2022年11月17日木曜日

【読書感想文】大岡 玲ほか『いじめの時間』 / いじめの楽しさ

 

いじめの時間

江国 香織  大岡 玲  角田 光代  野中 柊
湯本 香樹実  柳 美里  稲葉 真弓

内容(e-honより)
「いじめられる子」と「いじめる子」。ふたりの間に横たわるのは、暗くて深い心の闇。でもいつのまにか両者が入れ替わったり、互いの傷を舐めあっていることもある。さまざまな「いじめ」に翻弄され、心が傷つき、魂が壊れることもあるけれど、勇気を出して乗り越えていく者もいる。希望の光が射し込むこともある―すべて「いじめ」をテーマに描かれた7人の作家による入魂の短篇集。

 いじめをテーマにしたオムニバス短篇集。


江国 香織『緑の猫』

 親友がノイローゼ気味になってしまって、周囲から距離をとられてしまうという話。「これもいじめとするのか?」という感想。いやあ、クラスメイトの様子がおかしくなってあることないこと言いだしたら、距離をとるのはふつうでしょ。

 これをいじめとするのはさすがに被害者意識が強すぎないか?


大岡 玲『亀をいじめる』

 これはよかった。

 主人公は教師。主人公はかつていじめに遭っていて、現在は娘のクラスでいじめが起こっていて、自身の勤務する学校でもいじめが起こっている。いじめられるつらさを知る主人公はいじめを止める……かというと、ぜんぜんそんなことはない。勤務先でのいじめには見てみぬふり。娘のクラスで起こっているいじめについては、被害者の親に対してあることないこと吹きこんで焚きつける。なんとも卑怯で小ずるい男なのだ。さらにこの男は自宅で亀に熱湯をかけていじめている。

 こういう男が教師であり父親であるということにぞっとするが、考えてみれば我々の多くはこのタイプなのだ。積極的にいじめに加担するわけではないが、かといっていじめられている他者を守るために身体を張るほどの正義感もない。そして「攻撃していい人」と認定した人間に対しては容赦ない残虐性を発揮する。学生だけでない。多くの大人だって、不倫した有名人や失言をした政治家はどれだけいじめてもいいとおもっている。

 主人公を筆頭に登場人物たちがみな保身と自己弁護ばかりでなかなか胸くそ悪くなる短篇だが、それがいい。いじめについて語る人ってみんな「いじめられていた人」か「いじめを心の底から嫌悪していて加担しない人」の立場をとるじゃない。そんなわけないのに。みんながいじめを大嫌いならいじめなんて起こるわけない。我々はいじめを好きなんだよ。ぼくもあなたも。それを認めないといじめ問題は永遠になくならない。

「私は状況によってはいじめる側の人間です」と声高らかに言う人がいないので(ぼくだってわざわざそんなことは言わない)、小説でその立場の人間を書くことは意義があるとおもう。


角田 光代『空のクロール』

 同級生からいじめに遭うようになった主人公。いじめの主犯は、同じ水泳部で泳ぎのフォームが美しい少女。

 これはストレートにいじめられる少女の苦悩を描いた小説。いじめをテーマに短篇を書いてくださいと言われたらこんな作品ができあがるだろうなあと予想する通りの小説。つまり、とりたてて新しい切り口は感じなかった。


野中 柊『ドロップ』

 白昼夢のような小説。これは……いじめ? ただ白昼夢を見ただけじゃねえのか。


湯本 香樹実『リターンマッチ』

 いじめを描いたっていうより友情を描いた青春小説だった。なんかずっとさわやかなんだよね。いじめすら〝さわやか〟を描くための、シンプルな材料になってる。


柳 美里『潮合い』

 転校生が来ていじめが起こり、とある出来事をきっかけにいじめられる側といじめる側が反転しそうになる……ってとこで終わる。漫画『聲の形』の一巻で終わっちゃった感じ。


稲葉 真弓『かかしの旅』

 いじめに遭って家出をした少年からの手紙という形式の小説。

 そもそもの話をしてしまうと、手紙形式の小説って嫌いなんだよね。ずるいっていうか。安易に心情を吐露しすぎなんだよね。遺書じゃないんだから、そんなになんでもかんでも書かないでしょ。

 だいたい手紙形式の小説って「あなたは××のときに△△で〇〇してくれましたよね」みたいなこと書くんだよね。書かねえよ。手紙でもメールでもLINEでもいいけど、そんな説明くさい文章書いたことある?



