2022年5月16日月曜日

【読書感想文】東野 圭吾『マスカレード・イブ』 / 月夜はおよしよ素直になりすぎる

マスカレード・イブ

東野 圭吾

内容(e-honより)
ホテル・コルテシア大阪で働く山岸尚美は、ある客たちの仮面に気づく。一方、東京で発生した殺人事件の捜査に当たる新田浩介は、一人の男に目をつけた。事件の夜、男は大阪にいたと主張するが、なぜかホテル名を言わない。殺人の疑いをかけられてでも守りたい秘密とは何なのか。お客さまの仮面を守り抜くのが彼女の仕事なら、犯人の仮面を暴くのが彼の職務。二人が出会う前の、それぞれの物語。「マスカレード」シリーズ第2弾。


『マスカレード・ホテル』の前日譚的短篇集。『マスカレード・ホテル』で出会う前の、ホテルマン・山岸と刑事・新田の若き日の物語。


 うん、悪くはない。悪くはないが、『マスカレード・ホテル』の完成度が高すぎたのでやや期待外れ。いやおもしろいんだけどね。短篇だけど、事件発生→推理→解決という単純な構図ではなく、二転三転するし。

 どれも一定以上のクオリティを保った佳作ミステリといっていいとおもう。

 ただ、『マスカレード・ホテル』で「刑事がホテルに潜入するという設定のおもしろさ」や「あまりにさりげない周到な伏線」といった一級品の技術を見せられた後だけに、どうも物足りなさを感じてしまう。

 高級ディナーコースの最後にハーゲンダッツを出されたような気持というか。そりゃもちろんハーゲンダッツはおいしいんだけど今ここで求めているのはそれじゃないんだよ。




 ということで、『マスカレード・ホテル』ファン向けスピンオフという感じだったが、ラストに収録されている書下ろし作品『マスカレード・イブ』はおもしろかった。

 トリックも本格的で、謎解きも丁寧。新田とコンビを組む穂積という女性警察官もいいキャラクターだし、話の流れもちゃんと『マスカレード・ホテル』につながる内容になっている。『マスカレード・ホテル』の前日譚として完璧な作品だった。

 ここで新田が女性警察官である穂積のことを下に見ているところも、『マスカレード・ホテル』の心境の変化へのお膳立てになっているしね。ニクいぜ。




 ところで、『ルーキー登場』にも『マスカレード・イブ』にも悪女が出てくる。男をたぶらかせて悪の道にひきずりこむ魔性の女。

 東野圭吾氏は悪女が好きだよね。『夜明けの街で』『聖女の救済』など、怖い女が出てくる作品は挙げればきりがない。

 個人的によほど苦い記憶でもあるのかね。


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2022年5月13日金曜日

「天才ヘルメット」と「技術手袋」に支配される日

 ドラえもんの映画『のび太の宇宙小戦争』に「天才ヘルメット」と「技術手袋」という道具が出てくる。
 ヘルメットがラジコンの改造内容を考えてくれて、手袋が勝手に手を動かしてくれる、というものだ。


 この道具の説明を聞いたとき、ぼくは「人間いらんやん」とおもった。

 思考も動作も道具がやってくれるのなら人間が装着する必要などない。


……だがじっくり考えるうちに、ふと人間が装着する理由に思い至った。

 そうか、あの道具は人間を動力源としているのだ。だから人間が装着しないといけないのだ。人間のエネルギーを借用することで「天才ヘルメット」は考え、「技術手袋」は動くことができるのだ。

 つまり、あのヘルメットと手袋をつけている間、人間はエネルギーを供給するだけの「電池」に過ぎないのだ。


『のび太の宇宙小戦争』には、スネ夫が「天才ヘルメット」と「技術手袋」をつけて夜遅くまでがんばって戦闘機を改造するシーンが出てくる。

 映画を観ているときは「思考も実行も道具がやってくれるのに、何をがんばってる感じ出しとんねん」とおもっていたが、その考えは浅はかだった。じっさいスネ夫はがんばっていたのだ。なにしろ道具にエネルギーを吸い取られるのだ。きっとひどく疲れるだろう。


