2022年11月30日水曜日

【コント】麺のかたさ

「麺の硬さ、かため、ふつう、やわらかめと選べますけど」

「かためで」

「あと接客態度もかため、ふつう、やわらかめの中から選べますけど

「なにそれ。そんなのあんの。じゃあおもしろそうだから、かためで」

「本日は数ある飲食店の中から当店をご選択いただき誠にありがとうございます。お客様の一生の思い出になるべく、従業員一同……」

「かたいな! ラーメン屋とはおもえないかたさだ。やっぱりやわらかめにして」

「ちょっと山ちゃん、ずいぶんごぶさたじゃなーい。きれいな女の子がいる他のお店に浮気してたんじゃないのー?」

「うわ、いきつけのスナックの距離感! こういうの苦手だわ、やっぱりふつうで」

「うちの店は黙ってラーメンを食う店だ。おしゃべりは禁止、撮影も禁止、スマホは電源食ってくれ。おれのやりかたが気に入らないやつは今すぐ出てってくれ」

「それがふつうなのかよ。こんなのいやだ、やっぱりかために戻して!」

「……」

「すみませーん!」

「……」

「おーい! 聞こえてるでしょー!!」

「……」

「普通じゃなくて不通じゃないか!」



2022年11月29日火曜日

【読書感想文】特掃隊長『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』 / 自宅で死にたくなくなる本

特殊清掃

死体と向き合った男の20年の記録

特掃隊長

内容(e-honより)
人気ブログ『特殊清掃「戦う男たち」』から生まれた書籍が携書となって登場!「特殊清掃」とは、遺体痕処理から不用品撤去・遺品処理・ゴミ部屋清掃・消臭・消毒・害虫駆除まで行う作業のこと。通常の清掃業者では対応できない業務をメインに活動する著者が、孤立死や自殺が増え続けるこの時代にあって、その凄惨な現場の後始末をするなかで見た「死」と、その向こう側に見えてくる「生」のさまざまな形。


「特殊清掃」とは、主に孤独死した遺体が見つかった現場で清掃をする仕事のこと。その特殊清掃(特掃)に従事している著者のブログ記事をまとめたもの。

 ぼくが実際に見たことのある遺体は祖父母のものだけ。病院で息を引き取り、ちゃんと死化粧してもらっていたので、まるで人形のようなきれいな遺体だった。

 だが実際の死はそんなきれいなものばかりではない。孤独死して誰にも気づかれないと、遺体は腐る。聞くところによると、とんでもない悪臭が発生するという。おまけに遺体は腐敗し、虫が集まってくる。とんでもなく凄惨な現場になるだろうというのは想像がつく。

 ……とはおもっていたのだが、想像を超えてくる内容だった。

 腐呂の特掃には一定の手法がある。
 汗と涙と試行錯誤の末に導き出された、私なりのやり方があるのだ。だから、いまは、特掃をはじめたころの悪戦苦闘ぶりと比べればずいぶんとスマートにできるようになった。そうはいっても、その過酷さは特掃のなかでもハイレベル。
 手や腕はもちろん、身体はハンパじゃなく汚れるし、作業中に気持ちがくじけそうになることも何度となくある。そして、悪臭なんかは、身体のなかに染み込んでいるんじゃないかと思うくらいに付着する。心を苦悩まみれにし、身体を汚物まみれにしてこその汚腐呂特掃なのだ。

「ん? なんだ?」
 作業も終盤になり、浴槽内のドロドロもだいぶ少なくなってきたころ、底の方に銀色に光るものが見えてきた。
「は? 歯?」
 指で摘み上げてみると、それは白く細長い人間の歯だった。
 それには銀色の治療痕があり、故人が、間違いなく生きた人間であったことをリアルに伝えてきた。

「うあ! こんなにある」
 よく見ると、銀色の歯は浴槽の底に散在。手で探してみると、次から次へと出てきた。その数は、遺体の腐敗がかなり進んでいたことを物語っていた。