 まあ古い短篇集だからしょうがないんだけど、『亀をいじめる』以外はいじめの書き方が単純だなあ。ワイドショーの書き方なんだよね。非道で許しようのないいじめっ子と、一点の非もないのに悪い奴に目をつけられたがためにいじめられているかわいそうな子。

 わかりやすいけど。そうおもってたほうが楽だけど。

 だけどさ、そうじゃないわけでしょ。いじめは楽しいから、みんな大好きなわけじゃない。たいていのいじめは、いじめられる側にも非があるわけでしょ(だからいじめてもいいってわけじゃないよ)。だからこそいじめて楽しい。

 そのあたりの、いじめる楽しさを書いてほしかったな。正当化しろってことじゃないよ。きれいごとに終始していたようにおもう。

 ちょっと前に奥田 英朗『沈黙の町で』という、いじめを描いたすばらしい小説を読んだので、どうしてもそれと比べてものたりなさを感じてしまった。


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2022年11月16日水曜日

【読書感想文】上田 啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』/ ひたすら己を眺める時間

人は2000連休を与えられるとどうなるのか?

上田 啓太

内容(e-honより)
仕事のない解放感を味わう。将来への不安を感じはじめる。昔を思い出して鬱になる。図書館に通って本を読む。行動を分単位で記録する。文字を読むことをやめてみる。人間のデータベースを作る。封印していた感情を書き出す。「自分」が薄れる。鏡に向かって「おまえは誰だ?」と言い続ける。自分にも他人にも現実感が持てなくなる…。累計1000万PVの奇才が放つ衝撃のドキュメント。


 ぼくはかつて無職だった。原因不明の高熱が続いたので新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、実家に帰った。はじめのうちは心配していた両親も、就職活動をするでもなく、アルバイトをするでもなく、インターネットで遊んだり友人と遊びに行ったりしている息子に対して冷たくなった。

 なにしろ、体調が悪いと言いつつ、近所を走ったり友人と飲みに出かけたりしているのだ。これでは心配してもらえない。

 ぼくのほうも両親の「はよ働け」プレッシャーを毎日受けているうちに居心地が悪くなり、一年後ついにアルバイトをはじめてしまった(その後正社員登用される)。


 ということで、乳幼児の時期を除けば、ぼくが経験した最大連休は360連休ぐらいだ。

 360連休でもなかなかきつかった。親からのプレッシャーもあるし、周囲からの「大丈夫?」という心配も胸が痛くなった(逆に親しい友人から「クズニート!」とかストレートに言われると安心した。心配されるほうがつらい)。なにより、このままじゃいけないということは自分がいちばんわかっている。

 決して勤勉というわけではないが、それでも終わりのない休みがずっと続くのはつらい。考える時間だけはたっぷりあるので、ついつい思考が悪いほうに向かってしまう。

 アルバイト、そして正社員として働くようになって感じたのは「無職でいるより働くほうがずっと楽」ということだ。

 雇用されていれば、「明日は何をしよう」「この先どうしたらいいのか」といったことに思い悩まなくてもいい。将来への不安がゼロになるわけではないが「まあなんとかなるだろ」とおもえる。仕事はつらいこともあるが、無職でいることに比べれば屁でもない。

 そんな経験があるので『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』というタイトルを見たときはぞっとした。2000連休ということは約6年。それだけ休んだ後にはたして〝こちら側〟に帰ってこられるのだろうか?



 著者の上田啓太氏は仕事をやめ、恋人の家に転がりこむ。一応最低限の生活費は入れていたらしいが、ほとんどヒモだ。

 まあヒモだろうとニートだろうと子ども部屋おじさんだろうと当人たちが納得しているのなら他人がとやかく言うことではないが、やっぱり大人が大人に依存しているのはお互い居心地のいいものではないだろう。

 連休が続いている。すでに四ヶ月ほど働いていない。さすがに不安を感じはじめた。まったく社会と関わっていない。通勤先がない。通学先もない。何の労働もしていない。毎日ひたすら家にいる。コンビニやスーパーには行くが、それだけだ。アルコールは現実逃避の意味合いを持ちはじめている。昼間から酒を飲んでいても、心の底から快活に笑えない。これまでの人生は何だったんだろう。今後の人生はどうなるんだろう。過去と未来のはさみうちにあっている。