 コンピュータが日常のものになり、AIの精度もどんどん上がっている。「このままだとAIに仕事をとられて、人間の仕事はなくなるぞ!」なんて言う人もいる。

 その予想は見事に当たっている。22世紀では、人間は頭脳労働も肉体労働もとられ、人間は電池としての仕事しかさせてもらえないのだ。

「天才ヘルメット」と「技術手袋」は、人間が電池になる未来を示唆している道具なのだ。




……という話を友人にしたところ、「映画『マトリックス』がそんな話だよ」と言われた。

 ぼくは観たことがなかったので「グラサン男がエビ反りをするだけの映画」の認識だったのだが、「仮想現実の中で生きながらコンピュータの動力源として培養されるだけの存在である人間を解放するために、キアヌ・リーヴスが戦う物語」なんだそうだ。

 がんばれキアヌ・リーヴス! コンピュータに支配されたスネ夫少年を助け出すために!


2022年5月12日木曜日

死に向かう生き物


 公園で三歳の次女と遊んでいたら、次女の保育園の友だち・Tくんに会った。

 次女が補助輪つきの自転車に乗っていたので、「後ろ乗る?」と誘ってTくんを荷台に乗せてやる。転ぶといけないので、ぼくが自転車を持ったままついていく。
 なにしろぼくは三十数年前、姉の運転する自転車に二人乗りして転んで左腕の骨を折ったことがあるのだ。自転車二人乗りのおそろしさはよく知っている。

 Tくんを後ろに乗せて次女が運転したり(といってもぼくがずっと支えているのだけれど)、交代してTくんが前に座って次女を後ろに乗せたり。
 二十分ほど遊んだろうか。次女は「かくれんぼしよう」と言って自転車から降りた。ところがTくんはまだまだ自転車に乗りたかったらしい。勝手に次女の自転車にまたがる。


 やめてほしい。
 べつに自転車を貸すことはいいのだが、こけてケガでもされたら困る。なにしろTくんはペダルも満足にこげないし、ハンドル操作もあぶなっかしい。バランスをくずしたときに立て直す力もない(ぼくが支えてやらねば転んでいた、ということが何度かあった)。

「あっちであそぼっか」「かくれんぼしよ」と誘っても、Tくんはかたくなに自転車に乗ろうとする。すべり台に連れていっても、ちょっと目を離すとすぐに自転車に手をかけてまたがろうとしている。おまけに「あっちにいく!」と、下り坂を指さす。

 おいおいおい。ハンドル操作もできず、もちろんブレーキもかけられない三歳児が自転車で下り坂につっこんだらどうなるか。火を見るより明らかだ。なのに彼は果敢にチャレンジしようとする。どこからくるんだ、その自信は。




 男女平等だなんだといっても、生まれもった性差というのは確実にある。「死に向かう子」は圧倒的に男の子のほうが多い。

 高いところには登ってみる、登った後は飛び降りてみる、よくわからないものは触ってみる、よくわからない場所には入ってみる。もちろん個体差もあるが、総じて男子の生態だ。

 ぼくもそうだった。大きなけがはあまりしなかったが、崖やため池や川や立ち入り禁止の屋上など、一歩間違えれば命を落としかねない場所でよく遊んでいたから、今生きているのは単に運が良かったからだ。


 その点、うちの娘はふたりとも慎重すぎるぐらい慎重だ。目を離しても親から離れない。ずっとついてくる。二十センチぐらいの段差でも飛び降りない。「て!」と言って手をつなぐことを要求する。こっちが「ジャンプしてみ」と言っても首を横に振る。危険なことには一切手を出さない。

 そんな慎重女子に慣れているので、たまに男の子と遊ぶとその大胆さがおそろしくなる。ちょっと目を離すと高いところに上ってたりするんだもの。

 こないだも、坂道の上にスケボーを置いてその上に腹ばいになっている男子小学生を見つけて、ぜんぜん知らない子だったけどおもわず「やめときや」と注意した。スケボーに乗って頭から坂道を降りていったら99%ケガする。残りの1%は死だ。
 でも男子はわからないんだよなあ。ぼくも似たようなことやってたからよくわかる。


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2022年5月11日水曜日

【読書感想文】小林 賢太郎『短篇集 こばなしけんたろう』/活字は笑いをとるのに向いていない

短篇集 こばなしけんたろう

小林 賢太郎

内容(e-honより)
「小説幻冬」二〇一六年十一月号~二〇一八年十月号に連載されたものを再構成。「くらしの七福神」「第二成人式」「覚えてはいけない国語」「素晴らしき新世界」「なぞの生物カジャラの飼いかた」「新生物カジャラの歴史と生態」「落花8分19秒」「砂場の少年について」ほか。23篇。

