2020年12月22日火曜日

M-1グランプリ2020の感想

 M-1グランプリ2020の感想


大会の運営について

 今年はコロナ禍の開催ということでいろんなものをそぎ落とした大会だった。結果的に、余計なものがなくなってすごく良かった。
 ほんと、M-1大好き芸能人に集まっていただきましたとか、アスリートによる抽選とか、誰がうれしいんだって感じだもんね。
 そういう無駄な要素がなくなって、その分審査員コメントとかが長くなって見ごたえがあった。コロナが収束してもこのままでやってほしい。

 あと、「一本目の上位組から、最終決戦の出番順を決める」→「一本目一位が三番手、二位が二番手、三位が一番手」になったのもよかった。
 あれ毎年無駄な時間だったもんね。みんな後から選ぶから。
 ぼくの記憶にあるかぎりでは、そうじゃない順番を選んだのは麒麟ぐらい。

 無駄な時間だった上に、最終決戦進出組にとっても「漫才と漫才の間にバラエティ的な立ち居振る舞いを求められる」ことでけっこう負担になってたんじゃないかな。あれがないほうがネタに集中できるよね。


1.インディアンス(敗者復活)

「昔ヤンキーだった」

 速いテンポで完成度の高い漫才をやっているからこそ、ところどころの穴が目立つ。構成の雑さが。
 去年は「おっさんみたいな彼女がほしい」というわけのわからん設定を客に納得させる前に話が進んでたが、今年は「ツッコミ側がわざと言い間違いをしてボケをアシストする」が打算的すぎて笑えなかった。
 わかるんだけど。フリの時間を短縮して笑いを詰め込むために、「ツッコミのフレーズそれ自体が次のボケにフリになっている」テクニックだということは。
 でもなあ。インディアンスの笑いって「どこまでが素のキャラクターなのかわからない笑い」だとおもうんだよね。練習の跡が見えてはいけない漫才。
「言い間違えた」ことにするんだったら、その後にハモリボケみたいな「がんばって練習しました」ボケを入れてはいけない。「罵声を美声と間違える」はボケ側がやらなきゃいけないとおもうよ。
 個人的にはこういう台本の粗さがあると笑えない。

 ただ去年よりは格段におもしろかったし、トップバッターとしてはこれ以上ないぐらいの盛り上げ方をしたので、そのへんはもっと評価されてもよかったのにな。毎年トップバッターで出てほしい。


2.東京ホテイソン

「謎解き」

 東京ホテイソンのスタイルを知っていたらおもしろいんだけど、これって初見の人はどう見たんだろう。
 一つめの笑いが起こるまですごく時間がかかるから序盤に自己紹介的な軽いボケがあってもよかったんじゃないかなとおもう。ツカミって大事だなあと改めて感じた。ツカミがあればもっとウケたんじゃないかな。
 劇場でおじいちゃんおばあちゃんの前でネタやってる吉本芸人だったら、「自分たちのことを知らない人でもまず笑えるツカミ」を入れるんじゃないかとおもう。

 あと、フレーズはおもしろいんだけど、自然な流れで出たフレーズではなく突然湧いて出てきたものだからなあ。話の流れで「アンミカドラゴン新大久保に出現」ってなったらめちゃくちゃおもしろいんだけど、脈略なく出てきたら「なんでもありじゃん」って気になってしまう。

 ちなみに数えてみたらボケ数が6個だった。もしかしたらM-1史上最少かもしれない。


3.ニューヨーク

「トークに軽犯罪が出てくる」

 時代にマッチしたネタ。「無料でマンガ全部読めるサイト」とか絶妙にいいとこを突いてくるなあ。でも審査員は全員わかったんだろうか。

 あぶなっかしい題材を笑いに変える技術はさすが。この題材を他のコンビがやってたらドン引きされてしまいそう。
 「現実にいる」レベルの悪いことを、後半「犬のうんこを食べた」とか「献血」とかで壊してくるところはよくできている。ただ、軽犯罪の対比として出てきた「選挙に行く」はべつに善行じゃないからなあ。選挙に行くのは自分のためだし。

「マッチングアプリで知り合った人妻とゲーセンでメダルゲーム」はすごくよかった。よく考えたらぜんぜん責められるようなことじゃないんだけどね。マッチングアプリで知り合った人妻とゲーセンでメダルゲームをしたって何の罪にもならないんだけど。でもなぜだろう、そこはかとなく漂うあやうさ。絶妙。


4.見取り図

「敏腕マネージャー」

 前にこのネタを観たときもおもったけど、見取り図はこういうコント漫才のほうがあってるとおもうんだよな。
 見取り図はツッコミの出で立ちや声量が強すぎて、ボケを上回ってしまうことがある。「そこまで厳しくツッコまなくても」と。
 その点、このネタはボケがとんでもなくヤバいやつなので、ツッコミが強くても違和感がない。立場的にも「大御所タレントとマネージャー」だったら強く言っていい関係だし。

 このコンビにマッチしたすごくいいネタだとおもう。二人の見た目も大御所芸人とマネージャーみたいだし。


5.おいでやすこが

「カラオケで盛り上がらない」

 ネタの強度がすごいね。元々こがけんがピンでやってるネタだから、ボケ単体でも笑える。そこにあの笑えるツッコミが乗っかるんだからそりゃあおもしろいに決まってる。ネタを前に観たことあるのに、それでもはじめて観たときと同じところで笑わされた。

