2020年9月17日木曜日

【読書感想文】貧困家庭から金をむしりとる国 / 阿部 彩『子どもの貧困』

子どもの貧困

日本の不公平を考える

阿部 彩 

内容(e-honより)
健康、学力、そして将来…。大人になっても続く、人生のスタートラインにおける「不利」。OECD諸国の中で第二位という日本の貧困の現実を前に、子どもの貧困の定義、測定方法、そして、さまざまな「不利」と貧困の関係を、豊富なデータをもとに検証する。貧困の世代間連鎖を断つために本当に必要な「子ども対策」とは何か。

「日本は一億総中流の国」だとおもっているなら、その認識は三十年以上前のものだから早く捨てたほうがいい。

日本は格差社会だ。
他の先進国と比べて、圧倒的に格差が大きい。

子どもも例外ではない。
貧困世帯を、全世帯の中央値未満の所得の世帯と定義した場合、日本の子どもの七人に一人は貧困世帯にいるそうだ。

『子どもの貧困』は2008年の刊行なのでデータはやや古いが、残念ながらその後も貧困率は改善していない。
むしろ日本全体が没落するにともなって格差はますます大きくなっている。

今は貧しくたって、将来のために金を使っていたらまだ希望がある。
だが日本政府は子どもに使う金をまっさきに削っている。

これじゃ没落するのもあたりまえ。おまけに希望もない。泣ける。



誰だって貧しいのはいやだが、特に子どもの貧困の問題は公的な支援を必要とするところだ。

なぜなら子どもの貧困はほぼ百パーセント本人の責任ではないし、貧困家庭に生まれ育った子どもが将来も貧困にあえぐ可能性は高い。

一発逆転、立身出世は、不可能ではないがたいへんむずかしい。

貧しくてもがんばればなんとかなる、という人もいるかもしれないが
「将来の成功のために目先の欲求をはねのけて努力する」
というのもまた、裕福な家庭のほうが育まれやすい能力なのだ。


親の学歴や職業など、生まれながらの「不利」を背負った子は、やはり「不利」な学歴や職業に就くことが多い。

いわば「不利」の再生産。
この傾向は近年ますます強くなっている。
 このような結果は、学歴だけではなく、職業階層の継承においても報告されている。佐藤俊樹東京大学准教授は、特に社会の上層の職業階層においては、親子間の継承の度合いが、「大正世代」「戦中派」「昭和ヒトケタ世代」と落ちていくが、その後の「団塊の世代」で反転して上昇していると分析する(佐藤2000)。学歴でみても、職業階層でみても、世代間継承は常に存在し、いったんはその関連性は弱まってきていたものの、また、近年、強くなってきているのである。

「生まれは関係なく本人の努力次第でなんとかなる」傾向にあったのははるか昔の話で、団塊の世代以降は「どの家に生まれるか」が本人の成功を大きく左右することになっている。

「不利」が再生産されるのにはいろんな要因がある。
遺伝、親の指導力不足、住居環境が悪い、健康状態が悪い、ストレスが大きい、地域の環境、付き合う友だちの問題……。

だが、その中でも最大の要因は単に「金がない」ことにありそうだ。

つまり、同じ地域において、たくさんの被験者を募り、その中から無作為に半数を選ぶ。そして、その対象グループには毎月〇〇ドルといった所得保障を行い、残りの半数のコントロール・グループには何も行わない。そして、数か月から数年後に二つのグループの子どもたちの成績、学歴達成などがどのように変化したかを見るのである。もし、対象グループの子どもたちだけが、成績が上がり、コントロール・グループでは上がらなければ、所得のみの影響、つまり所得効果が存在するということになる。
 このような手法を使った研究のほぼ一致した結果は、所得効果は存在するということである。たとえば、クラーク-カフマンらは、0歳から一五歳までの子どもを対象とした一四の実験プログラムの対象グループとコントロール・グループを比較している(Clark-Kauffman et al.2003)。プログラムは、単純な現金給付のものから、現金給付に加えて(親の)就労支援プログラムを行うもの、就労支援プログラムのみが提供されるものなど、さまざまである。その結果、潤沢な現金給付のプログラムであれば〇~五歳児の成長(プログラムに参加してから二年から五年の間に測定される学力テストや教師による評価)にプラスの影響を与えるものの、現金給付がないプログラム(サービスのみのプログラム)や現金給付が充分な額でないプログラムでは影響が見られなかったと報告している。つまり、所得の上昇だけによって、子どもの学力は向上したのである。

