笑う科学 イグ・ノーベル賞
志村 幸雄
昨年、『イグ・ノーベル賞の世界展』という展覧会に行ってきた。
イグ・ノーベル賞はノーベル賞へのパロディとして誕生した。「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に贈られる賞だ。
日本はイグ・ノーベル賞大国で、過去に30回近く日本の研究がイグ・ノーベル賞を受賞している。『ハトを訓練してピカソの絵とモネの絵を区別させることに成功したことに対して』心理学賞が贈られ、『床に置かれたバナナの皮を人間が踏んだときの摩擦の大きさを計測した研究に対して』物理学賞が贈られ、『火災など緊急時に眠っている人を起こすのに適切な空気中のわさびの濃度発見と、これを利用したわさび警報装置の開発』により化学賞が贈られるなどしている。
その他、さまざまな独創的な研究に対してイグ・ノーベル賞が贈られているが、共通しているのはいずれも「研究した人は大まじめ」ということだ。まじめに変なことを研究している。その姿勢を評価するのがイグ・ノーベル賞である。
「そんなこと何の役に立つの?」「そんなこと勉強したって社会に出たら何の役にも立たないからやめろよ」と言う人がいる。そういう人間が人の役に立つ研究をできたためしがない。役に立たない研究の価値を理解しない人が、役に立つ研究などできるはずがないのだ。
実際、ほとんどの偉大な発明は偶然から生まれている。エジソンは最初から蓄音機を発明しようと思って学んでいたわけではない。何の役に立つかはわからないけど学ぶことがおもしろいから学んでいたら、たまたま役に立つ発明につながっただけだ。
『ハトを訓練してピカソの絵とモネの絵を区別させる』ことはそれ自体何の役にも立たないだろうが、この研究が別の研究の役に立つ可能性はある。その研究がほかの研究の役に立ち、それを生かした別の研究が世界を変える大発明になるかもしれない。
イグ・ノーベル賞はノーベル賞のパロディではあるが、科学に対する向き合い方はノーベル賞に負けず劣らず真摯なものだ。アンドレ・ガイムという物理学者は、イグ・ノーベル賞を受賞し、その10年後に本物のノーベル賞を受賞している。
「たまたま役に立ったかか立たなかったか」の結果が異なるだけで、アプローチ自体はノーベル賞もイグ・ノーベル賞も大して変わらないのだ。
日本の研究力低下はずっと叫ばれているが、日本人がイグ・ノーベル賞を受賞できなくなったときはいよいよ日本もおしまいかもしれない。
そんなイグ・ノーベル賞について説明した本。
といっても『イグ・ノーベル賞の世界展』ですでに同賞についての基礎知識は身につけていたので、あんまり新しい情報はなかったな(ま、この本が2009年刊行だしね)。
知らなかったのは、誰でもイグ・ノーベル賞を申請できること。
へえ。じゃあぼくでも「これはイグ・ノーベル賞に値する!」とおもえば推薦できるんだ。
自薦でもいいが自薦での受賞はほとんど例がない、というのがおもしろいね。そうだよね。大まじめに研究している人に授賞するからおもしろいんだもんね。
「おれの研究はユーモアがあって独創的だからイグ・ノーベル賞にぴったりだ!」って人の研究はまずまちがいなくつまらないもんね。自薦で受賞にいたった一件が気になるな。
この本ではイグ・ノーベル賞を受賞した日本人の研究についていくつか紹介しているけど、どっちかっていったら海外の例を紹介してほしかったな。日本の受賞例はすでに有名なものが多いし(たまごっちとかバウリンガルとかカラオケとか)、海外のほうが突飛なものが多いので。
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