです。


 考えてもみてくださいよ。

「お年寄りは大切に」とか「おじいちゃんおばあちゃんには優しくしましょう」とか言うわけですけどね、なぜそんな言葉があるかというと、ついつい嫌悪してしまうからなんですよ。

 だってそうでしょう。ほんとに大切なものには「大切にしましょう」なんて言わないでしょう。

「我が子は大切にしましょう」とか「美人・イケメンには優しくしましょう」とか「紙幣は大切な財産です」とか言いますか。言わないでしょう。あたりまえのことは言わないんです。


 ま、そういうわけで、みんな年寄りを嫌い(たぶん年寄り自身も親しくない年寄りは嫌い)ということで満場一致を見たわけでここから本題に入るわけですが、みなさんに訊きたいのは「人は若い人を好きなのか?」ってことなんですよね。

 何言ってるんだ、人間が年寄りを嫌うのは太古の昔からの自然の摂理なんだから、ということは若い人は(相対的に)好きに決まってるじゃないか、と言いたくなりますよね。わかります。

 たいていの人は若い人を好きです。若い人はいいです。アイドルも若い人ばっかりだし、「若い子においしいご飯を食べさせてあげたい」というのは自然な欲求です。「年寄りにご飯を食べさせてあげる」だと介護になっちゃいますもんね。これは欲求じゃなくて労働です。

 ただ、ここでひとつ気を付けないといけないのは「若い人を好き」ってのはあくまで「自分より低い地位に甘んじているかぎり」という条件付きってことです。


「若い子においしいご飯を食べさせてあげたい」という人は少なくないですが、「その若い子があなたよりもずっと多く稼いでいるとしたらどうですか?」あるいは「その若い子があなたの直属の上司だとしたらどうですか?」という質問をしてみましょう。

 それでも胸を張って「若い子がいっぱいご飯を食べているところを見るのが好きだからごちそうしてあげたい!」と言える人は、まあいないでしょう。

 結局、若くない人たちは、「若い子」は「自分より地位が低くて金のない子」だとおもっているし、またそうあることを望んでいるわけなんですよ。

「がんばる若い子を応援したい」なんて言う人が応援したいのは貧乏で権力のない若者だけであって、在学中に起業して年収数億円の若い子やプロ野球選手になって華々しく活躍している若い子ではないんですよね。


 そうです。ペットと同じです。

 犬や猫が好きな人だって、その犬や猫が自分より大きくて力も強くて、さらに自分がいなくても生きていける存在だったら、これまでと同じようには愛せないでしょう。

 若くない人が「若い子」に向ける目はペットに向けるものと同じです。だから学生社長として成功を収めている人は「若い子」には含まれないんです。ネコはかわいがるけどトラはペットにしたくないんです。


 ところで政治家って年寄りばっかりですよね。国会議員の平均年齢は五十歳を超え、政治家が四十代でも若手だ最年少だと騒がれます。我々はやれ「老害だ」とか「年寄り議員はさっさと引退しろ」とか言います。まるで年寄りの政治家を嫌っているように見えますけど、そんな年寄りを選んでいるのは我々です。我々がほんとに嫌いなのは若い政治家なんです

 我々は、自分より若い人に権力を与えたくないんです。ペットですから、自分たちの代表になんかしたくない(ペットを「家族」と言う人はいっぱいいますけど、でもペットを世帯主にするのはイヤでしょ?)。だから選挙で若い人は選ばないし、そもそも出馬もさせない。政治家がじいさんばあさんばっかりなのはそのせいです。みんな若い政治家が嫌いなんです。

 年寄りに従うのはイヤだけど、若いやつに従うのはもっとイヤ。若いやつを高い地位につけるぐらいならまだ年寄りのほうがマシ。みんなそうおもってるわけです。


 政治家が若返りを果たすには、我々が「自分より金を持っている若い人にでも平気で食事をおごってあげる」ぐらいの度量を持つ必要があるわけですよ。

 ちなみにぼくにはもちろん、そんな懐の深さはないです。


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2022年8月3日水曜日

【読書感想文】奥田 英朗『真夜中のマーチ』/エンタテインメントに振り切った小説

真夜中のマーチ

奥田 英朗

内容(e-honより)
自称青年実業家のヨコケンこと横山健司は、仕込んだパーティーで三田総一郎と出会う。財閥の御曹司かと思いきや、単なる商社のダメ社員だったミタゾウとヨコケンは、わけありの現金強奪をもくろむが、謎の美女クロチェに邪魔されてしまう。それぞれの思惑を抱えて手を組んだ3人は、美術詐欺のアガリ、10億円をターゲットに完全犯罪を目指す!が…!?直木賞作家が放つ、痛快クライム・ノベルの傑作。