 元ラーメンズ(で、いいんだよね? 芸能活動を引退したから)の小林賢太郎氏の短篇集。

 ぼくはラーメンズのファンで、DVDはすべて持っているし、舞台『TEXT』『TOWER』やKKPの『Sweet7』も生で観た。

 片桐仁氏も好きだが(『シャキーン!』が終わったのがつくづく残念)、多くのラーメンズファンと同じく、より好きなのはラーメンズのブレーン・小林賢太郎氏のほうだ。彼の作る舞台作品はほんとうに見事だ。


 そんな小林賢太郎氏による初短篇集(戯曲集は四冊出している)。

 まず褒めておくと装丁が美しかった。たいへん凝っている。電子書籍で販売していないのも納得の装丁だ。

 で、肝心の中身だが……。


 うーん、まあところどころおもしろいところはあるが、ぼくがラーメンズのファンだからってのを差し引いてもおもしろいかと言われると……。

「これを舞台でやったらおもしろいだろうな」とか「これを小林賢太郎さんの語り口で聞かされたら感心するかもしれないな」とか考えてしまう。


 まず、文章がうまくないんだよね。ちゃんと意味はとれる。でもそこに作者の個性みたいなものがぜんぜん感じられない。体温を感じない文章。

 ああ、わかった。これはト書きなんだ。台本の。だから「誰が」「何を」「どうした」は書かれていても「どうやって」「心情はどうだった」といった描写が少ない。芝居の場合、それは演技で補うものだから。

 ここに収められている作品、形式は小説だけど実態はほとんど戯曲だ。




「笑い」について。

 表現手段はいろいろあるが、笑いをとるのにふさわしいものとそうでないものがある。

 前者の例はマンガや演劇で、後者の例は活字だ。ぼくが活字を読み、声を出して笑ったことはほとんどない。穂村弘氏や岸本佐知子氏のエッセイはめちゃくちゃおもしろいとおもうけど、それでもせいぜいニヤリとする程度。表情も声のトーンも〝間〟も伝えられない活字で笑いをとるのは至難の業だ。


『短篇集 こばなしけんたろう』には、明らかに笑いをとりにいっているものがある。

 これがつまらない。おもしろくないどころではない。読んでいてつらくなる。

 特にひどかったのが『カジャルラ王国』。ウケを狙いにいっているのが見え見えで、にもかかわらずギャグがことごとく笑えない。ぼくも小学生のときにこういうのを書いていた。つまり小学校の学級新聞レベルのギャグ。それがくりかえされる。

 読んでいて「もうやめてくれ」と言いたくなった。

 たぶん舞台で観ていたらもうちょっと楽しめたんだろうけど。




 比較的よかったものは、ほぼ落語の『ひみつぼ』。やっぱりこの人は小説よりも戯曲が向いているんだな。


『短いこばなし』は、ネタ帳のボツ作品を放出したという感じ。

海外旅行先でのコンセントの形に関する、抜き差しならない問題。

 ああ、そういうことね、ニヤリ。これだけで放出してしまうのがもったいない。ラーメンズが活動を続けていたら、こういうのも肉付けされて一本の作品になっていたのかもしれないな。




 いちばん好きだったのは『ぬけぬけと噓かるた』。

 もっともらしい嘘うんちくを五十個並べたものだ。

  キリンは眠らない。

 キリンは、体を倒してしまうと起き上がれないため、横になって寝ることはない。そのかわりに、頭部を高く上げることで血液の循環を遅らせ、起きたまま脳を休ませることができる。ちなみに「不必要なもの」という意味の「キリンの枕」という慣用句を最初に使ったのは、ニ葉亭四迷。嘘。
  ホワィトハウスは窓からの景色を統一するために、庭の木が一種類。

 テレビに映ることがある大統領執務室。テロ対策として建物内のどこにあるのかを、窓の景色から推察させないために、庭の木を統一してある。ちなみに、このアイデアを出したのはロナルド・レーガン大統領である。品種はアメリカブナ。嘘。

 こんなの。ありそうだなあ。「嘘」と言われなかったら信じてしまうとおもう。

 特にホワイトハウスの庭の木なんかめちゃくちゃありそう。やってないんだったら、やったほうがいいんじゃないの?




