2021年8月6日金曜日

【読書感想文】湊 かなえ『夜行観覧車』

夜行観覧車

湊 かなえ

内容(e-honより)
高級住宅地に住むエリート一家で起きたセンセーショナルな事件。遺されたこどもたちは、どのように生きていくのか。その家族と向かいに住む家族の視点から、事件の動機と真相が明らかになる。『告白』の著者が描く、衝撃の「家族」小説。


 高級住宅地に建つ二軒の家。
 一軒は以前から住んでいる豪邸。医師の父親、家庭的な母親、名門私立学校に通う姉と弟。
 もう最近越してきた家族で、高級住宅地に不釣り合いなほど小さな家。無責任な父親、見栄っ張りな母親、勉強ができず始終母親に怒りくるっている娘。
 ある日、妻が夫を殺すという事件が起きる。事件が起こったのは、何の問題もないように見える豪邸一家のほうだった――。




 設定としてはおもしろそうだったけど、残念ながらぼくにはあまり刺さらなかった。
 理由のひとつは登場人物が単純だったこと、もうひとつは説明されすぎていたこと。


 人物が単純というのは、一言で語れるような人物ばかり出てくるからだ。「嫌味」とか「おせっかい」とか「高慢ちき」とか「見栄っ張り」とか「事なかれ主義」とか。類型的なキャラクター。物語を進めるため、主人公の感情を揺さぶるためだけに作られたキャラクターという感じ。
「わかりやすい嫌なやつ」なのだ。

 世の中には嫌なやつはいっぱいいるけど、嫌なやつには嫌なやつの論理がある。「嫌なやつになろう」とおもって嫌なやつになってる人はいない。大義名分とか被害者意識があるし、世間に向けてとりつくろう意識もある。
 だから現実の嫌なやつって、たいていは「一見人当たりがいいけど深く付き合うと嫌な面が見えてくるやつ」とか「八割の人にはいい顔をしているのに二割に対してはすっごく嫌なやつ」とか「嫌なやつなんだけど深く付き合うと情け深いところもあるやつ」とかなんだよね。純度百パーセントの嫌なやつもいるけど、そういう人ははなから誰にも相手にされないからかえって厄介じゃない。

 この小説に出てくるのは、そういうグラデーションがなくて嫌なやつは徹頭徹尾嫌なやつ。主人公に嫌がらせをするためだけに生きている、「嫌なやつ」という名札を貼られた人物なのだ。
「嫌なやつかとおもったら意外と優しい面もあった」という人物も出てくるが、それも急に百八十度変わる。

 そして、殺人事件の理由がまるで三面記事のようにシンプルな解釈に帰結されるのも好みじゃない。

 ふだん口論なんてしたこともないような夫婦間で殺人が起こった。その背景にはすごく複雑な感情の動きがあるはずだ。当事者以外にはぜったいわからない、いや当事者ですら理解できないような感情があったはず。
 三面記事やワイドショーでは犯行動機が一行で語られるけど、じっさいにはどれだけ言葉を尽くしても語れないほどの葛藤があったはず。
 なのに語ってしまう。短い言葉で。実はこうだったのです、と。
 裁判所や新聞記事はこれでいいけど、それは小説の仕事じゃない。推理小説ならそれでもいいけどさ。


 吉田修一の『怒り』『悪人』といった小説は、殺人事件が軸になっているが、最後まで読んでも当事者たちの心の動きはわからない。事実はわかっても、内面は想像するしかない。

『夜行観覧車』は内面までわかってしまう。たったひとつの解釈が明示されてしまう。

 そっちのほうが好きという人もいるだろうが、ぼく個人としては殺人当事者の内面を描くのであれば「謎が謎のまま残される」ほうが好きだな。
 理解できないことを理解できないままにするってのは、じつはいちばんむずかしいことだとおもうぜ。


