2023年11月24日金曜日

【読書感想文】風野 春樹『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』 / 時代に愛され、時代に消された男

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島田清次郎

誰にも愛されなかった男

風野 春樹

内容(e-honより)
本当に天才だったのか。―本当に狂人だったのか。大正時代を流星の如く駆け抜けた作家、島田清次郎。二十歳で空前のベストセラーを生み出し、二十五歳で精神病院へと収容される。その数奇な一生を現役精神科医がたどりなおす新たな人物伝。

 島田清次郎という作家の評伝。

 島田清次郎は大正時代に活躍した作家。デビュー長篇『地上』がベストセラーとなり、さらに自伝的内容であったことから島田清次郎も若者たちからカリスマ的人気を博す。その後も次々にヒットを飛ばすが、清次郎の傲岸不遜な態度が文壇で不評を買い、さらに誘拐・監禁・強姦というスキャンダルにより実質的に文壇から追放、統合失調症(当時の病名は早発性痴呆)を発症し、妄想にとりつかれ、三十一歳で死去するまで晩年は精神病院で過ごした。

 数々のトラブルやスキャンダルにより、文壇からは半ば黙殺され、今となっては国語の教科書にも載っていない。彼の作品も『地上』第一部がかろうじて青空文庫で読めるぐらいで、他の本はすべて絶版。つまり新刊書店では手に入らない。


「俳優やミュージシャンが逮捕されたからといって作品まで非公開・回収する必要があるのか?」という議論がなされることが多いが、文芸に関してはけっこうゆるやかだ。

 薬物中毒だった坂口安吾や中島らも、自衛隊駐屯地に侵入して割腹自殺した三島由紀夫なんかの作品は今でもふつうに書店で手に入る。死刑囚が獄中で書いた手記を発表することもあるし、他のジャンルに比べれば「犯罪は犯罪、作品は作品」と考える向きは強いとおもう。

 にもかかわらず島田清次郎作品は書店から消えてしまった。作者の人となりだけが原因ではないのかもしれないが、なんとも残念なことだ。




 この評伝を読んでいると、島田清次郎という人物はじつに傲岸不遜、尊大な人物だ。

  こうして中山の家に居候することになった清次郎だが、その後「地上」が出て名声があがると、中山や妹、さらには両親までもを奴隷扱いするようになり、「お前の家にいてやるのを光栄とおぼえろ」などと言い出すようになった。
 両親からも苦情を言われ、妹からは清次郎に手を握られたなどと抗議され、ついに堪忍袋の緒が切れた中山は、清次郎を家の外へと投げ出してしまった。清次郎は衣物の泥を払いもせず「覚えていろ」と捨て台詞を吐くと、それっきり戻らなかった。荷物はあとで車屋に取りに来させた。
 小学校時代からの友人である林正義も、同じ上胡桃町の清次郎の部屋を訪ねている。そのとき、清次郎はちょうど『地上第二部』を執筆中だった。
「お母さんも喜んでおられるでしょう」と林が祝辞を述べたところ、清次郎はこう答えた。
「そうです、しかし母はぼくがどれだけ偉くなったかを知らないだけかわいそうです、実際総理大臣より偉くなったんですからね」
 林が自分たちも同人誌を作っていることを告げると、清次郎はすかさず
「ぼくのように成功すると、それが刺激となって、君達も真似するようになるんでしょう」
と答えたため、林は辟易したという。
「流感で臥てゐる。人は冷たし、木枯しは寒し、これまでの態度は悪かったから、看護に来てくれ」と、清次郎は中山のもとに葉書を送った。
 当時の清次郎は蓬萊館という本郷の安下宿にいた。障子は破れ、戸の建てつけが悪くて外気が吹き込むという悲惨な状態だった。すっかり同情した中山は、糊を買ってきて障子を張り替え、戸の隙間には新聞紙を詰め、炭を買ってきて部屋を暖め、流感に効くといわれていた漢方薬の地龍を煎じて清次郎に飲ませた。
 すると、看病の甲斐あって翌朝には平熱に戻り、三日目には清次郎は床の上に座れるまでに回復した。
 元気になるとともに傲慢な発言も戻ってきた。清次郎は、『地上』を出してもらった某氏(おそらく生田長江か堺利彦だろう)に対して暴言を吐き、「天才に奉仕するのが凡人の務めだ」と言い出した。
 失礼な物言いが腹に据えかねた中山が「ほう、では僕が君を看護するのも、君のような天才に対する務めかね」と訊くと、「そうだ、生意気な口答えをするな、貴様は同郷だから出入りを許してやるのだ、吾輩の看病をさせてやるのをありがたく思え」と清次郎は言い放った。
「何を言うか、お前は木枯しは寒し、人は冷たし、来てくれ頼むと泣き言で哀願したから、窮鳥も懐に入れば猟師も云々と言うから、お前は生意気な野郎だが、来てやったのだ。お前に何の責任があって奉仕せねばならぬのか」と中山は怒鳴った。
 すると清次郎は「天才に反抗するか」と言って、まるで殿様が家来を手打ちにするような形で中山に殴りかかったのである。

