2021年12月6日月曜日

読書感想文の反論

 ブログに読書感想文を書いている。

 絶賛する文章を書くこともあれば、徹頭徹尾批判で終わることもある。
 入試小論文なら肯定的な意見と否定的な意見を半々ぐらいで入れたほうがいいのだろうが、ぼくが書いているのは感想文なので知ったこっちゃない。

 まあよほどひどい作品でないかぎりはいい点も見つけて書くようにはしているが、それでも肯定:否定=1:9になるものもあるし、0:10になることもある。

 まあぼくが書いているのは書評ではなく感想文だからね。自分のためだけに書いているのでつまらないものはつまらないと書かせてください。


 書いた読書感想文は、Twitterに投稿している。
 もちろんTwitterに全文書くことはできないので、感想文の要約を数十字で書いてブログへのURLリンクといっしょに投稿する。


 投稿したツイートに対して、著者本人からリアクションされることがある。きっとエゴサーチをしているのであろう。
 こっちが肯定的な感想文を書いたときは、きっと著者本人だってうれしいだろう。「いいね!」やリツイートをしてもらう。ぼくも「このハッピーな感想が著者に届いた!」とうれしい。

 一方、「ひどい本だった」と書いたときに著者からリアクションをもらうことはほとんどない。
 たいていの人は、エゴサーチをして否定的な感想文を見つけても、無視するか、そっとミュートやブロックにするぐらいだろう。

 めったにないことだが、こないだ著者本人(らしきアカウント)から反論意見がきた。


「貴殿は私の著書の出来が悪いと書いているが、具体的な例も挙げずにそんなことを書くのは卑怯だ。正しく読んでいないにちがいない。批判するのであればきちんと読んだ上で書くべきだ」
的なことが書いてあった(もっと直接的な言葉だったが)。


 ふむ。たしかに読まずに批判したり、具体的な例を挙げずにあの本はダメだと書くのは卑怯かもしれない。

 だが、ぼくは 最初から最後まで読み、具体的な例を挙げてその本の悪口を書いた のである。

 ブログ内で何箇所かを引用し、その文章に対してこれは差別意識丸出しの罵詈雑言であるから単なるエッセイとして垂れ流すのならともかく客観的な批評であるかのように書く姿勢は好かん、とこう書いたのだった。

 だがそのすべてを1ツイートに記載することはもちろんできないから、ツイートには「この本で書かれているのは批評ではなくただの悪口」とだけ書いたのだ。


 おそらく反論を寄せてきた著者(らしきアカウント)は、そのツイートだけを見て、リンク先のブログ記事を読むことなく
「具体的な例も挙げずに誹るのは卑怯だ。正しく読んでいないのではないか。批判するのであればきちんと読んだ上で書くべきだ」
と書いてきたのであろう。

 見出ししか読まない人から、「きちんと読んだ上で批評しろ」と叱られる。


 ううむ。
 なんちゅうか、人間っていいなとおもえる出来事でしたね(テキトー)。


2021年12月3日金曜日

予約が嫌いだ

 予約が嫌いだ。

 予約をするとものすごく脳のリソースをとられる。
 ○月○日○時にあのお店を予約したからその前後に他の予定を入れちゃいけない、どうしても外せない用が入ったら早めにキャンセルの電話を入れなくちゃいけない、○時に着くためには○時に家を出なくちゃならない、何かあるかもしれないからそれより30分は早めに出た方がいい、それまでに事故とか急病とかになったらキャンセルの連絡ができないかもしれない、そしたらお店に迷惑をかけてしまう、事故にも病気にも遭わないようにこの1週間はつつましく生きなくてはならない。
 そんな「かもしれない運転」を強いられる。しんどい。


 ぼくが10分カットの床屋を利用するのは、予約が嫌いだからだ。あと安いから。
 10分カットは、実はさして早くない。休日に行くと30分以上待たされることもある。だったら美容院を予約して、行ってすぐ切ってもらうのと変わらない。
 でも10分カットは予約しなくていい。予約して1週間「かもしれない運転」に苦しめられることをおもえば、1時間待つぐらいぜんぜんたいしたことじゃない。

