2021年12月10日金曜日

【読書感想文】『それいけズッコケ三人組』『ぼくらはズッコケ探偵団』『ズッコケ㊙大作戦』

 ぼくが小学生のときにいちばん読んだ本は、まちがいなくズッコケ三人組シリーズだった。
 著者は那須正幹さん、挿絵は前川かずおさん(後に逝去により高橋信也さんに交代)。


 今でこそ児童向けの文庫を各出版社が出しているけど、ぼくが子どものころって中学年以上の子が読む小説ってあんまり多くなった気がする。江戸川乱歩とかホームズとかルパンとかの、いわゆる名作小説か、翻訳小説か、あとは伝記とか。中学年以上が読むに耐える、純粋におもしろい小説はあまり多くなかった(ぼくが知るかぎり)。

 だから本好きの子はみんな『ズッコケ』を読んでいた。ちなみにぼくは一年生から読んでいたのだが、今読むと漢字が多く、ルビも少なく、よく一年生でこれを読んでいたなあと感心する。なにしろぼくは二歳でひらがなを半分ぐらい読めた、幼稚園で挿絵のない本を読んでいた、二年生で宮沢賢治作品を読破したなど数々のエピソードを持つ神童だったからね。今じゃ見る影もないけど。

 そんなわけで、ズッコケシリーズは誰もが読んでいるとおもっていたのだが、意外や意外、同世代の人に訊いてみても
「まったく知らない」「名前だけは知ってるけどほとんど読んだことはない」
という人がけっこういて驚かされる。

 ぼくは読書好きの母の影響で本に囲まれた生活をしていたからそれがあたりまえだとおもっていたけど、本をぜんぜん読まない家庭も少なくないんだよな。
 こないだ「家に本が一冊もない」という人と話してたら、「あ、でもうちの奥さんはわりと本読みますよ」って言うんで、「へえ。奥さんはどんな本読むんですか」って訊いたら「あれ読んだって言ってました、ほら、『ハリー・ポッター』」と言われて仰天した。
 本を読まない人からすると、読書歴が『ハリー・ポッター』で止まっている人でも「わりと本読みますよ」になるのか……。


 閑話休題。

 上の娘が小学二年生になり、「小説が読みたい」と言いだしたので、そろそろいいかとズッコケ三人組シリーズを勧めてみた。
 おもしろいと言っていたが、いかんせん読むのが遅い。おまけに習っていない漢字や聞きなれない言葉が多いので、しょっちゅうぼくに読み方や意味を訊いてくる。
 もうまどろっこしいので、ぼくが読んで聞かせてあげている。

 ……というのは口実で、ほんとはぼくもいっしょに読みたいんだよね。

 改めて読むと、小学生のときとは感じるところも違う。以下、感想。


『それいけズッコケ三人組』(1978年)

 シリーズ第一作にして唯一の短篇集。
 トイレにいるハカセが泥棒とニアミスする『三人組登場』、万引き中学生をこらしめる『花山駅の決闘』、同級生の女の子を脅かすつもりが逆におそろしい目に遭う『怪談ヤナギ池』、ハチベエが防空壕跡に迷いこむ『立石山城探検記』、モーちゃんがテレビの公開収録に挑戦する『ゆめのゴールデンクイズ』の五篇からなる。


 小学生のとき、『ズッコケ三人組』シリーズの主人公はハチベエだとおもっていた。持ち前の行動力でストーリーをひっぱる役どころが多いからだ。じっさい、名作との呼び声高い『花のズッコケ児童会長』や『うわさのズッコケ株式会社』の主人公はまちがいなくハチベエだ。

 だが改めて読むと、シリーズ通しての主役はハカセなんじゃないかとおもう。活躍シーンは多くないが、ハカセの一言をきっかけに物語が転がることがよくある。また、第一話『三人組登場』の主人公がハカセであったり、続編にあたる『ズッコケ中年三人組』シリーズではハカセの恋愛模様が描かれることからも、やっぱり真の主役はハカセだ。