 小林賢太郎氏のファンならおもしろいところが見つけられる本なんじゃネイノー。

 なんとも煮え切らない感想になってしまったな。


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2022年5月10日火曜日

【読書感想文】上野 千鶴子『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』 / 差別主義者による差別撤廃論

女の子はどう生きるか

教えて、上野先生!

上野 千鶴子

内容(e-honより)
「生徒会長はなぜ男子が多いの?」「女の子が黒いランドセルってダメ?」「理系に進みたいのに親がダメっていう」等々。女の子たちが日常的に抱くモヤモヤや疑問に、上野先生が全力で答えます!社会に潜む差別な刷りこまれた価値観を洗い出し、一人一人が自分らしい選択をする力、知恵や感性を磨くアドバイスが満載の1冊。

 男として生きてきたのでほとんど気にしてこなかったけれど、自分が女の子の父親になってはじめて「女の生きづらさ」を意識するようになった。男はたいへんだけど、トータルで考えると今の日本では女のほうがたいへんなことのほうが多いとおもう。

 以前、NHKのテレビ番組で「男になったり女になったり自由に変えられるとしたらどうする?」という質問をいろんな出演者に訊いていた。おもしろいことにその結果はだいたい同じで、十代後半~二十代前半ぐらいまでは女性のほうがよくて、三十歳ぐらいからは男性のほうがいいと答えた人がほとんどだった(男も女も)。

 そう、二十歳ぐらいは女のほうがちやほやしてもらえる。もちろん危険な目に遭うこともあるが、恩恵のほうが大きそうだ。逆に二十歳ぐらいの男なんて、金もないし、権力もないし、性欲をもてあましてたいへんだ。力もなければかわいがってももらえない。

 ところが中年になるとそれが逆転する。歳をとってからもちやほやしてもらえる女性は少ないし、権力を手にする女性も少ない。仕事も男性以上に選べなくなる。家事の負担も女性のほうが大きいことがほとんどだ。

 そして、人生においては中年以降の期間のほうが圧倒的に長い。



 

 この本は、十代ぐらいの女性からの質問に答えるという形で、女性の生きづらさ、男女差別の歴史、差別にあったときの戦い方、身を守るためのふるまいなどが紹介されている。

 特に3章の『リア充になるのってけっこうたいへん?!』は性のことについて書かれ、そう遠くない将来娘に性教育をしなければならないと考えているぼくにとってはたいへん参考になった。

 彼氏にキスをせがまれ、断ったのにむりやりキスをされたという人への回答。

 あなたの彼氏は古い女性観を持っているかもしれませんね。ほんとはあなただってやりたかったのに、恥ずかしがりだから自分では言えない、だから少々強引でもボクがひっぱらなきゃ、と。そういう男性には、ちゃんと教えてあげてください。
 大きなお世話、わたしにはわたしの意思がある、イエスはイエス、ノーはノー。心配しなくても、自分で決められる。突然のおしつけは、恐怖しか与えないから、逆効果にしかならない。キスをしたいとき、セックスをしたいとき、自分にその準備があるかどうかは、そのときになってみないとわからない。そういう時には必ずわたしに訊いてくれない?「キスして、いい?」って。そうしたらニッコリ笑って「いいわよ」って言うから。……そうしたらふたりとも幸せになれるでしょう?
 でも、忘れないでください。キスしてもいい、って答えたからって、ハダカになっていいと答えたことにならないし、セックスしてもいい、と答えたことにはならない。セックスしてもいい、と答えたからと言って、避妊しなくていいとは言ってない。ひとつひとつ、わたしの意思を確かめてね、と。

 これは女の子よりも男の子に対して教えなきゃいけないことだ。 と、かつて同じように「嫌がっているのは恥ずかしがっているだけ」だと考えていたぼくとしてはおもう。

 これねえ。ほんとに勘違いしてるんだよ、多くの男は。バカだから。

 そして、こう教わったからってはいそうですか我慢します、というわけにはいかないのが若い男なんだよね。いやほんと若い男の性欲なめちゃいけませんよ。ごちそうを目の前に置かれた犬と同じくらいの自制心しか効かなくなるからね。だってこういっちゃあ悪いけど、男子が女子とつきあう理由の95%が「ヤりたい」だからね。