 いっとき腰が痛くて整体に行ってたけど、毎回予約をしなくちゃいけないのがつらかった。腰の痛みよりも予約の痛みのほうが大きいぐらいだ。なんだ予約の痛みって。

 歯医者や整骨院に行くと、治療を複数回に分けてすぐに次回予約をさせようとする。よく知らないけど、保険点数を稼ぐための事情とかがあるんだろうか。ああいやだいやだ。3時間かけてもいいから1回で済ませてくれ。


 ホテルの予約なんてぞっとする。
 美容院や歯医者ならせいぜい30分か1時間ぐらいのものだが、ホテルを予約したら部屋をまるまる一室、一両日も空けてくれるのだ。ひゃあ、申し訳ない。ぜったいにキャンセルできないじゃないか。

 とはいえホテルを予約せずに旅に出る勇気はぼくにはない。
 ぼくが「旅行に行きたい」とおもいながらほとんど旅に出ないのは、予約が嫌だからだ。

「いつか行きます。明日かもしれませんし、十年後かもしれません。いつ行っても泊まれるようにしておいてください」
っていう予約ができたらいいのにな。そんな、ささやかすぎる願い。


【関連記事】

瀬戸内寂聴の予約キャンセル


2021年12月2日木曜日

【読書感想文】さくらももこ『たいのおかしら』 ~自分をよく見せない文章~

たいのおかしら

さくらももこ

内容(e-honより)
「こんなにおもしろい本があったのか!」と小学生からお年寄りまでを笑いの渦に巻き込んだ爆笑エッセイの金字塔!!著者が日常で体験した出来事に父ヒロシや母・姉など、いまやお馴染みの家族も登場し、愉快で楽しい笑いが満載の一冊です。「巻末お楽しみ対談」ではもう一度、全身が笑いのツボと化します。描き下ろしカラーイラストつき。


 ご存知、『ちびまる子ちゃん』作者によるエッセイ。

 小学二年生の娘もそろそろこういうの楽しめるかなー、『ちびまる子ちゃん』好きだしなーとおもって買ったものの、「さすがにこれは二年生がひとりで読むにはまだ早すぎるわ」とおもった。漢字にルビがふってないし、前提となる知識が必要な話も多いしね。

 ということでぼくが読んだ。

 



 二十年ぐらい前に『さくらももこ編集長 富士山』という雑誌を買ったことがある。さくらももこさんのエッセイを読むのはそのとき以来だ(『ちびまる子ちゃん』の単行本にあるおまけページは除く)。

『さくらももこ編集長 富士山』にはエッセイが何篇か載っていたのだが、それがことごとくつまらなかった。
 えっ、あのおもしろいエッセイ漫画を描く人がこんなにつまらない文章を書くの、と驚いたぐらい。

 なので「さくらももこのエッセイ=つまらない」という認識を二十年近く持っていたのだが、今読んでみるとちゃんとおもしろい。
『富士山』のときだけがつまらなかったのだろうか。疲れていたのかな。


 グッピーを死滅させた話とかおっかない小杉のババアの話とか、それほど大したことは起こらないのにおもわず笑ってしまう。

 特に、グッピーを死滅させた話なんて、書きようによっちゃめちゃくちゃ後味の悪い話なのに、それを軽妙なエッセイに仕上げるのだから大した腕だ。


 ぼくは小学生のとき、事故でかわいがっていた文章を死なせてしまった。でもその話は家族以外誰にも言ったことがないし、書いたこともない。これからも心に秘めたままだとおもう。なぜなら、つらすぎて誰にも言えないから。
 上手に笑い話にでもしたほうが供養になるのかもしれないが、今もって吐きだせないままだ。三十年近くたった今でもずっと心の中でもやもやしている。