 わかるなあ。ぼくも無職になった当初は楽しかったけど、やっぱり数か月たつと「何をしてもいい」という喜びは消え、将来への不安ばかりが強くなった。「酒に逃げたらもうおしまいだ」という意識があったために酒には手を出さなかったけど、もし酒好きだったら酒におぼれて再起不能になってしまっていたかもしれない。

 ぼくもそうだけど、内向的な人間ってヒマにならないほうがいいんだよね。思考が内に内に向かってゆく。内を見つめてもいいことなんて何もない。己の良さなんて他人に見出してもらうものであって、自分で発見するもんじゃない。


 大学に入ってしばらくしてからも同じような状況に陥った。大学生ってとにかく自由じゃない。あれもできるこれもできる、とおもうとかえって何もできなくなってしまう。

 時間だけはあるのであれこれ考える。答えのないことばかり考える。いま客観的に思いかえしたら「考えなくていいからバイトするなりどっか出かけるなりしろ!」と一喝したくなるけど、当時は「どうせあと数年したら仕事しなくちゃいけないんだから、今は今しかできないことをしよう」とおもっていた。数年後無職になるとも知らずに。


 油断すると部屋にこもるような人間は、たいてい言語能力が発達している。肉体の運動神経のかわりに、言語やイメージの反射神経を鍛えているようなものだからだろう。少しの刺激からさまざまに思考を展開させるくせがある。これ自体はただの特徴だし、うまく転がれば、想像力が豊かだと評されたり、よくもまあ変なことを考えるもんだと言われたりする。しかしマイナス方向に振れた場合、誰かの些細なひとことから原稿用紙百枚分の被害妄想を展開させてしまったりもする。
 人は汗だくで苦悩できるのか。反復横とびしながら悩んでいられるのか。シャトルランのあとで悩みを維持できるのか。運動不足や不摂生の産物を、観念的な悩みと取り違えているのではないか。

 忙しく仕事をしていたら「人生の意味とは」とか「より善く生きるには」とか考えないんだよね。そんなこと考えなくていいんだけど、ヒマな人間からすると、考えてない人間が愚かに見えてしまうんだよね。「彼らは何も考えていない」とおもってしまう。じっさいは「自分が考えていることを考えていない」だけなのにね。



  時間があるからだろう、上田さんはひたすら自分自身を見つめている。

 SNSを見ている自分を観察した文章。

 タイムラインに関しては、読むというよりはスキャンしている。つまり、視界に入ったものの大半を無視して、興味を引いた文だけを読み、リンクをクリックしている。リンク先を見終えればタブを閉じる。最後まで見ずに閉じることもある。そしてスキャンを再開する。眼球の動きは速く、瞬時に膨大な情報を処理している。指先の動きも異様に速く、トラックパッドをこすり、ショートカットキーを多用している。椅子に座って、身体を固定したまま、眼球と指先だけがものすごい速度で動き続けている。指先と目玉の化け物がここにいる。
 結果、二時間ほどネットを見るだけでも、大量の断片を消費して、何を見ていたのか、うまく思い出せずに首をかしげる。本を読む場合、基本的には冒頭から順に読んでいく。特定の内容を探してスキャンするようにページをめくることもあるが、それでも書物自体が一定の統一感を与えられたものだし、それぞれにまったく無関係なものが雑多に集まっているネット空間とはちがっている。ネットに慣れた状態で分厚い本を読もうとすると、やはり数分で集中が切れてしまう。集中のリズムが非常に細かくなっている。本というものは、ネットに比べるとゆったりとしたリズムで書かれているから、ネットのリズムのまま読もうとすると、うまくいかないのだろう。

 たしかになあ。考えたこともないけど、ネットサーフィンをしているときの自分ってこんな感じだ。改めて突きつけられると恥ずかしい。


 上田さんは「今後の自分」について考える時期を乗り越え「過去の自分」を掘りかえす日々を迎える。

 今までに見聞きした漫画、映画、CD、テレビ番組などのコンテンツをデータベース化し、それだけでは飽きたらず、これまでに出会った人たちすべてを思いだせるかぎりデータベース化する。そして子どもの頃のちょっとした思い出なども思いだせるかぎり書いてゆく。