金さえ出せばある程度解決する。だったら出せばいい。

子どもに一時的な金を出すことで彼らが生涯にわたって貧困から抜けだせるのであれば、国全体の所得も増える。

海老で鯛を釣るようなものだ。ぜったいにやったほうがいい。
じっさい、多くの国ではやっている。

だが日本ではやらない。
未来の日本を支える子どもよりも老人に金をまわすほうを選ぶから。

 まず最初に、家族政策の総額の規模から見ていこう。国立社会保障・人口問題研究所によると、日本の「家族関連の社会支出」は、GDP(国内総生産)の〇・七五%であり、スウェーデン三・五四%、フランス三・〇二%、イギリス二・九三%などに比べると非常に少ない。ちなみに、ここで「家族関連の社会支出」として計上されているのは、児童手当、児童扶養手当、特別児童扶養手当(障がい児に月五万円ほどの給付がなされる制度)、健康保険などからの出産育児一時金、雇用保険からの育児休業給付、それに、保育所などの就学前保育制度、児童養護施設などの児童福祉サービスである(保育所については、二〇〇〇年より地方自治体の一般財源とされたため含まれない)。
 第7章にて詳しく説明するように、アメリカ、イギリスなど多くの国は、社会支出としてではなく、税制の一環として、給付を伴う優遇税制措置をとっているが、これらはこの統計には含まれていない。図3-1の中では、アメリカが唯一日本より比率が小さい国であるが、そのアメリカでさえも、税制からの給付を加えると、日本より高い比率の公費を「家族政策」に注ぎ込んでいると考えられる。
 次に、教育にかける支出についても国際比較してみよう。日本の教育への公的支出は、GDPの三・四%であり、ここでも日本は他の先進諸国に比べ少ない。スウェーデンやフィンランドなどの北欧諸国はGDPの五~七%を教育につぎ込んでおり、アメリカでさえも四・五%である。教育の部門別に見ても、日本は初等・中等教育でも最低の二・六%であり、高等教育においても〇・五%と、最低のレベルである。家族関連の支出と同様に、子どもの割合などを勘案して計算し直すと、この差は縮まるが、それでも日本は他の先進諸国に比べて少ない。

日本政府が子どもにかける金は、他の国に比べて圧倒的に少ない。

ちなみにこれは高齢者の比率が高いから、というわけでもない。
日本と同程度の高齢化率国でも、もっと多くの金を教育に投じている。

「米百俵」なんて言葉が力を持っていたのもはるか昔。

経済的に衰えただけでなく、品性まで貧しい国になってしまったのだ。悲しい。



まあ「日本政府は子どものいる貧困世帯を見捨てている」ぐらいならまだマシだよ(ぜんぜんよくないけど)。

現実はもっとひどい。

 図3-4は、先進諸国における子どもの貧困率を「市場所得」(就労や、金融資産によって得られる所得)と、それから税金と社会保険料を引き、児童手当や年金などの社会保障給付を足した「可処分所得」でみたものである。税制度や社会保障制度を、政府による「所得再分配」と言うので、これらを、「再分配前所得/再分配後所得」とすると、よりわかりやすくなるかもしれない。再分配前所得における貧困率と再分配後の貧困率の差が、政府による「貧困削減」の効果を表す。

わかります?