『それいけズッコケ三人組』はどれもスリルあふれていておもしろい作品。『三人組登場』はサスペンス&コメディ、『花山町の決闘』はバイオレンス、『階段ヤナギ池』はホラー、『ゆめのゴールデンクイズ』はヒューマンドラマ。だが『立石山城探検記』だけは小学生にとってはおもしろい話ではなかった。

 題材が難しいし、ハチベエがただ真っ暗な穴の中を歩くだけで盛りあがりどころは少ない。ピンチではあるけど、スピード感がない。
 でも大人になってから読むと、ちがう楽しみかたができる。そうか、この時代って防空壕とか戦争体験者とかがまだ身近な存在だったんだな。1978年に小学6年生ということは、三人組の生まれは1966年ぐらい。両親はギリギリ戦中生まれかな。ちょっと上の世代だともう戦争体験があるんだよな。ズッコケ三人組の担任の宅和先生なんか戦争経験者どころか出征していた世代だよな。



『ぼくらはズッコケ探偵団』(1979年)

 二作目、長編としては一作目。

 推理小説だが、小学生のときはあまりあまりおもしろくなかったな。野球のボールが飛んでいった屋敷で殺人事件に遭遇する、という展開まではおもしろかったんだけど、中盤からは小学生にとっては難しかった。今読むとかなり本格的なミステリだ。

 ガラスは二度割れた、トリックに使われた釣り竿のさりげない提示、目撃者を消すための第二の事件など、ちゃんとしたミステリをやっている。児童文学なのに、決してこどもだましでないのが初期ズッコケシリーズのすばらしいところ(後期の怪盗Xなんかはこどもだましだけど)。

 ただ、やっぱり本格的なミステリを子ども向けにやるのはむずかしい。うちの子は、ガラスが二度割れたトリックなんかは説明してやらないとわかっていなかった。
 作者もそれをわかっていたのか、中盤には「学級会でおこなわれる男子と女子の対決」が描かれる。ハカセが口先三寸で女子をやりこめるところは、しょっちゅう悪さをしては女子に告げ口されていたぼくとしては痛快だったなあ。

 しかもこの学級会のシーンも無駄に差しこまれるわけではない。学級会では敵だった安藤圭子が終盤で命を狙われて、三人組が助ける展開は胸が熱くなる。



『ズッコケ㊙大作戦』(1980年)

 タイトルに環境依存文字が使われている作品。読めない人のために説明しておくと、○の中に秘、でマルヒです。そういやマル秘っていつのまにか聞かなくなったな。

 これも小学生のときはあまり好きな作品じゃなかった。男子小学生にとっては、恋愛をテーマにした小説よりも手に汗にぎる冒険譚のほうが魅力的なんだよね。
 でも今読むとずいぶん印象がちがう。これはすごい小説だ。

 スキーに出かけたズッコケ三人組。そこで謎めいた美少女と出会う。
 その数ヶ月後。スキー場で出会った美少女・マコが、転校生として三人のクラスにやってきた。マコはお金持ちで、誰にでも優しく、知性あふれる少女だった。おまけに水難救助をおこなう勇敢な一面もある。
 たちまち三人はマコの虜に。はたしてヒロインは三人のうち誰にほほえむのか……とならないのがこの作品のすごいところ

 マコのまわりには怪しい男がうろつき、お嬢様であるはずのマコはボロアパートに住んでいることが明らかになる。おまけに水難救助は自作自演だった。
 彼女は「お父さんがスパイに追われている」と三人に説明する。三人はそれを信じるが、すぐにそれも嘘だと判明。マコは虚言癖のある少女だったのだ……。


 男子小学生向けのフィクションでは、美少女は完全無欠の存在として書かれがちだ。美しくおしとやかで家柄も良く、誰にでもわけへだてなく優しい。そう、しずかちゃんのような存在。
 だがこの作品のマコはそんなうすっぺらい存在ではない。家は貧乏、嘘つき、見栄っ張り、保身のためなら人を傷つけ騙すこともいとわない……。とんでもない悪女である。

