読書感想文は随時追加中……
読書感想文リスト
ひざこぞうとは言うがひじこぞうとは言わない。
なんでだ。ひざよりひじのほうが小さくてかわいいだろ。
こぞうはひじに譲って、ひざのことはひざ入道と呼ぶことにしよう。
定規とものさしの違いは、0と端の間にスペースがあるのが定規、端が0になっているのがものさしだそうだ。定規には「0を起点とする線を引きやすい」というメリットがあり、ものさしには「床や壁からの長さがはかりやすい」というメリットがあるそうだ。
ふうん。たしかに定規では床や壁からの距離が測りにくい。
それはしかたないんだけど、ぼくが常々おもっているのは「0と端の間にスペースがあってもいいんだけど、そのスペースをぴったり1cmにしておいてほしい」ということだ。そしたら、定規の端を床にぴったりつけて長さを測り、読み取った目盛りから1cmを足すだけで正確な長さが求められる。定規とものさしのいいとこどりだ。
でもだいたいの定規は「0と端の間のスペース」が0.4cmとか半端な長さなんだよね。何か理由があるのかな。
「イヌは英語でドッグだ」と「ドッグは英語でイヌだ」は、どちらも同じ意味になる。
前者の「だ」は「と呼ばれる」の意味であり、後者は「の意味」だ。
著者は水中考古学者であるらしい。水中考古学とは何か。文字通り水中にもぐって沈没船を調査し、船の構造や積み荷から、昔の船について解き明かす学問らしい。へえ、そんなものがあるなんて。
今でこそ船といえばレトロなイメージのある乗り物であるが、ロケットや飛行機が登場するほんの百数十年前までは船は最先端の乗り物だった。つまり当時の科学技術の粋が船に詰めこまれていたわけで、船を調べればかつて存在していた文明についてもいろいろわかるらしい。
また水中は酸素が少ないし人や獣が来ないこともあって、泥をかぶったりした場合、何百年も前の船がつい先日沈んだかのような保存状態で見つかることもあるそうだ。
陸上では何百年も残り続けるのは石造りの建造物ぐらいだが、水中では木造船でもそのままの形で残ることがあるので、考古学の世界では水中は貴重な資料の宝庫であるそうだ。
このようにめずらしい世界に情熱を捧げる研究者が書いた本。こんなのおもしろくないわけがない! と読みはじめたのだが……。
あれっ、どうもおもしろくないな……。いや決してつまらないわけじゃないのだが。でもこんなわくわくする題材を扱っているのに、なーんか地味なんだよな。
著者が「どう、これおもしろいでしょ!」と書いてるとこと、我々ド素人読者が「こういう話を読みたい!」とおもうことにだいぶズレがあるんだよな。詳しい調査方法や水中考古学的にすごい技術を知りたいわけじゃなくて「こんな危ないことがあったぜ」とか「水中調査にはこんな苦労があるぜ」とか「こんなおもしろこぼれ話があるぜ」ってのを読みたいわけで。
これは著者というより編集者の腕によるものだろうな。研究者がおもしろがるポイントなんてだいたいふつうの人とはちがうんだから、そのまま書かせたっておもしろくならない(中にはめちゃくちゃおもしろい文章を書く研究者もいるけど)。編集者が「そこは一般の人が知りたがるとこなんで詳しく!」とか「ここはもっと短くてもいいとおもいます」とか一般人の感覚に近づくように導いていればなあ。
今まで、ダニの研究者とか、アフリカでバッタを追いかけてる人とか、カラスの研究してる人とか、キリンの解剖してる人とか、いろんな研究者の本を読んできたけど、ほぼハズレなくおもしろかった。だから「何の役に立つんだかわからない変わった研究をしている人の本はおもしろい」というイメージがあったんだけど、それは編集者の(もちろん著者のも)いい仕事があったからなんだなあ。
沈没船なんてふつうに生きていたら目にする機会もないし、聞くことも耳にすることもない。2022年に知床で遊覧船の沈没事故が起こり、大ニュースになった。大きなニュースになるぐらいだからめったに起こらないんだろうとおもってしまう。
ところが、沈没船は我々が想像するよりずっと多く眠っているらしい。
「100年以上前に沈没」「水中文化遺産となる沈没船」だけで300万隻! 第二次世界大戦などで沈んだ船は100年以内なのでそこに含んでいないし、小さいイカダなんかは含んでいないんだろう。
しかも船が沈没するのは離着岸のタイミングが多い(飛行機といっしょだね)ので、陸地に近いところに沈んでいることが多いそうだ。そう考えると、近海は沈没船だらけだ。なんか夢があるな。
ちなみに積み荷を狙うトレジャーハンターは水中考古学者の敵なんだそうです。そのへんは陸も海もいっしょだね。
