「手段のためなら目的を選ばない」人って多いよね。
「目的のためなら手段は選ばない」じゃなくて、「手段のためなら目的を選ばない」人。
手段はひとつじゃない
たとえば電話をかけて営業をするとする。
週に100件電話をかけて、1件成約につながる。
上司が言う。「成約数を倍にしろ! 200件電話をかけるのがノルマだ!」
それはそれでひとつのやりかただと思う。
数をこなすことでしか得られないものも、たしかにある。けれど失うものも多い。たとえば時間とか。精神の安寧とか。
目的は契約をとることであって、電話をかけることじゃない。
1件あたりの電話時間の半分を事前準備に費やすことで1%の成約率を2%に上げることができたなら、そっちのほうがはるかに早い(おまけに電話代もかからない)。
「電話をかける数を倍にしろ!」という発想しか出ない上司は、まさに「手段のためなら目的を選ばない人」だ。
FAXなら同じ時間で300件送れて、成約率は変わらないかもしれない。
メールだったら成約率が0.1%に下がるけど、同じ時間で10,000件送れるかもしれない。
Web広告を出稿すればお金はかかるけど、人件費を考えれば結果的に安く顧客を集めることができるかもしれない。
「かぎられたコストの中で獲得契約数を最大にする」という目的を持っていれば、いくつもの発想も出てくるはずだ。
会議はいい手段じゃない(ことが多い)
世の中には会議が大好きな人がいる。
なにかあると「会議しよう」と言いだす。
そして「これを定例にして、毎週やることにしよう」と言いだす。
定例にすることで、もう「会議をすること」が目的になっている。
会議は手段だ(そしてたいていの場合効率の悪い手段だ)。
目的は「情報の共有」であり「アイデアを出すこと」。
誰か(会議をしたいと言いだしたやつ)が議題について書面でまとめて、それを関係者各位にメールで送って、確認や意見出しをしてもらうほうがずっと効率がいい。
10人で60分の会議をすれば600分の時間が消化されるけど、書面ベースのやりとりで総計600分もかかることはない。
会議を開きたいやつは、自分が文書で論理立てて説明することのできないから「直接会って話したい」という。
でも論理立てた文書を書けないやつが、短時間で無駄なく伝わる話をできるはずがない。
会議が「文書の共有」よりまさっているのは緊急性だけだ。
「今から30分後までに共有しないといけない」という場合には、書面を作ってメールで送るよりも関係者を緊急招集して会議をしたほうが有効だろう。でも「毎週月曜日に集まろう」という場合には、たいていもっといい手段がある。
ってなことを言うと、こんなことを唱えるやつがいる。
「いや、会議ってのはコミュニケーションの場でもあるわけだよ。
顔をつきあわせて話すことでメンバーの団結力が高まるんだよ」
仮に会議をすることで「コミュニケーションが良好になる」としよう(会議を通して険悪になることはあっても仲良くなった人を見たことがないから、個人的にはまったく賛成できないけど)。
だとしてもコミュニケーションもまた手段であって、目的ではない。オフィスは大学サークルではない。
仲が良くても情報伝達がうまくできない組織より、ビジネス上の付き合いしかなくても効率よく情報を連携できる組織のほうがずっと強い。
交通手段は多いほうがいい
人が移動するとき、考えなくてはいけないのは
「目的地」と「移動手段」だ。
趣味のドライブやジョギングの場合は、「移動手段」=「目的」となる。
趣味の場合はこれでもいい。
しかしそれ以外においては、移動手段は代替可能なことが多い。
たとえば東京から大阪に行くとする。
飛行機か新幹線で行くことが多いだろう。車で行く人もいるかもしれないし、在来線を乗り継いで行く方法もある。船、ヒッチハイク、バイク、自転車、徒歩など、他にも手段はたくさんある。2つ以上を組み合わせたっていい。
どの方法がいちばん良いということはない。それぞれの手段にはメリットがあるしデメリットがある。
「速いけど高い」とか「つらいけど体が鍛えられる」とか「大人数の移動には向いてないけど楽しい」とか。
自分の嗜好やそのときの状況を考えて、どの方法をとるか考えればいい。
頭がいい人というのは、「目的地にたどりつくための交通手段をたくさん持っている」人だ。
「目的地にたどりつくための交通手段をたくさん持っている」を展開すると、
・ 自分が今いる場所と目的を正しく理解している
・ 幅広い知識を持っていて、それを整理している
・ さまざまな視点から物事をとらえることができる
ということになるね。
うん、これは頭のいい人の特徴だ。
結論
会議はなくそう!
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