2020年8月16日日曜日

言わぬが花


妻は子どもを素直に褒めない。
というか求めているハードルが高い。

さすがに一歳児に対しては
「いっぱい食べたねーすごいねー」
「今日はあんまりごはんこぼさなかったねー。えらい!」
と、激甘基準で褒めているが、六歳の娘に対してはやたらと厳しい。

娘が「宿題終わった!」と報告したら「ピアノの練習もしてね」と言う。
「ほら、お片付けしたよ!」と報告したら「毎日これぐらいちゃんとできるといいんだけどね」と言う。

横で聞いていてぼくは「いやいや、そこはとりあえず褒めたらいいじゃない」とおもう。
で、娘が傷つかないように急いで「えっ! 宿題終わったんだって! すごいやん!!」と嘘くさいぐらいおおげさに褒める。



まあ妻には妻なりの「娘に対して求める基準」があるんだろう。
で、ぼくのそれと比べてものすごく高いのだ。

妻は“ちゃんと”している。
いわゆる優等生タイプ。長女タイプ。じっさい長女だ。
今もフルタイムで仕事をして、子どもの面倒を見て、家事育児もこなす。「疲れた」と言いながら趣味の洋裁もやっている。
「子どもにはちゃんとしたものを食べさせたいから」と言ってぼくに料理をさせない。自分がやる。たまにお惣菜を買ったときとかは「惣菜ばっかりでごめん」と謝る。惣菜を買うことを誰も責めたことないのだが、自分に責められるらしい。

一方のぼくは、自分で言うのもアレだが、まあ“ちゃんと”してない。
同じパジャマを何日も着るし、シーツも替えないし、食べ物はぽろぽろこぼすし、洗った食器に泡がついていても気にしないし(だから料理をさせてもらえないのだ)、眠いときは廊下で寝ることもあるし、机の上はぐっちゃぐちゃだ。
そうです、末っ子です。

あたりまえだけど大人になってから突然だらしなくなったわけではなく、子どものころは輪をかけてひどかった。
宿題はしないし洗濯物は脱ぎちらかすし人の話は聞かないし(これは今もだけど)歯みがきは年に数回しかしなかった。

自分がそんな子だったから、娘を見ると「“ちゃんと”してるなー」と驚く。
宿題毎日やってんじゃん、すごいなー。
二日に一回ぐらいは脱いだパジャマを片付けてんじゃん、すごいなー。
自分から歯みがきしようとしてんの? めちゃくちゃすごいじゃん。
へー先生に言われたことをちゃんと聞いてたんだ、うちの子は天才か!



子育てに正解はないが、いいことをできたときは素直に褒めたらいいじゃない、とおもう。

たとえお片付けを十回に一回しかできなくても、その一回のときに褒めてあげたら二回になり三回になっていくだろう、と。

なんたって褒めるだけならタダなんだから。
おだてといて上機嫌にやってもらったほうがいいじゃない。


……ということで「子どもがいいことをしたときでも素直に褒めない」は妻のよくないところだとおもう。

でも妻には言わない。
“ちゃんと”している人だからこそ、「きみのこういうところ良くないよ」と言われるのを嫌がるのだ。十倍になって返ってくる。

それに、ぼくが妻に対して「素直に褒めてあげたらいいのに」とおもっているのと同じように(あるいはその十倍ぐらい)、妻もぼくに対して「こうしたらいいのに」とおもうところがあるんだろう。
自分では気づかないだけで。

言わぬが花。
娘を褒めるのと同じぐらい、妻を責めないことも大事。


2020年8月12日水曜日

【読書感想文】ゴミ本・オブ・ザ・イヤー! / 水間 政憲『ひと目でわかる「戦前日本」の真実』

ひと目でわかる「戦前日本」の真実

1936-1945

水間 政憲

内容(e-honより)
「戦前暗黒史観」を覆すビジュアル解説本。なぜ日本の戦後教育ではこれらの真実を封印してきたのか?