「交際はするけどセックスはなし」ってのは、二十歳前後の男からしたら「寝不足のときに布団の上に横たわって目を閉じてもいいけど寝ちゃだめよ」って言われてるようなもんよ。


 だから上野さんが書いているのはきわめて正しいんだけど、現実に男と交際しているときにそれを貫き通せるかというと、なかなかむずかしいんじゃないだろうか(貫けないから悩んでるわけで)。

「セックスまでする気がないならキスもハグもするな。ふたりきりになるな」のほうが現実的なアドバイスなんじゃないかとおもう。


 覚えておいてください、愛されるって、大事にされるってこと。大事にされるって、あなたの意思を尊重されるってこと。大事にされるってキモチよいものです。もし彼氏との関係がキモチよくなかったら、警戒信号。この彼氏、はっきり言ってウザいです。自分の心とカラダにきいてみて、キモチよくない関係は一刻も早くやめましょう。

 正論なんだけど。わかってることなんだけど。「やめましょう」と言われてもやめられないからこその悩みなんだとおもうけどなあ。



 

 この本、いいことも書いているのだが、著者自身が強烈な差別主義者なせいですべてを台無しにしている。

 たとえばこんな言説。

 東大男子は東大女子が苦手です。なぜって、自分と同じぐらいかそれ以上優秀かもしれないから。なぜ男子は女子が優秀だと困るんでしょう? これも答えはかんたんです。「オレサマ」になれないからです。その点、他大女子は、「東大生、すごいわねえ」と目にハートを浮かべて「オレサマ」を見あげてくれるでしょう。
 こういう男性を、オッサン、と呼びます。そのとおり、東大男子は若いうちからオッサンなんです(ここでいうオッサンとは、中高年のオヤジのことではありません。自己チューでオレサマ度が高く、オンナコドモや立場の弱いひとを差別する、想像力がなくて鈍感力の高いひとを言います。年齢も性別も問いません。女のひとのなかにも、たまにいます)。おばあちゃんはまわりにオッサンばかり見てきたから、お姉ちゃんに「オッサン受け」するには東大へ行くと不利だよ、とアドバイスするのでしょう。

 偏見と差別意識だらけのひっどい文章。この文章と「女は物事を単純にしか考えられないから責任ある役職にはつけられない」という発言と、どう違うんだろう?

 東大男子を十把一絡げにして「こういうもの!」と決めつける姿勢もひどいが、もっと俗悪なのが後半の文章。


 とってつけたように「ここでいうオッサンとは、中高年のオヤジのことではありません」と書いているが、だったらなぜ一般的に中高年男性を差す言葉である〝オッサン〟をわざわざ使うのか。まったく新しい言葉を生みだせばいいじゃない。

 逆に「身勝手でヒステリックで他人に迷惑をかけまくる人間のことをオバサンと呼びます(ここでいうオバサンとは、中高年のオバサンのことではありませんよ)」と書かれても平気なのか? 「中高年のオバサンのことではありません」って書いてあるから女性差別じゃないよねー、とおもえるのか?


 じっさい、例示されているような男はいっぱいいるよ。だからって「東大男子は東大女子が苦手です」と書くのは、理系教科が苦手な女子が多いから「女子は理系教科が苦手です」と書くのとおんなじだ。

 男がどんなときに自己効力感(オレサマ意識)を持つか、を測定する心理学のテストがあります。それによると「稼得力(稼ぎの大きさ)」という因子がもっとも高い効果があるといいます。つまりオレサマ意識を支えているのが、「オレはこれだけ稼いでいるぞ」ということなんだそうです。なあんだ、ことあるごとに「誰の稼ぎで食わせてもらっていると思ってるんだ」とオッサンが言う理由がよくわかりますね。

