2020年12月17日木曜日

【読書感想文】女が見た性産業 / 田房 永子『男しか行けない場所に女が行ってきました』

男しか行けない場所に女が行ってきました

田房 永子

内容(e-honより)
世の中(男社会)には驚愕(恐怖)スポットがいっぱい!エロ本の取材現場を「女目線」で覗いて気づいた「男社会」の真実。


 かつてエロ本のライター・漫画家をやっていた著者による「女から見た性風俗/男」の話。

 なんていうか、著者のもやもや感がひしひしと伝わってきた。著者自身もまだうまく整理できていないんじゃないだろうか。
 風俗産業は男に都合よくできている、それは女性を人間扱いしていない、でもそれはそれなりのニーズがある、そんな風俗産業を必要としている男がいる、必要としている女もいる、自分自身もエロ本で仕事をしていた、だから一方的に断罪はできないがでもやっぱり変じゃないか……。という苦悩がストレートにぶつけられている。

 だから著者は男にとって都合よく作られた風俗もエロ産業も否定はしない。ただ「男にとって都合のよい世界だ」という事実を指摘し、同時に「女にとって都合のよい性風俗がもっとあってもよいのではないか」という希望を書いている。


 そう考えてみると、自分が10代の頃、周りがセックスをしはじめた時、くわえ方とか握り方とか、みんな彼氏から教わっていた。女から男への施しは、まず男のほうからの「こうして欲しい」という要望からはじまるのが、習わし、ぐらいの感じだった。そして、セックスがはじめての10代の女から、男に対して「こうして欲しい」と言うなんていうのは「概念」すらなかった。まず、男のほうからフンガフンガとむしゃぶりついてきて、それに対応しながら自分の気持ちよさを探すという受動的な感じだった。そこに「演技」が存在するのは当然だ。男たちが「演技してるんじゃないか」という点にやたら心配しているのが謎だったが、それはセックスの前提として、「男の体については、男が知っている」「女の体についても、最初は男のほうが知っている」みたいな法則、いや「知っているということにしておきたい」という願望が、男側にあるからじゃないだろうか。男は特に10代後半、20代前半の頃は往々にして女に対して威張りたがるところがある。女よりも物知りで頭がよい風に振る舞いたがる。現実がそれと違う場合は、自己を改めるのではなく不機嫌になることで女側に圧力を感じさせ「すごい」と言うように誘導する。そういった特徴は男によく見られる。
 女は、男のように思春期の頃からオナニーしたり自分の性器に興味を持つことを肯定されてこなかった。そういった背景と、男の特徴と圧力により、「女の体については男のほうが知っている」かのように女も思ってしまう。セックスする前から、女の「演技」ははじまっているのである。

 ぼくもたいへんエロ本のお世話になっていたし、そこに書かれていることの八割ぐらいは真に受けていた。
「〇〇するのは女がヤりたがっているサイン!!」なんて記事を読んで本気にしていた。

 考えてみれば、性に関する知識を得る場ってものすごく限られてるんだよね。
「教科書に載っている表面的なお勉強知識」か
「エロ本に載っている眉唾話」か
「実践で得た知識」しかない。極端だ。
 先輩・友人から聞いた話だってそのいずれかだし、今はエロ本じゃなくてインターネットになったんだろうけど書かれている話の信憑性は大して変わらない。基本的に「男にとって都合のよい話」であふれている。

 BLや宝塚歌劇のようにフィクションとして楽しめばいいんだけど、問題は「男にとって都合のよい話を男は信じてしまう」ことなんだよな。
 いやほんと、「電車の中で痴漢されたがっている女の見分け方」なんて記事はほんとに犯罪を誘発してる可能性あるからね。「男の願望だから」で済まされる話じゃない。

 でも昔に比べれば「女から見た性」についても語られる機会が増えた。インターネットという匿名/半匿名で語ることのできるメディアができたおかげで。
 本当に少しずつではあるけど、「性の世界の主導権を握るのは男」という状況は変わってきているのかもしれない。