 こんなエピソードのオンパレード。これでもごく一部だ。

 ほとんど誰に対してもこんな態度だったという。さぞ嫌なやつだったんだろう。「生意気にふるまってるけど実はこんなかわいい部分もあった」みたいな話すらまるでない。副題の『誰にも愛されなかった男』は決して大げさな表現ではない。中には彼の才能を買っていた人もいるが、島田清次郎の身近な人で、彼を愛していたのは母親ぐらいだったようだ。


 島田清次郎の不幸は、才能があったことじゃないだろうか。

 たいていの人が、多かれ少なかれ、傲慢な部分を持っている。特に若い頃は根拠のない自信に満ちあふれ、「おれをそこらへんの人間といっしょにするな」という意識を持っている人は多い。ぼくもそのひとりだった。

 もしぼくが若くから何かの分野で評価され、若い世代のカリスマとして持ち上げられていたら……。きっと天狗になっていたことだろう。周りを見下し、威張り散らす、とんでもなく嫌なやつになっていたことだろう。

 だが幸か不幸かぼくは天才ではなかった。いろんなところで鼻っ柱をへしおられて、現実との折り合いをつけて生きていく道を選んだ。というかそうやって生きていくしかなかった。そのおかげで、とんでもなく嫌なやつにはならず、そこそこ嫌なやつで収まっている。たぶん。

 しかし島田清次郎はそうではなかった。傲慢な態度のままで生きていけるだけの才があった。これが彼の不幸の根源だったのかもしれない。

 幼い頃から成績優秀で、弁論大会に出るほど弁が立って、小説を書けばベストセラーとなって若いファンが天才だとあがめてくれる。これは天狗にならないほうがむずかしいかもしれない。

 とはいえ島田清次郎の場合はちょっと限度を超えている気もするが……。気質の問題もあったのだろう。

「令嬢誘拐事件というスキャンダルが原因で失脚」とされているが、この事件にしても、ちょっとまともな人のやることとはおもえない。この頃にはもう統合失調症がだいぶ顕かになっていたんじゃないだろうか。女性を誘拐して監禁・連れまわし、警察に捕まり、女性の家族から裁判を起こされてもなお、当の女性と結婚できると信じていたのだから。

 傲慢だったから人気を失ったとおもえば自業自得という気もするけど、病気のせいでそうなったのだとおもえば気の毒でもある。




 ところで、大正時代って人権意識が低いなあと改めて感じる。

 島田清次郎が令嬢を誘拐したり強姦したりしたことについても「令嬢のほうが島田清次郎にファンレターを送ったり家族に内緒で会いに行ったりしていたからしかたない」という理由で令嬢のほうが悪いとされたり(裁判所もそういう判断をくだしている)。嫁入り前の女が男に近づいたらレイプされてもしかたない、とみなされる時代だったんだなあ。

 精神病院に入った島田清次郎をおもしろがって、わざわざ会いに行って「こんな支離滅裂な言動をしていた」と新聞記事にしたり。

 ひっでえ時代だなあ。

 島田清次郎は時代の寵児でもあり、忌み児でもあったのだ。


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