 両者の持ち味がちょうどいい配分で発揮された、ピン芸人同士のコンビのネタとして完璧な出来栄え。
 またボケの「違和感があってすごく気持ち悪いんだけどでも即座におかしいと切り捨てるほどでもない」ぐらいの曲の作り方が絶妙。だからこそ、あの力強いツッコミでどかんと吹き飛ばしてくれるとすごく気持ちいい。ツッコミが飛ぶたびに爽快感があってもっともっと観たくなる。

 しかしあの絶叫ネタは漫才を正業にしていないコンビならではだよなあ。一日に何度も舞台に立つ正業漫才師だったら無理じゃなかろうか。


6.マヂカルラブリー

「高級フレンチ」

 準決勝のネタ(電車)を観たとき、いちばんどう評価されるかわからないと感じたのがマヂカルラブリーだった。文句なしにおもしろいんだけど、でも漫才としての掛け合いはぜんぜんないので、審査員からの評価は厳しいものになるかもしれないと感じていた。

 で、決勝。
 まずつかみが最高。せりあがってきた瞬間に大きな笑いが起こった。過去最速のつかみ。さらに「どうしても笑わせたい人がいる男です」で完全に場の空気を制した。
 あれだけつかんだからその後丁寧にフリをきかせても客はちゃんと聞いてくれる。いい構成。

 ネタも良かった。何がいいって、ナイフとフォークを斜めに置いて「終わりー」があること。あれがあるのとないのじゃ安心感がぜんぜん違う。ここまでが一連のボケです、というのがはっきりわかる。ショートコントのブリッジのような。
 むちゃくちゃをやっているようで、ああいうわかりやすいボケをちょこちょこ挟む構成がほんとに丁寧。バランスがすごくいい。
 ただ後半のデモンのくだりは……。


7.オズワルド

「畠中を改名」

 ネタの構成も完璧に近いし熱量もすごいし、これが最終決戦に行けないの? という気がした。シュールなボケを丁寧にツッコみながら、ツッコミでも笑いを取る。
 しっとりとしたしゃべりだしから、後半はどんどん盛り上がる。「ザコ寿司」「ボケ乳首」「激キモ通訳」など独特のフレーズもウケ、ラストの「てめえずっと口開いてんな」も完璧。悪いところがひとつもなかった。

 このネタで5位に沈んだのは、もう順番のせいとしか考えられない。おいでやすこがとマヂカルラブリーが根こそぎ笑いをとっていったので笑い疲れが起こったんじゃないだろうか。審査員も、ちょっとここらで点数下げとこうみたいな気持ちになったのではと邪推する。


8.アキナ

「地元の友だちが楽屋に来る」

 四十歳前後がやるネタじゃないよね。もっといえば四十前後のコンビが五十歳前後の審査員の前でやるネタじゃない。
 ローカルアイドル漫才師の成れの果て、って感じのネタだった。女子高生からキャーキャー言われてる二十代の漫才師がやるネタだよね。なんかかわいらしさを出そうとしてて。
 アキナが好きな人はおもしろいんだろうけど。「ふだんそれ俺が担当してんねん」って動き、何それ? アキナファンじゃないから知らんけど。せめて登場後にやっといてよ。

 準決勝を観たときもアキナはなんで決勝進出できたんだろうとふしぎだったけど、決勝でもやっぱり見てられなかったな……。


9.錦鯉

「パチンコ台になりたい」

 後半出番で錦鯉が出てきたら優勝もあるとおもってたんだけど、意外とウケなかったな……。まあでも錦鯉が最終決戦に進んでたら、おいでやすこが、マヂカルラブリー、錦鯉と掛け合いをしないコンビばかりになってたので大会的にはよかったとおもう。

 序盤にもっとバカさを伝えていればな。さっきも書いたけど、ほんとにつかみって大事だね。「この人はバカにしていい」ということが周知されればもっと素直に笑えたのに。
 つかみの「一文無し、参上」は失敗だったのかもね。冷静に考えれば49歳で貯金ゼロ、って笑える話じゃないもんね。
 はじめにもっとばかばかしい自己紹介してたら違う結果になったんじゃないかな。


10.ウエストランド

「マッチングアプリ」

 おもしろいんだけど、まあこういう結果になるよね。どう考えても万人受けするネタじゃないもん。これは決勝に上げた審査員が悪い。
 恨みつらみを並べるには、風貌がそこまでひどくないんだよね。多少かわいげがあるし。どうしようもない見た目とか、生い立ちが悲惨とか、「これなら世を儚むのもしょうがない」と思わせるほどのバックグラウンドがあれば素直に受け止められるんだけど。

 かつて有吉弘行氏が悪口芸で一世を風靡したとき「没落期間が長かったしみんなそれを知ってたから俺は悪口を言っても許される」みたいなことを言っていた。
 マツコ・デラックス氏も歯に衣着せぬ物言いをするけど、あの巨大な女装家なら世の中に対して不満を言いたくなる気持ちもわかるよな、と納得できる。
 ウエストランドはそこまでじゃないんだよね。もうちょっとがんばれよ、とおもってしまう。

