『奇跡のリンゴ
「絶対不可能」を覆した農家
木村秋則の記録』
石川拓治 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班
2013年に刊行され、農業について書かれた本としては異例の数十万部のヒットを飛ばした『奇跡のリンゴ』。
今さら読んでみたのだが、これはすごい本だ。いや、この木村秋則さんというのはすごい人だ。
科学の歴史を変えたニュートン、ダーウィン、アインシュタインといった人たちと並べても遜色ないぐらいじゃないだろうか?
農薬を使わずにリンゴを育てる。
農業の知識がまったくないぼくにしたら「ふーん、たいへんなんだろうね。でもまあ無農薬野菜なんてのもあるから、効率はよくないけど手間ひまかければできるもんなんでしょ?」ぐらいの認識だった。
ところがそうかんたんな話ではないらしい。
今われわれが食べているリンゴというのは、ひたすら甘く大きい実ができることだけを追求して品種改良を重ねた果実だ。肥料や農薬に頼ることを前提に品種改良しているから、虫や病気にはめっぽう弱い。
エデンの園になっていたリンゴとはまったく別の植物といってもいい。そのリンゴを肥料も農薬も使わずに育てるというのは「チワワの赤ちゃんをジャングルの中で放し飼いで育てる」ぐらい無謀なことなのだろう。
木村秋則さんも、当初は「むずかしいけどやってやれないことはないだろう」と考えていたらしい。コメや野菜を無農薬で作って経験があったから、リンゴも同じようにできると考えた。
そして酢や焼酎やワサビなど殺菌作用のあるさまざまな食品をリンゴの樹に塗布して病気を防ごうとした。
ところが病気は広がるばかり。リンゴは実をつけないどころか、花も咲かず、葉も樹も枯れていく一方だった。
何年もリンゴの収穫ゼロの年が続き、家族を食わせていくこともできなくなる。打つ手がなくなり、リンゴの樹に向かって「実をならせてくれ」と懇願するぐらい追いつめられる木村さん。
ついには死ぬことも考えた彼が、死に場所を探しているときに目にした光景が、リンゴを無農薬無肥料で栽培するヒントを与えてくれる――。
ちょっとこのへんは話ができすぎなので、木村さんか筆者が話を盛っているんじゃないかなあ。野暮なこと言うけど。
できすぎと思うぐらい、ノンフィクションなのにストーリーも起伏に富んでいておもしろい。ときおり挟まれる挿話(宇宙人に会った話!)や木村さんの人間的魅力の描写などで飽きさせず、エンタテインメントとしても一級品だ。木村さんの並々ならぬ苦労がようやく実を結ぶ(リンゴだけに)シーンは、報われてほんとに良かったなあと胸が熱くなった。
それにしても木村さんの家族はよく耐えたよね。妻や子どももそうだけど、なによりリンゴ農家だった義父(妻の父)がすごい。無収入になっても無農薬栽培を追い求める婿につきあってくれるなんて。いいお義父さんだったんだなあ。
しかしこれ、結果的に成功したから「みんなで支えてくれていい家族だなあ」と思えるけど、なんの根拠もなく「無農薬でリンゴを育てる!」と突き進む木村さんを止めようとしなかったのは、はたして優しさだったんだろうかと思う。
常識的に考えれば止めるほうが優しさだろう。まあその常識を無視したからこそ「奇跡のリンゴ」が生まれたわけだけど。
農家だったぼくのおじいちゃんは、機械や科学に対して全幅の信頼を置いていた。「これは新しい機械だからいい」「あの病院は薬をいっぱい出してくれるから信用できる」とよく口にしていた。
以前『現代農業』という雑誌を単純な興味から読んでみたことがあったが、やはり機械や化学肥料の話が多かった。
現代農業と科学は切っても切り離せないのだ。
科学に対するカウンターとして「自然に還ろう」なんてのんきなことを言えるのはスーパーに並んでいる食べ物を買って食べている人だけだ。常に自然と対峙して生きている人はその恐ろしさを知っているから、「いきすぎた科学文明はいつか人間の身を滅ぼす」なんて悠長なことは言わない。
クマ射殺のニュースを見て「クマがかわいそう」と言えるのは、ぜったいに自分がクマに襲われることがないと思っている人だけなのだ。
だからこそ、農家として常に自然に向き合いながら、それでも自然を屈服させようとせずにリンゴを収穫させた木村さんの業績は偉大だ。
木村さんが発見した「リンゴを無農薬で育てるための理念」は、すごくシンプルなものだ。ぼくの言葉にするとうすっぺらくなりそうだからあえてここには書かないけど。
木村さんの理念は、ぼくのような素人が読んでも「なるほど。言われてみればそのとおりだ」とうなずけるぐらい、理にかなっている。
とはいえ理念がかんたんだからって現実もかんたんかというとそんなことはない。理念を現実のリンゴの木に適用させることは想像もできないぐらいの苦難があるはずで、そのへんの苦労はこの本ではごくわずかしか触れられていないけど、おそらく本何冊分にもなるぐらいの試行錯誤があったのだろう。
世界中のあらゆる品種の農家が教えを乞いにくる、というのもなるほどと思う。
またこの人がすごいのは、無農薬でリンゴをつくって満足するのではなく、それを普及させようとしているところだ。
そうなんだよね。無農薬野菜とかオーガニック料理のお店とかってたいてい値段が高い。
そうするとよほど余裕のある人以外は日常的に食べることができない。
木村秋則というたった一人の農家の偉業が、世界中の農業の姿を変える日がくるかもしれないな。
わりと本気でそう思う。
農業に関わる人にもそうでない人にも読んでほしい良書。
大げさでなく、世界観が変わるんじゃないかな。ぼくはちょっと視界が開けた気がしたよ。
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