 おおお。

 浴槽の底に歯が溜まるということは、身体はどれだけ溶けているのか……。ほとんどゼリー状になっているということだろう。人体がゼリー状に溶けた風呂の水……。どれほどの悪臭を放つのか想像すらできない。

 家の中での死は風呂場での死が多いという。転倒事故や、血圧の変化によるショック死のせいで。ひとり暮らしで浴槽で死に、そのまま長期間気づかれないと、こんなことになってしまうのか……。風呂に入るのがおそろしくなるな。




 よく「自宅の布団の上で死にたい」という言葉を耳にする。

 しかし、特殊清掃の仕事について知れば、そうも言っていられなくなる。

「死ぬことは怖くないけれど、長患いして苦しむのはイヤだね」
「そうですね……」
 望み通り、長思いもせず住み慣れた我が家でポックリ逝くことは、本人にとってはいいかもしれない。しかし、場合によっては残された人が長患いしてしまう可能性がある。
「〝部屋でポックリ死にたい〟なんて、気持ちはわかるけどお勧めはできないよなぁ……」
 内心、私はそう思った。

 男性の頭には、死んだ人の身体がどうなっていくかなんて、まったくないみたいだった。そして、男性同様、一般の人も、自分が死んだ後に残る身体については、あまり深くは考えないのかもしれない。せいぜい、〝最期はなにを着せてもらおうかな?〟などと考えるくらい。あとは、〝遺骨はどうしようか〟などと思うくらいか。やはり、自分の身体が腐っていく状況を想定している人は少ないだろう。だから、自宅でポックリ逝くことを安易に(?)望むのかもしれない。その志向自体が悪いわけではないが、残念ながら、現実はそう簡単でなかったりするのだ。

 家族と同居していて、死んでもすぐに発見してもらえるのであれば、自宅で死ぬのあ幸せかもしれない。しかし、孤独死して、誰にも気づかれず、腐り、ウジが湧き、悪臭を放つことを考えれば、とても自宅での死がいいとは言えない。いくら死んだら意識はないとはいえ、やっぱり死んだ後に己の身体が腐るのは嫌だ。掃除をする人にも申し訳ないし。




 ぼくはわりと死に対してはドライなところがあって、死ぬこと自体はそんなに怖くない。特に子どもが生まれてからは「もう生物としての役目は果たしたのでいつ死んでもあきらめはつくかな」という心境になった。生命保険にも入ってるし。

 仮に余命一ヶ月を宣告されても、それなりに落ち着いて死ねるんじゃないか、とおもっている。まあ実際そうなったらめちゃくちゃうろたえるのかもしれないけど。

 その代わり、子どもの死が怖くなった。考えたくないけど、ついつい考えてしまう。特に娘が赤ちゃんの頃は毎日びくびくしていた。落っことしただけで死んでしまいそうな、あまりにかよわい生き物と暮らすのはなかなかおそろしい。自分の余命一ヶ月は「そんなものか」と受け入れられるかもしれないが、子どもの余命一ヶ月はとても平静ではいられないだろう。

 自分の子だけでなく、よその子、さらには見ず知らずの子ですら死はつらい。子どもが自己や事件で死ぬニュースを見ると、気持ちが落ち着かない。たぶんぼくだけではないのだろう、特に子どもの死に関するニュースは人々の反応も過剰になっている。


 何か特別なことがない限り、納棺式には遺族が立ち会うことがほとんど。なのに、この男児の家族は誰も来なかった。
 それでも私は「冷たい家族だ」なんて思わなかった。
 亡くなった子どもに対して愛情がないから来ないのではないことを、痛いほど感じたからだ。
 遺体のかたわらに置かれた山ほどのオモチャやお菓子が、両親の想いを代弁しているようでもあった。