 おもしろいエッセイを書く才能というのは、うまい文章を書く能力やいい小説を書く力とはまた違う。
 どちらかといえば、文才よりも生き様によるものだとおもう。


 十五年ぐらい前に、mixiやらFacebookといったSNSが流行った。それまでにもホームページを開設したり、ブログを作ったりする人はいたが、SNSはそれらとは一線を画していた。それは「特に書きたいことがあるわけでもない人がネット上に文章を上げるようになった」ことだ。

 ホームページやブログをわざわざ開設する人は、なにかしら世に向けて発信したいものを持っている人だった。ところがmixiやFacebookは「誘われたから」ぐらいの消極的なユーザーを大量に招き入れた。「こういうのあんまり好きじゃないんだけど、誘われたのに無碍にするのも悪いから」ぐらいの人が大勢いた。

 そして「誘われたから」SNSアカウントを作ったユーザーも、「せっかくだから」ぐらいの気持ちで日記を書いて投稿した。
 その中に、驚くほどおもしろい文章を書く人がいた。

 ぼくの知人に、おもしろい文章を書く人がふたりいた。
 ひとりは、高校時代の友人Nくん。もうひとりは実の姉。
 彼らに共通しているのは、ぜんぜん本を読まないこと。そしてオンラインでの活動にあまり興味がないこと。これまでホームページもブログも(少なくともぼくが知る限りでは)やってこなかった。
 ぼくの姉なんて小説やノンフィクションはおろか漫画すらほとんど読まない人間で、機械にもとんと疎くて携帯ではメールしかしないおばあちゃんのような人間だったのに。

 Nくんと姉の書く文章はおもしろかった。自分の失敗談を淡々とつづっているだけなのに、おもわず笑ってしまうものだった。語彙が豊富なわけでも、構成がうまいわけでも、エッジの利いた表現をするわけでもない。学校の作文みたいな文章だ。
 テーマも新奇なものではない。身近な出来事をつづっているだけだ。
 なのにおもしろい。

 なぜ彼らの文章はおもしろいのか。
 ぜんぜんおもしろくないその他大勢の文章との違いは何なのか。

 ぼくは考え、そして気づいた。
 彼らは、まったく自分をよく見せようとしていないのだ。

「こんなにめずらしい体験してるんやで」
「こんなにすごい人と知り合いなんやで」
「こんなに見事な文章書けるんやで」
「こんなに鋭い着眼点持ってるんやで」

 そういう気持ちが微塵もないのだ。あるのかもしれないが、読んでいる側にはまったく伝わってこない。

 ほら、Facebookの文章って自慢話が氾濫してるじゃない。失敗談かな? とおもってもじつは失敗談に見せかけた自慢話だったりするわけじゃない。それって読む側にはすぐわかるじゃない。ああ、こいつ自分をよく見せるために書いてるな、と(ことわっておくが非難しているわけではなくそれがふつうだ)。
 Nの文章も、姉の文章も、自慢の要素がひとつもなかった。


 意外や意外、こんなにおもしろい文章を書く人がいたのか。SNSは彼らの意外な文才を発掘してくれた。すばらしい。

 とおもいながらNと姉の投稿をチェックしていたのだが、Nも姉もぜんぜん投稿をしてくれない。まさに三日坊主。ふたりとも、二、三回投稿しただけでまったく投稿しなくなった。たぶんログインすらしていないのだろう。

 よく考えたら当然の話で「自分をよく見せたいとおもってない人」には書く動機がないのだ。金にもならないのに、自分をよく見せたいとおもっているわけでもないのに、わざわざ時間と頭を使って文章を書く動機がない。

 だから「自分をよく見せたいとおもってない人」はSNSもすぐに飽きてしまう。SNSを続けるのは、何かを発信して自分をアピールしたい人ばかりなのだ。悲しいぜ。

 二十年ブログをやっている自己顕示欲の塊であるぼくが言うなって話だけど。


 ふだん目にするエッセイってさ、「文章書きたいです!」って人が書いたものばかりじゃない。あたりまえだけど。
 でも「いやいや私は文章なんて書きたくないです。身の周りのことを書くなんて恥ずかしいし、書けません」って人をむりやり拉致監禁してエッセイを書かせたら、そのうちの何パーセントかはめちゃくちゃおもしろい文章を書くんじゃないかとおもうんだよね。それか「助けて助けて助けて……」っていう地獄のメッセージのどっちか。