 ステレオタイプで物を見て全体を語る人の話は聞く必要がない。男の傾向がAだからといって、ある男もAだと決めつけてはいけない。もちろん女にもあてはまる。


 とまあ、こんな感じで随所に差別意識丸出し言説が垂れ流されている。

 これでよくぬけぬけと〝差別や不公正は許さないから〟なんて書けたものだ。

 いや、べつにいいんだよ。どれだけ身勝手で差別的な発言をしたって。それは自由だ。ぼくも、女性差別意識全開の井上ひさし『日本亭主図鑑』を楽しく読んだし。

 でも、一方であからさまな差別をしといて、同じ口で「差別や不公正は許さないから」とか言ってるんだぜ。「私は差別と黒人が嫌いだ」のブラックジョークを地で行く人だ。




 女性専用車両は逆差別か? という問いに対する回答。

 そもそも、なぜ「女性専用車両」ができたか、考えてみてください。原因をつくったのは、男です。男がラッシュアワーの電車の中で痴漢をするから、女性の自衛のために、女性専用車両が必要になったんです。「逆差別だ~」って騒ぐんなら、「ボクらは決して痴漢なんかしませんから」って、男性全員に保証してほしいですね。「ほかの男は知らないけど、ボクは決してしないよ」って言うんなら、「逆差別」を受けてとばっちりを喰らっているのは、「ボク」と同性の他のけしからん男性たちのせいですから、怒りは女性にではなく、痴漢男性に向けてください。「キミたちみたいな不埒な男がいるから、ボクらが迷惑をこうむるんだ」って。そして満員電車のなかで、痴漢を見つけたら、あるいは女性が声を上げたら、ぜったいに無視しないで、「キミ、やめたまえ」って介入してください。男の敵は男、ですよ。痴漢男性を野放しにするから、男性全体の評判が落ちるんです。

 これがまかりとおるなら、下の文章もオッケーと言うことになる。

 そもそも、なぜ「外国人お断りのマンション」ができたか、考えてみてください。原因をつくったのは、外国人です。外国人が日本のマンションで犯罪をするから、日本人の自衛のために、外国人お断りのマンションが必要になったんです。「差別だ~」って騒ぐんなら、「ボクらは決して犯罪なんかしませんから」って、外国人全員に保証してほしいですね。「ほかの外国人は知らないけど、ボクは決してしないよ」って言うんなら、「逆差別」を受けてとばっちりを喰らっているのは、「ボク」と同じ国の他のけしからん外国人たちのせいですから、怒りは日本人にではなく、犯罪をした外国人に向けてください。「キミたちみたいな不埒な外国人がいるから、ボクらが迷惑をこうむるんだ」って。そして日本のなかで、外国人の犯罪を見つけたら、あるいは日本人が声を上げたら、ぜったいに無視しないで、「キミ、やめたまえ」って介入してください。外国人の敵は外国人、ですよ。外国人犯罪を野放しにするから、外国人全体の評判が落ちるんです。


「ある集団の一部が加害的だからといって集団全体を差別してもよい」ということになれば、部落差別だって人種差別だってすべて許されることになる。差別は被害者意識から生まれる、ということがよくわかる身勝手な論理だ。

「ウイグル人がテロ行為をしたからウイグル人全員を洗脳教育しなくちゃいけない」という中国共産党の論理とまったく同じだ。


 ことわっておくが、ぼくは女性専用車両はアリだとおもっている。でも差別だともおもっている。「女性専用車両は男性差別だが、痴漢被害を防ぐという公益のほうが大きいからしかたなく採用している差別」だ。当然、もっといい方法があるのなら、すぐさま撤廃しなければならない。

 だから女性専用車両には、法的な強制力はない。あくまで「鉄道会社から乗客に対して協力にお願いしてもらっている」だけだ。憲法に違反するから法制度化できないのだろう。

「しかたなく採用している差別」であることに無自覚であるのは、たいへんおそろしいことだ。


 この本を読むかぎり、上野千鶴子さんは加害者になることに対して無自覚すぎる。差別されることには敏感だが、差別する側になることについてはまったく無頓着だ。

 だからオッサンに対してはどれだけひどい言葉をぶつけてもいいとおもっているし、ある集団の一部が犯罪者であれは集団まるごとが迫害されるのも当然だとおもっている。典型的な差別主義者だ。

 結局この人は自分が女だから女の地位向上のために闘っているだけで、もし男として生まれていたなら「女はだまってろ」側の人間になっていただろう。差別をなくしたいわけではなく、自分が差別される側でありたくないだけなのだ。

 まあだいたいの人間がそうなので(ぼくもそうだ)、しかたないことではあるけれど。


 こういう人が先陣を切っているのだから、フェミニズム活動が反発を食らう理由がよくわかる(また反発をされても「自分たちが正しいからこそ反発された」とおもってそうなのがタチが悪い)。

 子どもの喧嘩じゃないんだから、自分が言われてイヤだったことを言い返したって事態は好転しませんよ。


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