 大金を手に入れるために主人公たちが東奔西走するコン・ゲーム小説。

 恐喝を企て、それが失敗すると窃盗を試み、それも失敗すると仲間を加えて再び窃盗を試み、また失敗すると今度はさらに仲間を増やしてもっと大金の強奪を企て、それもまた失敗すると今度は……と、めまぐるしく展開が変わる。目標は「大金を手に入れる」だが、失敗するごとに目標となる金額はどんどん膨れあがっていき、最終的には10億円をめぐって詐欺師・中国人マフィア・ヤクザを含め4チームが攻防をくりひろげる争奪戦となる。

 細かいリアリティは捨てて、疾走感を優先させたような小説。メッセージ性も哲学も倫理観もかなぐり捨ててとにかくエンタテインメントに振り切ったこの感じ、嫌いじゃないぜ。

 



【以下ネタバレ含みます】


 息もつかせぬ展開で、終盤はハラハラドキドキだったが、最終的にはこぢんまりしたハッピーエンドに着地してしまったのがちと残念。ここまでド派手な物語をくりひろげてきたのだから、最後は想像以上の大成功を収めるか、あるいはすべてを失うぐらいの大失敗か、それぐらいのラストを期待していた。

 あれだけドンパチやったり命を賭けて危ない橋を渡ったのに、最終的に手にするのがひとり三千万円とちょっと。ううむ。もともとはぐれ者のヨコケンはともかく、サラリーマンだったミタゾウや裕福な暮らしをしていたクロチェからしたら割に合わなくないか? 人生を変えられるほどの額じゃないぞ。

 個人的には、もっともっとアホな展開でもよかったとおもうな。

 小説で読むよりも映画にするほうが向いている小説かも(実際ドラマ化されたらしい)。


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2022年8月2日火曜日

イヤイヤ期にはおうむ返し


 悲しいお知らせではあるが、次女がイヤイヤ期に突入してしまった。 

 次女は長女に比べて気性がおだやかで、一般的にイヤイヤがひどいとされる二歳(長女も二歳がひどかった)を無事に乗り切ったので「この子はイヤイヤ期がないんだ」と安心していたのだが、そんなことはなかった。ただ遅れて来ただけだった。ちぇっ。


 一度機嫌をそこねると、あれもイヤ、これもイヤ、とまったく話が通じなくなる。おまけに三歳なので、長女のときより言葉も達者だ。あれやこれやと言葉を尽くして駄々をこねる。

 しかし長女ですでに経験しているので、こちらはわりと冷静にできる。

 ぼくがよくやる対処法は「次女の言葉をおうむ返しにする」だ。


 次女が「ごはんたべたくない!」と言えば、「ごはんたべたくないなー」と言う。

「おとうさん、まねせんといて!」と言われれば、「まねせんといてほしいなー」と言う。

「まねしないでっていってるでしょ!」と言われれば、「まねしないでっていってるなー」と言う。

 当然、次女はますます怒る。

 妻や長女からも注意される。「そういうことするから余計に怒るんやで」と。

 わかっている。ぼくもわかっている。火に油だということは。


 それでもぼくが怒っている次女の真似をする理由は、ふたつある。


 ひとつは、怒りの矛先をそらすため。人間、同時に複数の対象に怒ることはできない。まねをしてわざと怒らせることで、当初の「ごはんたべたくない!」を忘れさせることができるのだ(まあできるときもあるしできないときもあるのだが)。


 もうひとつは、ぼく自身の平静を保つため。かんしゃくを起こしている子どもに何を言っても無駄だ。まともな会話など成り立つはずがないのだ。なんとかとりなそうとすれば、こっちの腹まで立ってくる。

 そうなったらもう泥沼だ。三歳児が怒り、大人も怒り、三歳児が泣き、大人は怒りが鎮まらない。何も言いことはない。

 だったら、三歳児の怒りを鎮めるのは無理でもせめてこっちぐらいは平静を保たねばならない。そのための方策が「ひたすら相手の言うことをおうむ返しにする」である。

 イヤイヤ期の幼児に腹が立つのは、まともなコミュニケーションがとれないからだ。あれもイヤ、これもイヤ、すべてイヤ、イヤだからイヤ、イヤなことがイヤ。
 ところがはなからコミュニケーションをとる気がなければ、何を言われても腹が立たない。なんせこっちは「言われたことをおうむ返しにするロボット」なのだ。


 子どものイヤイヤ期にお困りの保護者の方、「すべておうむ返し」はなかなかおすすめですよ。あんまり事態は好転しないけど、少なくとも悪化はしないから。


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