早くも決定! 今年の ゴミ本・オブ・ザ・イヤー!
いや、ここ十年でもっともレベルの高いゴミ・オブ・ゴミ本だった。

ぼくは一年に百冊ぐらいの本を読むが、そのうち一冊ぐらいは「ああ、読むんじゃなかった……」と読みながら後悔する。

この本も序盤は「これはお金をドブに捨てたな……」とおもっていたのだが、あまりにクズ本すぎて途中から逆におもしろくなってきた。

「また出た! ゴミ主張!」

「すげえ! これが歴史修正主義者の考えか!」

と合いの手を入れながら読んだらそこそこ楽しめた。
(というかそうでもしないと読んでられない)

ってことでゴミとおもいながら読んだらそこそこ楽しめるんじゃないでしょうかね。
なんだかんだでゴミ屋敷って(遠目で見てる分には)おもしろいもんね。



「戦前の日本はまちがっていた」と言われるけど悪いことばかりでもなかったんだぜ、という趣旨の本かとおもって読みはじめた。

岩瀬 彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』みたいな本かな、あれは名著だったからなあ、あんな感じで戦前の市井の人の生活を写真で伝える本だろうな。

とおもいながら読んだのだが……。


ぜんぜんちがった……!

「丹念に資料を集めて、そこから見えてくるものを浮かびあがらせる」本じゃなくて、

「著者のイデオロギーがまずあって、それに合致する資料だけを集めた」本だった。


前書きで「日本罪悪史観」という言葉が出てきた時点でイヤな予感がしたんだよな。
やべえやつしか使わない言葉だもんな……。

著者の言いたいことはこんな感じ。

日本は正しくて、中国や朝鮮やアメリカが悪くて、ほんとは戦争したくなかったのに引きずりこまれて、そんな中でも日本人は美しい心を持っていて、そんな日本が統治していたときは中国人も朝鮮人もいきいきとしていて、けど戦後は中国人も朝鮮人もこずるくなって、ついでに戦後の教育がまちがっていたせいで日本人も本来持っていた美しい心を失ってきている……。

はじめっから結論が決まってるんだよね。

フィリップ・E・テトロック&ダン・ガードナー『超予測力』によると、物事を正しく予測できないのはこういうタイプの人だそうだ(統計によって得られたものだ)。

 複雑な問題をお気に入りの因果関係の雛型に押し込もうとし、それにそぐわないものは関係のない雑音として切り捨てた。煮え切らない回答を毛嫌いし、その分析結果は旗幟鮮明(すぎるほど)で、「そのうえ」「しかも」といった言葉を連発して、自らの主張が正しく他の主張が誤っている理由を並べ立てた。その結果、彼らは極端に自信にあふれ、さまざまな事象について「起こり得ない」「確実」などと言い切る傾向が高かった。自らの結論を固く信じ、予測が明らかに誤っていることがわかっても、なかなか考えを変えようとしなかった。「まあ、もう少し待てよ」というのがそんなときの決まり文句だった。

この著者はまさにこのタイプ。

つまり、何からも学べないタイプ。

引用するのもアホらしいんだけど、たとえばこんなの。

 それまで平穏無事だった日本が、中国の「罠」に嵌められ、中国国内の内戦に引きずり込まれたのは、まさに一九三七年七月だったのです。
 同七月七日、盧溝橋で日本軍に銃弾が撃ち込まれ、中国側と武力衝突しましたが、現地では、直後の同十一日に和平協定が結ばれていました。
 それにもかかわらず、「廊坊事件」(同二十五日)、「広安門事件」(同二十六日)と挑発は継続していました。この状況は、現在、尖閣で挑発行為を繰り返している中国とまったく同じです。
 そのような状況下で、北京近郊の通州において、子供を含む在留邦人二二三名が惨殺されたのです。国民が激昂したのは当然でした。それでも日本政府は隠忍自重していたのです。
 日本との戦争を望んでいたのが中国側だったことは、同九日、蒋介石が各省の幹部を前に「(日本と)戦うつもりである」と、宣言していたことで明らかになっています。
 日本が中国の懲罰に本格的に立ち上がったのは、第一次上海事変(一九三二年)のときに取り決めた「上海停戦協定」に違反し、同八月十三日に中国側が一方的に上海で戦闘を開始したことに対して、戦時国際法に則って応戦したのが実態だったのです。
 これらの事実は、GHQ占領下以降、現在でも教科書などでは封印されています。
 わが国で、事実でないことを教科書に記載し、教室で教えている状況は、まさに「反日教育」を実施していることになります。