 あと言ってる内容がわりと納得できる話だったので、ただのボヤキ漫才に終始してしまった。「芸人はみんな復讐のためにやっている」ってのもけっこう当たってるっぽいし。中盤まではそれでいいんだけど、後半は「もはや誰も共感できない突き抜けた偏見」にまでいってほしかったな。
 10組中9位だったけど、キャラクター的には最下位だったほうが得したとおもう。ここは上沼恵美子さんが怒ってあげたほうがよかったんじゃないかな。


 最終決戦進出は3位の見取り図、2位マヂカルラブリー、1位おいでやすこが。
 まあ順当。ぼくが選ぶなら見取り図の代わりにオズワルドを入れたい。


見取り図

「地元」

 持ち味なんだけど荒々しいなあ。大柄な男が荒っぽい言葉で怒ってたら怖い。
 キャラクターに入っているコント漫才のほうがいいなあ。

 しかし地元の話題で喧嘩になるかね。兵庫出身で大阪人を多く見てきたぼくにはわかるが、大阪人は東京と京都以外は下に見てるので、和気郡なんか喧嘩相手にならない。


マヂカルラブリー

「吊り革につかまりたくない」

 ネタの選択がすばらしい。こっちを先に持ってきてたら優勝できなかったんじゃないかな。このネタは掛け合いがまったくないので、1本目だったら辛い点を付けた審査員もいたとおもう。でも最終決戦は審査員全員から評価される必要がないので、これだけぶっとんだネタでも優勝できる可能性がある。
 もうすでにマヂカルラブリーを知っているから、むちゃくちゃをやっても受け入れられる土壌があるしね。意外と策士だね。


おいでやすこが

「ハッピーバースデー」

 1本目に比べるとツッコミが弱い。ほんとに1本目で体力を使いすぎてちょっと疲れてるやん。
 こっちはボケ主体で引っ張っていくネタだけど、おいでやす小田がキレてるところを見たいからなあ。もっともっと怒らせるネタをやってほしい。
 1本目は「何度言われても知らない曲ばかり歌う」「約束が違う」「誰の曲か答えない」「話を聞かない」という強くツッコむべき理由があるけど、こっちのネタは曲が独特なだけで祝っていること自体は間違ってないしね。長い曲を歌うこともそれ自体がおかしいわけじゃないし。


 優勝はマヂカルラブリー。おめでとう。納得の優勝。
「あれは漫才か、コントじゃないか」みたいな議論もあるみたいだが、ぼくはマヂカルラブリーのネタは完全に漫才だとおもう。あれがコントだったら異常なのは野田クリスタルじゃなくて電車なのでおもしろくないし。
 漫才の定義は「立って話すか」「掛け合いがあるか」とかではなく、「言葉に人のおもしろさが出ているか」どうかだとぼくはおもう。そしてマヂカルラブリーのネタにはそれが存分に発揮されていた。




 今年もおもしろい大会だった。アキナ以外はおもしろかった。

 ところでマヂカルラブリーの1本目は何年か前の敗者復活戦でやっていたネタ。こんな感じで、昔のおもしろいネタをどんどんやったらいい。
 一方、キングオブコントは「準決勝でやった2本のネタを決勝でしなければならない」というルールだ。あれはよくない。毎年観ている審査員やわざわざ準決勝会場に足を運ぶ熱心のファンにウケるネタと、テレビでウケるネタは違うのだから。

 



 思いかえせば十年ほど前(今調べたら2008年だった)。M-1グランプリの敗者復活戦で観たマヂカルラブリーに衝撃を受けた。当時まったくの無名に近い状態で準決勝まで進出したマヂカルラブリー。「のだでーす、のだでーす、のーだーでーす!」の自己紹介で一気に引きこまれた。「いじめられっこ」のネタもおもしろかった(ちなみにやっていることは今とあまり変わってない)。
 これは近い将来決勝に行くだろうとおもっていたがずっと遠かった。ようやく出場した2017年も最下位。
 M-1には恵まれないコンビなのかとおもっていたが、一気に優勝。しかし今回も出番順や会場の空気によっては最下位になってもふしぎじゃなかったネタだった。最下位も優勝もあるコンビってすごく魅力的だね。


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M-1グランプリ2020 準決勝の感想(12/3執筆、12/22公開)

 昨年から映画館でパブリックビューがはじまったM-1グランプリ準決勝。
 観にいきたかったが、平日夜は子持ちの人間にはちょっと生きづらくて断念。

 だが今年はオンライン配信、しかも見逃し配信も可能ということで3,000円のチケットを購入して観てみた。
 感想自体は準決勝の翌日に書いていたが、ネタバレ禁止とのことだったので決勝終了後まで公開を待っていました。もういいよね?


ラランド

 料理番組をやってみたい。

 キューピー3分クッキングのテーマに乗せて料理番組を進行。
 ボケのクオリティは安定しているのだが、あまり練られてない感じがした。このネタを改良し続けたらもっともっとおもしろくなるだろうなという気がする。

 でも後半のってきておもしろかった。サーヤの狂気が随所に感じられてよかった。


タイムキーパー

 幼稚園の先生をやりたい。

 大人びた口調の子ども、子どもが真理を突く、というのはベタ中のベタなので前半は退屈だった。既視感があるからよほど新しい視点がないときついよなあ。

 でも後半は「幼稚園の先生をやりたい」ではなく「芸人で売れなかったら幼稚園の先生をやりたい」という導入をフリに使っていたり、アンパンマンのマーチを回収したりと、構成が見事だった。

