2021年3月9日火曜日

迷子と酔っ払いとミルクボーイ

 以前、会社の人たちとバーベキューをした。バーベキュースペースのある大きめの公園で。

 何人かは子どもを連れてきていたのだが、子どもたちは早々にバーベキューに飽きて「公園で遊びたい!」と言いだした。

 ぼくは付き合いで参加したもののこういう集まりはあまり好きではないので、これ幸いと「ぼくが子どもを見ときますよ」と言い、子ども七~八人を連れてその場を離れた。
 付き合いのバーベキューより子どもと遊ぶほうが楽しい。親たちはビールを飲み、肉を食っていた。

 しばらく公園で遊んでいると、テレビ収録のスタッフと、当時M-1グランプリ優勝直後だったミルクボーイが現れた。ロケをしていたのだ。
 ロケスタッフがぼくらのもとに寄ってきた。ミルクボーイがカメラの前で子どもたちにいくつかのインタビューをした。子どもたちは元気よく答える。

 その後、スタッフから「今の映像をテレビで放送するかもしれません。お子さんの顔が映ってもよろしいでしょうか。よければこちらの用紙にサインお願いします」と訊かれた。
 だがぼくはこの子たちの親ではない。勝手に判断するわけにいかないので、親に電話をして事情を説明した。電話の向こうが色めき立ったのがわかった。

「えっ!? テレビ? 行く行く!」

 野次馬根性丸出しだ。酔っぱらった親たちがあわてて駆けつけたが、残念ながらテレビクルーは別の場所へ行ってしまった後だった。

 どんな番組か、番組はいつ放送されるのか、などと質問されて、答えているうちにふと気がついた。子どもが一人いない。三歳の子の姿が見当たらない。
 さっきインタビューに答えているときにはいた。その後、出演の許諾がどうとかやっているうちに一人でどこかに行ってしまったらしい。

 真っ青になった。三歳というと、けっこう遠くまで行けるし、おまけに「困ったら誰かに訊く」「訊かれたことに答える」なんてことはできない。迷子になるといちばんややこしい時期だ。

 大人たち総出で迷子をさがした。もちろんぼくも責任を感じて必死にさがす。

 だが、さっきまでさんざんビールを飲んでいたHという男は泥酔していてまったく使い物にならない。座りこんで「テレビ出たかったな〜」などと言っている。

 ぼくはちょっとキレて「子どもが迷子なんですよ。さがしてください!」とHを叱りつけた。ちなみにHも人の親だ。三歳の子が広い公園で迷子になるのがどれだけ危険なことかわからないはずはないだろうに。

 あちこちさがしまわった。公園の警備員のおじいちゃんを見つけて、園内放送をしてもらえないか訊いたが、彼はあからさまにめんどくさそうな顔をしている。
「私ではそういうことを判断できないんですよね……」
「だったら誰かに訊いてもらえないでしょうか。お願いします、事故に遭ったりしたら大変なので」
と頼んでいると、泥酔していたHが駆けよってきた。「いました! いました!」と叫びながら。

 えっ! いた!? でかした!

「すみません、もう大丈夫です、お騒がせしました」
と警備員に言いかけたそのとき、Hが言った。

「いました! 今トイレに行ったらミルクボーイがいました!」


……そっちかい!

「いやー。ミルクボーイいたんでうれしくて握手してもらいました!」
と語るH。

 いやみんな迷子さがしてるんだけど……。しかもトイレで握手求められるってミルクボーイも気の毒に……。


という出来事でした(迷子は無事に見つかりました)。


2021年3月8日月曜日

いちぶんがくその4

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



「化物といえば、お食事はどうなすっておいでですの」


(山本 周五郎『人情裏長屋』より)




「もしかして日本って、でたらめに運営されてんじゃねえのか」


(奥田 英朗『無理』より)




「めげない援交おじさんを見習って!」と。


(仁藤 夢乃『女子高生の裏社会~「関係性の貧困」に生きる少女たち~』より)




昔は文学部の建物って二階建てだったんですけど、その中になぜか四階建ての図書館があったんです。


(『もっと! 京大変人講座』より)




千佐都は一瞬、キリスト像と餓鬼とを同時に思い浮かべた。


(東野 圭吾『ラプラスの魔女』より)




その研究の中で興味深かったことのひとつは、検索窓に最も多く打ち込まれるのは、食材名でも調理法でもなく、「簡単」という言葉であったことです。


(石川 伸一『「食べること」の進化史 』より)




空気がストップしてその場で死んじゃうのと、放射能を吸ってでも、少しでも長く生きてんのと、どっちがいい。


(堀江 邦夫『原発労働記』より)




「まあ、単身赴任でニートしてるようなものです」


(石井 あらた『「山奥ニート」やってます。』より)