 小学生のとき、ぼくは「マコはなんて悪い女だ」とおもったものだ。
 だが大人になって読み返すと、それもまた一面的な見方だったと気づかされる。貧しい家に生まれ、恵まれない境遇で育ったマコ。周囲は何の苦労もなくのほほんと育った子どもたちばかり。これで博愛精神を持って生きていけというほうが無茶だろう。そのへんの小学六年生男子に比べて圧倒的に精神年齢が高いのだ。

 三人組は、マコの嘘を知りながらも最後まで騙されたふりをしてマコの夜逃げに協力してあげる。そういやサンジも「女の嘘は許すのが男だ」と言っていた。これこそ愛。
 見た目が良くて、性格が良くて、素直で、自分のことを好きな女の子に惚れるのなんて、あたりまえ。そうじゃない女の子を好きになっちゃうからこそ恋愛はおもしろい。

 この作品にかぎらず、基本的にズッコケシリーズに出てくる女の子ってみんな強いんだよね。『ぼくらはズッコケ探偵団』で重要な役割を演じる安藤圭子もそうだけど、ヒロインである荒井陽子や榎本由美子も、基本的に男子を下に見ている。ほとんどサルと同じぐらいにしかおもっていない(まあこの年頃の女子ってそうだよね)。
 後の作品でも、『大当たりズッコケ占い百科』や『ズッコケTV本番中』など、三人組が女子にふりまわされる話がいくつもある。
 あたりまえだけど、男子だろうが女子だろうが、ずるくて意地悪な面を持っているものだ。それをきちんと書いている。単なる〝美少女〟という記号に終始していない。


 改めて読むと、三人組だけでなく、脇役たちもみんな活き活きとしていることに気づく。へたな小説だと主要人物以外は物語を進めるためだけに存在する平坦な人物だが、ズッコケシリーズでは脇役もみんな生きて息をしている。

 刊行から四十年たってもおもしろい。大人が読んでもおもしろい。すごい作品だね、ほんと。


【関連記事】

【読書感想文】『あやうしズッコケ探険隊』『ズッコケ心霊学入門』『とびだせズッコケ事件記者』




 その他の読書感想文はこちら



2021年12月9日木曜日

【カードゲームレビュー】UNO FLIP(ウノ フリップ)

UNO FLIP(ウノ フリップ)


 みなさんご存じUNO の上級者バージョン。

 みなさんご存じって書いたけどみんな知ってるよね? 知ってるという前提で話しますよ。UNOを知らない人はお引き取りください。




 UNO FLIPは、表はふつうのUNOとほぼ同じ。

 え? ふつうのUNOがわからないって?

 おまえまだいたのか! さっき帰れって言っただろ! とっととけえれ! パッパッ(塩を撒く)


 ええと、どこまで話したっけ。
 そうそう。表はふつうのUNOのほぼ同じってことだね。
 ちがいといえば、ドロー2がドロー1になってることぐらい。
 そして「フリップ」というカードがあること


 誰かが「フリップ」を出せば、すべてのカードを裏返しにしないといけません。
 ユーザーの手持ちカードも、山札も、捨て札も。

 そして「ダークサイド」に切り替わる(表側は「ライトサイド」)。

 ダークサイドになっても基本ルールは同じ。
 色か数字がカードを出していく、残り1枚になったらUNOと言う、そのへんはおんなじ。

 ただ、特殊カードが少々えげつない。
 5枚引かせる「ダークドロー5」とか、全員スキップしてもう一度おれのターンになる「ダークスキップ」とか、指定された色が出るまで山札からカードを引きつづけなくてはならない「ダークカラーワイルド」とか。
 特に「ダークカラーワイルド」は防ぎようがない(指定された色を所有していても、新たに出るまで山札から引きつづけなくてはならない)し、運が悪いと10枚以上引かされることも。キングボンビーのような存在だ。

 ダークサイドにも「フリップ」があり、出されると再びライトサイドに戻る。
 ライトサイドとダークサイドをいったりきたりしながら攻略を目指すという『ドラクエ7』のようなゲームだ(わかりづらい例え)。




