2022年4月21日木曜日

【読書感想文】東野 圭吾『マスカレード・ホテル』/ 鮮やかすぎる伏線回収

マスカレード・ホテル

東野 圭吾

内容(e-honより)
都内で起きた不可解な連続殺人事件。容疑者もターゲットも不明。残された暗号から判明したのは、次の犯行場所が一流ホテル・コルテシア東京ということのみ。若き刑事・新田浩介は、ホテルマンに化けて潜入捜査に就くことを命じられる。彼を教育するのは、女性フロントクラークの山岸尚美。次から次へと怪しげな客たちが訪れる中、二人は真相に辿り着けるのか!?いま幕が開く傑作新シリーズ。


 ここ十年か二十年ぐらいかなあ、急激に増えたじゃない。「お仕事がんばる女性小説」が。

 慣れない仕事に戸惑い苦労しながらも、優しい先輩やお客様からの感謝の言葉に助けられ、少しずつ成長する若い女性を描いた朝ドラのような小説。その職業に関する蘊蓄と、そよ風のようなユーモアらしきものがちりばめられた小説。たいがいクソつまらない小説。あっ、ごめんなさい、クソつまらない「お仕事がんばる女性小説」を濫造してる出版社のみなさん。


「お仕事がんばる女性小説は鬼門」という認識があったので『マスカレード・ホテル』を読みはじめてすぐに「おっと、ホテルで働く女性が主人公か……」と身構えたのだが、すぐに杞憂だとわかった。さすがは東野圭吾氏。お仕事がんばる女性を主人公にしながら、ちゃあんとおもしろい。


「連続殺人事件が発生。犯人の殺害予告から、次の事件は一流ホテル・コルテシア東京で発生する可能性が高いことがわかった。だが容疑者はもちろん日時も被害者も不明。そこで刑事がホテルマンの恰好をして潜入することになる」
という少々無理のある設定。だが強引なのは最初だけで、以降は細かい設定を貼りつつ丁寧に話を進めていく。

 ホテルマン蘊蓄なんかも入れてくるのだが、それが単なる蘊蓄披露にとどまらない。ちゃんとストーリーに活かされている。
 おまけに細かいエピソードのどれひとつとっても無駄がない。ちょっとしたエピソードなのだが、
「この一件のおかげで登場人物の性格がわかる」
「この一件のおかげで主人公の心境が変化する」
「この一件のおかげで殺人事件を推理するヒントが見つかる」
といったぐあいに、すべてがゴールに向かって有機的につながっている。

「ホテルマンのお仕事」はあくまでストーリーを進めるための背景であって、「連続殺人事件の犯人逮捕」という大筋がしっかりしているから読みやすい。「お仕事がんばる女性小説」の多くは逆で、仕事情報を書くためにストーリーがあるんだよね。だからつまらない。




 この小説はシリーズ化されたり映画化されたりしているそうだが、読んでいて映像化に向いているなあとつくづくおもう。

 なんといっても「刑事がホテルマンになる」という設定が秀逸。現実にはありえないが、その非現実さを補って余りあるほどのギャップのおもしろさがある。

「すべてにおいてです。私はこの世界に入った時、感謝の気持ちを忘れるなと教えられました。お客様への感謝の気持ちがあれば、的確な応対、会話、礼儀、笑みなどは、特に訓練されなくても身体から滲み出てくるからです」
「その通りだね」
「ところがあの方は……いえ、おそらく警察官という人種は、他人を疑いの目でしか見ないのだと思います。この人物は何か悪いことをするのではないか、何か企んでいるのではないかという具合に、常に目を光らせているのです。考えてみれば当然です。それが職業なのですから。でも、そんなふうにしか人を見ることができない人間に、お客様への感謝の気持ちを忘れるなといっても無理です」

 刑事と接客というのは正反対の仕事だ。

 犯罪者を相手にして、目の前の相手を喜ばせる必要なんかまったくなく、ときには暴力も行使する必要のある刑事。優秀な刑事ほど接客には向いていないだろう。

 そして、接客業の中でも最高のサービスが求められるホテル。特に一流のホテルではマニュアルよりも「お客様を不快にさせない」ことが優先され、ルールを超えたホスピタリティあふれる対応が要求される。