〝健康な〟男たちはいつでも、自分を軸にものごとを考える。ヤリマンの話をすれば「俺もやりたい」と口に出したり、「ヤリマン=当然俺ともセックスする女」と思って行動するし、男の同性愛者の話をすれば「俺、狙われる。怖い」と露骨に怯えたりする。そこに、「他者の気持ち」「他者側の選ぶ権利」が存在することをすっ飛ばして、まず「俺」を登場させる。そのとてつもない屈託のなさに、いつも閉口させられる。理由は、「だってヤリマンじゃん」「だってゲイじゃん」のみ。
 自分が「男」という属性に所属している限り、揺るがない権利のようなものがあると彼らは感じているように、私には思える。それは彼らが小さい頃から全面的に「彼らの欲望」を肯定されてきた証しとも言えるのではないだろうか。

 なんのかんの言っても、この社会はヘテロの男を中心にできている。

〝自分が「男」という属性に所属している限り、揺るがない権利のようなものがあると彼らは感じているように、私には思える。〟
 この文章はぼくに突き刺さった。ぼく自身、まさにそうおもっていたからだ。いや、そうおもっていることにすら気づいていなかった。ほんとに無意識に享受していたから。

 べつに「男が女に欲情するのは当然のこと」と考えることはいいんだよ。生物として当然のことだし。
 でも、だったら「女が欲情するのも当然の権利」「ゲイが男に欲情するのも当然の権利」と考えなくてはならないし、自分が望まない性的願望の対象になることも受け入れなくてはならない。だけどほとんどのヘテロ男性は「それは気持ち悪い」と考える。
「若い男が性的にやんちゃするのはむしろ健全」とおもう一方で、「ぶさいくな女が色気出すんじゃねえよ」「あいつゲイなの。俺もエロい目で見られてんじゃねえのか、気持ち悪い」と考える。考えるだけでなく、ときには平然と口にする。その権利が自分たちだけにあるとおもっている。




  AVモデル(セミプロみたいな感じ)をしている女性と話したときの感想。

 かなちゃんは私ともすごく友好的に話してくれて、私も心から「いい子だな」と思ったし、もっと話してみたくなった。しかし私自身とはものすごく離れた存在だと思った。
 私はそういう人たちや現象に人一倍興味を持っているくせに、同時に警戒している人間だから、遠い。警戒は、軽蔑とも言い換えられる。尊敬も軽蔑も、「自分にはできないと認める」という意味では、同じことだと思った。
 私はかなちゃんみたいな自分の力ひとつで稼いで一人暮らししている女の子をものすごく尊敬もしてるけど、同時に軽蔑もしてるんだ、と分かった。今まで、風俗嬢やAV嬢に対して自分が持っている、蔑みと劣等感、矛盾した過剰な感情、これは尊敬と軽蔑、どっちなのだろうかという思いがあった。それが、両方であるということが分かって、「敬蔑しているんだ」と自分で認めることができて、すごくスッキリとした。

 そうなんだよ。ほとんどの人のAV女優に対する接し方って「穢れた商売をしている劣った存在」とみなすか、あるいは逆に「AV女優マジ天使、超リスペクト」みたいな感じで、いずれにせよ同等の人間と見ていない。
 ぼくらと同じように飯食って寝てクソして笑って怒って泣いて……という同じ感情を持った人間として見ていない気がする。もちろんぼくも。

 だってつらいもん。AVに出ている人たちが、自分や、友だちや、家族と同じような人間だと認めてしまうと、社会の矛盾に押しつぶされてしまいそうになるもの。どっか自分とはぜんぜん違う世界に生きている人たちだとおもいたい。

 早く精巧なフィギュアやVRが性産業の主役になって生身の人間にとってかわるといいなあ。でも性産業って女性の最後のセーフティーネットみたいになっているので、それがなくなってしまうのははたしていいことなんだろうか……。


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2020年12月16日水曜日

いちぶんがく その2

ルール

■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。




突発的なテロを除けば基本的に治安は良い。


(JOJO『世界の女が僕を待っている』より)