 カードの両面を使うってことは、他の人が持ってるカードの裏側を見ておけば、フリップ後の所有カードが全部わかっちゃうんじゃない?
 とおもったあなた。甘い。

 たしかにそのとおりだ。
 他人のカードをよく見れば、「あああいつダークカラーワイルド持ってるな」ということはわかる。

 だが他人のカードをずっとおぼえておくのはものすごくむずかしい。そもそも自分が何を出すか考えるのでせいいっぱいで、他人のカードを見ている余裕なんかない。

 仮に他人のカードがわかったところで対策を打ちづらいのがUNOのおもしろいところだ。
 だから「他人の(裏返した後の)カードがわかる」というのはほとんどアドバンテージにならない。




 欠点といえば「フリップ」が連続して出されたときに山札や捨て札を裏返すのがめんどくさいことと、ダークサイドの色が微妙なこと。

 ライトサイドが青、黄、赤、緑で、ダークサイドは青、ピンク、紫、オレンジ。
 そう、青がかぶってる。
 厳密にいえばダークサイドのほうがちょっとだけ明るい青なんだけど、そして両面に似た色があってもゲームの進行上特に問題はないんだけど、でもなんかイヤ。

 4色中1色だけよく似た色ってのが気持ち悪いんだよなー。
 ぜんぶ同じにするか、ぜんぶちがう色にするかにしてほしい。


 そのへんをのぞけばとってもスリリングでおもしろいゲーム、UNO FLIP。

 裏も気にしながらカードを出さないといけないのでより戦略性が増す。

「フリップ」カードを抜けばふつうのUNOとしても遊べるよ。……あ? ふつうのUNOがわからない? まだいたのかてめえ、いいかげんにしないと警察呼ぶぞ!!


【関連記事】

【ボードゲームレビュー】街コロ通

【ボードゲームレビュー】ラビリンス


2021年12月7日火曜日

【読書感想文】金城 一紀『GO』~日本生まれ日本育ちの外国人~

GO

金城 一紀

内容(e-honより)
広い世界を見るんだ―。僕は“在日朝鮮人”から“在日韓国人”に国籍を変え、民族学校ではなく都内の男子高に入学した。小さな円から脱け出て、『広い世界』へと飛び込む選択をしたのだ。でも、それはなかなか厳しい選択でもあったのだが。ある日、友人の誕生パーティーで一人の女の子と出会った。彼女はとても可愛かった―。感動の青春恋愛小説、待望の新装完全版登場!第123回直木賞受賞作。


 在日朝鮮人から在日韓国人になった少年の話。

 日本で生まれ、日本で育った。両親が朝鮮人(ハワイに旅行に行くために韓国人になった)だったため、在日朝鮮人として育ち、朝鮮学校で学んだ。だが高校進学時に朝鮮学校には行かず日本の普通高校を選択したことで、在日朝鮮人からも日本人からも有形無形の攻撃を加えられる……。




 ぼくの知り合いに、在日韓国人はふたりいる。

 ひとりはぼくのおばさん。伯父(母の兄)が結婚した相手が韓国人だったのだ。韓国旅行中に知り合ったそうだ。結婚して、ずっと日本に住んでいる。
 彼女が日本に来たのは大人になってからだし、結婚するために自分の意志で日本に来たわけだから、いわゆる〝在日韓国人〟とはちょっと違う。

 もうひとりは、ぼくが中学に留学したときに寮で同室だったKさんだ。日本で生まれて日本で育った韓国人。八歳も上の人だったが、気があってよく連れ立って出かけた。

 メールアドレスも聞いたのだが、日本に帰ってすぐに音信不通になった。メールが返ってこなくなったのだ(ぼくだけでなく、別の知人もKさんと連絡がとれなくなったそうだ)。

 なんだよ、あんなに毎晩話したのに、帰国したらシカトかよ。冷たいぜKさん。と、当時はおもったが、今にしておもうと「あれでよかったのかもしれない」となんとなくおもう。