 まったく知らないコンビだったけど、構成もいいし技術もあるし今後が楽しみなコンビ。


金属バット

 結婚をためらっている。

 いやあ、おもしろいなあ。
 よく聞くとそこまでたいしたことを言ってないんだけどね。
 でも口調とか所作で笑わされる。たいしたこと言ってなくてもおもしろいって、これぞ漫才師という感じ。
 罪人面、つくね、ヘキサゴンのOBなど力のあるワードをさりげなく挟むのもいい。

 個人的にはすごくおもしろかったけど、決勝進出できなかったのもわかる気がする。差別的だからねえ。ゴールデン番組でやらすのは怖いよね。


ウエストランド

 マッチングアプリで彼女を探す。

 恨みつらみが心の底から出ている。「誰も傷つけない笑い」に対するアンチテーゼが痛快だった。
 どこまでがネタかわからない魂の叫びという感じで、なんかちょっと感動してしまった。

 しかしよくこれが決勝に行けたなあ。おもしろかったけど、決勝で評価される気がしないんだよなあ。


ニッポンの社長

 ラーメン屋の大将をやりたい。

 言葉と動きがあってない、というボケをひたすらくりかえす。
 とはいえ、一点突破でいくにはボケが弱かったのかもしれない。後半はもっとむちゃくちゃになってもよかったのかなあ。


ランジャタイ

 ポケットから友だちが出てくる。

 トム・ブラウンを彷彿とさせるむちゃくちゃさ。
 ずっと何やってるのかわからない。
 はまればおもしろいんだけど個人的にはまったくはまらなかった。


祇園

 ポリティカルコレクトネス的に正しい桃太郎。

 こういうの、バカリズムライブで数年前にやってたなあ。
 ちょっと前半急ぎすぎた気がする。「クレームがつきにくいようにする」という説明が雑だったかな。ここをもっと丁寧に説明していれば惹きつけられたのかも。

 しかし同系列・同クオリティのボケが並ぶので中盤からは客の想像を下回っていた。


マヂカルラブリー

 吊り革につかまりたくない。

 マヂカルラブリーらしいばかばかしさがあふれていてよかった。だいぶ早い段階で吊り革がどうでもよくなるが、もうそんなことは気にならない。
 以前決勝戦に進出したときは「同じボケをひたすらくりかえす」だったのだが、今回はリセットすることなく「どんどんエスカレートしていく」構成なので、中盤以降どんどんおもしろくなってきた。

 ただ気になったのは、導入部をのぞいてコンビ間の掛け合いがまったくないこと。
 野田がボケ、村上がツッコみ、野田が一切耳を貸さずにボケ続ける。
 このスタイルは審査員に評価されにくいんじゃないかな……。


からし蓮根

 居酒屋の店員をする。

 導入の「いじられろ」のツッコミはおもしろかった。
 他にもおもしろいフレーズが随所にあったんだけどね。でも何十組が観たときに「からし蓮根が特におもしろかった!」とはならないんだよねえ。


カベポスター

 古今東西ゲーム。

 すっごくよく考えられてるなあ。
 ボケ・ツッコミとも必要最小限の言葉で堅実に笑いをとってくる。
 よくできているけど、逆に言うと、台本が見えてしまうことでもある。

 独特のセンスが光るネタをやっていたのに、後半の岐阜いじりはちょっと安易だったなあ。


ゆにばーす

 ドッペルゲンガーにきれいな彼女がいた。

 自分たちでも「人の見た目をいじって笑いを取る時代は終わったよ」と言ってたけど、まさしくその通りで、「おまえは見た目がブス」「おまえは性格が悪い」「俺は彼女ができない」で素直に笑える時代ではない。

 ってことで、終始古くさい印象のネタだった。


キュウ

 ルパン三世と質量保存の法則。

 独特のセンスが光るんだけど、これは漫才じゃなくてコントだよね。完全に芝居だもん。
 この人たちはコントやったほうがいいんじゃないかな。テレビじゃなくて舞台で。小林賢太郎も引退したことだし。


アキナ

 友だちの女の子が単独ライブに来る。

 全体的に身内向け感が漂ってたなあ。アキナファンにはたまらないだろうな、という感じのネタ。二人のいろんな顔が見られるネタだもんね。アイドル漫才師みたいなネタだ。

 秋山が文句を言いながらも山名にずっと従う理由がないんだよなあ。説得力に欠ける。


おいでやすこが

 カラオケで盛り上がらない。

 いやあ、すごかった。本人たち(というかおいでやす小田)の熱意もすごかったし、R-1グランプリから強制的に締めだされた直後だったので観客も全員応援している空気だった。

 そこまで強いボケじゃないのに、ツッコミのパワーで強引に笑いをかっさらう。
 すごいなあ。漫才師でもここまで強いツッコミはそうそういないよね。
 もう地団駄踏みすぎてタップダンスみたいだったもんな。もう何言っても笑える状況だった。


オズワルド

 ハタナカを改名したい。

 いなり寿司、試合前のゴールキーパー、君もそっち側。
 ワードのセンス、強弱のつけかた、絶妙な不条理さ、そしてクライマックスでの「口開いてんな」ツッコミ。盤石。

 こういうローテンション系の漫才ってM-1で勝てないイメージがあるんだけど、もしかしたら今年オズワルドがそのジンクスをくずすかもなあ。


ロングコートダディ

 組み立て式の木の棚を作る。

 以前にも観たことがあったが、めちゃくちゃ好きなネタ。
「マウントとってこようとする男っているよね」みたいな導入にしたほうがわかりやすいんだけど、そこを説明しないところがおしゃれ。
 センスの塊って感じだ。
 ただまあ万人受けするネタではないよね。あとここも完全にコント。