古代の物が、どれだけミミズによって保存されたかわからない。


(河合 雅雄『望猿鏡から見た世界』より)




「本当はインドの、毒を吸い取る黒い石があればいいのだが」


(前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』より)




 その他のいちぶんがく


2021年3月5日金曜日

性欲の衰えバンザイ

 三十代後半になって、急速に性欲が衰えた。

 生物としては衰えなんだろうが、文明人として生きていく上では圧倒的にいいことだ。性欲の衰えはメリットだらけだ。

 なんといっても、若いうちは性欲に振りまわされすぎた。
 男性諸氏ならわかるとおもうが、夜ごと性を求めて悶々とし、明るいうちも悶々とし、ことあるごとにやらしいことを考え、エッチな本やエッチなビデオを鑑賞するために多くのお金と時間を使い、西に女性との出会いがあると聞けばバイトを休んで駆けつけ、東にかわいい女の子がいると聞けば授業をサボり、その結果何を生みだしたかというと多くの使用済みのティッシュだけだ。地球環境にもよくない。

 万にひとつ合体に成功したとしても、後に得られるのは虚しさだけ。生殖に関わらない性行為など何の生産性もない(かといって望まないタイミングで妊娠することがプラスになるともかぎらない)。

 合体に成功した場合でさえ得られるものがないのだから、失敗して己を慰めることになったときは虚無の一言に尽きる。

 性交に成功しても虚しく、失敗しても虚しい。
 とかく過剰なる性欲は百害あって一利なしなのだ。


 だが三十代も半ばをすぎ、がくんと性欲が落ちた。
 もちろんエロを求める気持ちがなくなったわけではないが、「絶好の機会があればコトに至るにやぶさかではないが自分から積極的に求めるほどではない」という心境だ。
 ましてや、ぼくは結婚して子どももいるのでアバンチュールを求めるのはリスクが大きすぎるし、なにより「めんどくせえ」という気持ちのほうが性欲を凌駕する。かといって妻を相手に事をいたすのもまた面倒だ。なぜかは詳しく書かないけど。

 性欲の衰えは年齢のせいもあるが、子どもが生まれたという要因も大きい。
「遺伝子を残さねば!」という生物としての使命はすでに果たしたし、子どもをだっこしておんぶして、いっしょに風呂に入って、隣で寝ていると、スキンシップ欲も満たされる(人間には性欲だけじゃなくてスキンシップ欲もあるとぼくはおもう)。


 性欲が減衰した結果、ぐっと生きやすくなった。
 わずかな性交の機会を求めて東奔西走することがなくなった。性欲処理に使っていた時間を他のことに使えるようになった。
 いやほんと、医学部入試で(大学側の不正がなければ)女子のほうが合格率が高いという話を聞いたが、その差は男子が貴重な時間を性欲処理に費やしてしまうからだとおもう。


『伊勢物語』には

 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

という歌が出てくる。

 世の中に桜がなければ春に心穏やかに暮らせるのに、という意味だ。
 この気持ち、よくわかる。

 ぼくは、

 世の中にたえて性欲のなかりせば男の心はのどけからまし

と詠みたい。

 人間も、桜が咲くシーズンだけ発情期を迎えるようになったらいいのに。そうなったらどれだけ世の中が平和になることか(その代わり花見の時期は修羅場だろうな)。


2021年3月4日木曜日

【読書感想文】すべてのストーリーテラー必読 / ブレイク・スナイダー『SAVE THE CAT の法則』

SAVE THE CAT の法則

本当に売れる脚本術

ブレイク・スナイダー(著)  菊池 淳子(訳)

内容(e-honより)
業界を知り尽くした筆者が、ジャンル、プロット、構成、販売戦略、キャスティングなど、基本要素を踏まえながら実践的に、メジャーで売れる脚本の法則を語りおろす。シンプルで、本当に大手映画会社が買ってくれる脚本を書くためのコツを教える超実践的脚本マニュアル。

 ハウトゥー本なんだけど、なんか妙に感動してしまった。
 そうなんだ、ぼくがむずかしく考えてたことはこんなにシンプルだったんだ、と目からうろこが落ちた。

 ぼくは脚本家じゃないし、脚本を書いたことなんて小学校のお楽しみ会の劇ぐらいしかないけど、これを読んで脚本を書きたくなった。ぼくにも書けるような気がしてきたぞ! よし、明日から書こう!(一行も書かない)


 これは脚本にかぎらず、小説でも漫画でも物語を創作する人は読んでおいた方がいい本だ。
「おもしろい物語のテンプレート」を教えてくれる。まずはこういうシーンからスタートする。冒頭のシーンの時間はこれだけ。次はこういうシーンに……というふうに。
 たしかに、おもしろい映画はたいていこのテンプレートに近い構成になっている。ハリウッドやディズニー作品はたいてい。