 おお。ここまでいくともう発狂一歩手前、って感じがする。過去に囚われて現在が見えなくなってしまいそうだ。

 現在の問いをひとことであらわせばこうなる。
「この意識は、明らかに上田啓太とは別の何かだが、だとしたらこれは何だろう?」
 今さらの話だが、私のフルネームは上田啓太という。いや、そのように素朴に言ってしまうと正確ではない。この感覚を維持したまま無理やりに自己紹介をするならば、
「私は人々から長いこと上田啓太と呼ばれてきましたので、習慣的に自分のことを上田啓太という名前だと考えておりますが、それはひとつの約束事に過ぎません。しかし、約束事の世界に参加するためにも、今はこの名前を使っておきます。よろしくお願いします。上田啓太です」
 もしも飲み会でこんな自己紹介をはじめる人間がいれば、できるだけ遠くの席に移動することになるだろうが、これが正直な感覚である。「上田啓太」という言葉が壊れている。言葉が壊れるというのも奇妙な表現だが、言葉を支えていたリアリティがボロボロと崩れ落ちて、ほとんどナンセンスなものになっていると言えばいいだろうか。
 私は、上田啓太ではないと思う。

 ほらほら。もういけない。まちがいではないかもしれないけど、こんなことを考えている人は社会ではやっていけない。正しいかどうかはさておき、多数派でないことはまちがいない。


 終盤は哲学の本を読んでいるようでぼくにはほとんど理解できなかった。興味があったのは「2000連休がどんなふうに終わって一般の社会に戻るのか」だったのだけど、これといった出来事が起こるわけでもなく、なんとなく連休が終わる。

 まあ現実だから仕方ないけど、ストーリー的にはものたりなかったな。


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2022年11月14日月曜日

【感想】まほうのレシピ(Just Add Magic)

まほうのレシピ(Just Add Magic)

内容(Amazon Prime より)
ケリーと彼女の親友2人は不思議な料理本を見つけ、その中のレシピには魔法がかけられていることを知る。ケリーのおばあちゃんにかけられた呪いを解くために3人は次々と料理を作っていく。そして魔法の料理を作る者はその効果の代わりに特別なことが起きることを知る。過去に起きた事件と料理本に隠されたナゾが明かされるとき、さらなる大きな秘密が暴かれる!


 Amazon Prime にて鑑賞。

 おもしろかった。Amazon Prime では「キッズ」カテゴリに入っているが、大人でも楽しめる。というか、子どもにはこの複雑なストーリーを理解するのはなかなかむずかしいとおもうぜ。

 シーズン1からシーズン3までを家族で観た。ドラマをはじめて観る長女(9歳)もおもしろがって、1話観るたびに「もういっこ観よう!」と言っていた。毎回気になるところで終わるんだよなあ。


 主人公は仲良し三人組の女の子、ケリー・ハンナ・ダービー。中一ぐらい。

 あるときから、ケリーのおばあちゃんが会話をできなくなる。おばあちゃんを大好きなケリーは心配するが、どうすることもできない。

 そんなとき、三人の前に奇妙のレシピが載った本が現れる。本に載っていた「おだまりケーキ」をつくったところ、食べた者が口を聞けなくなり、その副作用でつくった者のおしゃべりが止まらなくなる。なんと本は魔法の本だったのだ。

 しっかり者だが融通の利かないケリー、良くも悪くも慎重派のハンナ、だらしないが他人にも寛容なダービーと性格の異なる三人が、ときに助け合い、ときに喧嘩をしながら様々な問題を解決する物語。


 ということで、以下感想。ネタバレがんがん含みます



■シーズン1

「はいはい、女の子たちが魔法の料理を使っていろんな問題を解決する1話完結のお話ね」とおもって観はじめたのだが、そんな単純なものではなかった。

 たしかに基本は1話完結で、
問題発生 → 魔法の料理を作る → 魔法の失敗、魔法が効きすぎる、魔法の副作用などで新たな問題発生 → 試行錯誤して解決
という流れが多い。だが、すべての問題が解決するわけではない。

 あれこれ魔法の料理を作っても、おばあちゃんの具合はいっこうに良くならない。魔法は悩みを解決してくれるが、ひとつ解決するたびに新たな悩みが生まれる。

 さらにはシルバーズさん、ママPという謎を秘めたキャラクターたちも魔法について何かを知っている様子。はたして彼女たちは何を知っているのか、そしておばあちゃんに何が起こったのか……。