 このネタをするには兎の演技力がちょっと追い付いてないんだよね。


インディアンス

 人助けをした話。

 脱線に次ぐ脱線。中川家の漫才のようだが、自然に脱線するのではなく、脱線することが目的になってるように感じる。脱線しすぎて本筋がわからなくなってしまう。
 テンポが速すぎるのかもなあ。これだけテンポが速いと「がんばって練習したね」という感じがしてしまう。そしてインディアンスは練習の跡が見えたらだめな芸風なんだよね。


東京ホテイソン

 謎解きゲーム。

 いやあ、数年前にM-1準決勝に進出したときは若くしてスタイルを確立させているものだと感心したけど、その独特の芸風を貫きつつもちゃんとネタを進化させてるのがすごい。まだ完成していなかったのか。
 構成の巧みさと不条理さのバランスが絶妙でいいネタ。

 しかし答え合わせが必要で、ほんとに謎解きゲームみたいなネタだね。


コウテイ

 学校の先生をやりたい。

 バッファロー吾郎を思いだす。小学校の休み時間みたいなネタ。
 熱意はすごいけど、ぼくにはまったくおもしろさがわからないんだよね。これはコウテイの問題じゃなくて、ぼくがもう若くないってことなんだろうね。おっさんにはついていけんわ。


学天即

 宇宙旅行。

 うまい、うまいけど……。
 劇場で安心して笑える漫才って感じで、コンテストで数千組のトップに立つ漫才ではないよなあ。

 ボケる→ツッコむ で終わっちゃうのがなあ。銀シャリはその後さらに応酬が発生するので、それと見比べると学天即は見劣りしてしまう。


ダイタク

 出国管理局。

「何年双子やってんだよ」などのフレーズはおもしろいけど、このコンビはそろそろ双子ネタを脱却してもいいんじゃないかとおもう。
 それだけの腕があるコンビなんだから。


見取り図

 マネージャー。

 数年前の見取り図は、ツッコミはうまいけどボケが弱いコンビだった。
 でもここ数年でボケが強くなり、コンビバランスがよくなった。
 特にこのネタはボケが異常者なので、ツッコミの強さがちょうどいい。「これだけ無茶なことされたらこれぐらいきつく注意するのも仕方ない」という説得力がある。


ぺこぱ

 不動産屋。

 いやあ、絵に描いたように迷走してるな。個人的には準決勝でいちばんおもしろくなかった。
 自分たちのスタイルを逆手に取ったネタなんだが、正直ぺこぱのスタイルはまだそこまで浸透してないよ。
 たった一年であのスタイルに見切りをつけるのはまだ早い。本人たち的には飽きられる前に次の一手を探してるんだろうけど。でも東京ホテイソンがスタイルを貫きつつ新境地を開拓したのを見た後だから余計に低い評価になる。


滝音

 不動産屋。

 ワードはおもしろい。が、いかんせんネタの内容が薄い。何の話だったかほとんど覚えてない。
「ナックル投げあうキャッチボール」とか「ミニチュアなヘルニア官房長官」とかの言葉のおもしろさは抜群なので、あとはそれに見劣りしないストーリー展開があればなあ。


ニューヨーク

 コンプライアンス違反のエピソードトーク。

 時代にマッチした話題。ニューヨークって常に「時代に乗っている」感がある。
 ニューヨークの「意地の悪いツッコミ」は一般受けしなさそうだけど、このネタはボケ側が全面的に悪なのでキツめの言葉をぽんぽんぶつけても嫌な感じがしない。
 よくできている。


錦鯉

 パチンコ台になりたい。

 いやあ、ばかだなあ(褒め言葉)。来年五十歳のおじさんがこれをやってるというのがめちゃくちゃおもしろい。
 出番順もよかったね。若手や中堅がさんざん練りに練ったネタをやって、最後に出てきた49歳がいちばんバカやってんだもん。そりゃ笑うって。
 ツッコミもうまいよね。熟練の味という感じ。いい意味でフレッシュさがないのがいい。

 本選でも後半の出番順になってほしい。



 決勝進出を決めたのは、

  • ウエストランド
  • マヂカルラブリー
  • アキナ
  • おいでやすこが
  • 東京ホテイソン
  • 見取り図
  • ニューヨーク
  • 錦鯉

 準決勝を観るかぎり、だいたい納得のメンバー。

 ぼくが選ぶなら、アキナをはずして金属バットを入れるかな。


2020年12月21日月曜日

【読書感想文】現実だと信じればそれが現実 / 道尾 秀介『向日葵の咲かない夏』

向日葵の咲かない夏

道尾 秀介

内容(e-honより)
夏休みを迎える終業式の日。先生に頼まれ、欠席した級友の家を訪れた。きい、きい。妙な音が聞こえる。S君は首を吊って死んでいた。だがその衝撃もつかの間、彼の死体は忽然と消えてしまう。一週間後、S君はあるものに姿を変えて現れた。「僕は殺されたんだ」と訴えながら。僕は妹のミカと、彼の無念を晴らすため、事件を追いはじめた。あなたの目の前に広がる、もう一つの夏休み。

