2025年11月17日月曜日

【読書感想文】エヴァ・ファン・デン・ブルック ティム・デン・ハイヤー『勘違いが人を動かす ~教養としての行動経済学入門~』 / 我々はこんなにアホなのだ

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勘違いが人を動かす

教養としての行動経済学入門

エヴァ・ファン・デン・ブルック(著)
ティム・デン・ハイヤー(著) 児島 修(訳)

内容(e-honより)
「論理」よりも「情熱」よりも「認知バイアス」が人を動かす。罰も報酬も、知識も議論も、感動も約束もないのに、なぜ人間の行動は「意識できない些細な仕掛け」に自然と誘導されてしまうのか?

 行動経済学の本を何冊か読んだけど、ほとんどどれも実験結果やエピソードがおもしろい(引用の引用だらけの質の低い本もあるけど)。人間ってこんなバカなことをしちゃうんですよ、という話はどうしてこんなにおもしろいのか。

 古典経済学では、常に合理的な選択をする存在として人間を想定していた。1円でも得なことをするほうを選ぶに決まっている、と。

 だが実際の人間はそうではない。明らかに損をすること、自分でも良くないとわかっていることにお金や時間を使ってしまう。

 その愚かな人間の話を読むのが楽しい。自分の中にも愚かな部分だからこそおもしろい。落語の粗忽物を笑うような感覚だ。



 人は己の能力を高く見積もってしまう。ある分野に知識がない人ほど、自分はわかっていると思いこんでしまう。

「もし自分が金融業界の管理職だったら、もっといい仕事ができる」と信じている建設作業員が、気後れすることなくその考えをソーシャルメディアに投稿する。
 自力で自宅のリノベーションができると思い込んでいる企業幹部が、テレビ番組に出演して下手なDIYを披露してしまう。
 ファッションモデルが、たった数時間の調べものをしただけで、現代の医学の大きな問題点がわかったと確信する。
 この効果が面白いのは、そのテーマを学ぶにしたがって、過信の度合いが下がっていくことだ。知識が増えるにつれ、自分がまだ何も知らなかったことに気づくからだ。その結果、「これは常に当てはまることではないかも」「もっと調べないといけないかな」「そこまで断言はできないだろう」と躊躇し始める。
 以前のような自信に満ちた態度は減り、小さな違いが気になって思考が止まったり、葉に詰まって反論できなくなったりしてしまう。そして、知識を持っている人のほうが、たいした知識もないのに自信満々の人たちに道を譲ってしまうことになる。
 だから、トーク番組に出演したテレビドラマの俳優が、付け焼刃の知識で持続可能エスルギーの問題について突然熱く持論を展開することになるのだ。

 たしかになあ。ちゃんとした政治学者や経済学者のほうが慎重な物言いをしていて、ろくに本も読んでいなさそうな芸人や俳優が強い口調で政治について断言している、なんてのをよく見る。まああれは「自分に自信があるバカのほうが言ってることがわかりやすいと思われるから」ってのもあるけど。

 浅い知識しかなければ「与党はこうだ! 野党はああだ!」って言えるけど、しっかり勉強をして与野党それぞれにいろんな人がいてそれぞれいろんなことをやってきてそのそれぞれに功罪両方あって……ということを知っている人はうかつに「あの政党は○○だ!」って断言できないもんな。

 賢い人ほど不明瞭な物言いをする。でもそれはウケない。人は単純な話が好きだ。




 そう、人は単純な話が好きだ。

「ハラヘッタ、ピンポーン、ピザ(Man hungry ding-dong pizza)」というドミノ・ピザのコマーシャルは、ピザの宅配サービスがどういうものなのかを最低限の言葉で表している。筆者(ティム)は広告業に携わっているので、この見事なキャッチフレーズに嫉妬を覚える。
 しかし、ドミノ・ピザ側には歯がゆい部分もあったはずだ。〝できたて、サクサクの生地、ベジタリアンメニューも取り揃えた豊富な品揃え〟といった同社の売りをアピールできなかったのだから。
 ファストフードに当てはまることは、環境問題や経済政策、医学研究の分野にも当てはまる。これらの分野の人たちは、メッセージを(過度に)単純化することに強く抵抗することが多い。その結果、メッセージは長くて回りくどいものになり、単純なキャッチフレーズを用いるライバルに大きく水をあけられることになってしまう。