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吉田 修一 『怒り』 / 知人が殺人犯だったら……



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2021年8月5日木曜日

よくて現状維持

 健康診断の結果が悪かった。

 どこか一箇所が悪くなったというより、ありとあらゆる数値がちょっとずつ悪くなっていた。

 体重も増えた。元々がやせ型なので今も標準体重を下回ってはいるが、問題は体重そのものよりも増加ペース。二年で七キロぐらい増えているので非常に良くない。

 原因として考えられるのは、やっぱり新型コロナウイルスの影響。
 リモートワークだとほとんど外出しない日もある。せいぜい子どもを保育園に送るぐらいで、歩数計を見たら1000歩/日ぐらいの日もあった。通勤するだけでもけっこう運動になっていたのだと気づく。
 またリモートでの打ち合わせが増え、客先に行く機会も減った。
 さらに休みの日も遠出をしなくなった。外出自粛もあるし、コロナが怖いのでちょっと体調が良くない日は「家でおとなしく寝てよう」となる。
 ありとあらゆる面で運動量が減った。

 でもコロナはきっかけにすぎない。本当の原因は〝油断〟だとおもう。
 油断していた。ぼくはタバコを吸わないし酒もほとんど飲まない。月にビール一本ぐらい。同年代の男と比べて脂っこいものも好きではない。野菜やフルーツも摂っている。毎日たっぷり八時間ぐらい寝ている。

 だから大丈夫だとおもっていた。そこそこ健康的な生活を送っているから健康でいられるとおもっていた。甘いものは好きだけど、酒もタバコもやらないから大丈夫だとおもっていた。
 だが年齢は見逃してくれない。

 若いころの不健康には原因があった。
 暴飲暴食をするとか、睡眠時間が足りないとか、喫煙量が多いとか、ちょっと体調が悪いときに無理したとか。
 ところが中年は、これといった原因がなくても不健康になる。運動して食事制限をしてやっと現状維持になる。ぼくもそういう年齢になったのだ。衰えるのがデフォルトなのだ。

 気づけば、一流の野球選手でも引退するぐらいの年齢だ。日常的に厳しいトレーニングをしているアスリートですら若い人についていけなくなる年齢なのだから、何もしていないぼくが不健康になるのは当然だ。

 よくて現状維持、何もしなければ衰退。
 人生の下り坂にさしかかったことを自覚しないとなあ。


2021年8月4日水曜日

【読書感想文】長谷川 町子『サザエさんうちあけ話』

サザエさんうちあけ話

長谷川 町子

内容(e-honより)
高校生で田河水泡へ弟子入りし、西日本新聞社勤務時代、そして『サザエさん』誕生…を著者自らが漫画で綴る。

『サザエさん』を知らない人はまずいないだろうが、若い人で原作を読んだことのある人はそう多くないだろう。『サザエさん』が朝日新聞に連載されていたのは1974年まで。連載終了してから五十年もアニメが放映されているってすごいなあ。

 ぼくは実家に『サザエさん』が全巻あったので読んだことがあるが、はっきり言って漫画の『サザエさん』とテレビアニメの『サザエさん』は登場人物の名前が同じなだけの、まったくべつの作品だ。

 過激なギャグや痛切な政治批判などがちりばめられ、アニメで描かれるような「一家団欒」シーンなどはほとんど登場しない。もちろん日常のほほえましい笑いもあるが、基本的には「異常な一家がもたらすギャグ漫画」だ。なぜか今では「典型的な昭和の家族」みたいなまったく逆の扱いになっているが。
 時代が変われば記憶は改変される。もしかしたらあと何十年かしたら「『こち亀』は平成時代の典型的な交番を描いている」なんて修正された歴史がまかりとおっているかもしれない。



『サザエさんうちあけ話』は1979年に刊行されたコミックエッセイ(ぼくが読んだのは再販版だが)。
 長谷川町子氏およびその家族の生活をつづった自伝的漫画だ。どっちかというと自分の話よりも母親や姉妹の話のほうが多い。
 コミックエッセイは2000年代ぐらいに大流行したが、その先駆けのような作品だ。