 説明しがたい小説だな……。

 同級生のS君が殺されたのでその犯人探しをするミステリかとおもいきや、S君が生まれ変わって主人公の前に現れるので、犯人は序盤であっさりわかる。あとは証拠をつかむだけ……かとおもいきや、真相が二転三転。

「S君がクモに生まれ変わる。おまけにしゃべれる」
「S君が殺される前から、口に石鹸を詰め込まれて足を折られた犬や猫の死体が見つかっている」
「主人公の母親の様子が明らかにおかしい」
「S君はどうも重要なことを隠しているらしい」
「主人公の妹がとても三歳とはおもえない」
「主人公の妹が死ぬことが序盤に明かされる」
「S君の近所に住む老人もどうやら何かをしっているらしい」
「ふしぎな力で預言ができるおばあさんがいる」
「主人公たちのクラスの担任が小児性愛の趣味を持っている」

 とにかくいろんな要素がこれでもかと詰め込まれていて、少々胸焼けする。

 随所に〝違和感〟が散りばめられているので、読みながらけっこう頭を使う。この描写は絶対後で効いてくるやつだな……、この台詞は後から意味がわかるんだろうな……という感じで。

 で、これらの伏線が終盤で一気に収束するのかとおもいきや……。

 んー……。ま、収束はするんだけどね。一応。謎の答えは説明される。
 でも同時にまた新たな謎がたくさん生まれて、それに関しては明らかになるようなならないような、なんとも曖昧な形で終わってしまう。

 ことわっておくけど、作者が投げっぱなしたとか、風呂敷を畳めなかったとかじゃないよ。意図してやってるんだとおもう。あえて宙ぶらりんな結末にしたというか。

 ただ、ぼく個人的にはすぱっと明快な解決を期待していただけに、この結末は「うーん……。意図はわかるけど……」と、どうも煮え切らないものだった。


 マジックリアリズムという手法がある。

 現実と非現実の境界を意識的に曖昧にして、空想と現実を融合させるような書き方だ。森見登美彦『太陽の塔』とかがわかりやすい。

『向日葵の咲かない夏』を読んだ感想は、
「ミステリとおもって読んでいたらマジックリアリズム小説だった」
というものだ。
 数学の問題だとおもって文章を読みながら解を求めていたら、突然「作者の気持ちを答えなさい」と言われたようなもので、「それなら最初からそう言ってよ!」という気になる。




 まあ、現実と空想の境が判然としないってのは、ある意味リアリティがあるんだけど。

 特に子どもにはその傾向がある。うちの七歳の娘なんか、嘘をついているうちに、完全にその嘘が「ほんとにあったこと」として信じこんでしまってるもん。
 まあちっちゃい子の場合は嘘が稚拙だから見破れるんだけど、中には大人になっても、現実を嘘で塗りかえてしまう人がいる。総理大臣にもそんな人がいた。たぶん嘘を嘘とおもってなかったんだとおもう。

 人間の記憶なんて実にあいまいだから、現実と空想の境界なんてもともとあやふやなものなのかもしれない。現実だと信じればそれが現実だよね。


【関連記事】

【読書感想文】記憶は記録ではない / 越智 啓太『つくられる偽りの記憶』

【読書感想文】サイゼリヤのような小説 / 道尾 秀介『笑うハーレキン』



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2020年12月18日金曜日

【読書感想文】小説の存在意義 / いとう せいこう『想像ラジオ』

想像ラジオ

いとう せいこう

内容(e-honより)
深夜二時四十六分。海沿いの小さな町を見下ろす杉の木のてっぺんから、「想像」という電波を使って「あなたの想像力の中」だけで聴こえるという、ラジオ番組のオンエアを始めたDJアーク。その理由は―東日本大震災を背景に、生者と死者の新たな関係を描き出しベストセラーとなった著者代表作。

 ぼくの中でいとうせいこう氏は「みうらじゅんといっしょにザ・スライドショーをやってた人」というイメージだ(ザ・スライドショーのDVD-BOXも持っている)。あと『虎の門』というテレビ番組もときどき観ていたので、「何をやっているのかわからない文化人」というカテゴリの人だ。

 じっさい、日本のラップ界の開祖のようなラッパーだったり、編集者だったり、知れば知るほど「やっぱり何をやっているのかわからない人」だ。

 そんないとうせいこう氏の小説が芥川賞候補になったと聞いて興味を持っていたのだが、刊行から七年を経てようやく手に取ってみた。




 うまく説明できる自信がないけれど、いい小説だったなあ。
 ああ、こういうことを書くのは小説という媒体がうってつけだよなあ、むしろこういうことを書くために小説があるのかもしれない。そんな気になった。


(ネタバレ含みます)


 一言でいうと「鎮魂」。

 ある日、たくさんの人の耳にラジオ放送が聞こえてくる。DJアークによる生放送。受信機がなくても聞こえてくるし、決まった放送時間もないし流れる曲は聴く人によってちがう。

 で、どうやらDJアークは既に死んでいるのだとわかる。東日本大震災の津波に押し流されて命を落とし、高い樹の上に引っかかったままになっているらしい。

 そしてこの「想像ラジオ」を聴くことのできるリスナーもまた死んでいるらしい。しかし生きている人にも聴こえる場合がある……。

 とまあ、一応わかるのはこんなとこ。
 明確な説明はないので「どうやら」「らしい」というしかないのだが。

 要するにですね。わけがわからないわけですよ。
 なぜこんなことが起こっているのか。いやほんとに起こっていることなのか。聴こえる人と聴こえない人の違いはなんなのか。なんにもわからない。わからないものをわからないまま書いている。いや、作者の中では明確な答えはあるのかもしれないけど、作中で明示されることはない。