 このシーズン1を観ると、もう止まらなくなる。

 特におもしろかったのが登場人物に対する評価が二転三転するところ。

「あ、ママPって意外といい人なんだ」「シルバーズさんは怖い人と見せかけて意外といい人、と見せかけて何か企んでいる?」「ママPもシルバーズさんも呪いをかけあっていたのなら、もしかしておばあちゃんも?」
と、あれこれ推理しながら楽しめた。

 終盤、ママPがサフランフォールズのみんなに毒づくシーンは最高。ママP役俳優の怪演が光る。よくこんな嫌いな町で客商売やってたな。逆に感心する。

 主人公だし、しっかり者だとおもっていたケリーが暴走してしまう展開もおもしろい。いちばんヤベーやつじゃねえか。逆に、だらしないダービーにいちばん好感が持てる。友だちにするならだんぜんダービーだな。まあいちばんいい奴なのはジェイクなんだけど。優しいし、勤勉だし、向上心も強いし、料理はうまいし、なんでジェイクがモテないのかがわからん!


■シーズン2-1

 シーズン1で一応おばあちゃん問題は解決したが、新たな問題が発生。それが過去から来た少年・チャック。

 どうやらチャックは悪いやつらしいが、彼がどこから来たのか、何を狙っているのかは不明。主人公たちのそばをうろついて、何やら機をうかがっている様子なのがいかにも不気味。

 このシーズンでは、チャック問題に加えて、ケリーの母親の市長選出馬、ダービーの父親の再婚、ハンナの転校といったサイドストーリーも充実。

 意外とかわいいシルバーズさん、相変わらず口は悪いけどジェイクの前では意外と素直なママPなど、主人公たちに加え、OC(おばあちゃんたち)のキャラも光ってくる。

 終わりが唐突な印象だったのが残念。あわてて風呂敷を畳んだような。チャックの心情があまり見えないまま過去に帰っちゃったもんね(また後で出てくるけど)。もう少し心境の変化が語られてもよかったのに。結局、旅人が誰だったのか最後までわからないままだったし(シーズン3まで観てもよくわかんない)。

 ぼくがいちばん好きだったシーンは、ここでもやっぱりママP。OCたちがチャックに呪いをかけてラベンダーハイツに閉じこめるんだけど、そのときのママPのうれしそうな顔! 自分に何十年もかけられてた呪いを他人にかけるのがうれしくてたまらないという顔をしている。

 ところで、テリー(ケリーの母親)もそうだけど、サフランフォールズの住人はラベンダーハイツを嫌いすぎじゃない? 何があったんだ?


■シーズン2-2

 2-1から出ていたRJやノエル・ジャスパーといった新キャラが活躍。「間の者たち」との新旧「本を守る者」の対決構図。

 昔の恋人に嫌がらせをしていたRJはともかく、魔法を使って店を繁盛させていたノエル・ジャスパーはそんなに悪いやつか? なんかすごい悪者みたいに描かれてたけど、主人公たちだって序盤はけっこう私利私欲のために魔法を使ってたじゃん!


 主要な登場人物たちが次々に魔法に関する記憶を失ってゆく。はたして記憶を奪っているのは誰なのか、そしてその人物の目的は……。

「姿の見えない敵」ということで、最もサスペンス色の強いシリーズかもしれない。次々に敵が現れては、消されてゆく。まるで『ジョジョの奇妙な冒険』のようなスリリングな展開だった。

 ぼくはずっとモリス先生が怪しいとおもっていたので「ほら!予想通り!」と喜んでいたのだが、まさかモリス先生じゃなかったとは……。

 個人的には、このシーズンの黒幕であるジルの思想には共感する。「この世から魔法を消す」ってのがジルの望みだったけど、いやほんと、魔法の記憶を失った方が幸せだよ。魔法は災いをもたらしてばっかりだもん。ケリーたちがやってることって全部魔法のしりぬぐいだし。魔法を使っているというより魔法に使われている。この後のシーズン3の展開を考えても、ジルの思い通りになっていたほうが幸せだったんじゃないの?

 それにしてもジルは学生時代と現在で性格変わりすぎじゃない? だらしなくて怠惰なキャラだったのに、選挙の参謀になれる?