「ハローワークでわかったんだけど、おれの単純な属性で判断されると、そんなものなんだよ」


(村上 龍『55歳からのハローライフ』より)




隷属する喜びというのは確かにあるのだ。


(櫛木 理宇『寄居虫女』より)




いきなりターミネーターばりの図体のでかいのが入ってきて、赤ん坊に「はい、あーん」と食べさせようとすれば。


(松原 始『カラスの教科書』より)




「絵の中にいる人間は、絵なんて描かないもんよ」


(山田 詠美『放課後の音符』より)




「萌え」というのは「萌える対象」があって始まるものではなく、「萌えたい」というこちら側の内側の都合で始まっていくものなのだ。


(堀井 憲一郎『やさしさをまとった殲滅の時代』より)




現状の制度の何がいけないのかがよくわからないまま、変えることだけが先に決まっているように見えることさえあるのだ。


(中村 高康『暴走する能力主義 ── 教育と現代社会の病理』より)




よくしゃべるが聞く素養がなくおもしろくもない鬼から恋愛相談をされるとか、さすが地獄である。


(津村 記久子『浮遊霊ブラジル』より)




だが民主制のもとで選挙が果たす重要性を考えれば、多数決を安易に採用するのは、思考停止というより、もはや文化的奇習の一種である。


(坂井 豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』より)




今日も元気だ、小便が旨い。


(石川 拓治『37日間漂流船長 あきらめたから、生きられた』より)





2020年12月15日火曜日

ルーツをたどる旅に出てしまう病

 どうも男は歳をとると、ルーツをたどる旅をしたくなるらしい。

『ファミリーヒストリー』というNHKの番組があるが、あの番組のゲストも男性が多い。
 男のほうが自身のルーツを気にするようだ。
 もしかしたら、男は苗字が変わらないことが多いのでルーツを意識しやすいのかも。完全夫婦別姓になったら女もルーツも気にするようになるのかも。


 図書館や大きい書店にはたいてい「郷土史」のコーナーがある。
 そこそこのスペースをとっているからわりと売れるのだろう。
 まことに勝手な憶測だが、おじいちゃんしか読んでいないイメージだ。


 ショートショートの神様と言われる星新一氏も、父親の生涯を書いた『人民は弱し官吏は強し』『明治・父・アメリカ』や、祖父の伝記である『祖父・小金井良精の記』といった著作を残している。

 漫画の神様・手塚治虫氏も『陽だまりの樹』で自身の曽祖父である手塚良仙について書いている(手塚治虫の曽祖父が江戸時代の人だと考えると、江戸時代ってけっこう近いなという気がする)。

 その分野の頂点を極めると先祖について調べたくなるものなのかもしれない。




 ぼくの祖父も晩年、若くして亡くなった父親(つまりぼくの曽祖父)のことを調べていた。

 曽祖父は裁判官をしていて法律の本を出したりもしていたので、古本屋をめぐって父親の著書を探していた。
 ぼくも祖父から「もし古本屋で〇〇(曾祖父の名前)の書いた本があったら教えて」と言われていた。

 残念ながらほどなくして祖父はガンで亡くなってしまった。おそらく曽祖父の著書には出会うことはなかった。


 こないだ国会図書館のWebサイトで著作権の切れた本が閲覧できると知ったので、曽祖父の名前で検索してみた。
 あった。めずらしい名前なのでまちがいない。
 鉄道法に関する著書を出していた。戦前の鉄道法に関する本。こんなもの誰も読まない。古本屋ですら店頭に並ぶことはないだろう。

 たぶんぼくが読まなかったらもう誰も読まないだろうな……。永遠に忘れ去られてしまうんだろうな……。
 会ったこともない人だけど、ぼくの曽祖父。この人がいなかったらぼくは生まれていなかった。