日本だけ、税金や社会保険を徴収・分配した後のほうが、子どもの貧困率が高くなっているのだ。

つまり、日本政府は子どものいる貧困家庭からむしりとって、そうでない世帯にお金を移しているのだ。

なんとグロテスクなグラフだ。
おっそろしい。

基本的に政府に対して不信感を持っているぼくでも、まさかここまで悪辣なことをやっているとはおもっていなかった。

なぜこんなことが起こるのかというと、

  • 所得税は高所得者のほうが多くとられるが、社会保険は逆累進的でむしろ低所得者のほうが所得に対して大きな割合でとられる
  • 社会保険を負担するのは現役世代で恩恵を受けるのは引退世代だが、子育て世帯はたいてい現役世帯なので取られるほうが大きい
  • 低所得者でも関係なくむしりとる消費税の負担が大きくなっている

ことなどが原因だ。

老人のために金を使い、そのために子どもに使うべき金をめいっぱい削っている。
絶望感しかないな。


日本政府の対応は、「貧困家庭、母子家庭はもっと働け」というスタンスだ。
就労支援をして所得を増やす……という方法もわからんでもないが、正直いって現実的でない。子育てをしたことない人間が政策をつくっているのだろうか。

うちには今七歳と一歳の子がいる。
子育て世代どまんなかだ。

子どもはしょっちゅう熱を出す。いろんな病気をもらってくる。ぐずる。目が離せない。じっとしてない。夜中も起きる。朝は起きない。

はっきりいって、仕事をしながら子育てをするのは超たいへんだ。
それでもうちは夫婦ともに残業がほぼなくてそこそこ休みをとれる職場だし、土日祝は休みだし、夜勤もないし、なにかあれば祖父母も来れないこともない距離だし、頼れる友人や親戚もいるので、まあまあなんとかなっている。
幸いにして子どもはふたりとも頑健なほうだし。

それでも「ギリギリなんとかなってる」って感じだ。
休みが少なかったり夜勤があったり頼れる親戚がいなかったり子どもが病気がちだったりしたら、あっという間にゆきづまってしまう。

だから「仕事を用意してやるからもっと働け」と言われてもムリだ。
残業がなくて急な休みを好きなだけとれて給料のいい仕事を用意してくれるならべつだが。


貧困にあえぐ子育て世帯に必要なのは就労支援ではなく、現金給付だ。

そして働ける高齢者に必要なのは仕事。
生きていくためには、金だけでなく「誰かの役に立ちたい」という欲求も満たす必要があるのだから(子育てをしていれば後者はいやというほど満たされる)。

でも今の政策は逆をやっている。
母子家庭は就労支援、高齢者は現金給付。

もちろん高齢者といってもひとくくりにはできないが、働きたい高齢者には金ではなく仕事を、貧困子育て世帯にはまず金を。

高齢者に金を使うなとは言わないが、優先順位がおかしいんだよね。
子どもは最優先だろう。
人道的な理由だけでなく、「それが長期的にはいちばん安くつく」から。
子どもに金を出せば、七十年後に「貧しい高齢者」が減ることになるのだから。



日本政府が子どものために金を使わないのは、政府だけの問題ではない。

「すべての子どもが最低限享受すべきとおもうのは何ですか?」と尋ねて「新品の靴」とか「誕生日を祝ってもらえること」とかの中からチェックしてもらうという意識調査をおこなったところ、日本人は他の国よりも「なくてもしかたない」と答える人が多かったという。

たとえば「少なくとも一足のお古でない靴」を「希望するすべての子どもに絶対に与えられるべき」と答えたのは40.2%、「自転車(小学生以上)」は20.9%だ。

多くの日本人は「親が貧しければ子どもが不便を強いられるのはしかたない。周りの子どもがみんな持っているものをひとりだけ与えられなくても我慢しろ」と考えているのだ。

日本人は貧乏人に厳しい。

その理由を、筆者はこう分析する。

 筆者は、日本の人々がイギリスの人々に比べて子どもを大事にしていないわけはないと思う。しかし、このような結果が出るのは、日本人の心理の根底に、数々の「神話」があるからではないだろうか。「総中流神話」「機会の平等神話」、そして「貧しくても幸せな家庭神話」。
「総中流神話」は、たとえ子どもの現在の生活が多少充足されていなくても、他の子どもたちも似たり寄ったりであろうという錯覚を起こさせる。「機会の平等神話」は、どんな家庭状況の子でも、がんばってちゃんと勉強していれば、たとえ、公立の学校だけでも、将来的な教育の達成度や職業的な成功を得る機会は同じように与えられていると信じさせる。「貧しくても幸せな家庭神話」は、物的に恵まれなくても子どもは幸せに育つと説得する。
 もちろん、そうであるべきであるし、そうであると信じたい。しかし、第1章でみてきたように、実際には、子ども期の生活の充足と、学力、健康、成長、生活の質、そして将来のさまざまな達成(学歴、就労、所得、結婚など)には密接な関係がある。その関係について、日本人の多くは、鈍感なのではないだろうか。これが、「子どもの貧困」が長い間社会的問題とされず、国の対応も迫られてこなかった理由なのではないだろうか。