 このまったく異質なものを組み合わせて、東野圭吾氏がミステリを書くんだからおもしろくないはずがない。


 尚美は頷き、吐息をついた。ブライダル課では、この手のことは頻繁にあるらしい。
 本来、結婚式は幸せを象徴する儀式だが、式を挙げる本人たちが幸せなだけで、誰もが心の底から祝福しているとはかぎらない。一生の伴侶として特定の異性を選んだ以上、当然ほかの人間は選ばれなかったわけだ。その中に、なぜ自分ではないのか、という不満を持つ者がいてもおかしくはない。不満程度ならいいが、それが憎しみに変わったりすれば話は厄介だ。何とかして式を台無しにしてやろうと画策し始めたりする。だからブライダル課では、相手の身元が確認できないかぎりは、式や披露宴に関する問い合わせには一切答えないきまりになっている。


 一流ホテルというのは単に泊まるだけの施設ではない。食事をしたり、人と会ったり、ベッドを共にしたり、秘密の話をしたり、結婚式をしたりする場でもある。そこには多くのドラマがある。
 と同時に、人はホテルでは気取ってしまう。かっこいい自分、上品な自分、一流ホテルに場慣れしているを演じてしまう。
 こんなにもホンネとタテマエが乖離する場所もそうそうないだろう。それを暴くだけでも、読んでいて楽しい。つくづく、いい設定だとおもう。




 東野圭吾さんはミステリ作家として語られることが多い。が、近年は「超一流ミステリ作家」にとどまらず「超一流作家」といってもいい。とにかく小説がうまい(直木賞の選考委員を任されるのも当然だ)。

 なにより感心したのが、伏線の張り方だ。

 ネタバレになるので書かないけど、犯人の初登場シーンがものすごくさりげない。たぶん初めて読んだときにこの人を犯人とおもう人はいない。それでいて、ちゃんと読者の印象に残る。だから犯人があの人だとわかったときは、漫画みたいに「まさかあの人が!?」と言いたくなる。

 いやあ。うまいよなあ。


「伏線のすごい小説」はめずらしくないけど、たいていわざとらしいんだよね。ああこの中途半端なエピソード、ぜったいに後で何かにつながるんだろうなあ、っての。

 そういうのって野暮ったいし、宙ぶらりんのまま頭に入れとく必要があるから、読んでいて疲れる。
 といってさりげなさすぎると忘れて「こいつ誰だっけ?」になっちゃう。

 『マスカレード・ホテル』の「一度きれいに処理したものをもういっぺんひっぱりだしてくる」やりかたはものすごく鮮やか。近年読んだ「伏線回収」の中でいちばん感心した。


 ぼくの大っ嫌いな「犯人が訊かれてもいないのに、最後の殺人を完了させる直前にべらべら動機やトリックを語る」パターンだったのでそこはマイナスだが(東野圭吾作品にはこれが多い)、それを差し引いても余りあるほどよくできた伏線回収だった。


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2022年4月20日水曜日

【読書感想文】深谷 忠記『審判』

審判

深谷 忠記

内容(e-honより)
女児誘拐殺人の罪に問われ、懲役十五年の刑を受けた柏木喬は刑を終え出所後、“私は殺していない!”というホームページを立ち上げ、冤罪を主張。殺された古畑麗の母親、古畑聖子に向けて意味深長な呼びかけを掲載する。さらに自白に追い込んだ元刑事・村上の周辺に頻繁に姿を現す柏木。その意図はいったい…。予想外の展開、衝撃の真相!柏木は本当に無実なのか?

 元刑事であり、定年退職後は家庭菜園や地域の防犯活動にのんびり取り組んでいた。彼のもとに、かつて女児誘拐殺人の容疑で逮捕して有罪に追い込んだ柏木が刑期を終えて現れる。彼は村上につきまとい、自身を有罪に決定づけた証拠は村上による捏造だったと語る。はたしてほんとに冤罪だったのか。そして真相は……。

 冤罪をテーマにしたミステリは少なくない。手軽に「はたして真犯人は?」という謎を生みだせる上に情感に訴えるテーマでもあるので小説の題材にはぴったりだ。ただ、冤罪を題材にしたミステリを何冊も読んだが、いずれもノンフィクションである清水潔 『殺人犯はそこにいる』にはおもしろさでかなわなかった。事実は小説よりも奇なりとはよくいったものだ。




『審判』は、冤罪を扱ったミステリとしては成功している部類だとおもう。中盤までは「またこのパターンか」「同じような話を何度くりかえすんだよ」「なかなか話が進まないな」とじれったかったが、後半はどんどんおもしろくなってきた。