 前置きが長くなったが、さくらももこという人は、表現を生業にする人でありながら「自分をよく見せてやろう」が強くない人だとおもう。いや、もちろんそんなことはないんだろうけど、この人のエッセイからは「自分をよく見せてやろう」がほとんど感じられない。
 まるで「頼まれたから書きました。ほんとは書きたくないんだけど」なんて気持ちで書いたんじゃないか。そんな気さえしてくる。




『ちびまる子ちゃん』の読者にはおなじみの、父ヒロシ(本物)の話。

 私も三歳半になり、やっとひとりで便所に入れるようになった。しかし、当時の我が家のくみ取り便所は幼児がひとりで入るのが危険であったため、必ず誰か大人が監視する事になっていた。
 私が用を足している時、ヒロシはふざけて便所の電気を消してしまった。三歳の私の恐怖は、とてもここに書ききれるものではない。大絶叫を発し、小便の途中でパンッを上げ、慌てて立ちあがったとたんに片足が便壺の中にはまってしまった。
 私の悲鳴を聞きつけた母がものすごい速さでとんできて、ぼっ立って呆然としているヒロシを押しのけて私を救出してくれた。
 ヒロシは母に叱られた。ものすごく叱られた。私はヒロシなんてこの際徹底的に叱られるべきだと思っていたので、わざとダイナミックな泣き声を放ち、
「おとうさんがァ、わざとやった」などと稚拙な言語で責め立ててやった。
 ヒロシは、ウンともスンとも言わずに、ただウロウロして私と母の周りに佇んでいた。母は、私の汚れた片足を、ヒロシの古いパンツでふいていた。そして「これ、あんたのパンツだけど、この子の足ふいたら捨てるからねっ。バチだよっ」と怒鳴った。くだらないいたずらをしたために、ヒロシは自らのパンツを一枚失ったのである。

 ああ、父ヒロシだなあ。漫画のまんまのキャラクターだ。どっちも同じ人物をモデルにしてるんだからあたりまえなんだけど。

 だめな父親だなあ、とおもうけど、自分が父親になった今、父ヒロシの気持ちもちょっとわかる。ぼくも娘にちょっかいをかけてしまう。

 娘の鼻をつまんでみたり、まじめな質問をされているのにふざけて答えたりして、娘に叱られる。ささいないたずらでも娘はむきになって怒るので、それがおもしろくてついついふざけてしまう。

 こんなことやってたら娘が成長したらまったく相手にされなくなるだろうとわかっているのに、それでもやってしまう。自分が子どものとき、嫌だった父親になってしまう。ああ、こうやってだめな父親は再生産されてゆくんだなあ。




 巻末に脚本家の三谷幸喜さんとの対談が載っているのだけど、笑ってしまったやりとり。

さくら よく犬は飼い主に似るって言いますけど……。
三谷  それはあるかもしれない。僕も妻も人見知りが激しくて、妻は世間的にはオキャンなイメージがありますけど、普段はとってもひっこみ思案。「とび」もそういうところありますね。妻が犬と散歩してると両方とも、なるべく皆と目を合わさないようにして道の隅っこを、うつむいて目立たないように歩いてますから。おしっこする時も、実に控え目にやってますよ。
さくら 奥さんが?
三谷  犬が、です。


 これは天然なのか狙ったものなのか……。そりゃ訊くまでもなく小林聡美さん(当時の三谷さんの妻)は控え目にやるでしょ。

 三谷幸喜脚本のコメディみたいなやりとりだな。


【関連記事】

【読書感想文】長谷川 町子『サザエさんうちあけ話』

『りぼん』の思い出



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2021年12月1日水曜日

おいしくいただけない時代

 かつては、たとえば「芸能人が大食いに挑戦!」的なテレビ番組では、出演者が食事を残したときには 「この後スタッフがおいしくいただきました」というテロップが出てきた。