 これは、我々「死ななかった者」が「死んだ者」について考えるときと同じなんだよね。
 なんにもわからないわけ。どれだけの人が死んだのか。死んだ人はいつ死んだのか。死んだ人は何を考えたのか。流されていったあの人はほんとに死んだのか。死んでいった彼らは何を望んでいるのか。なぜ彼らは命を落として我々は生きているのか。なんにもわからない。

 東日本大震災によって、いろんな「わからない」がつきつけられた。死者の近くにいた人はもちろんだし、たとえば遠く離れた地で知人が誰も被災しなかったぼくのような人間ですら「わからない」をつきつけられた。

「ありがとう。言われてみれば確かに僕はどこかで加害者の意識を持ってる。なんでだろうね? しかもそれは被災地の人も、遠く離れた土地の人も同じだと思うんだよ。みんなどこかで多かれ少なかれ加害者みたいな罪の意識を持ってる。生き残っている側は。だから樹上の人の言葉を、少なくとも僕は受け止めきれないのかもしれない。うん、今日初めてネットサーフィンも無駄じゃないと思ったな」

 地震が起きたあの日、ぼくはたまたま仕事が休みだったので家でぼんやりテレビを観ていたら、人や家や車が次々に濁流に呑まれるものすごい映像が目に飛びこんできた。

 それからしばらく、なんとかしなきゃ、こうしていていいのか、という妙な焦燥感がずっとあった。
 日本中が自然と自粛ムードになったけど、やっぱりあの映像を目にしたら「被災者のためになんかしなきゃ」「笑ってていいのか」って気になっちゃうよね。

 地震にかぎらず毎日たくさんの人が理不尽に命を落としてるわけだけど、人間の想像力なんて限りがあるからふだんは見ないように蓋をしている。いちいちどこかの誰かのために胸を痛めていたら自分が生きていけない。
 でも、大地震のショッキングな映像なんかで蓋が開いてしまうと、ずっと心が痛い。
 長く生きていても、ぼくらは「理不尽な死」を克服することはできないんじゃないだろうか。ただ目をそらすことしかできないのかもしれない。




 この小説には「理不尽な死」を乗りこえるヒントは書かれていない。
 小説の中でちょっとだけ展開はあるけど、基本的に何も解決しない。というか何が問題で、どうなったら解決なのかも判然としない。

 ただ、あの震災で直接的ではないけど傷を受けて、その処理をどうしたらいいかわからないままとりあえず蓋をしている人が自分だけじゃないことだけはわかる。
 震災への向き合い方は、それがすべてなのかもしれない。


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2020年12月17日木曜日

【読書感想文】女が見た性産業 / 田房 永子『男しか行けない場所に女が行ってきました』

男しか行けない場所に女が行ってきました

田房 永子

内容(e-honより)
世の中(男社会)には驚愕(恐怖)スポットがいっぱい!エロ本の取材現場を「女目線」で覗いて気づいた「男社会」の真実。


 かつてエロ本のライター・漫画家をやっていた著者による「女から見た性風俗/男」の話。

 なんていうか、著者のもやもや感がひしひしと伝わってきた。著者自身もまだうまく整理できていないんじゃないだろうか。
 風俗産業は男に都合よくできている、それは女性を人間扱いしていない、でもそれはそれなりのニーズがある、そんな風俗産業を必要としている男がいる、必要としている女もいる、自分自身もエロ本で仕事をしていた、だから一方的に断罪はできないがでもやっぱり変じゃないか……。という苦悩がストレートにぶつけられている。

 だから著者は男にとって都合よく作られた風俗もエロ産業も否定はしない。ただ「男にとって都合のよい世界だ」という事実を指摘し、同時に「女にとって都合のよい性風俗がもっとあってもよいのではないか」という希望を書いている。


 そう考えてみると、自分が10代の頃、周りがセックスをしはじめた時、くわえ方とか握り方とか、みんな彼氏から教わっていた。女から男への施しは、まず男のほうからの「こうして欲しい」という要望からはじまるのが、習わし、ぐらいの感じだった。そして、セックスがはじめての10代の女から、男に対して「こうして欲しい」と言うなんていうのは「概念」すらなかった。まず、男のほうからフンガフンガとむしゃぶりついてきて、それに対応しながら自分の気持ちよさを探すという受動的な感じだった。そこに「演技」が存在するのは当然だ。男たちが「演技してるんじゃないか」という点にやたら心配しているのが謎だったが、それはセックスの前提として、「男の体については、男が知っている」「女の体についても、最初は男のほうが知っている」みたいな法則、いや「知っているということにしておきたい」という願望が、男側にあるからじゃないだろうか。男は特に10代後半、20代前半の頃は往々にして女に対して威張りたがるところがある。女よりも物知りで頭がよい風に振る舞いたがる。現実がそれと違う場合は、自己を改めるのではなく不機嫌になることで女側に圧力を感じさせ「すごい」と言うように誘導する。そういった特徴は男によく見られる。
 女は、男のように思春期の頃からオナニーしたり自分の性器に興味を持つことを肯定されてこなかった。そういった背景と、男の特徴と圧力により、「女の体については男のほうが知っている」かのように女も思ってしまう。セックスする前から、女の「演技」ははじまっているのである。