 なんらかの形でこの人のことを残したほうがよいのでは。おじいちゃんの遺志をぼくが引き継ぐ使命があるのでは……という気になってきた。


 はっ。いかんいかん。

 これは中高年男性が罹患しやすい「自分のルーツをたどる旅に出てしまう病」の初期症状だ。

 あやうく図書館の郷土史コーナーに通い詰めて先祖の伝記を執筆して自費出版してしまうところだった。
 そうなったらもう手遅れだ。あぶないところだった。


2020年12月14日月曜日

【読書感想文】車と引き換えに売られる食の安全 / 山田 正彦『売り渡される食の安全』

売り渡される食の安全

山田 正彦

内容(e-honより)
私たちの暮らしや健康の礎である食の安心安全が脅かされている。日本の農業政策を見続けてきた著者が、種子法廃止の裏側にある政府、巨大企業の思惑を暴く。さらに、政権のやり方に黙っていられない、と立ち上がった地方のうねりも紹介する。

 堤未果さんの『日本が売られる』『(株)貧困大国アメリカ』、高野誠鮮、木村秋則両氏による『日本農業再生論』などで書かれていたことが、いよいよ現実になろうとしている。
 日本の農業が海外の大手企業に売られようとしている。日本政府の手によって。

 モンサント社というアメリカの会社があった(今は買収されてバイエルになった)。
 グリホサートという農薬を作り、その農薬に耐性を持つ遺伝子組み換え作物などを販売している会社だ。
 グリホサートは人体に害をもたらすことがわかり、今は世界各国で使用が厳しく規制されている。また遺伝子組み換え食品も安全性が証明されていないため、遺伝子組み換え食品であることの表示がスーパーやレストランで義務化されている。

 が、世界的な流れに逆行するように、グリホサートの仕様基準をゆるめ、遺伝子組み換え食品を販売しやすくしている国がある。日本だ。

 これまで見てきたように、世界では有機栽培への流れが加速している。アメリカやEU、韓国はもちろん、ロシア、中国もあらたなビジネスチャンスとして国を挙げて後押ししている。世界のそういった流れのまったく逆を行くのが、驚くことに日本だ。
(中略)
 2017年1月、厚生労働省は、突然グリホサートの残留基準を緩和した。
 小麦はそれまで5ppmだったのが、一気に6倍に引きあげられて30ppmに、ソバは0.2ppmから150倍の30ppmへ、ひまわりは0.1ppmから400倍の40ppmへそれぞれ緩和された。
 厚生労働省は、グリホサートに発がん性などが認められず、一生涯にわたって毎日摂取し続けても健康への悪影響がないと推定される一日あたりの摂取量として設定したという。もちろん、額面通りに受け取ることはできない。
 第五章で記したように、EUをはじめとして、世界はグリホサートの使用を禁止する方向へ動いている。アメリカの裁判でもモンサントが発がん性を認識しながらも隠蔽を行っていたことが明らかになり、巨額の賠償金を命じられている。世界の動きを知らないのか。

『売り渡される食の安全』には、日本の農業が世界の流れに逆行する姿がくりかえし書かれている。

「国家が主導して遺伝子組み換え作物を使わせようとする」
「既存の種を保護するための法律を撤廃し、種子保護のための予算を削減する」
「グリホサートの残留基準を緩和する」
「遺伝子組み換えでないことを表示するための基準を達成不可能なレベルに厳しくして、実質的にすべての食品が表示できなくする」
といった、政府・農水省の動きが紹介されている。

 そんなばかな、とおもうだろう。
 なぜ日本政府が率先して食の安全を海外に売り渡そうとするのか、と。
 そんなことをするはずがないじゃないか、と。

 だが、著者(元農林水産大臣)は、政府が食の安全を売り飛ばしている背景をこう分析している。
 たとえばアメリカが日本車に高い関税を課すのを避けるために、代わりに農業を差しだしている、と。日本の農業市場を明け渡すことで、工業製品への関税をお目こぼししてもらおうとしているのだと。