「冤罪だったのかどうか」が主題となるのは中盤までで、後半からはまた別の謎がストーリーを引っ張る。真相も、ほどよくこちらの予想を裏切ってくれる。

 この〝ほどよく裏切ってくれる〟が良いミステリには欠かせない。裏切りのないミステリはつまらないが、〝裏切るだけ〟のミステリもつまらない。そしてこういう作品はわりと多い。特に昨今増えた気がする。

 作者としては「誰もやったことのないトリックで読者を騙したい」と考えるものだろうが、そういうのはたいていつまらない。「たしかに誰もやったことないけど、それはつまらないからやらなかっただけだろ……」とか「100回やって1回しか成功しないようなリスキーなトリックに人生をかけるかね……。そしてたまたまうまくいくかね……」とか「もはや復讐よりも犯罪をすること自体が目的になってるじゃないか」とか、読者を騙すことしか考えてなくて肝心の〝小説のおもしろさ〟をないがしろにしている作品ばかりだ。

「あなたは必ず騙される」「もう一度読み返したくなる」「ラスト〇行であっと驚く」的なキャッチコピーがついているミステリは要注意だ(それが書店員の手書き風POPだと危険度倍増だ)。
「おもしろくするために読者を騙す」ではなく「読者を騙すためにおもしろさを犠牲にしている」作品が多い。どの作品とは言わないけどさ。


 はっきりいって、そんなに毎回毎回あっと驚く仕掛けはいらないんだよ。特に目新しいトリックはなくてもおもしろいミステリはいっぱいあるんだから。ミステリ小説はパズルじゃなくて小説なんだから。

 その点、『審判』はほどほどに裏切りがあって、ほどほどに意外な真実がある。登場人物の行動の動機も「異常ではあるけど、人間追い詰められたらこれぐらいの異常行動はとるかもしれない」と思わせるぐらいのギリギリのラインを突いている。

 特にいいのは、ほとんどの登場人物が保身のために行動していることだ。「他人を守るため」「死んだアイツの代わりに復讐してやるんだ」みたいな動機は好きじゃない。そりゃあ他人のために行動することはあるけど、他人のための行動はそんなに長続きしないよ。
 いちばん長続きするモチベーションは「自分のため」それも「保身」だ。何かを得るためにがんばるのはしんどいが、得たものを失わないためになら人間はどこまでもがんばれる。
 保身のために動く登場人物は信用できる。


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2022年4月19日火曜日

ツイートまとめ 2021年12月



話せばわかる

今年の漢字

おおお

旅行の日の朝

マイナー

汚染

フードコート

非寿司

難読地名



2022年4月18日月曜日

いちぶんがく その12

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。




「悪事をなすときに慈悲のまねをするな」

(白石 一郎『海狼伝』より)





「それはお前さんの思ったとおり、わたしが頭のおかしな年寄りだからさ」

(キム・チョヨプ『わたしたちが光の速さで進めないなら』より)





同情しているつもりなのだろうけど、なんでしょう、この差別的な視線は。

(斎藤 美奈子『モダンガール論』より)





「楽しみだの、弱い奴らをいたぶるってのは、おもしろいもんだ」

(白石 一郎『孤島物語』より)




全員、観客に向けて話していたときとは違って、その声には皮を剥いた果物のような柔らかさがある。

(朝井 リョウ『どうしても生きてる』より)




例えば、東京の野球は「狡くて器用な江戸っ子野球」と呼ばれた。

(早坂 隆『幻の甲子園 ~昭和十七年の夏 戦時下の球児たち~』より)





さらに困ったことに、人間の脳には、自分が感情的に魅かれるものを「正しい」と合理化する機能が備わっています。

(橘 玲『不愉快なことには理由がある』より)




このとき仕入れた本は「あるエロじじいの蔵書」と名付けられ、売れ行きはかんばしくなかったものの、濃厚な雰囲気作りに貢献してくれた。

(北尾 トロ『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』より)





そのため、聖子の中の“鬼”は依然として活発に活動しているのだった。

(深谷忠記『審判』より)




日本人のようにきりきり突きつめて、錐のようになって心配ごとをほじくるような真似はせぬ。

(白石 一郎『海王伝』より)




 その他のいちぶんがく


2022年4月15日金曜日

【読書感想文】アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』 / 天動説的SF小説

幼年期の終り

アーサー・C・クラーク(著)  福島 正実(訳)