 具体的な事情を知る由もない私は、黙々と仕事をするしかなかった。
 両親がこの場に来ることができない理由を考えると切なかった。

 両親は、我が子の死が受け入れ難く、とても遺体を見ることができなかったのかも……。
 温かみをもって動いていた息子が、死を境に冷たく硬直していったことを、頭が理解しても心が理解しなかったのかも……。
 我が子を手厚く葬ってやりたい気持ちと、その死を認めざるを得ない恐怖とを戦わせていたのかもしれなかった。
 他人の私には、胸を引き裂かれたに値する両親の喪失感を計り知ることはできなかったが、単なる同情を越えた胸の痛みを覚えた。

「他人の不幸を蜜の味とし、他人の幸せを妬ましく思う」
 私という汚物は、そんな心の影を持っている。
「他人の不幸を真に気の毒に思わず、他人の幸せを真に喜ばず」
 それが、私の本性なのだ。

 しかし、他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみとするような人間に憧れもある。ほんの少しでいい、死ぬまでにはそんな人間になってみたいと思う。

 もし自分だったら。冷たくなった我が子に向き合えるだろうか。遺体を目の前にして死を受けいれられるだろうか。

 自分の死は「受けいれられるだろうな」とおもうぼくでも、イエスと答える自信はない。




 清掃作業についてそこまで克明に描写しているわけではないが、とんでもなくハードな仕事だということは容易に想像がつく。給料がいくらかは知らないが「いくらもらってもやりたくない」という人が大多数だろう。

 そんな中、著者はさすがプロだけあって、できるだけ感情を抑えながら特殊清掃という仕事に取り組んでいる様子がこの本からうかがえる。

 そんな著者が、めずらしく取り乱した状況。

 何枚かあった写真を一枚一枚顔に近づけて、何度も何度も見直した。
なんと、写真に写っていた人物は、私が見知った人だった!

 いきなり、心臓がバクバクしはじめて、「まさか! 人違いだろ!?」「人違いであってくれ!」と思いながら夢中で名前を確認できるものを探した。
 氏名はすぐに判明し、力が抜けた。残念ながら、やはり故人はその人だった。
 心臓の鼓動は不規則になり、呼吸するのも苦しく感じるくらいに気が動転した!

 故人とは、二人で遊ぶほどの親しい間柄ではなかったが、あることを通じて知り合い、複数の人を交えて何度か飲食したり話をする機会があった。見積り時は、縁が切れてからすでに何年も経っていたが、関わりがあった当時のことが昨日のことにように甦ってきた。

 彼は当時、かなり羽振りがよさそうにしていて、高級外車に乗っていた。
 高級住宅街に住んでいることも自慢していた。
 自慢話が多い人で、自分の能力にも生き様にも自信満々。
 かなりの年齢差があったので軽く扱われるのは仕方がなかったけれど、正直言うとあま好きなタイプの人物ではなかった。
 しかし、「(経済的・社会的に)自分もいつかはこういう風になりたいもんだなぁ」と羨ましくも思っていた。

 その人が、首を吊って自殺した。  そして、目の前にはその人の腐乱痕が広がり、ウジは這い回りハエは飛び交っている。
 自分がいままで持っていた価値観の一つが崩れた瞬間でもあった。
 しかも、よりによってその後始末に自分が来ているなんて……。気分的にはとっとと逃げ出して、この現実を忘れたかった。
 身体に力が入らないまま、とりあえず見積り作業を済ませて、そそくさと現場を離れた。
 そのときの私は、「この仕事は、やりたくない……」と思っていた。

 数々の凄惨な遺体を見てきたプロでも、やはり生前の姿を知っている人の遺体はまた別のようだ。好きじゃない人であっても。

 聞くところによれば、外科医は決して自分の身内の手術は担当しないという。百戦錬磨の名医でも、身内に対しては冷静でいられないそうだ。


 遺体ってなんだろうね。

 心は脳にあって、身体は代えの利く物体。理屈としてはそうでも、やはり人間は知人の身体を「物体」とはおもえないらしい。たとえとっくに死んでいても。

 ニュースで、戦死した人、震災で行方不明になった人、拉致被害者などの「遺骨を見つけて遺族が喜ぶ」という報道を見る。もちろん生きているほうがいいから喜ぶというのは適切な表現ではないかもしれないけど、残された身内の心境としては「生きている > 死んでいて遺骨が見つかる > 死んでいて遺骨も見つからない」なのだろう。