 これは著者の推測だが、だいたいあっているだろうとぼくもおもう。
 たとえば今年(2020年)、日本政策投資銀行が日産自動車へ融資した1800億円のうち、1300億円に政府保証を付けていた。もしも日産自動車が返済不能になっても1300億円は国が補填する、ということだ。税金を使って一企業を保護しているわけだ。
 コロナで困っている企業、団体、個人は山ほどいるのに、国が真っ先に保護しているのは自動車メーカーだった。
 また、医療機関がひっ迫している中でGoToキャンペーンをやっていることを見れば、ある業種を守るために他の業種を切り捨てることぐらいは今の政府なら平気でやるだろうなとおもう。


 海外では厳しく規制されている農薬・遺伝子組み換え食品が日本では積極的に売られている。
 とすれば、農薬・遺伝子組み換え作物を作っている企業からすると日本は絶好の狩り場だ。どんどん参入する。
「日本の食べ物は安全」とおもっているのは日本だけで、世界的にはまったく信頼されていないということが『日本農業再生論』にも書かれていた。




 農業や水は生命に直結するものなので、経済的な損得だけで判断してはいけない。「半年間農産物の供給がストップしますがつらいのはみんな同じです。がんばって乗りこえていきましょう!」というわけにはいかないからだ。
 割高になっても安定的に供給するシステムを守っていかなくてはならない。

 だが、ここ十年ほどの日本政府は規制緩和の名のもとにどんどん農業や水や医療といった市場を海外に向けて開放している。
 参入が増えれば価格は下がり、一時的に消費者は恩恵を被るだろう。だが万が一の事態に(たとえば世界的大凶作になったときに)資本家たちは「日本市場は利益にならんから手を引くわ」となる可能性がある。
 そうならないように種子法を含む様々な法律で(一見不利益に見えても)インフラを守ってきたのだが、その仕組みがどんどん破壊されている。

 どう考えても話が逆だ。
 自動車は自由競争に任せればいい。日本の自動車が売れないなら代わりの産業を築かなくてはならない。じっさい、国を挙げて自動車産業を保護しているうちに、非ガソリン車の分野で日本メーカーはどんどん遅れをとろうとしている。そりゃそうだろう。売れなくなっても国が守ってくれるんだもの。

 人類の歴史を振り返れば、たとえば19世紀なかごろのアイルランドではジャガイモ飢饉によってもたらされた飢えや伝染病によって、100万人を超える犠牲者が出たとされている。主食としていたジャガイモが、北アメリカ大陸からもちこまれたと見られる葉枯病でほぼ全滅となったことが原因だった。当時のアイルランドでは、1種類のジャガイモだけが栽培されていたようだ。瞬く間に蔓延していった葉枯病に対抗しうる手段は残念ながらなかった。
 第二次世界大戦後、ロックフェラーなどの財団が「緑の革命」として、イリ米と称して化学肥料を多用させて多収穫を目指す品種がアジア一円に広がった。ところがウイルスに感染して、アジアのお米は全滅に近い被害をこうむった。幸い、インドにあった一品種がウイルスに耐性を持っていて、救われた。日本でも、第一章で記したが、93年の冷害で甚大な影響が出た。このような例は枚挙にいとまがない。
 多様な品種が存在するからこそ、予期せぬ気候変動や突然のウイルスの感染、病害虫の大量発生などから、生きていくうえで欠かせない米を救うことができる。日本は地域ごとに土壌や気候の多様性に富んでいる。特定のエリアでしか栽培されていない品種は、地域振興を進めていくうえでの看板をも担ってきた。くり返しになるが種子法によって、米作りが公的な制度や予算で支えられる状況が維持されてきたからにほかならない。
 種子法の廃止や農業競争力強化支援法によって、民間企業の進出がさらに促されればどうなるか。
 株式会社では利益を生み出すことが何よりも優先される。コストや労力をかけて数多くの品種を維持するよりは、同一品種を広域的かつ効果的に生産していくだろう。政府が掲げる品種数の集約が進めば、リスクが高まることは自明の理なのである。

 今回のコロナ騒動を見れば、自然を予測・制御することは不可能だとわかる。

 均質な遺伝子を持った作物を育てていれば、病気の蔓延や害虫の大量発生などがあった場合に全滅してしまう可能性がある。
 たとえば日本にあるソメイヨシノはすべて元は一本の樹なので、遺伝子がまったく一緒だ。ソメイヨシノに強い病気が流行ったらあっという間に全滅してしまうだろう。ソメイヨシノなら「花見ができなくて残念だ」で済むが、米や小麦なら命にかかわる。