こんなの挙げていったらキリがないからこれぐらいにしとくけど。

はあ……。

こういうこと言えば言うほど、あんたの大好きな日本人がバカだとおもわれるんだけどな……。
わかんねえのかな……。

きわめつきがこれ。

 戦後、原子力の研究に関して、日本は理論物理学だけが進歩していたかのように認識されてきましたが、実際には実証研究の分野においても最先端に達していたのです。
 当然、原子爆弾を理論的に製造できる知識は持ちあわせていたのです。
 GHQ占領下に日本の原子力研究の調査を担当したアメリカの科学者が、日本の研究者に、研究レベルの高さに驚いて「なぜ日本は原子爆弾を製造しなかったのか」と、疑問を呈していました。
 日本人の遵法精神は、武士道精神に裏打ちされており、原子爆弾の使用は即、戦時国際法違反になることで、原子爆弾を製造する能力があっても実用化する方向の議論は行われませんでした。

す、すげえ……。

これがトンデモ本ってやつか……!
うわさには聞いてたけど見たのははじめてだぜ……!

日本は原子爆弾を作れたけどあえて作らなかった。勝つことよりも武士道精神を優先させたから。

ですって!!

これ、まじめに言ってんの?
笑わせようとしてるんじゃなくて?

他にも、
「共産党政権下ではこんな純真な顔はできない」とか
「写真の猫が、ノンビリ時間が流れていた時代を象徴している」とか
「桜が咲いている写真もあり、のんびりとした時間が流れているのが写真から伝わってきます」などの
頭の悪い 独創的なフレーズがいっぱい。

のんびりしてなくても桜は咲くし、猫なんかどんな時代でも同じ顔しとるわ!


PHP研究所ってこんな本出しちゃう出版社だったっけ……。
創設者の松下幸之助氏が草葉の陰で泣いてるぞ。




著者は、平和そうな写真、楽しそうな表情をしている写真ばかりを載せて

「ほら、戦前の日本はいい国だったんですよ」と言っている。

「つらく悲惨なことばかりではなかった」という主張はわかるけど(じっさいそうだったんだろうけど)、それが言いたいがために逆の方向に大きくふれすぎている。


今でもそうだけど、戦前・戦中の写真が日常をそのまま写したもののわけがない。

カメラもフィルムも今よりずっと高価だった時代。そんな時代に、貧しい生活風景なんか撮るわけがない。庶民の苦しい生活なんか撮らない。
いいものだけ、伝えたいものだけを撮る。

撮られた写真は嘘ではないかもしれないが、現実の1%を切り取って100倍に拡大したものだ。
現実をそのまま反映しているはずがない。


たとえばさ。Facebookに載ってる家族写真って、みんな楽しそうに写っている写真ばかりじゃない。

それを見て「まあいいとこしか写真に撮らないし、いい写真しかアップしないからねー。現実は楽しいことばっかりじゃないけど」とおもうだろうか。

それとも「2020年の日本人は例外なく家族仲良く暮らしているんだ! DVも虐待もないんだ! だってFacebookには幸せそうな写真しかないもん!」とおもうだろうか。

この本の著者は後者らしい。




あと随所に「現代日本の若者に対する苦言」が入るんだけどね。

「戦前の若者は骨があった。今は教育が誤っているから甘っちょろい考えの日本人ばかりだ。厳しい教育を受けさせねばならん」

みたいな感じで。

この手の人ってどうして「若者を叩きなおそう」しか言わないんだろう。
どうして自らを厳しい環境に置こうとしないんだろう。

若者は苦労しろ、おれたち老人は高みの見物だぜ。

これが「立派な日本人」の言うことかねえ。
ああ、ご立派だこと。


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2020年8月11日火曜日

ドラえもん日本旅行ゲーム

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どこでもドラえもん 日本旅行ゲーム ミニ


新型コロナウイルス感染者が増えている今、GoToキャンペーンとやらが始まった。
もちろんぼくは旅行には行かない。

感染するのも感染を広めるのも嫌だし、なにより出不精だからだ。
コロナ関係なく旅行にはあまり行かない。

そのかわりというわけでもないが、『どこでもドラえもん 日本旅行ゲーム ミニ』を買って七歳の娘と遊ぶ。

これぞ新しい生活様式の旅行だ。



サイコロのようなルーレットを回し、日本全国の都市の中からランダムに決められた目的地を目指す。
目的地は常に三つあるのでいちばん近いところを目指せばいい。
目的地に到達するとカードがもらえる。
カードの中には「ひみつ道具」が書いてあるものがあり、それを使うと、たとえば「4マス以内の好きなマスに移動する」といった効果がある。
最終的に所持しているカードの多いプレイヤーが勝ち。