巻末に収録されている丸山ゴンザレスさんの話がおもしろくて、沈没船ハンターもいるけど、盗掘にかかる費用が大きくて割にあわないので、最近はそういうやつらは「沈没船からお宝を手に入れてくるから出資してくれ」という詐欺のほうにシフトしているそうだ。へえ。「沈没船が儲かる」という話を聞いたら要注意だね。
考古学者というと地道な作業をする人、という印象なのだが、水中考古学者はもっと地道でしんどそうだ。
冷たい水中にじっと潜って、ひたすらスケッチをする。きつい。
水中だと写真もうまく撮れず、対象物の長さを測るだけでも一苦労(陸上みたいにものさしやメジャーが使えないからね)。
これは一例で、水中だと何をやるにも大変そうだ。だからこそ、手つかずのまま残っていることが多いんだろうけど。
割に合わないとトレジャーハンターが投げ出すのもわかるなあ。
社会人の主人公は、たまたま駅のホームで高校生のときに好きだった女の子を見かける。なぜか彼女は高校生のまま歳をとっておらず、以前と同じように高校に通っていた。
だが周囲は誰もそれを疑問におもっておらず、当然のように接している。歳をとらない人なんているはずないと言っていた人も、彼女の姿を見たとたん「いろんな人がいますから歳をとらない人もいるでしょう」なんてことを言いだす。
なぜ彼女は歳をとらないのか、なぜ周囲はそれを疑問におもわないのか、そしてなぜ主人公だけが疑問におもうのか……。
「誰にでも平等であるはずの年齢が平等でなくなったらどんなことが起こるか?」という非現実的な謎を追い求めるSFミステリ。謎自体が超常現象なので、当然ながらその答えは著者の頭の中にしかなく、万人が納得のできる答えなんてのはないに決まっている。
無理のある設定だからこそ作家としてのほら吹きの才能が試される。よくできたほら話を広げてくれれば「なるほどね。この設定ならこれが答えになるか」とおもえるし、そうでないならまったくもって納得のいかない種明かしになる。
で、この作品はどうだったかというと……。
うーん、まあ、ぎりぎりありかな、という感想。「なぜ歳をとらないのか」というおもいきった設定にしては、解が“弱い”。彼女と同じような思いを抱えた人なんていくらでもいるわけで、その中で彼女だけが高校生活をくりかえすことに対する理由にはなっていなかったな。
ミステリとしてはパワー不足だったが、青春小説としては悪くなかった。
なにしろ高校時代の主人公は、好きな異性にふりむいてもらうために「ひとりでプラモデルを作り続けて部室をプラモデルでいっぱいにする」という計画を立てて実行するのだ。あほだ!
でも、ぼくもこれに近いことはいろいろやっていた。なんとかして接点をつくろうと、意味なく好きな子のまわりをうろうろしたり。変なことをしてたらあの子に話しかけてもらえてそれを機にお近づきになれるんじゃないかと考えたり。冷静に考えれば、まわりをうろうろしているからって好きになるわけないのに。
ふつうに考えれば、部室をプラモデルで埋めつくすよりも、話しかけるほうが百倍効果的だ。はるかにかんたんだし。でも、そのときは「一瞬勇気を出して話しかける」よりも「半年かけてプラモデルを作りつづける」ほうがかんたんで効果的だとおもっちゃうんだよねえ。若さも恋も人を狂わせるので、若いときの恋ときたら人をとんでもない行動に駆りたててしまう。
主人公の行動を読んでいると、若い頃のからまわりを思いだしてほろ苦い気持ちになった。今となっては青春時代はただただ美しい思い出になっているけど、それだけじゃない苦い記憶もたくさんあったことを思いださせてくれた。ありがとうこんちくしょう。
ソ連の小さな村で母と一緒に猟師として暮らしていたセラフィマ。ある日、村にドイツ軍がやってきて母親を含め村民全員が殺されてしまう。
ソ連の赤軍に救われたセラフィマだが、赤軍に村を焼かれたことで赤軍兵士に対しても怒りを覚える。生きる意味を失ったセラフィマだったが、母を殺したドイツ軍と、村を焼いた赤軍女性兵士のイリーナに復讐をするため、赤軍の狙撃訓練学校に入ることになる。厳しい訓練、仲間の裏切りなどを経て兵士となったセラフィマたちは前線に向かうが、そこは地獄だった……。
いやいや、とんでもない小説だった。各所で『同志少女よ、敵を撃て』はすばらしいと絶賛する声を聞いたので期待して読んだのだが、期待を裏切らない、いや期待をはるかに上回る小説だった。まちがいなく今年読んだ本の中でナンバーワン。
難しい題材だとおもうんだよね。独ソ戦で戦った女性兵士の物語って。はっきり言って多くの日本人にとってはまるでなじみのない題材だ。ぼくも少し前にスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』を読むまでは、ソ連では女兵士も最前線で戦っていたということすら知らなかった。