 ここでも、遺体はただの物体ではない。


 星新一の短篇に『死体ばんざい』という作品がある。それぞれの事情で死体を欲する人たちが、一体の死体の争奪戦をくりひろげるというブラックユーモアに満ちた小説だ。あの小説を読んで楽しめるのは、それが「誰なのかわからない」死体だからだ(最後には明らかになるが)。キャラクターのある死体であれば、嫌悪感のほうが強くてとても楽しめないだろう。

 人間にとって「知っている人の死体」と「知らない人の死体」はまったく別物のようだ。


【関連記事】

【読書感想文】計画殺人に向かない都市は? / 上野 正彦『死体は知っている』

【読書感想文】“OUT”から“IN”への逆襲 / 桐野 夏生『OUT』



 その他の読書感想文はこちら


2022年11月28日月曜日

【読書感想文】鈴木 仁志『司法占領』 / 弁護士業界の裏話

司法占領

鈴木 仁志

内容(e-honより)
二〇二〇年代の日本。経済制圧に続き司法の世界も容赦なく、アメリカン・スタンダード一色に塗りつぶされてしまった。利益追求型の米資本法律事務所には正義は不要。司法の“主権”さえも失った日本は、もう日本ではなくなっていた。実力現役弁護士が、迫り来る司法の危機を生々しく描いたリーガルサスペンス。

 弁護士である著者が、弁護士業界を舞台に書いた小説。小説の舞台は2020年だが、刊行された当時は「近未来小説」として書かれたわけだ。今では過去になってしまったけど。


 はっきり言ってしまうと、小説としてはうまくない。文章も、構成も、人物造形も、これといって目を惹くものはない。特に第一章『ロースクール』に関しては丸々なくても成立していて(おまけにこの章の主人公である教授はその後ほとんど登場しない)、蛇足といってもいい。

 書かれていることも、ロースクール生の退廃、外資ローファームの日本での暗躍、社内での悪質なパワハラやセクハラ、弁護士の就職難、仕事に困った弁護士が悪事に手を染める様など、あれこれ書きすぎて散漫な印象を受ける。終わってみれば平凡な完全懲悪ものだったし。


 とはいえ、小説としてのうまさははなから期待していないのでそんなことはどうでもいい。こっちが読みたいのは業界暴露話なのだから。

「弁護士業界の裏側をのぞき見したい」という下世話な期待には、ちゃんと応えてくれる小説だった。

(できることなら小説じゃなくてノンフィクションとして書いてくれたほうがおもしろく読めたんだけど、フィクションを織り交ぜないと書きにくいこともあったんだろうね)




 2000年頃、日本の弁護士の数は大きく増えた。ロースクール(法科大学院)ができたのがちょうどぼくが大学生の頃で、周りにもロースクールを目指す知人がいた。これからは弁護士になりやすくなるぜ、と意気揚々としていたが、彼がその後弁護士になれたのかは知らない。ただ、弁護士の数が増えるということは一人あたりの案件は減るわけで、そう楽な道ではなかっただろう。とりわけ若手弁護士にとっては。

「一九九〇年代まで年間五百人程度だった司法試験の合格者が、二〇一〇年には三千人になってる」
「随分とまた極端ですよね」
「そうだろう。一体誰がこんな急激な増員を推し進めたと思う?」
「……」
「裏を返せば、誰がこの大増員で一番得をしたか」
「誰が一番得をしたか……。教科書的には、市民のアクセス確保のための増員ということになってますよね」
「そう。しかしね、二〇〇〇年当時、一般市民の間で『弁護士を増やしてくれ』なんていう世論が湧き上がったことは一度もなかったんだよ。選挙の争点になったこともなければ、草の根運動が起こったこともない。たまにマスコミが煽ってもほとんど反応はなかった。一般市民はね、裁判や弁護士なんて一生関わらないと思ってる人がほとんどだったんで、本当のところ、そんなに大きな関心を寄せてはいなかったんだな」