筆者が「神話」と呼んでいるように、これらは全部ウソだ。

データを見れば明らかだ。
日本は圧倒的に格差が大きい社会。
生まれた家の経済状況が成功を大きく左右するので本人の努力での逆転は困難。
貧しいことはさまざまな問題を引き起こす上に、一生ついてまわる。

残念ながらこれが日本の現実だ。


子どもの貧困を減らすために政治や行政が手を打つことも大事だけど、まずは我々が
「日本には貧しい子が多いし、貧しい子のために金を使う気はない国だ」
という現実を直視することが大事なのかもしれない。


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2020年9月16日水曜日

【読書感想文】土はひとつじゃない / 石川 拓治・木村 秋則『土の学校』

土の学校

石川 拓治(文)  木村 秋則(語り)

内容(e-honより)
土は何から作られているか、良い土と悪い土をどう見分けるか、植物の成長に肥料は必要か。…絶対不可能といわれたリンゴの無農薬栽培に成功した著者が10年あまりにわたってリンゴの木を、畑の草を、虫を、空を、土を見つめ続けてわかった自然の摂理を易しく解説。人間には想像もつかないたくさんの不思議なことが起きている土の中の秘密とは。

『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』と内容はあまり変わらないが、こっちのほうがより実践に即したアドバイスが多い。

物語としてのおもしろさなら『奇跡のリンゴ』、実践に役立てるなら『土の学校』かな。

まあ農家でもなければ家庭菜園すらやっていないぼくにはまったく実用的でない内容だけど……。

でもやっぱり木村秋則さんの話はおもしろい。
ぼくは農業の本というより思想の本として読んでいる。



木村秋則さんという人を知らない人のために説明すると……。

無農薬でのリンゴの栽培に成功した農家。

というと「ふーん」ってな感じだとおもうが、これはめちゃくちゃすごいことらしい。
無農薬の野菜は世の中にいろいろあるけど、「リンゴは肥料なしでは育たない」というのは農業界の常識だったそうだ。
というのも今我々が食べているリンゴというのは品種改良によって生みだされたもので、農薬や肥料を使うことを前提につくられたものだからだ。

そんなリンゴを無農薬・無肥料で育てるのは、チワワをジャングルで放し飼いで育てるようなものかもしれない。

木村さんは特に根拠があるわけでもなく全身全霊をかけていリンゴの無農薬栽培に挑戦したがうまくいかず、十年近く収入のない日々を送る。
ついに自殺しようと山に足を踏み入れたとき、そこに生えていたリンゴの樹にヒントを得てとうとう無農薬栽培に成功する……。

というウソみたいな経歴の持ち主(ぼくは自殺未遂エピソードについては眉に唾をつけているが)。

とにかく『奇跡のリンゴ』はめちゃくちゃおもしろい本なので、農業に関係ない人もぜひ読んでほしい。



この木村さん、とんでもない行動力の持ち主で無農薬栽培成功までに数多くの試行錯誤をくりかえしているので、経験、実地重視の人かとおもいきや、それだけではない。

 このときの経験から、私の自然栽培では畑に大豆を植えるようにしています。植物の必要とする窒素分を補給するためです。窒素そのものは空気中に含まれていますが、普通の植物はそのままの形では利用することができません。大豆の根に共生する根粒菌は、その大気中の窒素を植物の利用しやすい化合物に変えることができます。この働きを利用して、土壌に植物の使える窒素分を供給するわけです。
 ただし大豆を植えるのは、慣行農法から自然栽培に移行したばかりの最初の何年間かだけです。
 私の場合は最初の5年間だけ大豆を播きました。5年目に播いた大豆の根っ子を見ると、根粒菌の粒がほとんどついていなかったからです。窒素がもう土中に行き渡ったサインだと解釈して、それ以降は大豆を播くのをやめました。

