狭小邸宅
新庄 耕
わりといい大学を出て、不動産屋の営業として就職した主人公の仕事っぷりを描いた小説。
主人公が入社したのは、いわゆるブラック企業。パワハラが横行している。暴言どころか暴力もあたりまえのように飛び交う職場。なので従業員はどんどんやめていく。
令和の今では「こんな会社あるのか」とおもうかもしれないが、ほんの十数年前まではこんなのはめずらしい話じゃなかった。というか今でもこれに近いことをやっている会社あるし(ぼくが知っているのは不動産業界じゃないけど)。
なんせパワハラなんて言葉もなかった。言葉がなかったということは、それがいけないという認識もなかった。業務に関することであれば上司が部下をどれだけ口汚く罵ってもいい、というのが日本の社会のルールだったんだよ。ほんとに。
ひどい時代だったなあ。21世紀初頭になっても日本はまだ野蛮な未開国だったんだよ。
前半は会社のブラックっぷりの描写や不動産業のうんちくが語られるのでわりとよくあるお仕事小説かとおもったら、途中から毛色が変わる。
まったく契約がとれなくてやめさせられる寸前だった主人公が、契約をとれたことや上司からのアドバイスを機に自信をつけ、売上を伸ばしていく……と書くと順調そうに見えるのだがそうでもない。
睡眠時間を犠牲にし、酒量が増え、金儲けに邁進し、身につけるものに金をかけ、彼女を疎んじるようになり、周囲の人間をぶつかるようになる。
「仕事はできないけどいい奴」だった主人公が「仕事はできるがいやな奴」に変わってゆくのだ。
こういう人、ぼくも見てきたなあ。ブラック企業の中で成功しようとおもったら悪いやつになって適応するのが最短距離なんだよね。
中盤の「嫌な奴になる少し前」の主人公は過去の自分に重なる部分が大きかった。
ぼくもこうだった。書店で働いていながら、心のどこかで「ここが自分の本当の居場所じゃない」とおもっていた。そして周囲をうっすらばかにしていた。自分を特別だとおもっていた。まさにぼくだ。
ま、その後別業界に転職したからじっさい居場所じゃなかったんだけど。
多かれ少なかれそんなもんだよね。これが自分の天職だ! とおもいながら仕事をしている人なんてほとんどいないだろう。
でも、ふしぎと歳をとると「本当の居場所がどこかにあるはず」という意識が薄れていくんだよな。なんでだろう。あきらめもあるし、ぼくの場合は家庭を持ったこともあるし。
大きかったのは、じっさいに何度か転職をしたことかな。転職をしてみたら「どんな仕事をしてもいいこともあれば不満もあるし、嫌ならやめればいい」という心境になれる。
そしたら「何の仕事をするか」が「今日はどの店で飯を食うか」ぐらいの問題におもえてくる。それはさすがに言いすぎか。
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