 ぼくもたいへんエロ本のお世話になっていたし、そこに書かれていることの八割ぐらいは真に受けていた。
「〇〇するのは女がヤりたがっているサイン!!」なんて記事を読んで本気にしていた。

 考えてみれば、性に関する知識を得る場ってものすごく限られてるんだよね。
「教科書に載っている表面的なお勉強知識」か
「エロ本に載っている眉唾話」か
「実践で得た知識」しかない。極端だ。
 先輩・友人から聞いた話だってそのそれかだし、今はエロ本じゃなくてインターネットになったんだろうけど書かれている話の信憑性は大して変わらない。基本的に「男にとって都合のよい話」であふれている。

 BLや宝塚歌劇のようにフィクションとして楽しめばいいんだけど、問題は「男にとって都合のよい話を男は信じてしまう」ことなんだよな。
 いやほんと、「電車の中で痴漢されたがっている女の見分け方」なんて記事はほんとに犯罪を誘発してる可能性あるからね。「男の願望だから」で済まされる話じゃない。

 でも昔に比べれば「女から見た性」についても語られる機会が増えた。インターネットという匿名/半匿名で語ることのできるメディアができたおかげで。
 本当に少しずつではあるけど、「性の世界の主導権を握るのは男」という状況は変わってきているのかもしれない。




〝健康な〟男たちはいつでも、自分を軸にものごとを考える。ヤリマンの話をすれば「俺もやりたい」と口に出したり、「ヤリマン=当然俺ともセックスする女」と思って行動するし、男の同性愛者の話をすれば「俺、狙われる。怖い」と露骨に怯えたりする。そこに、「他者の気持ち」「他者側の選ぶ権利」が存在することをすっ飛ばして、まず「俺」を登場させる。そのとてつもない屈託のなさに、いつも閉口させられる。理由は、「だってヤリマンじゃん」「だってゲイじゃん」のみ。
 自分が「男」という属性に所属している限り、揺るがない権利のようなものがあると彼らは感じているように、私には思える。それは彼らが小さい頃から全面的に「彼らの欲望」を肯定されてきた証しとも言えるのではないだろうか。

 なんのかんの言っても、この社会はヘテロの男を中心にできている。

〝自分が「男」という属性に所属している限り、揺るがない権利のようなものがあると彼らは感じているように、私には思える。〟
 この文章はぼくに突き刺さった。ぼく自身、まさにそうおもっていたからだ。いや、そうおもっていることにすら気づいていなかった。ほんとに無意識に享受していたから。

 べつに「男が女に欲情するのは当然のこと」と考えることはいいんだよ。生物として当然のことだし。
 でも、だったら「女が欲情するのも当然の権利」「ゲイが男に欲情するのも当然の権利」と考えなくてはならないし、自分が望まない性的願望の対象になることも受け入れなくてはならない。だけどほとんどのヘテロ男性は「それは気持ち悪い」と考える。
「若い男が性的にやんちゃするのはむしろ健全」とおもう一方で、「ぶさいくな女が色気出すんじゃねえよ」「あいつゲイなの。俺もエロい目で見られてんじゃねえのか、気持ち悪い」と考える。考えるだけでなく、ときには平然と口にする。その権利が自分たちだけにあるとおもっている。




  AVモデル(セミプロみたいな感じ)をしている女性と話したときの感想。

 かなちゃんは私ともすごく友好的に話してくれて、私も心から「いい子だな」と思ったし、もっと話してみたくなった。しかし私自身とはものすごく離れた存在だと思った。
 私はそういう人たちや現象に人一倍興味を持っているくせに、同時に警戒している人間だから、遠い。警戒は、軽蔑とも言い換えられる。尊敬も軽蔑も、「自分にはできないと認める」という意味では、同じことだと思った。
 私はかなちゃんみたいな自分の力ひとつで稼いで一人暮らししている女の子をものすごく尊敬もしてるけど、同時に軽蔑もしてるんだ、と分かった。今まで、風俗嬢やAV嬢に対して自分が持っている、蔑みと劣等感、矛盾した過剰な感情、これは尊敬と軽蔑、どっちなのだろうかという思いがあった。それが、両方であるということが分かって、「敬蔑しているんだ」と自分で認めることができて、すごくスッキリとした。

 そうなんだよ。ほとんどの人のAV女優に対する接し方って「穢れた商売をしている劣った存在」とみなすか、あるいは逆に「AV女優マジ天使、超リスペクト」みたいな感じで、いずれにせよ同等の人間と見ていない。
 ぼくらと同じように飯食って寝てクソして笑って怒って泣いて……という同じ感情を持った人間として見ていない気がする。もちろんぼくも。

 だってつらいもん。AVに出ている人たちが、自分や、友だちや、家族と同じような人間だと認めてしまうと、社会の矛盾に押しつぶされてしまいそうになるもの。どっか自分とはぜんぜん違う世界に生きている人たちだとおもいたい。

 早く精巧なフィギュアやVRが性産業の主役になって生身の人間にとってかわるといいなあ。でも性産業って女性の最後のセーフティーネットみたいになっているので、それがなくなってしまうのははたしていいことなんだろうか……。


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