(中略)

「企業側としては、弁護士を増やすことより、社員法務スタッフを増やして、身内に『予防法務』や『リーガル・リスク・マネジメント』を行わせることこそが重要と考えていた。弁護士が巷に溢れて事件屋まがいの行動を起こすことは、逆にリーガル・リスクの典型として警戒してたんだな。要するに、経済界全体としては、弁護士の大量生産なんか積極的に望んではいなかったというわけだ」
「……」
「市民でもなく、経済界でもない。裁判所も法務省も、若手獲得のための漸次増員は主張していたが、極端な大増員には慎重論。弁護士会も一九九〇年代中頃までは大反対。それじゃ、弁護士の大量生産を強力に推し進めたのは一体誰なんだ?」
「……」
「一九九〇年代、司法の規制緩和を執拗にわが国に要求していたのは、アメリカだ。そして、弁護士大増員論が一気に本格化したのは一九九九年。その直前の一九九八年十月に、アメリカ政府は、『対日規制撤廃要求』のひとつとして、日本政府に『弁護士増員要求』をはっきりと突きつけてきている。これが偶然に見えるか?」

 ほとんどの人は、弁護士が増えることなど望んでいなかった。大半の市民にとっては弁護士のお世話になることなんて一生に一度あるかないかだったし、それは今でも変わっていない。

 調べてみたところ民事裁判の数は増えているどころか、20年前の半分以下に減っているそうだ。裁判だけが弁護士の仕事ではないとはいえ、裁判が減っていれば仕事の量も減っているのではないだろうか。

 仕事は減っている、けれど弁護士の数は大きく増えている。どうなるか。価格競争が起き、食いっぱぐれる弁護士が増え、中には良くない仕事に手を染める弁護士も出てくる。


「はあ」
「あのね、東京には弁護士なんか掃いて捨てるほどいますからね。仕事にありつくためには、事件を追っかけるか作るかしかないんですよ」
「作る?」
「そう」
「作るって、どうやって……」
「不安を煽ったり、喧嘩をけしかけたり、まあいろいろとね」
「あの、弁護士業って、争いを解決する仕事じゃないんですか?」
「そういう古い発想は早く捨てたほうがいいですよ。じゃないと、いつまで経っても勝ち組には入れないよ」
「勝ち組……」
「争いの芽を掘り起こして、丸く収まりかかっている案件をなんとか紛争にまで高めていくと。そうでもしなきゃ、とてもじゃないけど、安定した収入は得られないですよ」
「……」
「こんなこと、アメリカじゃ何十年も前から常識なんだけどね。日本はまだまだ遅れてるから……」

 ここまで露骨ではないけど、(最近は減ったが)少し前は電車内の広告が弁護士だらけだったことを考えると、これに近い状況は現実に起こっているんだろうな、とおもう。

 過払い金請求とか残業代請求とか、実際に弱者救済になっている部分もあるんだろうけど、とはいえあそこまで派手に広告出したりCM打ったりしているのを見ると、それだけじゃないんだろうなともおもう。


 つくづく、「困ったときに助けてくれる仕事」って需要以上に増やしちゃいけないんだろうなとおもう。医師も不足してるって言ってるけど、医師国家試験合格者の数を急に増やしたら、医療のほうもこんな感じになっちゃうんだろうな。

 病気でもなくて特に医療の必要性を感じていない人のところに「あなたこのままじゃ危ないですよ。この医療を受けたほうがいいですよ」って医者が言いに来る世の中。おお、ぞっとするぜ。


