日本人のための怒りかた講座
パオロ・マッツァリーノ
ぼくも「怒れない日本人」だった。
腹が立つことがあっても
「いちいち波風を立てるより自分が我慢すればいいや」
とおもうことが多い。
でも最近ちょっとは見ず知らずの他人に注意できるようになった。
ついこないだも、マンションのエレベーター内で犬を歩かせている人に(うちのマンションをペット禁止ではないが共用スペースを歩かせるのは禁止)「犬は歩かせないでくださいね」と言った。
電車の列に割り込もうとしてくるおばさんに「後ろに並んでくださいね」と注意したこともある。
ぼくが他人に注意できるようになったのは子育てをしているせいかもしれない。
子どもと接しているとどうしても叱ることが増える。
子どもは一般常識を持っていないから「言わなくてもいつかわかってくれるだろ」が通用しない。言わなきゃわからない(ほんとは大人もそうなんだけど)。
それに「この子をそこそこの常識を持った大人に育てる」という社会に対する使命感があるから、「自分が我慢すればいいや」というわけにもいかない。
で、子ども相手に叱っているとよその子も叱れるようになる。よその子を叱れるようになるとよその大人も叱れるようになる(怖い人のぞく)。
そのうちに有効な注意の仕方もわかってきた。
怒りをぶつけても反発されるだけ、あいまいな叱り方をしても響かない、皮肉も通じない、具体的に「〇〇して」と要求を伝えるのがいちばん有効。
これは三歳児相手でもおっさんでもおばさんでも年寄りでもだいたい同じだ。
「こら!」とか「周りの迷惑を考えろ!」なんて叱っても相手を怒らせるだけで意味がない。迷惑行為をする人はそれがたいした迷惑じゃないとおもっているからやっているわけで。
自分の常識を押しつけようとしたってうまくいくわけがない。
「あなたがやっている〇〇は私にとって不愉快だから今この場ではやめてください」
これぐらいが適切だし、限界だとおもう。いついかなるときも正しい行いを他人に求める権利までは市民は持っていない。
「タバコのポイ捨てはやめてくれ」と言われて心を入れ替えてすっぱりやめるような人間はそもそもはじめからポイ捨てしないでしょう。
マッツァリーノ氏の主張はこうだ。
迷惑をかけている他人に注意すべき。
我慢したって自分のストレスが溜まるだけ。
注意したって改めてもらえるとはかぎらないが言わないよりは言ったほうが可能性があるだけマシ。
ただし深追いはいけない。聞き入れられなくてもあきらめる。喧嘩をしたり相手を貶めるのが目的ではなく、行動を改めてほしいだけなのだから。
できる範囲でかまわない。怖い相手には言わなくたっていい。
首尾一貫してなくていい。自分が注意したいときだけでいい。
しごくもっともだ。
(ちなみに後半の体罰やペットの話はおもしろいけどテーマがずれるし氏のブログの再掲なので、この本にまとめるのはいかがなものか)
タイトルには「怒りかた講座」とあるが、これは適切ではない(あえて不適切な言葉を使っているのだろう)。
氏が主張し、実践するのは「怒る」ではなく「交渉する」だ。
「それをやめてくれないか」と、相手への敬意をある程度示した上で頼む。
正義のためではない。あくまで自分が快適に生きるために。
時代が変わっても人間の性質は変わらない。
昔も今も迷惑な人間はいて、それに眉をひそめる人間もいて、けれどその大半は見て見ぬふり。
マッツァリーノ氏は言う。「昔は悪いことをしたら叱ってくれるがんこ親父がいたもんだ」と語る人間は多いが「私は悪いやつを叱る」という人間は少ない、と。
みんな「誰かが嫌な役目を引き受けてくれないかな」と虫のいい期待を抱いているだけで、自分がなんとかしようとはおもわない。これでは社会は変わらない。
とはいえ社会は少しずつ変わっている。
全体としては、迷惑行為は減ってきているとはおもう。ゆるやかにではあるけど。
昔よりは分煙もされているし、セクハラ、パワハラ、アルハラなんて言葉もできて弱い立場の権利が守られるようになってきた。
少しずつだけど「誰もが暮らしやすい社会」に向けて前進してきている。
それは、わずかではあるけど声を上げた人がいるからだろう。
煙たがられても声を上げた人が。
たぶん最初に「セクハラはやめて!」と言いだした人は「なんだよブスのくせに。お高くとまってんじゃねえよ」的な反応を浴びたことだろう。
それでも、そういう人がいたから多くの人が後に続きやすくなったのだ。
迷惑なことは我慢をせずに声を上げたほうがいい。無理のない範囲で。
マッツァリーノ氏も書いているが、「こんな小さなこと」で怒れない人は、大きなことだともっと怒れない。
政治家の不正に声を上げたときに「そんな些細なことを問題視するよりもっと大事なことがあるだろ」と言う人がいるが、その手の人が「もっと大事なこと」をきちんと批判しているのを見たことがない。
現代人の脳がネアンデルタール人よりも小さいのは「自己家畜化」したからだという説があるが、「こんなささいなことで怒るなんて」と抑えている人は自己家畜化している真っ最中なのだろう。
感情を制御できない大人はみっともないけど、怒りの感情を完全に抑えることは社会を悪くする。
学校でも職場でも怒りを抑えることばかり求められるけど、抑えるんじゃなく適正な言葉で表出する方法を教えないといけないね。
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