 ぼくは北京の寮でKさんと同室だった。外国人寮だったので、いろんな国の人がいた。ぼくと、在日韓国人のKさんが同室になったのはほんとに偶然だった。なにしろ寮の申し込み書類には、生まれ育った国や話せる言語を書く欄などないのだ。日本人と韓国人を同室にしたら、たまたま韓国人のほうが日本語を話せたというだけだった。

 ぼくからしたら、Kさんが同室だったのはラッキーだった。日本語の通じない外国人と同室になる可能性も高かったのだ。同室の人と十分な意思疎通ができないのは苦労しそうだ。
 ぼくとKさんはお金を出しあって一台の自転車をレンタルし、二人乗りして北京の街をあちこち出かけ、得体の知れないものを食べ、いろんな冗談を言い合った。


 あの北京の夏、ぼくとKさんはまちがいなく友人だった。
 でも、もしぼくがKさんと出会ったのは北京の寮でなかったら。出会ったのがもし日本だったら。
 ぼくは積極的にKさんと親しくなろうとしただろうか。Kさんはぼくに、自分が韓国人であると打ち明けただろうか。

 中国では、日本人のぼくも、在日韓国人のKさんも、外国人だった。外国人同士の連帯感のようなものがたしかにあった。もしぼくらが出会ったのが日本だったら、親しくはならなかったんじゃないだろうか。

 きっとKさんにはそれがわかっていたのだ。だから日本に帰国してからは連絡が途絶えた。Kさんにとってぼくは信用に足る人間ではなかったのだろう。




 ぼくは「誰に対しても差別的な意識を持たずに平等に接したい」とおもっている。これは嘘じゃない。

 でも、こういう気持ちを持っていることこそが、差別意識を持っていることのあらわれだ。ほんとに誰にでもフラットに接する人は、こんなことすら考えないにちがいない。

 そう、ぼくは「在日韓国人だからって他の人とちがう接し方をしない」とおもっているだけで、その根底にはやっぱり線を引いてしまう気持ちを持ってるのだとおもう。まあぼくの場合は外国人だけでなく、日本人に対しても線を引くけど。




 ぼくは差別意識を持っている。
 ただそれを知識や理性で押さえ込んでいる。だからあからさまには表に出さない。でも、やっぱり根底にはある。

 以前、行政から送られてきたアンケートに答えているときにその差別意識に気づかされた。

 そのアンケートは、LGBTに関するものだった。

「同性間での婚姻を認めることについて」という質問には賛成に丸をした。
「同性カップルについて不快感を持ちますか」という質問には「いいえ」に丸をつけた。
「知人がトランスジェンダーだったらどうですか」という質問にも「不快じゃない」に丸をつけた。
 だが、「自分の子どもが同性愛者だったら?」という設問でペンが止まってしまった。正直にいって、それはイヤだ。

 ぼくはリベラル派を自称していて、LGBTも外国人も障害者もみんな平等に扱われるべきとおもっているが、それはあくまで「自分と関わらない範囲で」の話なのだ。
 自分の関係ないところでは誰が何をしようが勝手でしょ、とおもっているが、積極的に関わろうとはおもっていないのだ。

