魔力の胎動
東野 圭吾
最近、読むのに迷ったら東野圭吾の小説を手に取ることが多い。よりくわしく書くと、あんまりむずかしいものは読みたくない、かといって中身がなさすぎるのもイヤ、読んでから後悔したくない、もっといえば本を選ぶことにエネルギーを消費したくない、つまりあまり気力がないときに選ぶのが東野圭吾作品ということだ。
東野圭吾なら大ハズレはないよね、だ。
今作はその期待にちょうど応えてくれる作品だった。ほどほどにおもしろくてほどほどに骨があってほどほどに退屈。
正直言って、最近の東野圭吾作品には昔ほどの鋭い切れ味はない。うなるようなトリックとか、ミステリ界に風穴を開けてやろうとするような実験的作品はあまり見られない。その代わり、技巧はぐんと増した。ちょっとしたアイデアでも、その洗練された技術で充分読み応えのある作品にしてみせる。丁寧に仕込んだ煮物みたいな味わい。びっくりするほどおいしいわけではないが、毎日食べても飽きが来ないような味。
『魔力の胎動』は、『ラプラスの魔女』の続篇にあたる短篇集だ。
ある事故をきっかけに「物理的な動きを予見する能力」を身につけた少女がキーマンとなっている。
個人的には『ラプラスの魔女』は、東野圭吾作品にはめずらしくハズレ作品だった。まず導入が冗長で、さらに設定もいいかげんで「物理的な動きを予見する能力」だったはずが他人将来の行動を予測したり、話術で他人の行動を操ったり、ずるずると最初の設定がくずれてゆく。SFはルールをきちんと守るから成り立つのに、何の説明もなくルール無用の万能能力者になってしまうのだからSFの体をなしていなかった。
ということで『魔力の胎動』はちょっと警戒しながら読んだのだが、本作はさすがの東野圭吾クオリティ。ちゃんと「物理的な動きを予見する能力」のルールを守っていて、心を読んだり人を操ったりといった反則はしない。
また「物理的な動きを予見する能力」が重要なカギではあるが、それはあくまで小道具のひとつ。登場人物たちの心情の揺れがメインである。能力頼りの荒唐無稽な小説ではない。
「記録を伸ばすために風の力を借りたいスキージャンプ選手」「ナックルボールを捕れなくなってしまったキャッチャー」「あのときああしていれば、と過去を悔やむ父親」「恋人が死んだのは自殺だったのではないかと自分を責めるピアニスト」などの悩みのために、前述の動きを予見する能力を活かす。
とはいえ能力で快刀乱麻を断つようにずばっと解決、とはならず、あくまで問題解決のための一助である。最終的に事態を切り開くのは自分自身だ。
このあたりの塩梅がちょうどいい。超能力で事件を解決してもつまんないもんね。
「そこそこおもしろいものを読みたい」という期待に応えてくれる連作短篇集だったが、最後の『魔力の胎動』 だけは期待外れだった。
『ラプラスの魔女』の前日譚のような話なのだが、はっきり言ってこれだけ読んでもつまらない。『ラプラスの魔女』を読んだのは何年か前なので細かいところはもう忘れちゃったしな。『ラプラスの魔女』とセットで読ませたいのならそっちに収録してくれ。
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