内容(「BOOK」データベースより)
ある日突然に宇宙から巨大な船団がやってきた。すべての国の大都市の上空を覆うかのように、その光り輝く宇宙船の群はじっと浮かんでいた。六日目のこと、船団を率いる宇宙人のカレルレン総督は強力な電波を通じて、非のうちどころのない英語で、人類に対し、第一声を発した。その演説にみなぎる、深い叡知と驚くべき知性…。地球人は知った。「人類はもはや孤独ではない」ことを。イギリスが生んだ、SFの巨匠アーサー・C・クラークによる本書は、20世紀を代表するSFの傑作です。上帝(オーバーロード)という超生物種族は、どうして地球に来訪したのか?そしてなぜ、ついに人類の前に意外な姿を現したのか?思いもよらぬエンディングで、地球と人類の未来を描きだし、私たちを驚愕させる、スリリングなSF巨編。

 SF古典作品。発表は1952年。

 宇宙から船団がやってきて、人類を監督するようになる。といっても圧倒的に科学力の高い彼らは地球人に対して強制力をともなうような行動はほとんどとらず、どちらかといえば庇護・教育といったほうが近い接し方をする。
 その結果、地球上からは争いや貧困が消え、同時に科学研究や芸術も進歩を止めてしまう。
 だが人類はそうした生活を受け入れ、数十年にわたり平和で穏やかな生活を享受する。だがあるときその日々は終わりを告げようとする……。


<以下ネタバレあり>


 異星人とのコンタクト、はるかに文明の進んだ生物による人類の精神的支配、宇宙旅行、相対性理論によるウラシマ現象、人類の終焉、新人類の誕生と、SF的要素がこれでもかと詰めこまれている。

 地球全体の変貌について語ったり、かとおもうと個人の葛藤を描いたり、視点はマクロとミクロをいったりきたり。おかげで壮大でありながらスピード感もあり、スリリングな展開を見せる。

 なるほど。名作と呼ばれるだけのことはある。

 が。

 発表当時は衝撃的な作品だったんだろうけど、今読んでも十分おもしろいかというと、首をかしげざるをえない。




 大まかなストーリー展開はいいとして、細部が甘いんだよね。科学力の進んだ宇宙人が来たからってそうはならんだろ、とおもうようなことが随所に見られる。

 たとえば……。

 それ以前のあらゆる時代を標準にしても、現在はまさしくユートピアだった。無知、疾病、貧困、恐怖などは、事実上もう存在しなかった。戦争の思い出は、悪魔が暁とともに消え去るように、過去へと消え失せていった。やがてそれはあらゆる人間の経験の埒外に置かれるようになるだろう。
(中略)人類の精力が建設的な方面へ向けられるとともに、地球は急速に変貌していった。いまでは、地球はほとんど文字どおり一つの新世界であった。幾世代ものあいだ人類に貢献してきた多くの都市が、つぎつぎに再建されるか、さもなければ、価値を失うと同時に放棄され、博物館の標本となっていった。こうした方法で、すでにかなりの都市が廃棄された結果、商工業の機構全体が一変してしまった。生産は大規模に機械化され、無人工場が絶えまなく消費物資を市場に送り出したので、一般の生活必需品は事実上無料になった。人間はただ自分の望む贅沢のために働くか、それともまったく働かないかのいずれかだった。
 世界は単一国家になった。かつての諸国家の古い名称はそのまま使われていたが、それはただ郵政事務上の便宜からにすぎなかった。世界のどこを探しても、英語を話せない者、読み書きのできない者はいなかった。テレビを受像できない地域はなかったし、二十四時間以内に地球の反対側を訪れることのできない者もなかった……。
 犯罪は事実上姿を消した。犯罪そのものが不必要になったからでもあり、不可能になったからでもあった。誰もが満ち足りた生活をしているときに、なぜ盗むことがあろう。しかも、あらゆる潜在的犯罪者は、オーバーロードの監視を逃れる術のないことを知っていた。その統治の初期に、彼らは法と秩序に代わって犯罪に対しすこぶる効果的な干渉を二、三おこなった。そのため、いまでもその教訓が生きているのだった。

 うーん。科学が進めば貧困がなくなるだろうか。人類の歴史を見れば確実に科学は進んで生産性は向上しているけど、貧富の差はぜんぜん縮まっていない。どっちかっていったら広がっているんじゃないだろうか。もちろん絶対的貧困(食うに困るほどの貧困)は減っているわけだけど。