行動力もすごいが、理論もしっかり持っている。

生物や化学の知識をちゃんと持っていて、確かな知識の裏付けのもとに試行錯誤をしている。

理論だけでもだめ、実践だけでもだめ。
木村さんは両方をとことんやる人だったから、一見無謀な挑戦がうまくいったんだろうな。



ぼくなんか本で読んだだけでわかったような気になってしまう人間だから、木村さんの指摘にはっとさせられる。

 土とひとくちに言っても、その場所によって極端に言えばまったくの別物なわけです。基本的にその違いを考えないのが、現代の科学であり、農業だと思います。
 土と言った瞬間に、それはみんな同じという前提になってしまう。ここの土はどんな性質があって、どんな微生物が多いとか考えずに、種を播くわけです。
 それでもやってこられたのは、化学肥料と農薬があったからです。
 水はけの悪い場所には、湿気を好む雑草が生える。そこに棲んでいる土中細菌は、乾いた場所の土中細菌とはまた違っているはずです。
 そんな場所に、たとえば乾燥を好む野菜を植えたら、生育が悪いのは当たり前だし、病気にもかかりやすくなる。それで農薬や肥料を使わざるを得なくなるのです。
 土の個性をよく見極めて、その土地にあった作物を植えれば、少なくとも農薬や肥料の使用量を今よりも減らせることは間違いない。農薬や肥料の使用量を減らせば、環境への負荷も低くできるし、何よりも支出を減らせます。
 土の性格は、その場所によってみんな違う。
 違いを見極めることが、賢い農業の出発だと思います。
 もっともそんなことは、昔の百姓なら当たり前のことでした。どこにどんな作物を植えるかで、収穫が大きく違ってしまうのですから。
 農薬や化学肥料が広まってからは、そんなことを考える必要がなくなった。百姓と土との長年にわたるつきあいに、ひびを入れたのが農薬や化学肥料ではないのかなと思うのです。

理科の教科書で「植物が育つのに必要なのは水・土・光・肥料(ミネラル)」と習ってそれをそのままおぼえているけど、たしかに「土」といっても千差万別。
とても「土があれば大丈夫」と単純に言えるはずがない。

人間が生きるには炭水化物やたんぱく質やビタミンが必要だけど、それさえ満たしていればどんな食べ物でも生きていけるかと言われると、もちろんそんなことはない。

バランスよくいろいろ食べることが必要だし、体調や気候によっても必要なものは変わる。
「いついかなるときでもこれさえ食べておけば元気でいられる、すべての人にあてはまる万能食品」
は存在しない。

そう考えれば「水・土・光・肥料(ミネラル)があれば植物は育つ」なんて大間違いだとわかるんだけどさ。

水や土は必要条件であって、十分条件ではないんだよな。



木村さんからのクイズ。

 たとえその虫が、成虫も幼虫もリンゴの葉や実を食べる、どこをどう突っついても悪者の、正真正銘の害虫だったとしても、リンゴの木にとってためになることを最低ひとつはやってくれています。
 何だかわかりますか?

答えは本書にて。


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2020年9月15日火曜日

ころがスイッチ


ころがスイッチ ドラえもん ワープキット


小学一年生の娘が楽しみにしていたイベントが新型コロナウイルスで中止になり、目に見えて気落ちしていた。 

なにか家で遊べるおもちゃでも買ってあげるよとおもちゃ屋に連れていった。

で、娘が選んだのがこれ。

いいチョイス! ぼくもこういうの大好きだ!
子どもの頃、レゴとか積み木でこういうの作ってたし。
子どもの頃っていうか中学生になってもやってたし。

店頭価格で5,000円近く。
誕生日とかクリスマス以外では絶対に買ってあげない金額のおもちゃだけど、ぼくも欲しかったので「えーどうしても欲しいの? じゃあしょうがないなあ」とニヤニヤしながら迷わず購入。




