2023年8月25日金曜日

【読書感想文】穂村 弘『野良猫を尊敬した日』 / わかってほしいけど見透かされたくない

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野良猫を尊敬した日

穂村 弘

内容(e-honより)
胆が小さくて使い捨てのおもちゃで遊べなかった子供時代。誰かが才能を見いだしてくれると待っていたけれど自分で動かないと何も始まらないと悟った青春時代。そして、スターバックスがお洒落すぎて注文時に緊張してしまう今。いつも理想の自分までは少し遠いけれど、愛しい。ユーモアたっぷりのエッセイ集。

 エッセイに定評のある歌人によるエッセイ集。

 穂村さんのエッセイは大好きで書籍化されている作品はほとんど読んでるんだけど……。

 なんちゅうか、前ほどおもしろくないな……。

 いやあ、観察眼の細かさや視点のみみっちさは変わってないし、エッセイとしてまとめるスキルはきっと以前より上がってるんだろうけど。

 でも、なんかおもしろくない。ぼくが穂村さんのエッセイに慣れてしまったこともあるし、穂村さんがたくさんエッセイを書いてきてネタが尽きてきたということもあるんだろう。また、穂村さんのエッセイが人気になったことで「穂村さん的なエッセイを書く人」が増えてしまったことも新鮮なおもしろさを感じさせなくなった理由かもしれない。

 もしかしたら、穂村さんの年齢の問題もあるのかもしれない。エッセイ中で、穂村さんが自分のことを「五十四歳のおじさん」と書いていておもわずたじろいでしまった。

 そうかー五十四歳かー。五十四歳っていったら昔なら定年退職寸前。サザエさんの波平さんが五十四歳だからもう中年すら過ぎようかという年齢だ。


「ぼくはこんなに細かいことを気にしちゃう人間なんですよー。おまけに小心者でだらしなくて他人ができることをうまくできないんですよー」というエッセイも、著者が三十代ぐらいならまだかわいげもあるが、五十四歳が書いているとおもったらおかしさよりもいたたまれなさを感じてしまう。

 いやいや、さすがにもう「ぼくってこんなにダメなんですよー」で「しょうがねえやつだな」とおもってもらえる年齢を通り越してるんじゃないでしょうか。年齢だけで言うならば重役クラスなんだもん。

 穂村さんのエッセイや短歌評をずっと読んできている身としては、穂村さんが結婚したことやお母さんを亡くしたことなんかも知っているわけで、「ちょっとあなた、いいかげん『だらしないおじさん』ポジションじゃまずいんじゃないですか?」と真顔で注意したくなってしまう。

 これが八十歳ぐらいになったらまた「もう、穂村のおじいちゃんったら、またベッドで菓子パン食べて、しょうがないわねえ」になるのかもしれないけどさ。



 ということで、自虐ネタを読むのがちょっとつらくなってきた穂村弘エッセイではあるが、細かい心境の揺れをとらえる視点の鋭さは健在だ。

 あれはいつだったろう。何人かでお茶を飲んだことがあった。お店を選んで、席について、全員が注文を終えて、ほっと一息吐いた。私は辺りをぼんやり見回しながら、感じのいい店だな、と思っていた。そのとき、後輩の男子がこう云ったのだ。「ほむらさんの好きそうな店ですね」
 むっとした。いや、彼の言葉は当たっている。現に私は「感じのいい店だな」と思っていたのだから。でも、それを見抜かれるのは嫌。指摘されるのはもっと嫌。何故なら、その店の壁は白く、高い天井にはゆっくりとファンが廻っていた。さらに大きな植物の鉢があって、絵本を並べた本棚があって、美しい木のテーブルに種類の異なるアンティークの椅子が配されている。いわゆるお洒落カフェだったのである。
 つまり、こういうことだ。私はお洒落なカフェが好き。でも、お洒落なカフェが好きな人と思われるのは嫌。この気持ち、わかって貰えるだろうか。  勿論、後輩には悪気はなかっただろう。でも、似たような状況で同じことをこんな風に云う人もいる。
「ほむらさんの好きそうなお洒落な店ですね」
「やめて!」と叫びたくなる。恥ずかしいじゃん。でもでも、さらにけしからん云い方をする者もある。
「ほむらさんの好きそうなコジャレタ店ですね」
 むう。こいつは「敵」決定だ。「コジャレタ」とは私に対する宣戦布告に他ならない。
 人間は自分の痛いところを突かれると怒るという。「コジャレタ」好きとは、私にとってのツボなのだろう。

 わかるわかる。他人から「あなたの好きそうな〇〇だよね」と言われるのってイヤなものだよね。それが図星であるほど。

 自分のことをわかってほしいけど、見透かされたくはないんだよね。「どうせおまえはこういうの好きなんでしょ」って見抜かれたら、相手のほうが自分より一段上にいるような感じがしちゃうもんね。

 でも「あなたが好きそうだとおもって」とプレゼントをされるのはすごくうれしいんだよね。自分の好みと一致していればいるほど。

「これ、あなたが好きそうなものだよね」と「あなたが好きそうだとおもって買ってきた」は似ているようで与える印象がぜんぜんちがうんだよなー。ふしぎ。



 あれは数年前のこと。公園のベンチに座って、楽しそうに遊んでいる子供たちを見ている時、ふとこんな考えが浮かんだのである。
 これから本を何冊書いたら、子供を一人作って育てたのと同じことになるんだろう。
 おかしな考えだ。答えはもちろん「本を何冊書いても、子供を作って育てたことにはならない」である。当たり前だ。
 その時も、私は無意識にプレッシャーを感じていたのだろう。目の前で遊んでいる子供たちは、社長や若いカップルたちとは違った意味で脅威だった。その正体は、このまま子供を持たずに死んでもいいのだろうか、という自分自身の不安である。
 それが脱出口を求めて暴走した。ただ、今回は敵を直接攻撃することはできない。だから、子供を本に換算するという異様なアイデアを勝手に生み出したのだ。
 心の弱さとは、どこまでいっても克服できないものなのか。普段はその気配もなくても、いったん追いつめられたら、どんな奇怪な論理を組み立てるか、自分でも予測がつかなくて怖ろしい。

「追い詰められると奇怪な論理を組み立てる」のはわからなくもない。

 めちゃくちゃきつい仕事が続いていたときとか、仕事で強いストレスにさらされたときとか、とんでもないことを考えてしまうものだ。後で冷静になったら「なんでそんなことを考えてたんだろう」とおもうようなことを。

 少し前に某中古車販売会社が会社ぐるみでめちゃくちゃな不正に手を染めていたけど、あれを実行した人たちの気持ちもちょっとわかる。ふつうに考えたらいくら上司に命令されたって犯罪なんかしないんだけど、激務が続いたり、めちゃくちゃ怒られたりしてたらふつうじゃなくなるんだよね。そんなときに「わざと車に傷つけて保険金多めに請求しろ。大丈夫だ、誰も損しないから」なんて命じられたら、ほとんどの人は断れないんじゃないかとおもう。

 要するに、人間なんてかんたんに狂っちゃうんだよね。だから戦争もするし、官僚みたいな頭のいい人たちが命じられるままにかんたんに不正に手を染めてしまう。

「自分はすぐ狂う」って肝に銘じておかないとね。ぼくは狂ってないけどね。うひひひ。


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