『桃太郎電鉄』から、お金と物件と貧乏神をなくしたようなゲームだ。
(ちなみに「ミニ」じゃないほうはお金の要素もあるらしい)

ゲームバランスはなかなかいい。
目的地が三つあるので、どのプレイヤーもそこそこ目的地に到達できる。
「2か4か5が出たら目的地に到達できる」みたいな状況になるので、
「何回やっても目的地にぴったり止まれないー!ウキーッ!」みたいなことも起こりにくい。

また、カードの少ないプレイヤーが多いプレイヤーからカードを強奪できる「ふっとばし」というルールもあるので、前半で負けていても十分逆転は可能。

モノポリーや桃鉄のように序盤でほぼ勝負が決してしまうということもない。
何度かやったが、最終的には必ず僅差になる。



不満なのは、せっかくの「日本旅行ゲーム」なのに地名が身に付かないこと。

桃鉄の場合は目的地が「高知」とかになるので、遊んでいるうちに自然に都市の場所を覚えられる(おまけに物件を買う際に名産品も覚えられる)。

ところが『どこでもドラえもん 日本旅行ゲーム』は、目的地には大きく「中華まんドラ」と書かれていて、地名は目的地カードのすみっこに小さく「横浜」と書いてあるだけ。

だから子どもは「中華まんドラ」を探す(中華まんのコスプレしたご当地キティみたいなドラえもん)。
何度かやっているうちに「中華まんドラはここ!」と覚えるようになるが、「横浜」の場所はいっこうに覚えられない。

ご当地ドラえもんキャラ名と地名を逆にしてくれよ。
そしたら遊びながら地名を覚えられるのに。


しかもご当地ドラのチョイスが微妙なんだよね。

神戸は「セーラードラ」とか。なんじゃそりゃ。

かぼすドラ? 徳島だっけ? とおもったら大分だったとか(徳島はすだちだった、すまん)。

りんごドラ? ああ青森やね。あれっ、ないぞ。えっ、青森じゃなくて長野!? とか。(これはぼくは悪くない。りんごといえばふつう第一にくるのは青森だろ!)

あと神奈川や新潟や茨城のカードは二枚あるのに鳥取や島根や富山や福井や群馬は一枚もないとか。
バランスどうなってんだ。


2020年8月7日金曜日

【読書感想文】歳とってからのバカは痛々しい / 安野 モヨコ『後ハッピーマニア』

後ハッピーマニア 1

安野 モヨコ

内容(Amazonより)
かつて、ハッピーを追い求めあまたの男たちと20代を暴走した女がいた。彼女の名はカヨコ(旧:シゲカヨ)。恋に恋した時代もあったけど、フツーでまじめな男タカハシと結婚し、気づけばまさかの15年。だが…しかし!!カヨコにぞっこんだったはずのタカハシから、突然「好きな人と付き合いたい」と離婚を突きつけられる……!45歳、専業主婦。子供なし、スキルなし、金なし。別れたくないのは、愛してるから? 生活を失いたく

『ハッピーマニア』の続編。
前作の約15年後の話。

いやあ、『ハッピーマニア』はおもしろかったなあ。
当時、シゲタカヨコというキャラクターは革新的だった。

男のぼくにとって、シゲタカヨコの行動原理は衝撃的だった。
「あたしは あたしのことスキな男なんて キライなのよっ」というセリフのインパクトの強さよ)

まったく理解不能……とおもうと同時に、ああなるほどと腑に落ちた。

一部の女性の行動がまったく理解できなかったんだけど、そうかあの人はシゲタみたいな人なのか! とおもって見るようにしたらいろいろと合点がいった。

そうかそうか。
恋愛は「素敵な相手」を得るための手段かとおもっていたけど、目的ととらえている人もいるのか……。

あと、恋愛は「自分をより高いステージに連れてってくれるもの」という発想も、まず男にはない。
男の恋愛は短絡的なので「いい女とヤりてえぜ」としかおもっていなくて、それ以上でもそれ以下でもない。
男が恋愛によって得たがるのは「女」だけど、女が求めるものは「男」だけじゃないんだ……。