 正確だけど長いメッセージは伝わらない。伝わるのは不正確だけど短い文章だ。〝できたて、サクサクの生地、ベジタリアンメニューも取り揃えた豊富な品揃え〟ですら長すぎる。みんな1秒たりとも頭を使いたくないのだ。

 だからSNSで流れてくる情報の真偽を確かめようとしないのはもちろん、「嘘かもしれない」とすら考えない。そう思う1秒の労力すら惜しい。自分の考えに近ければ「これは真実」、反対の意見であれば「これは嘘に決まってる」。ゼロコンマ数秒しか思考しないSNSでまともな議論などできるはずがない。




「(勘違いによって)人を動かすテクニック」もふんだんに紹介されている。

 20年前に友人(と筆者のエヴァ自身)が学資ローンに申し込む際に入力したフォームは、次のように設定されていた。

借入を希望する額は
[✅]上限額まで
[  ]その他希望額(   )

 あなたならどうするだろうか?
 実に、68%の学生が上限額まで借りた。デフォルトの設定を変えなかったのだ。
 筆者と友人がこの効果に引っかかった少し後、政府が運営する学資ローンの申請サイトはこの小さなチェックマークを外した。これで、デフォルトで「上限額まで」が選択されないようになった。
「この程度のわずかな改善では、大した変化は起こらないだろう」と思うかもしれない。
 だが、この小さなチェックマークが外された後、上限額まで借りた学生の割合は11%に激減したのだ。

「上限額まで」という選択肢にデフォルトでチェックを入れるだけで、上限額いっぱいまでローンを組む人が11%から68%まで増えるのだ。

 いくら借金するかなんてその後十年以上にわたって人生に影響する重大事項なのに、それでもチェックマークひとつでかんたんに選択を曲げられてしまう。重大事項でなければなおさらだ。

 これは学生に限った話ではない。専門家ですら重大な判断をする際に直前に目にした数字に影響されてしまう。

「参照効果は、無意識のうちに素早く判断してもいいような、あまり重要ではない状況でのみ有効なのではないか」とあなたは思ったかもしれない。だが、そうではない。次のケースは、実際の実験に基づいている。
 
 法廷で、検察官が判事に事件の説明をする。
 運転手が人をはねた。被害者は一生車椅子の生活を余儀なくされ、賠償金を請求している。運転手は車の点検を怠っており、ブレーキには不具合があった。
 あなたなら、いくらの損害賠償金を認めますか?
 
 2番目のグループの判事も、まったく同じ説明を受けるが、被告側から「上訴の最低額は1750ユーロです」という追加の情報が1つあった。
 このグループにも「あなたなら、いくらの損害賠償金を認めますか?」と同じ質問をした。
 
 最初のケースの場合、あなたの答えはおそらく100万ユーロを超えるだろう。実際、最初のケースの説明を受けた100人の判事は平均130万ユーロと答えている。だが、上訴の最低額に関する意味のない情報を聞いた100人の判事は、平均で90万ユーロと答えた。
 
 人の人生を左右する決断を下すために高度な訓練を受けた専門家にさえ、参照効果は影響を与えるのだ。

 プロの裁判官の判断ですら動かされてしまうのだから、素人の判断なんかたやすく操作されてしまうだろう。


 選挙なんて、どんなポスターを貼っていたかとか、投票用紙の何番目に政党名が書かれているかとか、直前にSNSで目にした投稿とかでけっこう決まってるんだろうな。選挙慣れしている人たちもそれをわかっているから、目立つポスターにするとか、名前をひらがな表記にするとか、選挙カーでとにかく名前を連呼するとかのアクションを起こすのだろう。「そんなのよりちゃんと政策を訴えろよ」と思ってしまうけど、残念ながら有権者はそんなに賢くないのだ。


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