期待を裏切らない出来だった。

ボールを転がして、ピタゴラ装置のようなものを作るおもちゃ。
直線レール、坂道、カーブはもちろん、

 下のドアから入ったボールが上のドアから出てくる(ように見える)「どこでもドア」

 ボールの動きが遅くなる「モグラ手ぶくろ」

 ボールが不規則な動きをする「タイムトンネル」

など、おもしろいギミックがたくさん。

(ただし「タケコプター」はボールが通過するとプロペラが回るだけなのでぜんぜんおもしろくない)

中でもぼくがいちばん気に入ったのは「エスパー帽子」。

ここにボールがやってくると直進するが、二個目のボールがやってくると今度は右に曲がる。

単純な仕組みなので、見ればすぐに「なるほどそういう仕掛けか」と納得できるのだが、これをおもいつくのはむずかしい。

シンプルなのに奥が深い。
大人も夢中で遊べるおもちゃだ。




七歳児ももちろん楽しく遊んでいる。

こうすれば失敗する。
ここをこうしたらうまくいく。

試行錯誤を重ねながらコースを作って遊んでいる。

今流行りの「プログラミング思考」ってやつだね。


うちには一歳十ヶ月児もいるんだけど、こっちも「ころがスイッチ」で楽しく遊んでいる。

レールの上にボールを置いて、それが転がる様子を見てきゃっきゃっと声を上げて喜んでいる。

彼女は凝った仕掛けは必要としておらず、ただボールが転がるだけでおもしろいようだ。


一歳も七歳も中年も楽しく遊べるおもちゃ。いいねえ。

一歳がコースを破壊して七歳がぶち切れるという事件が頻発するけど。


2020年9月14日月曜日

【読書感想文】闘う相手はそっちなのか / 小川 善照『香港デモ戦記』

香港デモ戦記

小川 善照

内容(e-honより)
逃亡犯条例反対に端を発した香港デモは過激さを極め、選挙での民主派勝利、コロナウイルス騒動を経てなお、混迷の度合いを深めている。お気に入りのアイドルソングで気持ちを高める「勇武派」のオタク青年、ノースリーブの腕にサランラップを巻いて催涙ガスから「お肌を守る」少女たち…。リーダーは存在せずネットで繋がり、誰かのアイデアをフラッシュモブ的に実行する香港デモ。ブルース・リーの言葉「水になれ」を合い言葉に形を変え続ける、二一世紀最大の市民運動の現場を活写する。

2014年に香港で大規模なデモがおこなわれた。いわゆる「雨傘運動」だ。

中国共産党により香港での普通選挙が拒否され、中国政府の指名を受けた人物しか立候補できないことに市民が反発しておこなわれたデモだ。

結論から言うと、雨傘運動は失敗に終わった。
香港の民主化は進まず、指導者は逮捕され、デモをおこなっていた団体は分裂した。中国共産党の姿勢はいっそう強硬なものになった。

そして2019年から2020年、香港では再びデモがおこなわれている。
デモの発端は2019年に提出された逃亡犯条例改正案だ。刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことができるという法律。中国政府に目をつけられたら、中国に無理やり送られる可能性があるわけだから、香港市民からしたら怖すぎる法律だ。

そもそも香港が中国に返還されたときに「2047年までは一国二制度(中国のやりかたを押しつけない)」と約束していたのに、その約束を反故にしつつあるのが最大の原因だろう。


香港のデモについては日本でも報道されているが、どうしても対岸の火事。

しかし、香港の状況は決して例外的な事例ではない。古今東西、同じようなことはあちこちで起こっている。

ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』を読み、政治も経済も一部の権力者が牛耳っている国が多いことに驚かされた。
自由な競争が保たれている国のほうがむしろ例外なんだと気づかされる。

我々があたりまえのように享受している民主主義は決して普遍的なものではなく、ちょっとしたきっかけで奪われてしまうものなのだ(そして権力者は私権を制限したいものなのだ)。

中国共産党がずば抜けて悪なのではなく、権力者はどこも同じような志向性を持っている。
アメリカだって日本だって、中国と同じ道を歩む可能性は十分にある(もう近づいていっている気がする)。

えらそうに語っているぼくだって、自分が国家を動かせる権力を持っていたら、その権力を強化し国民の権利を制限するほうを選ぶだろう、きっと。
「こっちのほうが民衆のためだ」なんて言って。