 そう、ぼくは自分では差別主義者とおもっていない差別主義者だったのだ。いちばん恥ずかしいやつだ。




『GO』を読むと、日本で生まれ育った日本人として、自分がいかに有利な立場に置かれていたのかに気づかされる。


 僕は新しい煙草に火をつけ、深く吸って吐き出したあとに、言った。
「俺、これまで差別されてもぜんぜん平気だったんですよね。差別する奴なんてたいていなに言ったって分からない奴だから、ぶん殴っちゃえばよくて、喧嘩だったら負けない自信があったから、ぜんぜん平気だったんですよね。多分、これからも、そういった奴らに差別されるなら、ぜんぜん平気だと思うんですよ」
 僕はまた煙草の煙を吸って、吐いた。
「でも、彼女に会ってからずっと差別が恐かったんです。そんなの初めてでした。俺、これまで本当に大切な日本人と出会ったことがなかったんですよね。それも、めちゃくちゃ好みの女の子となんて。だから、そもそもどんな風につきあったらいいかもよく分からなくて、それに、もし自分の素性を打ち明けて嫌われたら、なんて思っちゃったから、ずっと打ち明けられなかったんです。彼女は差別するような女じゃない、なんて思いながらも。でも、結局は彼女のこと信じてなかったんですよね……。俺、たまに、自分の肌が緑色かなんかだったらいいのに、って思うんです。そうしたら、寄ってくる奴は寄ってくるし、寄ってこない奴は寄ってこない、って絶対に分かりやすくなるじゃないですか……」
「俺はおまえら日本人のことを、時々どいつもこいつもぶっ殺してやりたくなるよ。おまえら、どうしてなんの疑問もなく俺のことを《在日》だなんて呼びやがるんだ? 俺はこの国で生まれてこの国で育ってるんだぞ。在日米軍とか在日イラン人みたいに外から来てる連中と同じ呼び方するんじゃねえよ。《在日》って呼ぶってことは、おまえら、俺がいつかこの国から出てくよそ者って言ってるようなもんなんだぞ。分かってんのかよ。そんなこと一度でも考えたことあんのかよ」


 日本で暮らす上では、〝外国人〟というだけで大きなハンデを背負っている。指紋の提出を義務付けられたり、外国人登録証明書なるものを携帯しなければならなかったり、就職や結婚や転居にも制約がかかる。

 それでもまあ、自分の意志で日本に来た外国人なら「自分で選んだ道でしょ」という言い分も通るが、戦時中に強制連行されてきた外国人や、その二世・三世にいたってはまったくもって自分の意志で外国人になったわけではない。日本で生まれ、日本で育ち、日本語を話していても外国人登録証明書を携帯しないと罰を受ける。

 そんな生活、想像したこともなかった。


 チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだときも同じことをおもった。女性であるというだけで、いかに生きづらさを感じているか。そして男性のほうは、いかに特権を無意識に享受しているか。




 在日韓国人がどうとか、差別感情がどうとかだけでなく、単純に小説としておもしろかった。スピード感があって。村上龍の青春小説のようだった。

 しかし気に入らなかったのが、ヒロイン・桜井の造形。なーんか、あまりに理想的な女性じゃない? 物語を前に進めるための都合のいいキャラクターって感じだったな。


【関連記事】

京都生まれ京都育ちの韓国人

差別主義者判定テスト

【読書感想文】チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』



 その他の読書感想文はこちら


2021年12月6日月曜日

読書感想文の反論

 ブログに読書感想文を書いている。

 絶賛する文章を書くこともあれば、徹頭徹尾批判で終わることもある。
 入試小論文なら肯定的な意見と否定的な意見を半々ぐらいで入れたほうがいいのだろうが、ぼくが書いているのは感想文なので知ったこっちゃない。

 まあよほどひどい作品でないかぎりはいい点も見つけて書くようにはしているが、それでも肯定:否定=1:9になるものもあるし、0:10になることもある。

 まあぼくが書いているのは書評ではなく感想文だからね。自分のためだけに書いているのでつまらないものはつまらないと書かせてください。


 書いた読書感想文は、Twitterに投稿している。
 もちろんTwitterに全文書くことはできないので、感想文の要約を数十字で書いてブログへのURLリンクといっしょに投稿する。


 投稿したツイートに対して、著者本人からリアクションされることがある。きっとエゴサーチをしているのであろう。
 こっちが肯定的な感想文を書いたときは、きっと著者本人だってうれしいだろう。「いいね!」やリツイートをしてもらう。ぼくも「このハッピーな感想が著者に届いた!」とうれしい。

 一方、「ひどい本だった」と書いたときに著者からリアクションをもらうことはほとんどない。
 たいていの人は、エゴサーチをして否定的な感想文を見つけても、無視するか、そっとミュートやブロックにするぐらいだろう。