 読んでつくづく感じるのは、漫画家・長谷川町子誕生の背景にはお母さんの存在が大きかったということ。

 長谷川町子さんを半ば強引に田河水泡(『のらくろ』の作者で当時の国民的漫画家)に弟子入りさせたり、町子さんのお姉さんを洋画の大家に弟子入れさせたり。

 犯人は、いや母は同じ手口で、油絵の好きな姉を洋画の大家、藤島武二先生に弟子入りさせ、かたわら芸大の「とうりゅう門」であった川端画塾に通わせました。
 そんならば、母は教育ママかといいますと、ちょっとばかり毛色が変わっていて、家の改造で大工さんと植木屋さんがはいった時のこと、お茶のみ話から、二人ともまだ、京都を見たことがないと知ると、「費用は、わたしが出す。連れていってあげよう」と、たちまち相談がまとまりました。
 国宝級の建物、名庭園を見ずして、なんでひとかどの腕になれようか、というのがその理由です。娘どもの、白い視線をしりめに、引率していきました。
「八つ橋」をおみやげに帰ってきた、二人が言うには、「京都は、何といってもご婦人が一番よかった」そうです。わが子、他人の区別なく、才能をひき出すことに、快感を覚えるタチなのですね

 こうと決めたら他人の人生をも強引に牽引してしまう豪傑だったらしい。
 夫を早くに亡くして三人の娘を育てないといけないわけだからパワフルな女性でないと生きていけなかったのだろう。シングルマザーに対する風当たりも今より強かっただろうし。とにかくたくましい。

 東京に行くために家や家財道具を売って金をつくったのに「これで『サザエさん』を出版なさい」とその金をポンと出したとか、敬虔なクリスチャンだったため貯金せずに喜捨していたとか、出てくるエピソードがとにかく豪快。
 将来のため、人のためであればお金をじゃんじゃん使う。あればあるだけ使う。江戸っ子気質だ。

 しかし自費出版で出したおかげで『サザエさん』が人気になったわけで、このお母さんの豪気がなければ今頃日曜の夕方に『サザエさん』はやっていなかったにちがいない。


 そしてその男気は三姉妹にも確実に受け継がれている。
 町子氏は生涯独身。姉は戦中に結婚するも夫は戦死。妹も夫を亡くし、母親、姉妹三人、姪たちという女ばかりの家族で暮らしていたという。
 三姉妹で子育てをしていたが「お宅は母親が三人ではなく父親が三人いるようだ」と言われた、というエピソードが語られる。こんな境遇でみんな自営業で働いていたら強くなるわなあ。『フルハウス』(男三人で女の子たちを育てるアメリカのコメディドラマ)みたいな家庭だったんだろうなあ。



 戦中戦後を女四人で(お母さんと三姉妹)生きてきたのだから、相当な苦労があったはず。
 この漫画に描かれるエピソードも疎開して食うために菜園をやっていたとか、スパイ容疑で逮捕されたとか、焼夷弾が自宅に落ちたとか、敗戦直後の夜中にアメリカ兵が自宅を訪れてきて生きた心地がしなかったとか(なにしろ鬼畜米英と言われていた時代だ)、強烈なエピソードだらけ。しかしそれをおもしろおかしく描いているが見事。ユーモアセンスのある人が語ればどんなことでも笑い話になるのだと改めておもう。
 長谷川町子さんのすごいのは、こういう経験をしているのに作品に〝思想〟が表れていないこと。『サザエさん』も『サザエさんうちあけ話』も、風刺や皮肉はあっても特定の思想はまったくといっていいほど見られない。おもうところはいろいろあっただろうに、新聞連載だから自分の色を出さなかったのだろう。

 社会や政治に深い洞察を持っている人もすごいけど、それを一切出さない表現者というのもすごい。


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古いマンガばかり買い与えている



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2021年8月2日月曜日

ツイートまとめ 2021年3月



くりかえし

クダ首相

センシティブな画像

お世話してない

ルルとララ

悪口

お気に入りの角度

LGBTひとからげ

言楽

カジュアル

ポジション

ダブルシンク

トレンド1位

番組改編

国家公務員

オカンあるある



ルー語

完成

今だけやで

メートル

2021年7月30日金曜日

いじめる側にまわるいじめられっ子

 