【関連記事】

【読書感想文】 烏賀陽 弘道『SLAPP スラップ訴訟とは何か』

【読書感想文】 瀬木 比呂志・清水 潔『裁判所の正体』



 その他の読書感想文はこちら


2022年11月25日金曜日

【読書感想文】岸本 佐知子『死ぬまでに行きたい海』 / ぼくにとっての世田谷代田

死ぬまでに行きたい海

岸本 佐知子

内容(e-honより)
焚火の思い出、猫の行方、不遇な駅、魅かれる山、夏の終わり―。“鬼”がつくほどの出不精を自認する著者が、それでも気になるあれこれに誘われて、気の向くままに出かけて綴った22篇。行く先々で出会う風景と脳裏をよぎる記憶があざやかに交錯する、新しくてどこか懐かしい見聞録。


 〝鬼〟がつくほどの出不精を自称する著者が、かねてより行きたかった場所に行ってみた体験をつづったエッセイ。

 といってもそこはさすが岸本さん、有名観光地や名刹古刹でもなければ、おもしろスポットでもない。「過去に働いていた会社があった街」だったり「かつて住んでいたけど嫌な思い出ばかりの土地」だったりで、岸本さん本人以外にとってはかなりどうでもいい場所だ。

 必然的に岸本さんが過ごした東京近郊が多く、この本に載っている目的地のうち、関西で生まれ育ったぼくが行ったことがあるのは丹波篠山だけだ。

 でも、行ったことのない土地の話ばかりなのに、このエッセイを読んでいてなんだか妙になつかしさを感じた。それは「岸本さんにとっての印象的な土地」のようなものがぼくにもあるからだ。忘れていた記憶を刺激してくれる文章。




 たとえばこの本で紹介されている「YRP野比駅」。京浜急行の駅だ。

 岸本さんは、この駅のことをまったくといっていいほど知らない。過去に行ったこともない。けれど気になる。なぜなら、変わった駅名だからだ。

 その独特の名前からあれこれ妄想をくりひろげる岸本さん。そしてついにその駅に降りたつ。「変な名前の駅の周辺には変な世界が広がっているのではないか」という妄想を確かめるため。


 ぼくにとってのYRP野比駅は、〝京コンピュータ前 神戸どうぶつ王国駅〟だ。

 この駅はずいぶん数奇な運命をたどっており、2006年に「ポートアイランド南駅」として誕生して以来、

 「ポートアイランド南」
→「ポートアイランド南 花鳥園前」
→「京コンピュータ前」
→「京コンピュータ前 神戸どうぶつ王国」
→「計算科学センター 神戸どうぶつ王国・「富岳」前」

と、めまぐるしく駅名を変更されている。たった15年で5回も新しい名前をつけられた駅はそうあるまい。

 ぼくが行ったのは、「京コンピュータ前 神戸どうぶつ王国駅」時代だった。仕事で近くに行く用事があり、ついでに寄ってみたのだ。なぜなら変な名前だったから。

 京コンピュータという未来っぽさと、神戸どうぶつ王国というレトロ感。そのアンバランスさがなんとも興味をそそった。マザーコンピュータが動物たちを操縦して人間たちに叛逆を企てる王国を建国、それが「京コンピュータ前 神戸どうぶつ王国駅」。そんな想像もふくらんだ。

 だが行ってみると「京コンピュータ前 神戸どうぶつ王国駅」には、駅前に閑散とした小さい動植物園がある以外は何にもない駅だった。大きなオフィスや研究施設が点在していて、通りには誰も歩いていない。住宅もなければ飲食店もない。コンビニすらない。そのあまりに無機質な感じが未来っぽくて最初はおもしろかったのだが、二分も歩くとすぐに飽きてしまった。だって何もないんだもの。

 こういうのは、じっさいに行ってみるんじゃなくて、心の中で「いつか行ってみたい」とおもうぐらいが楽しいのかもしれない。


 ぼくが気になる地名は、奈良県の「京終(きょうばて)」と滋賀県の「朽木村(くつきむら)」と和歌山県の「すさみ町」だ。どれも行ったことがないが、終末感が漂っていて味わい深い。