もちろんシゲタカヨコは漫画のキャラクターなので極端な価値観の持ち主だけど、ぼくにとってはまったく理解不能の女心をほんのちょっとだけ理解させてくれた(ような気がする)存在だ。

あと東村アキコの『東京タラレバ娘』もぼくが女性の恋愛観を把握するための参考図書なのだけど……『ハッピーマニア』と『タラレバ娘』が参考図書って相当歪んだ見方だな……。


それはそうと、好きだった漫画の続編が読めるのはうれしい。
よくぞ続きは書いてくれた。
(ところで『働きマン』の続きはどうなったの……)



前置きが長くなったが、さて『後ハッピーマニア』。

理想の男を求める終わりなき旅を続けていたカヨコも45歳。
まあいろいろありながらもタカハシとそこそこの結婚生活を続けていたのだが、突然タカハシから離婚を切り出される……というショッキングなオープニング。

まさかというかさもありなんというか。

しかしなあ。
ひどいぜタカハシ。

カヨコはもちろんいい妻ではないけど、そんなことは誰もが知るところで、タカハシだって当然承知の上で結婚したわけで、それなのに45歳になってから離婚してくれだなんてあまりにひどい話だ。

まじめな女に目移りするって、そんなことは20年前に済ませておけよ……。
そりゃないぜタカハシ。
おまえがそんな薄情な男とはおもわなかったぜ。

フクちゃんもヒデキもみんな(田嶋以外)それぞれ結婚というものに対して苦悩を抱えていて、それぞれ事情はわからんでもないのだが、タカハシだけは理解できん。
シゲタカヨコに見切りをつけるタイミングはなんぼでもあっただろうに。

前作ではいちばん常識人に見えたタカハシが、今作だといちばんのダメ人間に見える。



まあまだ物語がはじまったばかりなのでこれからどうなっていくかわからないけど……。

あれだね。
若いときのバカは笑い飛ばせても、歳とってからのバカは痛々しいだけだね。

登場人物のやっていることは『ハッピーマニア』も『後ハッピーマニア』も大きく変わるわけじゃないのに、20代がやっていたら「バカやってんなー」と軽く笑い飛ばせることでも、40代だと「いや……これは……ダメでしょ……」って深刻に受け取ってしまう。

たいがいのことはそうだね。
ケンカでも軽犯罪でも不貞でも破局でも失業でも、20代でやるのと40代でやるのでは受けるダメージがぜんぜんちがう。
40代だと、すべてが「もう取り返せない」になっちゃう。

ほれたはれたで生きていけない。
老後とか親の介護の問題とかも考えなくちゃならない。

ぼくは今、結婚したときのシゲタカヨコと、離婚を切り出されたときのシゲタカヨコのちょうど間ぐらいの年齢だ。

たぶん、ここからの大きな進路変更はむずかしい年齢。

うーん、家庭を大事にしなきゃなあ。
まさか『ハッピーマニア』の続編を読んでこんな感想を抱くとはおもわなかったぜ。


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2020年8月6日木曜日

【読書感想文】障害は個人ではなく社会の問題 / 伊藤 亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

目の見えない人は世界をどう見ているのか

伊藤 亜紗

内容(e-honより)
私たちは日々、五感―視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚―からたくさんの情報を得て生きている。なかでも視覚は特権的な位置を占め、人間が外界から得る情報の八~九割は視覚に由来すると言われている。では、私たちが最も頼っている視覚という感覚を取り除いてみると、身体は、そして世界の捉え方はどうなるのか―?美学と現代アートを専門とする著者が、視覚障害者の空間認識、感覚の使い方、体の使い方、コミュニケーションの仕方、生きるための戦略としてのユーモアなどを分析。目の見えない人の「見方」に迫りながら、「見る」ことそのものを問い直す。