 もちろん、このテンプレートからはずれた傑作も多い。「こんなベタな展開のストーリーを俺は書きたくない! まだ誰もやったことのない独創的な構成にするんだ!」という人もいるだろう。

 でも、それでうまくいくのは、基本がきっちりできている上級者だけ。初心者は基本に従って書く方がだんぜん楽だ。
 野球初心者がトルネード投法や振り子打法を試しても成功するはずがない。ああいう変則的な技を使いこなせるのは、基本を完璧に身につけた上級者だけなのだ。

 物語を完成させたことがないけど書きたい人は、まずはこのテンプレートに従って書くべき。まちがいない。




 書かれていることは、すごく合理的だ。
「まず自分が書きたいテーマと向き合おう」「自信の内面を掘り下げよう」みたいな抽象的なアドバイスは一切ない。

 きわめてロジカルに、手取り足取り脚本の書きかたを教えてくれる。

 成功している脚本のパターンを分類し、どういった要素から構成されているかを説明。
 なぜその要素が必要なのか、何をしたらいいのか・いけないのか、失敗しがちなポイントはどこなのか、有名な映画タイトルを出しながら懇切丁寧に教えてくれる(ただぼくはあんまり映画を観ないので半分もわからなかったけど)。


 恥ずかしながらぼくも学生時代、小説を書いたことがある。最後まで到達しなかったものがほとんどだし、完成させたものもまったく満足のいくものではなかった。賞に応募したこともあるが箸にも棒にも掛からなかった。あたりまえだ。自分ですら満足していないのに他人を楽しませられるはずがない。

 おもえば、ぼくがやっていたのは「料理の完成品を見て、同じ料理を作ろうとする」ようなものだった。
 何千冊も小説を読んだのだから自分にも書けるとおもっていた。「何千回も料理を食べたことがあるのだから自分も料理人になれる」とおもうように。今からおもうととんでもない話だ。

 やるべきは、料理を食べることではなく、レシピを読むことだったのだ。
 プロが書いた工程を読み、最初に材料を全部そろえ、レシピ通りの工程・分量で作業する。勝手なアレンジをくわえなければ大きく失敗しない。




 映画ってたくさんの人がかかわってるしすごい額のお金が動くから複雑なものだとおもってしまいがちだけど、じつはシンプルなものなのだ。

 そして一行の文を書くことに集中してほしい。わずか一行だ。

「どんな映画なの?」の質問に、もしも一行ですばやく、簡潔に、独創的に答えられたら、相手は必ず関心を持つ。しかも脚本を書き始める前にその一行が書ければ、脚本のストーリー自体もよくなってくるのである。

 私はこれまで数多くの脚本家と話をしてきたが、プロでも素人でも、脚本を売りたいと言ってきたときには、ストーリーを聞く前にまずこの質問をする。「一行で言うとどんな映画?」。不思議なことに、脚本家というのは脚本を書き終えた後でこれを考えることが多い。お気に入りのシーンにほれ込んだり、『2001年宇宙の旅』(68)のモチーフを取り入れるのに夢中になったり、ディテールにこだわりすぎたりして、単純だが肝心なことを忘れてしまう。つまり、どんな映画なのかひと言で説明できないのである。一〇分以内でストーリーの核心部を説明できないのだ。
 いやあ、まずいよ、それは!

 そうなると、私はもう話を聞きたくなくなる。なぜなら、それは脚本家が本気で考え抜いていない証拠だからだ。優秀な脚本家だったら、映画に携わる関係者すべてを頭に入れて考えるのが当然だ。エージェント、プロデューサー、映画会社の重役、そして観客に至るまで、すべてを考慮に入れなきゃいけない。あらゆる所に自分で出向いて脚本を売るなんて、現実的には不可能な話だ。だったら自分がいない場所でも、赤の他人をワクワクさせて、脚本を読んでもらうにはどうしたらいいか?それが脚本家の最初にすべき仕事なのだ。脚本の内容を一行で簡潔に説明できないなら、ごめん、そういつまでも話は聞いていられない(私の関心はもう次の脚本へ移ってしまうだろう)。一行で読者の心をつかめないような脚本家のストーリーなんて、聞くまでもないからだ。

 たしかに名作映画のストーリーは、短い文章で表現できる。
「タイムマシンで過去に行き歴史を変えずに戻ってこようとする」とか
「家にひとり取り残された少年が泥棒を撃退する」とか
「新しいおもちゃに主役の座を奪われたカウボーイ人形が、新しいおもちゃといっしょに持ち主のもとに戻る冒険をする」
とか。

 小説を原作にした映画があるけど、長篇小説を映画化するとたいてい失敗する。文字のほうが情報の密度は濃いので、映画にちょうどいいのは短篇か中篇ぐらいだ。
 たとえば『ショーシャンクの空に』の原作『刑務所のリタ・ヘイワース』は中篇。『鉄道員』は短篇。
 短篇や中篇小説にはあれもこれも詰めこんでもわかりづらくなるだけだ。映画脚本はワン・アイデアを肉付けしていくぐらいでいいのだろう。