 農業に関しては非効率でも多様性を残し、国が保護しなきゃいけないよね。
 今回のコロナで、「ムダがないと何かあったときに対応できない」ということがみんな骨身にしみてわかっただろうし。


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2020年12月11日金曜日

【読書感想文】今ある差別は差別でない / 北村 英哉・唐沢 穣『偏見や差別はなぜ起こる?』

偏見や差別はなぜ起こる?

心理メカニズムの解明と現象の分析

北村 英哉  唐沢 穣

内容(e-honより)
必然か?解決可能か?偏見や差別の問題に、心理学はどのように迫り、解決への道筋を示すことができるのか。第一線の研究者が解説した決定版。


 まるで教科書のような本だった。
 もっとはっきり言うと、つまらない。国籍、障害、見た目、性別、性嗜好、年齢などいろんな分野の差別・偏見の問題を網羅的に取り扱ってはいるのだが、網羅的すぎて引っかかりがないというか……。
 教科書を読んでいるみたいだった。
 うん、そうだった。教科書ってつまらなかった。ひととおり過不足なく書いてるんだけど、その過不足のなさがつまらなかった。おもしろいのは〝過剰〟な部分だからね。




 この例のような微かな偏見や、その偏見を手がかりとした差別は現実にも実行されている。ただし、差別をしている者は、自分が差別しているという自覚をもたず、自分のことを平等主義的だと信じ込む傾向があり、彼らはさらに、差別される側に同情的であり、少数派集団の人たちに対しての好意や同情を積極的に示そうとすることもある。この無自覚の偏見がふとしたはずみで表に出ることもあるが、そこで本人が自分の偏見や差別に気づくとは限らない。ここでの偏見や差別は何らかの形で正当化され、差別した当人は自分のことを平等主義的だと思い続けることができる。たとえば、少数派集団の一人に嫌な感じを抱いたとしても、その感情が自分の偏見から生じた敵意や嫌悪であるとは考えず、そのときやりとりしていた相手の個人としての言動が自分に嫌な感じを抱かせるものだったと考えることができ、結果的に当人の偏見は放置され、微かな差別が続いていく。

 これは常々おもっている。
「自分は差別をしていない」「これは差別とおもわれたら困るんだけど」みたいなことを言う人間こそが差別丸出しの発言をする。
 差別であることを責められても「誤解を招いたのであれば申し訳ない」と謝罪にならない謝罪で切り抜ける。

 人は差別や偏見からは逃れられないのだとおもう。なぜならそれこそが知恵だから。
「集団Aのメンバーが悪いことをした。集団Aのまた別のメンバーも悪いことをした。集団Aは悪いやつらだ」
と判断することで、人間は生きぬいてきたのだから。
 偏見を持たない人間は生きられなかった。「先月あそこに行ったやつが死んだ。先月べつのやつが行って死んだ。でもまあおれは大丈夫だろう」と考える人間は命を落とす確率が高くて子孫を残せなかった。
 偏見を持つ人間の子孫が我々なのだから、偏見を持たないわけがない。
 ぼくもリベラリストを気取ってはいるが内心では××や△△をバカにしまくってるし。

 偏見を持たないのはバカだけだ(これこそ偏見かもしれないが)。
 必然的に差別もなくならない。
 そもそも差別だって合理的な理由をつけられる場合がほとんどだからね。「高齢者は身体的能力も知的吸収力も衰えるので採用しません」ってのは年齢差別だけどほとんどの人はそこに一定の合理性を感じるだろう。