 中学三年生の春、転校生がやってきた。
 転校生の名前はイソダくん(仮名)。
 イソダくんは太っていて、もちろん運動は苦手で、勉強はあまりできなくて、特におもしろいことを言うわけでもなく、早い話がぱっとしない子だった。
 転校生は関心を持たれるものだが、みんなは早々にイソダくんに対する興味を失った。とはいえイソダくんは何人かの友だちもできて、教室の隅でカードゲームなんかをしていた。

 イソダくんは優しい子ではなかった。スネ夫タイプというか。先頭を切って誰かをいじめることはないが、誰かが攻撃されていたら周囲に便乗して攻撃に参加するタイプ。安全な位置から安全な相手に対してだけ攻撃を加えるタイプ。
 べつにめずらしくもない。世の中の大多数がこういうタイプだ。


 さて。
 イソダくんが転校して一年が経った。ぼくらは卒業式を迎えた。
 卒業式の後、三年生の保護者と担任の教師で謝恩会なるものが開かれた。先生ありがとうございましたと言っておしゃべりをする場だ。

 謝恩会に出席したぼくの母は、帰ってきてから言った。
「転校生のイソダくんって子がいたんだって?」
「うん」
「あの子、前の学校でいじめられてたんだって。だから転校してきたんだけど、『こっちの学校の子はみんな優しくてぜんぜんいじめられなかったから良かったです』ってイソダくんのお母さんが涙ぐみながら言ってた。すごく感謝してた」

 それを聞いて、ぼくは納得感と意外な気持ちの両方を味わった。

 イソダくんがいじめられていたというのはわかる気がする。太っているし、頭も良くないし、性格も良くないし、実際うちの学校でも「イソダ嫌いやわ」というやつはいた。ぼくも好きじゃなかった。どっちかっていったら嫌いなぐらい。
 うちの学校ではイソダくんはいじめられていなかったが、それはべつにぼくらが高潔だったからではなく、担任の先生がこわもての体育教師だったとか、二年生の後半ぐらいからヤンキーが学校にあまり来なくなったのでクラスの雰囲気が良くなったとか、イソダくんよりむかつくやつがいたからとか、そういうちょっとしたことによる結果にすぎない。うちの学校の生徒が優しかったわけではない。めぐりあわせが悪ければイソダくんはいじめられていただろう。

 意外だったのは「いじめられてたやつがあんなふうにふるまうんだ」ということ。
 前の学校で何をされたのかは知らないが、家族で引っ越して転校するぐらいだから相当ひどい目に遭っていたのだろう。
 ぼくの想像するいじめられっ子は〝気が弱くて何をされても言いかえせないおとなしい子〟だったが、イソダくんは決してそういうタイプではなかった。みんなといっしょになって、弱い子にからかいの言葉をぶつけるような生徒だった。


 でも今ならわかる。
 イソダくんはいじめられないためにいじめる側にまわっていたのだと。いじめられていたからこそ、いじめる必要があったのだと。
 長期化するいじめ、深刻化するいじめって、「クラスで弱いほうのやつがやっぱり弱いほうのやつをいじめる」みたいなパターンが多い。

 動物が闘うのって、「餌や異性を狙っているとき」か「自分の立場が脅かされるとき」じゃない。後者は、命を狙われたり、群れから追いだされそうになった場合。

 人間の場合もあまり変わらない。中学生のいじめなんて「金品を狙う」か「こいつより上に立ちたい」かのどっちかしかないとおもう。極端に言えば。
 で、自分より圧倒的に強いやつや、あるいは逆に圧倒的に弱いやつに対しては「こいつより上に立ちたい」とおもうことはない。
 闘う必要があるのは、上から2番目~下から2番目のやつらだけだ。


 いじめられるつらさを知っているから優しくなれる、なんてことはない。
 逆だ。
 いじめられるつらさを知っているからこそ、いじめる側にまわるのだ。


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