 京が終わると書いて京終。平城京のはずれにあったからだそうだ。しかし「終」が含まれる地名は全国でも相当めずらしいんじゃないだろうか。世界の終わりみたいな感じがする。

 朽木村のほうは平成の大合併により今は存在しない。昔、バス停で「朽木村行き」という案内を見つけ、就活で疲れていたこともあり、おもわず飛び乗ってしまいそうになった。金田一耕助の事件の舞台になりそうな名前だ、朽木村。あのときバスに飛び乗っていたら殺人事件に巻きこまれて帰らぬ人となっていたかもしれない。

 すさみ町もネーミングがいい。てっきり「人々の生活が荒(すさ)んでいるからすさみ町」かとおもったら、そうではなく(あたりまえか)由来は周参見という地名らしい。だったら漢字のままでいいのに、なぜわざわざひらがなにしてしまうのか。さらにすさみ町には「ソビエト」と呼ばれる小島がある。地元の人が「ソビエト」と呼んでいるそうだが、なぜそう呼ばれるようになったかは不明らしく、なんとも気になる存在だ。誰か、すさみ町のソビエトの由来を解き明かすSF小説を書いてくれ。




 特に共感したのは「世田谷代田」の章だ。
 世田谷代田は小田急線いち不遇な駅だ。
 新宿から見て下北沢の一つ先、急行にも準急にも素通りされる、各駅停車しか停まらない小さな駅。
 小田急線の駅は十年くらい前から徐々に地下化が進んで改装されたが、ほかの駅がつぎつぎきれいになるなか、なぜか世田谷代田は最後の最後まで放置され、いつまで経ってもホームは吹きっさらし、幅が異様に狭くて端のほうは人ひとり立つのもやっと、ベンチも壁板も古びた木製で、最果ての地の無人駅のような風情のままだった。
 三浦しをんの『木暮荘物語』に、世田谷代田駅のホームの柱から水色の男根そっくりのキノコが生えるという話が出てくる。長く小田急線を利用している人なら納得だろう。柱からキノコ、それもそんな色と形のキノコが生えてしまうような状況が、世田谷代田ほど似合う駅はない。
 何年か前にダイヤが大幅に改正され、従来の急行、準急に加えて、準急と各停の中間のような電車が導入されたが、このときも世田谷代田はコケにされた。経堂を出たその何とか準急は、豪徳寺、梅ヶ丘と停車したあと、世田谷代田だけ通過して下北沢に停まった。まるで世田谷代田をいじめるためだけに考えだされた電車のようだった。
 そう、世田谷代田駅はクラスのいじめられっ子だった。そして、そんな世田谷代田のことを気にかけながら一度も降りてみようとしなかった私も、いじめに加担したのと同じことだった。

 ぼくにとっての世田谷代田は、阪急中津駅だ。

 阪急ユーザーならわかるだろう。中津は昔から不遇をかこっている。

 じっさいのところは中津駅の乗降客数はそこそこいる。決して多いとは言えないが、中津よりも利用されない駅はたくさんある。

 じゃあなんで中津が不憫なのかというと、梅田と十三という大きな駅の間に挟まれていて、「通る電車の数はものすごく多いのに止まる電車は少ない」という状況にあるからだ。

 なにしろ、中津駅は特急や急行が止まらないのはもちろんのこと、なんと普通電車の一部も止まらないのだ。梅田と十三の間には宝塚線・神戸線・京都線という三つの路線が走っているが、京都線は中津駅を通るのに決して止まらない。すべて素通りだ。こんなひどいことがあるだろうか。

 なぜ普通電車すら中津駅に止まらないかというと、止まる場所がないからだ。中津駅はめちゃくちゃ狭い。だからこれ以上電車が止まれないのだ。


中津駅のホーム
Wikipedia「中津駅」より

 どう、このホームの狭さ。ホームでは「白線の内側にお下がりください」というアナウンスが流れるが、中津駅では白線の内側に一人やっと立てるぐらいのスペースしかない。車いすやベビーカーの人なんかは、白線の内側に下がったまますれちがうのは不可能だろう。

