こないだ「もう三十年も生きているのに、まだ靴下がうまくはけない。三十年もあれば普通の人ならトランペットだってうまく吹けるようになるはずなのに」と書いた。→ これ
するとたまたま次の日に、「トランペットを吹ける」という人と出会った。しかもぼくと同い年である。
思わず彼の足元に目がいってしまう。
靴をはいているのではっきりとはわからないが、きちんと靴下をはいているようだ。
彼に質問してみた。
「あのう。つかぬことをおうかがいしますが、トランペットを演奏するときって靴下はどうしてるんですか」
「えっ。どういうこと?」
「靴下をはいて演奏するんですよね」
「え、ええ」
「演奏中に靴下がずれてきたりしませんか。かかとの位置がずれたり」
「さあ。そんなこと気にしたことないですけど。でも気にならないってことはずれてないんでしょうね」
彼は怪訝そうな顔を浮かべながら、ぼくの唐突な質問に丁寧に答えてくれた。
すごい。
トランペットを吹ける上に、靴下もはきこなせるなんて。F難度の技をふたつも同時に!
ぼくが一輪車に乗ろうと悪戦苦闘している間に、彼は一輪車に乗りながらジャグリングをやってのけている。
ぼくと同じ年月しか生きていないのに、彼はもう靴下ステージの次のトランペットステージをもクリアしているのだ。
さらに驚愕することに彼は、靴下を上手にはきながらトランペットを吹けることをひけらかすことなく、
「そんなこと気にしたことない」などと謙遜してみせるのだ。
内心で誇りに思っていないはずはないのに。
なんて大人な対応なんだろう。
ぼくだったらひけらかす。ひけらかしたおす。
「楽器やってるんですね」と云ってもらいたいがために、意味もなくトランペットケースを持ち歩く。
いや、もうケースなんかに入れずに、これみよがしにトランペットを裸で持ち歩く。
はっ。
もしかして。
こういうところか。
こういうところが原因なのか。
この「ケースで覆い隠すもんか!」という気持ちが、靴下というケースで足を隠すことを拒絶し、無意識に靴下をちゃんとはくことを拒んでいるのか。
そうだったのか。
靴下をうまくはけない原因は深層心理にあったのか。
ということはつまり、トランペットをさりげなく持ち歩けるようになれば、靴下も上手にはけるようになるということになる。論理的に考えてそうなる。
靴下の次のステージがトランペットだと思っていたのに、トランペットのほうが先だったなんて!
だから靴下をちゃんとはける人たちよ、ぼくにおしえてくれ。
トランペットの吹き方を。
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