■シーズン3

 ママPの店、シルバーズさんの庭、ケリーのトレーラーから魔法のスパイスが盗まれる。まったく犯人の目的が見えない中で三人は魔法を使って対抗しようとするが、三人の間に亀裂が生じ……。

 ここまでさんざん「意外な犯人」にだまされてきたのでもうだまされないぞと警戒しながら観ていたのだが、やっぱりだまされた。まさかあの人とは……。最も意外な黒幕かもしれない。

 最後の料理がジェイクリトー(ジェイクのオリジナルレシピ)だというのが胸が熱くなる。

 ストーリー自体は相変わらずおもしろいが、元々は自分たちの蒔いた種だということで、観ていて徒労感が強い。ほら、やっぱりジルの言う通り魔法の記憶をなくしといたほうがよかったじゃん、とおもっちゃうんだよね。無駄にトラブルを引き起こして、がんばってマイナスをゼロにしただけだもんな。

 最終話で未来の三人組が出てくるのもわくわくする。あまりに似ていたから、あれはCGなのかな?

 ママPとジェイクがつかずはなれずのラブコメみたいな関係になっていたことや、ママPとシルバーズさんが一緒にニューヨークに行くことに不安しかない(喧嘩しないわけがない)のとか、丸く収まりながらお余白を残した終わり方もおしゃれ。


■総括

 おもしろかった。子ども向けとはおもえない重厚なストーリー。ただ、後半はやや蛇足感もある。いや後半は後半でおもしろかったんだけど。でもシーズン2-1か2-2ぐらいで終わっててもよかったともおもう。

 美人やイケメンが出てくるわけでなく、登場人物たちがみんなふつうの見た目の人たちなのもいい。日本でもこういうドラマや映画をつくってほしいなあ。隙あらば美男美女をねじこんでくるからなあ。

 アメリカの文化が垣間見えるのもおもしろかった。向こうの学校の昼休みはこんな感じなんだ、授業は高度なことやってるなあ、陰湿ないじめはどこにもあるんだなあ、スマホを使いこなしているのはさすが現代っ子だなあ、と本筋とは関係のないところでもいろいろ得るものがあった。


 さて、次の〝本を守る者〟であるゾーイたちに本を引き渡して、続編である『まほうのレシピ ~ミステリー・シティ~』に続くわけだけど、そっちも観ているが今のところは1作目のほうが好き。まあたいてい続編は劣るものだけど。

『まほうのレシピ』の魅力は、主人公三人組よりも、OCやジェイク、パパやママといった魅力的なわき役たちにあったのだが、続編『ミステリー・シティ』のほうは主人公たちと適役以外の出番が少ない。

 漫画でも小説でも、脇役が魅力的なのがいいドラマだよね。


2022年11月8日火曜日

【読書感想文】アゴタ・クリストフ『悪童日記』 / パンツに手をつっこまれるような小説

悪童日記

アゴタ・クリストフ(著)  堀 茂樹(訳)

内容(e-honより)
戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。


 なんかうまく言葉にできないけど、ぞくぞくする小説だった。おもしろい、とはちょっとちがう。感動するわけでもないしハラハラドキドキする描写もほとんどない。新しい知識が得られるわけでもないし、意外なトリックが仕掛けられているわけでもない。でも、ぞくぞくする。ページをめくる手が止まらない。なんともふしぎな味わいの小説だった。



 いちばん奇妙だったのは、人の顔が見えないことだ。

 一人称で書かれた小説なのに自我がまるで感じられない。主語は常に「ぼくら」だったり「ぼくらのうちひとり」だったりで、「ぼく」としての語りはまったくない。双子それぞれの名前も一切出てこない。誰も彼らを名前で呼ばない。

 固有名詞がないのは「ぼくら」だけでない。登場人物たちは「おばあちゃん」「将校」「従卒」「女中」などと肩書で呼ばれ、名前があるのはせいぜい「兎っ子」ぐらい。それもあだ名だが。

 地名も「大きな町」「小さな町」などで、著者の経歴を知ればナチス占領下のハンガリーであることは容易に読みとれるものの、作中に具体的な国名などは一切出てこない。

 とにかく、具体性、自我がまるで見えない。

 にもかかわらず、登場人物たちの姿は活き活きと描かれている。

 強欲で口汚くて夫を毒殺した噂のあるおばあちゃん、目の見えない隣人と知的障害のある娘、少女に猥褻行為をする司祭、ぼくらを性的にかわいがる将校や女中……。

 戦争文学なのだが、反戦メッセージがあるわけではない。登場人物たちはことごとく非道。もちろん「ぼくら」も例外でなく、嘘や盗みを平然とはたらく。場合によっては命を奪うことも辞さない。生きるためだけでなく、ただ純粋に興味本位で悪をはたらくこともある。その一方で勉強熱心で勤勉で正直という極端な一面も持ちあわせている。