 めったにないことだが、こないだ著者本人(らしきアカウント)から反論意見がきた。


「貴殿は私の著書の出来が悪いと書いているが、具体的な例も挙げずにそんなことを書くのは卑怯だ。正しく読んでいないにちがいない。批判するのであればきちんと読んだ上で書くべきだ」
的なことが書いてあった(もっと直接的な言葉だったが)。


 ふむ。たしかに読まずに批判したり、具体的な例を挙げずにあの本はダメだと書くのは卑怯かもしれない。

 だが、ぼくは 最初から最後まで読み、具体的な例を挙げてその本の悪口を書いた のである。

 ブログ内で何箇所かを引用し、その文章に対してこれは差別意識丸出しの罵詈雑言であるから単なるエッセイとして垂れ流すのならともかく客観的な批評であるかのように書く姿勢は好かん、とこう書いたのだった。

 だがそのすべてを1ツイートに記載することはもちろんできないから、ツイートには「この本で書かれているのは批評ではなくただの悪口」とだけ書いたのだ。


 おそらく反論を寄せてきた著者(らしきアカウント)は、そのツイートだけを見て、リンク先のブログ記事を読むことなく
「具体的な例も挙げずに誹るのは卑怯だ。正しく読んでいないのではないか。批判するのであればきちんと読んだ上で書くべきだ」
と書いてきたのであろう。

 見出ししか読まない人から、「きちんと読んだ上で批評しろ」と叱られる。


 ううむ。
 なんちゅうか、人間っていいなとおもえる出来事でしたね(テキトー)。


2021年12月3日金曜日

予約が嫌いだ

 予約が嫌いだ。

 予約をするとものすごく脳のリソースをとられる。
 ○月○日○時にあのお店を予約したからその前後に他の予定を入れちゃいけない、どうしても外せない用が入ったら早めにキャンセルの電話を入れなくちゃいけない、○時に着くためには○時に家を出なくちゃならない、何かあるかもしれないからそれより30分は早めに出た方がいい、それまでに事故とか急病とかになったらキャンセルの連絡ができないかもしれない、そしたらお店に迷惑をかけてしまう、事故にも病気にも遭わないようにこの1週間はつつましく生きなくてはならない。
 そんな「かもしれない運転」を強いられる。しんどい。


 ぼくが10分カットの床屋を利用するのは、予約が嫌いだからだ。あと安いから。
 10分カットは、実はさして早くない。休日に行くと30分以上待たされることもある。だったら美容院を予約して、行ってすぐ切ってもらうのと変わらない。
 でも10分カットは予約しなくていい。予約して1週間「かもしれない運転」に苦しめられることをおもえば、1時間待つぐらいぜんぜんたいしたことじゃない。

 いっとき腰が痛くて整体に行ってたけど、毎回予約をしなくちゃいけないのがつらかった。腰の痛みよりも予約の痛みのほうが大きいぐらいだ。なんだ予約の痛みって。

 歯医者や整骨院に行くと、治療を複数回に分けてすぐに次回予約をさせようとする。よく知らないけど、保険点数を稼ぐための事情とかがあるんだろうか。ああいやだいやだ。3時間かけてもいいから1回で済ませてくれ。


 ホテルの予約なんてぞっとする。
 美容院や歯医者ならせいぜい30分か1時間ぐらいのものだが、ホテルを予約したら部屋をまるまる一室、一両日も空けてくれるのだ。ひゃあ、申し訳ない。ぜったいにキャンセルできないじゃないか。

 とはいえホテルを予約せずに旅に出る勇気はぼくにはない。
 ぼくが「旅行に行きたい」とおもいながらほとんど旅に出ないのは、予約が嫌だからだ。

「いつか行きます。明日かもしれませんし、十年後かもしれません。いつ行っても泊まれるようにしておいてください」
っていう予約ができたらいいのにな。そんな、ささやかすぎる願い。


【関連記事】

瀬戸内寂聴の予約キャンセル