 ぼくはEテレばかり観ているので知らないんだけど、たぶん今はなくなったんじゃないかな。

 だってコロナ禍においては「他人が残したものを口にする」なんて、「食べ物を粗末にする」以上の大罪だもの。


 かといって「このごはんはこの後手を付けずに廃棄しました」と書くわけにもいかない。

「一度はギブアップした出演者が後から食べました」だと、演出的によくなさそうだ。「なーんだ、まだ食えたんじゃん」となってしまう。


 今はどうしてるんだろう。大食い番組自体がなくなったんだろうか。

 それとも、大食い番組であっても、小分けにして出すようにしたんだろうか。

「超巨大ラーメンに挑戦!」という番組だけど、ファミレスで幼児のために出してくれるようなちっちゃい丼によそってから挑戦者に出すとか。わんこそばスタイル。

 これなら、残しても 「この後スタッフがおいしくいただきました」と言える。おおもとの巨大ラーメン自体には箸をつけていないから。


 しかしテレビは視覚的なメディアだから、それじゃあつまらないだろうな。

「5kgの超巨大ラーメンに挑む!」って言いながらちっちゃい丼でラーメンをすすっている映像じゃサマにならないもんな。


 どうするのがいいのかね。

「この後豚のエサにして豚がおいしくいただきました。ついでにその豚もスタッフがおいしくいただきました」とかどうかな。

 それでもやっぱり「豚にラーメンみたいな味の濃いものを食べさせるなんて!」という苦情がきたりするのかな。

「このラーメンは豚の健康にも配慮したものです」って書かなきゃいけなくなるな。

 だったらもう最初っから、出演者がラーメンすすっているときに「これは豚のエサです」とテロップ出すほうが早いね。




2021年11月30日火曜日

ダイエットと節約に失敗する方法

 節約もダイエットもそうだけど、「節約してる」「ダイエットしてる」とおもってる時点でもうほとんど失敗してる。

 だって痩せてる人ってダイエットしてないもん。食べたいのを我慢してるわけじゃなくて、そもそも食べたくない。

 節約もそう。貯金をしてる人は買いたいものを泣く泣く我慢してるわけじゃなくて「そんなに欲しいとおもわない」。


 ぼくは生まれてからこのかた、一本も煙草を吸ったことがない。だから煙草を吸いたいとおもうことがない。あたりまえだけど。

 禁煙中の人は、ずっと煙草を吸いたい、でも吸っちゃいかんというストレスにさらされる。

 でも煙草を吸ったことがない人は、煙草が吸えないことに関して一切のストレスを感じない。ノーストレスで禁煙に成功しているともいえる。

 当然、禁煙に成功する確率が高いのは「ついこないだまで煙草を吸っていた人」ではなく「一本も煙草を吸った人」のほうだ。吸ったことない人が吸わないことを禁煙っていうのか知らんけど。


 だからさ。

 身も蓋もないことを言うけど、ダイエットも節約も成功しないのは当然なんだよ。

「痩せなきゃ」「お金貯めなきゃ」っておもう時点でもうストレス環境に自分を追いこんでるんだから。成功する人はがんばらずに食べる量や使うお金を減らすんだから。


 ということで、「ダイエット」「節約」で検索してここに来たあなたには残念なお知らせなんですが、あなたはもう失敗してるんですね。ごめんなさいね。でもそうなんです。


 ところでさ。

 さっき「煙草を吸ったことがない人は煙草が吸えないことをストレスとは感じない」って書いたじゃない。

 あれ、ほとんどすべてのことにあてはまるよね。

 お酒を飲んだことがない人は酒が飲めないことをストレスに感じないし、ラーメンを食べたことがない人は夜中にラーメンが食べたくなったりしない。

 でも、例外もある。

 童貞の性欲。

 あれだけは、経験したことがないのに猛烈に追い求めてしまう。

 なんでなんだろうね。