 くりかえすけど、ストーリーをつむぎたいとおもっている人にとっては読んでおいて損はない本。
 ああ、あと二十年早くこの本に出会っていたらなあ。そしたらぼくは今頃売れっ子作家まちがいなしだったのに(この発想がもうダメだ)。


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【読書感想文】タイトル大事なんとちゃうんかい / 須藤 靖貴『小説の書きかた』



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2021年3月3日水曜日

【読書感想文】このジャンルにしてはめずらしく失敗していない / 根本 聡一郎『プロパガンダゲーム』

プロパガンダゲーム

根本 聡一郎

内容(e-honより)
「君たちには、この戦争を正しいと思わせてほしい。そのための手段は問わない」大手広告代理店・電央堂の就職試験を勝ちあがった大学生8名。彼らに課された最終選考の課題は、宣伝によって仮想国家の国民を戦争に導けるかどうかを争うゲームだった。勝敗の行方やいかに、そしてこの最終選考の真の目的とは?電子書籍で話題の問題作を全面改稿して文庫化!

 最大手広告代理店の新卒採用試験・最終選考。
 学生八人が「政府チーム」「レジスタンスチーム」に別れ、プロパガンダゲームをすることに。政府チームの目的は、世論を動かして隣国との戦争を開始させること。対するレジスタンスチームの狙いは、反対多数になるよう世論を誘導すること。
 はたして勝つのはどちらのチームか。そして妙に政治的なこのゲームの目的とは……。


 おもしろかった。
 この本を手に取ったとき、
「ああ、また設定はおもしろそうだけど期待外れにおわるタイプの物語だろうな」
とおもった。
 設定がとびきり奇抜でおもしろそうな本って、たいてい読んで肩透かしを食らう。
『バトル・ロワイヤル』『CUBE』『SAW』以降多発した、異常なシチュエーションサスペンスだろうな。こういうのたいてい、序盤がいちばんおもしろくて右肩下がりになるんだよな。異常なシチュエーションを納得させられるだけの説明をつけられなくて。どの作品とはいわないけど。『インシテミル』とかさ。『LIAR GAME』も個々のゲームはおもしろかったけど黒幕の説明とかめちゃくちゃしょぼかったもんな。どの作品とはいわないけど。
 こういうのを書こうとおもったら、乾くるみ 『セブン』みたいにリアリティを捨ててしまうしかないよね。半端にリアリティを出そうとしたら確実に失敗する。


……とあまり期待せずにだまされたとおもって『プロパガンダゲーム』はゲームそのものだけじゃなく、そのゲームが考案された真相のほうもちゃんと練られていて説得力があった。

 ゲームそのものも読みごたえがあったし、ゲームの真相を暴いてそれに立ち向かう段階でもう一度楽しめた。


 また、登場人物がゲームを進めるための駒になっていないのもいい。
 この手の物語って、ひとりかふたりの主要登場人物をのぞけばバカばっかりになりがちなんだけど、『プロパガンダゲーム』に参加する八人は考え方やバックボーンはちがえどみんなそれぞれ賢い。とびきりのバカとか、他人の話をまったく聞かない自称天才とか、サイコパスとか、ストーリーを作者の都合よく進めるためだけに作られた単純なキャラクターがいない。
 まあ「社会に対して強い関心・持論を持っている」という系統ばかりなので似通っているにはいるが、大手広告代理店の入社試験を受ける学生なんてだいたいそんなもんだから不自然ではない。

 まず「就活の選考の一環としてのゲーム」という設定がよくできている。
 なぜなら、実際にこういう変な選考をする会社はけっこうあるから。ユニークな選考方法をとりいれている会社、というのはニュースでよく耳にする。
 だから学生にこういうゲームをさせることは不自然でないし、学生側にも真剣にゲームに参加する理由がある。じつによくできた設定だ。
「極限状態に追い詰められた人間の姿を見るためにどっかの金持ちが酔狂ではじめたゲーム」という安い設定だと興醒めだからね。

 たかだか就活にしては金と手間をかけすぎじゃねえか、という疑問も湧くが、ちゃんとその疑問に対する答えも作中で提示されている。
 うーん、つくづくよくできているなあ。むずかしいことをやっているのに、ほとんどボロが出ない。

 ぼくが気になったのは
「チームメンバーの中にスパイがいることがはじめに告知されているのに、みんなスパイに対して無警戒すぎ」
ってことぐらい。

 この手の「オリジナルゲームで知恵を使って戦う物語」としては相当よくできている小説だ。


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【読書感想文】乾くるみ 『セブン』



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