「誰もが満ち足りた生活をしているときに、なぜ盗むことがあろう」も単純すぎる発想だとおもう。監視が強化されれば犯罪は減少するだろうが、どれだけ人々が豊かになったって犯罪がなくなることはないとおもう。

 人間を単純に考えすぎている。古典経済学の考え方なんだよね。「コインの裏が出れば10万円もらえて表が出たら9万円とられるギャンブルがあれば、ぜったいにやる」という発想。人間はもっと不合理な存在なんだよ。

 そしてひどいのが「英語を話せない者、読み書きのできない者はいなかった」。
 はい出たよ、英語ネイティブの傲慢。争いのない世の中になっても「英語が世界を支配する」という考えは捨てられない。骨の髄まで覇権主義が染みついているのかね。

 じっさいの世の中は科学が進み時代が進むにつれてどんどん多様性が認められる社会になっているわけだけど、アーサー・C・クラークはどんどん画一的になるとおもっていたらしい。

『幼年期の終り』には「文明が進んだ時代の設定なのにまだフィルムカメラを使っている」といった描写もあって、このへんはほほえましい未来予測失敗といえるけど、「文明が進めば画一化する」については致命的にずれている。天動説から出発して宇宙を語っているようなものだ。これでは説得力のあるほら話にならない。


 それに気づいたものはほとんどなかった──が、じつは、この宗教の没落は、科学の衰退と時を同じくして起こっていたのだった。世界には無数の技術家がひしめいていたが、人類の知識の最前線を延長すべく創造的な仕事に打ちこもうというものはほとんどなかった。好奇心はまだまだ旺盛だったし、そのための余暇も充分にあったはずなのだが、人々の心は地味な基礎的学術研究からまったく離れていた。オーバーロードがもう幾世代も前に発見してしまっているにちがいない秘密を一生を賭けて求めるなど、どう考えても無益に思えたからだろう。
 この衰退現象は、動物学、植物学、観測天文学といった記述科学の分野のはなはだしい開花によって、ある程度おおい隠されていた。これほど多くのアマチュア科学者たちが、ただたんに自分の楽しみのために競って事実を集めた時代はなかったろう──だが、これらの事実を関連づけようとする理論家は、ほとんどいないといっていいほどだった。
 あらゆる種類の不知や相剋が姿を消したことは、同時に、創造的芸術の事実上の壊滅を意味していた。素人たると玄人たるとを問わず、俳優と名乗るものは世に充満していたが、いっぽう、真に傑出した新しい文学、音楽、絵画、彫刻作品は、ここ二、三十年というものまったく出現していなかった。世界はいまだに、二度と還ることのない過去の栄光の中に生きつづけていたのだ。

 基礎科学が衰退する、というのはわからなくもない。めちゃくちゃ文明の進んだ宇宙人がやってきたら、地道な研究なんかやる気になれないよね。今の時代に「ゼロから電卓を開発してください」って言われるようなもんで、それやって何になるんですかという気持ちにしかなれない。

 しかし、芸術が衰退するというのはどうだろう。労働から解放されて、戦争や貧困や疾病もなくなって、科学研究にも関心がなくなったとしたら、もう芸術ぐらいしかやることないんじゃないの? という気になる。逆にめちゃくちゃ芸術が発展しそうな気がするけどなあ。ルネッサンスが起こった要因のひとつは、東方貿易によってイタリアが豊かになったことだと言われているし。

 この小説に出てくる地球人はほとんどが浅薄なんだよね。個々人にもっと葛藤や当惑があったはずなのに、そのへんがほとんど書かれていない。




 細部は甘いが、大枠のストーリーはおもしろかった。
 人類を管理・監督しているオーバーロード(上帝)よりも上位の存在であるオーバーマインドの概念とか。

 ただ、同時多発的に人類が進化するってのはむちゃくちゃすぎない? それはもう進化じゃなくて遺伝子操作ぐらいしないと起こらないでしょ。

 宇宙人の介入でそれが起こったってのならわかるけど、自然に、たった一代で、世界各地で、同時に、人類がまったく別の種になるってのはありえなさすぎる。いやSFだからありえないことが起こったっていいんだけど、もうちょっとマシな説明はつけられなかったのか。

 中盤まではおもしろかったけど、このあたりで急に醒めちゃったな。SFだからってなんでもありじゃないぜ。




 名作といわれるだけあって着想はすごくいいんだけど、今読むと細部がずいぶん粗いなあという気になる。

 いちばんおもしろかったのは、登場人物たちがコックリさんをやるところ。外国にもコックリさんってあるんだ。


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