目が見えない人はどうやって世界を認識しているのか。
学術的にではなく、福祉の視点からでもなく、「おもしろがる」という視点で解説した本。

なるほど、たしかにおもしろい。
著者の「おもしろがる」視点が伝わってくる。
いい本だった。



目が見えない人のほうが物事を正確にとらえている場合もある、という話。

見える人は、富士山を思い浮かべるとき「台形のような形」、月を思い浮かべるときは「円」を思い浮かべることが多い。ぼくもそうだ。

ところが見えない人の中には、富士山を「円錐台(円錐の上部が欠けた形)」、月を「球」でイメージする人がいるそうだ。

言うまでもなく、実態に近いのは後者のイメージだ。
見えないからこそ視点にとらわれず正確なイメージを描くことができるのだ。
 決定的なのは、やはり「視点がないこと」です。視点に縛られないからこそ自分の立っている位置を離れて土地を俯瞰することができたり、月を実際にそうであるとおりに球形の天体として思い浮かべたり、表/裏の区別なく太陽の塔の三つの顔をすべて等価に「見る」ことができたわけです。
 すべての面、すべての点を等価に感じるというのは、視点にとらわれてしまう見える人にとってはなかなか難しいことで、見えない人との比較を通じて、いかに視覚を通して理解された空間や立体物が平面化されたものであるかも分かってきました。もちろん、情報量という点では見えない人は限られているわけですが、だからこそ、踊らされない生き方を体現できることをメリットと考えることもできます。
ふうむ。
見えるがゆえに、見える部分にとらわれてしまって全体を正確に理解できない。
たしかにそうかもしれない。
矛盾しているようだけど、見えるからこそ見えないこともある。



目が見えないと、他の感覚が鋭敏になる。
と聞くと、ふつうは「耳が良くなるのだな」「手で触ってみるのだな」とおもうけれど、必ずしもそれだけではない。
 見える世界に生きていると、足は歩いたり走ったりするもの、つまりもっぱら運動器官ととらえがちです。しかしいったん視覚を遮断すると、それが目や耳と同じように感覚器官でもあることがわかる。足は、運動と感覚の両方の機能を持っているのです。地面の状況を触覚的に知覚しながら体重を支え、さらに全身を前や後ろに運ぶものである足。暗闇の経験は、「さぐる」「支える」「進む」といったマルチな役割を足が果たしていることに気づかせてくれます。
 そう、見えない体の使い方を解く最初の鍵は、「足」です。「触覚=手」のイメージを持っていると、見えない人が足を使っているというのは意外かもしれません。しかし言うまでもなく、触覚は全身に分布しています。
ふだんは意識しないけれど、足は触覚器官なのだ。

舗装された道を歩いているときは気づかないけれど、山道を歩くときは足から入ってくる情報が多いことに気づかされる。
ぼくが登山をするときは底の厚い登山靴を履いているけれど、それでも足の裏からいろんな情報が入ってくる。
石が多い、落ち葉が多い、濡れているからすべりやすい、土がやわらかくて崩れやすい、道が少し平坦になった。歩くだけで地面の情報が伝わる。

白杖をついた人がぐんぐん進んでいくのに驚かされるけれど、あれも足で「見て」いるんだろうな。



障害者について語るとき、ついつい同情的になってしまう。
「かわいそうな人に手を差しのべる」「少しでも失礼があってはいけない」という意識がはたらいてしまう。身近に障害者がいない人ほどそうなる。

でも、著者はもっと中立的に考えている。
日本人とブルガリア人が接して「へえー。そっちの国ではそんな風習があるんだ。おもしろいねー」と語りあうように、「目が見えない人の世界」をおもしろがっている。

それはこんな文章にも表れている。
 見えない体に変身したいなどと言うと、何を不謹慎な、と叱られるかもしれません。もちろん見えない人の苦労や苦しみを軽んじるつもりはありません。
 でも見える人と見えない人が、お互いにきちんと好奇の目を向け合うことは、自分の盲目さを発見することにもつながります。美学的な関心から視覚障害者について研究するとは、まさにそのような「好奇の目」を向けることです。後に述べるように、そうした視点は障害者福祉のあり方にも一石を投じるものであると信じています。
すごいよね、この文章。

「好奇の目を向けあう」「自分の盲目さ」「そうした視点」

ふだんは意識せずに使う比喩表現だが、 これを読んでおもわずぎょっとした。
「視覚障害者の話をするときにこの表現は不適切では」 と一瞬躊躇してしまった。

たぶん著者は意識的にこういう表現を使っているんだろう。
「えっ、それって不適切では」 とおもわせるために。
そして「あっ、べつに不適切じゃないのか」と気づかせるために。

「片手落ち」という表現は差別的だ! と言っている人がいるそうだ。
両腕がない人への差別だ、というのだ。
「片手落ち」は「片」+「手落ち」なのでその指摘は見当はずれなのだが、仮に本当に身体障害者に由来する言葉だったとしても、それを使うのが差別だとはぼくには思えない。