 だから、阪急沿線に住んでいるほとんどの人にとっては、中津駅は「素通りするためだけにある駅」なのだ。不憫であり、不憫であるがゆえにちょっぴり愛おしい。

 ぼくは一度だけ近くの病院に行くために中津駅を利用したことがあって「ついにあの中津駅に降りたっている……!」とふしぎな感動をおぼえたことを記憶している。




 ふつうは紀行文というと見知らぬ土地をテーマにするのだろうが『死ぬまでに行きたい海』で訪れる土地は、岸本さんの見知った土地が多い。

 ぼくも出不精なので、この気持ちはわかる。見ず知らずの土地に行くよりも、どっちかというとなつかしい場所に行きたい。

 そういや唐突におもいだしたんだけど、高校のときに好きだった女の子と話していて、ふたりとも生まれた場所が同じだということを知った。三つほど隣の市だ。ぼくは半ば強引に「生まれた場所を見にいこう!」と彼女を誘った。これがぼくの初デートだ。

 もっとも、そこで五歳まで育ったぼくのほうはかすかに覚えている場所もあったけど、二歳までしか住んでいなかった彼女のほうはまったく記憶がないらしく(あたりまえだ)、退屈そうにしていた。

 言うまでもないが、二度目のデートはなかった。




 岸本さんの過去エッセイの、いつのまにか異次元に連れていかれる文章とはちょっとちがって現実よりだが、それでもどこか浮世離れした語り口は健在。

あの時の私は、風呂の排水口の縁をくるくる回る虫みたいに、あやうく別の世界に吸いこまれかけたのではないか。

 名文だなあ、これ。


【関連記事】

【読書感想】岸本 佐知子『気になる部分』

【読書感想文】これまで言語化してこなかった感情/岸本 佐知子『なんらかの事情』



 その他の読書感想文はこちら



2022年11月24日木曜日

混雑している電車内で奥へとお詰めできない人間にも人権を!

 どうかみなさん、混雑している電車内で奥へとお詰めできない人間を差別しないでください。

 混雑している電車内で奥へとお詰めできない人間は、混雑している電車内で奥へとお詰めしたくなくて混雑している電車内で奥へとお詰めしないわけではないのです。彼らにはその能力がないのです。ふつうの人なら難なくできる、混雑している電車内で奥へとお詰めするという行動が、彼らにとっては至難の業なのです。

 彼らには生まれもったハンデがあるだけなのです。ですから、混雑している電車内で奥へとお詰めできないことを理由に、彼らを糾弾しないであげてください。


 混雑している電車内で扉付近に立ったまま、頑として動こうとしない人。

 扉のまわりが混雑していて奥がすいているのに、一歩たりとも動こうとしない人。

 自分が一歩移動すれば他の人たちが奥に詰めることができて車内全体の混雑が緩和されるのに、その一歩を踏みださない人。

 そのくせ、大勢の人が降りる駅についてもやはり扉付近に立ち止まったまま乗降の妨げになっている人。

 たしかに多くの人に迷惑をかけています。けれどそれは彼らのせいではありません。社会全体の問題なのです。


 私たちは、ひとりひとり違います。まったく同じ人間なんてどこにもいません。

 スポーツが苦手な人、上手にしゃべれない人、うまく歌えない人、眼が見えない人、手足が不自由な人、混雑している電車内で奥へとお詰めできない人。

 ひとりひとり違いはあります。すべてにおいて完璧な人などいません。でも、だからこそこの世界はおもしろいのです。

 お互い差異を認めて、許し、助け合って生きていこうではありませんか。


 そして。

 混雑している電車内で奥へとお詰めできない人間だけでなく、人通りが多い場所で立ち止まらずにはいられない人間や、傘を振り回さずに歩くことのできない気の毒な人間や、狭い道で横に広がって歩かずにはいられない人間にもどうか我々と同じ人権を!