権力の暴走を防げるのは理性ではなくシステムだけ。

だから権力者を縛るシステムはぜったいに緩めちゃいけない。
権力側が言いだした「憲法改正」なんて話にはぜったいに乗ってはいけないのだ。



現地に何度も足を運んで香港のデモ隊についての生の声を拾ったルポルタージュ。

現地の温度感を知るにはいいが、ほぼ一方の声しか拾っていないので、デモに関しての全体的な状況はわかりづらいかもしれない。

また第五章の『オタクたちの戦い』にいたっては「デモをしているメンバーには日本のアニメや漫画が好きなオタクもいるんですよ」ってことが長々と書いてあるのだが、正直いって「だから何?」という感想しか出てこない。

それを言うなら、香港警察や中国共産党の側にだって日本のアニメが好きなオタクはいっぱいいるだろう。

まあ「デモをしているのも日本にいるのと変わらないような若者なんだよ」って言いたいんだろうけど、「オタク」「パリピ」といった言葉をくりかえしてむやみに分類するやりかたは好きじゃないな。

そういう姿勢がいらぬ分断をあおるんだよ……と言ったら言いすぎだろうか。


とはいえ、現地に足を運んでいるからこそ見えてくるものもある。

 警察はそうした過激な抗議活動に対して、確実に潰しにかかっていた。
「ネット上で一二日の呼びかけを行った人物はデモの前夜に警察に逮捕されたと聞きます。暴動を呼びかけたということで。だから、今現在は、みんなネットの書き込みにさえ『○○で警察を見た』ではなく、『○○に警察がいる夢を見たんだが』というような現実ではない報告の形にしています」

こういう「生の情報」は現地に行かないとなかなか手に入らないだろうし、このエピソードだけでいかに警察によるデモ隊への締め付けが厳しくなっているかが伝わってくる。

「警察を見た」とネットに書き込むだけで逮捕される可能性があるのだから、言論の自由などはもうとっくになくなったに等しい状況にあるのだろう。

ぼくが漠然とおもっていたよりも香港の状況は深刻なようだ。



雨傘運動にしても2019年のデモにしても、デモの直接的なきっかけは政治や法改正なのだが、その背景には経済的な不満も大きいらしい。

香港も、日本と同じく数年前から中国から大量の観光客がやってきて“爆買い”をするようになったらしい。

そのせいで香港の物価は上がり、香港市民の生活は苦しくなった。

新築の標準的な3LDKのマンションの一室を買うのですら、日本円で一億円近くするため、持ち家は諦めざるを得ないという。
「公営企宅には抽選に当たれば入居できますが、その抽選自体が何年待ちという状態で、庶民はほとんど入居を諦めている状態です。それなのに、香港の大陸側の郊外である新界(ニューテリトリー)地区などには、高級マンションだけはどんどん建っています。そこもすごい価格なのにすぐに完売してしまうんです。それで、そのマンションには人がほとんど住んでいない。大陸の中国人の金持ちが投資目的で買うからです」

このへんの状況は日本とよく似ている。

香港市民の反中感情が高まる一方で、中国企業、観光客、中国政府のおかげでお金を儲けている香港人もおり、香港市民間の溝が深まっていたこともデモの背景にあるようだ。

だから香港市民の中にも反中派と親中派がいる。
みんながみんなデモに賛成しているわけではないのだ(大半はどっちつかずなんだろうが)。

 香港市民は無意識に新しく知り合った相手が黄色(イエロー)か藍色(ブルー)か、「どちら側なのか」を考えるようになっている。それはデモをめぐっての立場、黄色(デモ隊支持)か、藍色(警察支持)だ。香港では今、そのことによって、すべての行動を定義してしまうようだ。
 香港の取材相手と食事をするとき、「どちら側の店が近くにあるか」が重要になってくる。香港では、黄色い店、藍い店のリストがあり、まとめられたサイトではマップと連動しており、近くにどんな店があり、その店は黄色か、藍色かが表示されるのだ。
「黄色経済圏として、どうせお金を落とすならば、デモ隊支持の自分たちの仲間のところで、ということなのです。逆に親中派の店には、一銭も落としたくないと。飲食店から金融機関など、あらゆる店舗やサービスが、分類されているのです」