 登場人物たちに善人はいないが、根っからの悪人もいない。いや、現代日本人の感覚からすれば悪人だらけなのだが、『悪童日記』の中では悪人ではない。なぜなら、戦時下だから。

 戦時下で死と隣り合わせの状況では、欲望に対してずっと正直になるのだろう。『悪童日記』の登場人物たちは、タテマエや世間体よりも己の欲望を優先させている。それが、彼らが活き活きとしている理由だろう。

 平和を愛する日本人であるぼくはもちろん戦争なんてまっぴらごめんだが、でも欲望に忠実な彼らの生活は案外悪くないかもなとおもわされる。嘘や飾り気のない人生なのだから。



 もっともぞくぞくしたのが、ラストの父親が訪ねてくるシーン。スパイ容疑をかけられて拷問を受けた父親の亡命を助ける「ぼくら」。こいつらにもこんな人情味があったのか……とおもいきや、まさかのサスペンス展開。おお。ぞわっとした。

 ずっとユーモラスな雰囲気が漂っているのが余計にこわい。


『悪童日記』を読んでいると、ふだん「社会性」という仮面の下に隠している獣の部分を暴かれるような気がする。ぼくも一応はちゃんとした社会人のふりをしているけど、状況が変われば金や性欲や食い物のために、他人を踏みつけにする人間だということをつきつけられるような。

 まるでパンツの中にいきなり手をつっこまれたような感覚になったぜ。うひゃあ。


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2022年11月7日月曜日

【コント】原稿持ち込み

「お願いです。これ読んでいただけませんか」

「えっ、これなに……?」

「ぼくが書いた小説です。ぼくの命そのものです。ぜひ読んでいただきたい、そして出版していただきたい。そうおもってお持ちしました!」

「持ち込み……? いや困るよ、君」

「アポなしでやってきて失礼なことは重々承知しております。ですが、お願いです。一度でいいので読んでいただけないでしょうか!」

「アポとかの問題じゃなくて、そもそもうちはそういうのやってないから

「そこをなんとか!」

「なに、君。作家デビューしたいの?」

「はい! 自信はあります。読んでいただければわかります!」

「それだったらまずは賞に応募して……」

「ぼくの作品は既存の賞のカテゴリに収まるようなものではないんです。それは読んでいただければわかります! 読んで、つまらなければ燃やしていただいてもけっこうです! ぜひ一度!」

「いやだって君……」

「はい!」

「うちは本屋だからね」

「……えっ?」

「……えっ?」

「それがなにか……」

「いやいや。原稿を読んで、おもしろいかどうかを判断して、出版するかどうかを決めるのはうちの仕事じゃないから」

「えっ!? こんなに本があるのに?」

「関係ないから。うちは出版社や取次から送られてきた本を並べて売ってるだけだから。出版にはかかわってないから」

「ええっ」

「本屋にやってきて原稿を本にしてくださいって。君がやってるのは、漁師にさせてくださいって魚屋にお願いするようなものだからね」

「えっ、漁師になるためには魚屋に行くんじゃないんですか……?」

「ああ、もう、とことん非常識だね! 学校の社会の授業で習ったでしょ。商品の流れとか」

「ぼく、学校に行かずにずっと原稿書いてたんで知らないんです。十五年かけてこの原稿を書いてたんで」

「うわ……」

「ここがちがうなら、どこに持ち込めばいいんでしょうか」

「そりゃあ出版社だろうけど、でも君の場合はまず一般常識を身につけてから……」

「シュッパンシャってとこに行けばいいんですね! わかりました! ありがとうございます!」

「あーあ、行っちゃったよ。ほんと非常識な子だな……。あれっ、原稿忘れていってんじゃん。命そのものじゃないのかよ。まったく、あんな変な子がいったいどんな小説を書くのか、ちょっと読んでみるか……」


「えっ、嘘だろ!? めちゃくちゃ平凡!」