言葉狩りをすることで障害者が生きやすくなるとは思えないからだ(「言葉狩り」も口のきけない人への差別とされるかもしれない)。


「好奇の目を向けあう」「自分の盲目さ」「そうした視点」といった言葉を取り締まることで視覚障害者が生きやすくなるのなら、喜んで協力する。
でもそれは取り締まる人を満足させることにしかつながらないのかもしれない。

「なんだか障害者の話をすると『不謹慎だ』とか『配慮が足りない』とか言われてめんどくさいから話題にしないようにしよう」
と、むしろ「見えない人」を「見える人」から遠ざけるだけなんじゃないか。


……ってことが言いたくて著者はあえてこういった表現を使ったんじゃないかな。
 象徴的な話があります。それは、「障害者」という言葉の表記についてです。「障害者」という表記に含まれる「害」の字がよろしくないということで、最近は「障碍者」「障がい者」など別の表記が好まれるようになってきました。
 ところが、見えない人がテキストを読むときは、たいていは音声読み上げソフトを使います。すると、音声読み上げソフトの種類によっては、「障がい者」という表記が認識できないらしい。「さわるがいしゃ」という読みになってしまうそうです。つまり、誤った単語になってしまう。
 もちろん「さわるがいしゃ」と誤読されても、というか誤読されて初めて、見えない人は執筆者の配慮に気づくことができます。だからこの失敗は、配慮を必要とする障害者にとっては成功なのかもしれません。
 けれども、それが差別のない中立的な表現という意味での「ポリティカル・コレクトネス」に抵触しないがための単なる「武装」であるのだとしたら、むしろそれは逆効果でしょう。障害の定義を考慮に入れるなら、むしろ「障害者」という表記の方が正しい可能性もある。
いいエピソードだ。

「配慮」は相手のためではなく自己満足のための行為なのかもしれない。



『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を読んでいると、
「目が見えないことって必ずしもマイナスとはいえないんじゃないか」とおもうようになった。

世界には、視力が弱い動物がいっぱいいる。
例えばコウモリは視力が弱い。
じゃあコウモリは他の動物よりも劣っているかというと、そんなことはない。
他の感覚器官を研ぎ澄ませて生きている。
光が消えて他の動物が滅びてもコウモリだけは生き残っているかもしれない。

コウモリに「目が見えなくて不自由してますか?」と訊いても、たぶん「いやぜんぜん不便じゃないっすよ」と答えるだろう。
ぼくらが超音波を感じ取れなくてもべつに不自由を感じないように。


でも現実問題として、人間は目が見えるほうが生活しやすい。
それは、見える人が多数派で、見えることを前提に社会が設計されているからだ。
 そして約三十年を経て二〇一一年に公布・施行された我が国の改正障害者基本法では、障害者はこう定義されています。「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」。つまり、社会の側にある壁によって日常生活や社会生活上の不自由さを強いられることが、障害者の定義に盛り込まれるようになったのです。
 従来の考え方では、障害は個人に属していました。ところが、新しい考えでは、障害の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。障害学の言葉でいえば、「個人モデル」から「社会モデル」の転換が起こったのです。
「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だからひとりで旅行にいけない」ことや「足が不自由なために望んだ職を得られず、経済的に余裕がない」ことが障害なのです。

なるほど……。
いやたしかにそうだよな。

中度の近視や乱視の人って、今の日本だったら多少の不便はあってもほとんど視力の良い人と同じ生活をできる。
でも、もしもメガネやコンタクトレンズがなければ視覚障害者だ。

「階段を昇れない」という人がいたとする。数十年前であれば、ひとりでは出歩けない要介護者だった。
でも今の日本だったら、エレベーター、エスカレーター、スロープの整備がだいぶ進んでいるので、たいていのところにはひとりで行ける。

テクノロジーや都市の設計が、障害者を障害者でなくするのだ。

高齢化が進んで寿命が伸びれば身体障害を抱える人は今後どんどん増えるだろう。
一方でスマートスピーカーや読み上げソフトなど、テクノロジーによって障害をリカバリーできる範囲は増えつつある。

今後、どんどん健常者と障害者の垣根がゆるやかなものになっていくのかもしれないなあ。

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知恵遅れと言葉の変遷



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