こうやって香港人同士が憎みあって分断していく姿は、悲しい。

香港人同士で対立して互いを敵視して、それこそ中国共産党の思うつぼなんじゃないの、と海の向こうから見ているとおもえてしまう。

中国にしたら香港人が一致団結するより、分断して対立しているほうが統治しやすいんじゃないかな。
強引な締め付けをしたって、市民の怒りは中国政府じゃなくて香港政府や香港警察や親中派香港人に向かうんだもん。こんな楽なことはない。


そしてデモをしている香港人も、一枚岩ではない。
中国本土も含めた民主化を望む比較的穏健な「民主派」、香港のことは香港で決めるという「自決派」、大陸ではなく香港こそが本土なのだという「本土派」、その考えをさらに極端にした「独立派」などいくつもの派閥に分かれている。

それぞれの派閥の中でも、平和・理性・非暴力を掲げる穏健派「和理非派」と、過激派の「勇武派」があり、さらにそれぞれが内ゲバをくりひろげている。


勇武派のデモ参加者のインタビューより。

――こうした破壊をして、今どんな気持ちか?
「こんなことはしたくない。でも、自分たちの未来のためだ」
 そう話しながら、彼は少し間を置いて、こう言い切った。
「こんなことをしても変わらないなどと言う人もいるが、やらずに後悔はしたくない」
――勇武としての活動は、ずっと続けるのか?
「逮捕されるまでは絶対に続ける」
 彼は、そう断言した。彼の決意に衝撃を受けた。「香港独立」でも「五大要求貫徹」でもなく、彼のゴールは、強制終了である「逮捕」なのだ。その結果、暴動罪に問われたら、最高で一〇年間の禁錮刑となってしまうことも理解しての言葉だ。
「逮捕されることは問題ではない」
 わずか一八歳の少年が自分たちの未来を、自らの自由と引き換える固い決意をもって、自らの手で変えようとしている。一瞬、彼が警官に取り押さえられて逮捕される映像が浮かんでしまい、涙が出そうになった。

気持ちはわかる。気持ちはわかるんだけど……。

もはや目的と手段が入れ替わっている。
日本の学生運動の末期を見ているようで悲しくなる(その時代生まれてなかったけど)。

普通選挙もかなわないし平和デモも通用しない。だから実力行使で……という心情はわかるんだけど、武力闘争をして警察や中国軍にかなうわけがないし、むしろ軍の介入を許すきっかけをつくるだけだ。

武力闘争をしかけていけば、「デモには参加しないけど応援してる」という圧倒的多数の市民の支持を失うだけだろう。
警察に武力攻撃をしかけている映像が流れれば世界中からの支持も失う。

ほとんどの人は「自由を求める闘争で命を落とす危険」よりも「多少の自由は制限されても警察権力によって秩序や安寧が保たれる」ほうを選ぶんだから。


人が集まったら派閥に分かれるのは当然だけど、そうはいっても少数派が分裂して大きな敵にかなうはずがない。

思想の違いまで妥協しろとはいわないが、いったん棚上げしてまとまらないと、ぜったいに負ける。

大きな目標を達成する前から内部分裂してどうするんだ、と言いたくなる(日本の野党もだぞ!)。


だいたい香港警察相手に闘いをくりひろげているけど、本当の敵は香港警察じゃないだろ!
そいつらは生活のために大陸の言いなりになっているだけで、本当に戦うべき相手はそっちじゃないだろ!

と外部から見ていると言いたくなる。
まあデモをしている人たちだってそんなこと百も承知で、怒りをぶつける相手が眼の前にいる警察しかいないんだろうけど……。


ま、こんなふうに安全なところで高みの見物を決めこみながら「その戦略はまちがっている!」とえらそうに言ってるぼくのような人間こそ真に打倒すべき相手なのかもしれないけど……。


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2020年9月13日日曜日

ツイートまとめ 2020年2月



100%→99%

犯行



イチャつけ

タトゥー

新聞の価値

祝日

左手