 だから「差別をなくそう」ではなく、「差別感情がなるべく実害につながりにくい世の中にしよう」ぐらいの目標を立てたほうがいいよね。




 以前、『差別かそうじゃないかを線引きするたったひとつの基準』という文章を書いた。
 世の中には「許されない差別」と「許される区別」がある。

 たとえば「女性だから採用しません」は、力仕事とかでないかぎりは言ってはいけないことになっている。
「〇〇地域の人は採用しません」もダメだ。
 でも「三十代までしか採用しません」は原則ダメだがほとんどの会社がやっている。
「応募資格:大卒以上」は堂々と掲げられている。
 大卒以上がよくて男性のみがダメな理由を論理的に説明できる人はいないだろう。なぜならそこに論理的な違いはなく、「今まで慣例的におこなわれてきた線引きかどうか」だけで判断しているからだ。


『偏見や差別はなぜ起こる?』では、差別が起こる理由として「システム正当化理論」が紹介されている。

 ジョン・ジョストらは、我々がこのような不公正な現状に折り合いをつけようとするプロセスを、システム正当化理論(systemjustificationtheory)で統合的に説明しようと試みている。この理論によると、人には現状の社会システムを、そこに存在しているという理由のみで正当化しようとする動機(システム正当化動機)がある。なぜなら、人は不確実で無秩序な状態を嫌うがゆえ、たとえ現状のシステムに問題があったとしても、それを織り込んだうえで予測可能な社会の方がはるかに心地よいと考えるからである。現状の社会秩序の肯定は、恵まれた、社会的に優位な集団の成員にとっては自尊心の高揚にもつながり精神状態を安定させる。恵まれない、社会的に劣った集団に属する成員にとっては、現状の肯定は自尊心を低下させ精神状態の悪化につながる。しかし同時に、現状を受け入れさえすれば、「なぜ私はこのような恵まれない集団に属しているのか」という、個人レベルでは解決が困難な問いからは解放される。個人や所属集団の成功に対する関心が薄い場合、恵まれない劣位集団において現状のシステムを受け入れる傾向はさらに強くなるという。

 この説明はすごくしっくりくる。

 そうなのだ。
 我々は絶対的な正/悪の基準を持っているような気になっているが、そんなものはない。
「今あるものは正しい。今認めらていないものは悪い」で判断しているだけだ。

 だから「男子校・女子校はOK。でも血液型A型しか入れないA型校は差別」とおもってしまうのだ。本質的な違いはないのに。

 自分の信ずるもの、頼るものの一つが権威や現状の社会のあり方そのもの(現状肯定)であった場合には、これを批判する者が敵に見えてしまう。自分が大切にするものの価値を貶める言説に出会うと屈辱感を感じる。ここにも現状肯定派と改革派との根深い対立の芽がある。本来、同じ社会で生きる者は、互いに知恵を出し合って、みんながより生きやすく、住みやすくしていく改善策があるのならば、改善とその方法を議論し、共有していくことが理想的であろう。しかし、現状を肯定するあまり、そうした「改善」についてもみずからの存立基盤を脅かす批判をなすものとして、過剰に警戒し、敵意を抱くといった反応が呼び覚まされることがあるのだ。
 議論を勝ち負けの勝負、競争と見てしまうと、たとえみずからが利益を享受するような改革であってもみずからが提案、主導したもの以外はすべて敵意をもって対するといった非合理的な対応が現実に現れることになる。議論や交渉という場をどのような枠組み、フレーミングで理解するかといった解決態度の違いによって不毛な対立を続けたり、それを避けたりすることができるのだ。

 この姿勢は政治や政策に対する議論でもよく見られるよね。
 今のシステムを最良のものとみなして、それにそぐわない案は(たとえ改善案であっても)すべて否定する姿勢。

 日本政府を批判すると「そんなに日本が嫌なら日本から出ていけ!」という人たち。
 日本が好きだからより良くしたいのに……という正論はそういう人には通じない。なぜなら彼らにとっては常に「今が最良」なのだから。


 偏見・差別に関する議論よりも、この「システム正当化理論」についてもっと深掘りしてほしかったな。
 システム正当化理論に関する本を探してるんだけどなかなか見つからないんだよな……。


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差別かそうじゃないかを線引きするたったひとつの基準

刺青お断り



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