だが「復讐を誓った少女が厳しい訓練と過酷な戦闘を経て成長し、裏切りや仲間の死によって傷つき、それでも強い敵を倒すために戦う」という王道少年漫画のようなストーリーによってとんでもなく惹きつける。
ぼくは通勤途中の電車の中でこの本を読んでたんだけど、何度か乗り過ごしそうになったからね。それぐらい夢中にさせる筆力がある。
そして王道少年漫画とちがうのは、主人公がずっと戦う意味を探していること。愛する人たちの敵討ちだったり、祖国を守るためだったり、仲間との約束だったり、純粋に狙撃が楽しかったり、いろいろ意味を付与するのだけれど、どれもしっくりこない。どれだけ成長しても、どれだけ敵兵を倒しても、かえって求める答えからは遠ざかっていく。
少年漫画だと全面的に悪い敵がいるわけだけど、もちろん現実の戦争にそんなやつはいない。ヒトラーひとりに罪を押しつけて済む話ではない。敵にもいいやつはいるし、仲間にも悪いやつはいる。ナチスドイツは残虐なことをしたけれど、兵士や市民は家族を愛するふつうの人間だったりする。平和を守るために戦っていたソ連兵も、無抵抗の民間人や女性に暴行をはたらいたりする。
なぜ戦うか。おそらく答えはないし、考えるだけ無駄なのだろう。デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』によると、多くの兵士は、十分な訓練を受けていたとしても、いざ戦地に行くと大半は相手を殺すことができないのだという。銃を撃てない、撃ったとしても無意識に外してしまう。それぐらい人を殺すことへの忌避感は強い。おそらく、戦う意味を考えれば考えるほど優秀な兵士からは遠ざかる。
だが考えてしまう。なぜなら兵士とて人間だから。激しい戦闘が終われば飯を食い、睡眠をとり、仲間と話し、人間として生きることになるから。
そこで葛藤が生まれる。『同志少女よ、敵を撃て』に出てくる兵士たちはみな答えを探している。百戦錬磨の兵士も答えを探し求めている。一切の迷いがないかのように次々に敵を殺す兵士は、その迷いのなさが原因で命を落とす。
戦わないといけない理由なんてないんだろう。でも戦わないわけにはいかない。この小説には、敵前逃亡を図ったために味方から銃殺される兵士が描かれる。ソ連もドイツも同じ。ほとんどの人は戦いたくないのだから、それでも戦闘に向かわせるには「逃げたら殺される」とおもわせるしかない。殺さなきゃ殺される、だから殺す、だから敵もこちらを殺す。殺されないために。戦闘が戦闘を呼び、暴行が暴行を呼び、復讐が復讐を呼ぶ。
今、パレスチナで戦争が起こっている。ニュースで観た映像で、イスラエル人のばあさんが「ムスリムの連中は皆殺しにしないといけない。女も子どもも関係ない。一人も残してはいけない」と語っていた。
テレビで観ていたぼくはドン引き。えええ……。兵士を憎むならまだわかるが、子どもまで殺せって頭おかしいのかよ……、と。
じっさい、そのばあさんは頭がおかしいのだ。その人だって、他の地域で暮らしていたなら、子どもまで皆殺しにしろなんておもいもしなかっただろう。でもきっと、身内を殺されたり、死ぬほどつらいおもいをさせられたり、あるいはそういう人に教育されたせいで、敵国の人間は子どもであっても殺していいと考えるようになったのだ。
その映像を観たとき、ああもうこの戦争を理性で止めることはできないだろうなとおもった。戦争によっておかしくなった人たちとおかしくなった人たちが戦っているのだ。「これ以上続けても被害が増えるだけだから損ですよ」とか「ここで止めたらこんなメリットがありますよ」なんて言っても、止まれないだろう。
どっちかが戦えなくなるまでやるんだろうな。敵味方ともに大量に人が死ぬことがわかっていても。悲しいけれど。
物語の説得力がすごい。
銃の説明、訓練とスキルアップの経過、戦闘の描写、内心の揺れ動き、戦況の説明。小説だとはわかっていても史実を見ているような気になる。
なんでもこれが著者のデビュー作なんだとか。なんと。その才能と丁寧な仕事ぶりに圧倒される。
話に説得力があるので、セラフィマの心情の変遷を追体験しているような気になる。冒頭で故郷の村人が皆殺しにされるシーンでは「なんでひどいことをするんだ」とおもっていたのに、セラフィマが厳しい訓練を経てドイツ軍と戦闘をするシーンでは「やっちまえ、ドイツ軍を全員殺してやれ」という気持ちになる。これこそが兵士の偽りのない心境なんだろう。どんなに戦いなんて無意味だとおもっていても、実際に戦地に赴き、共に笑いあった仲間が次々に殺されてゆく状況になれば「敵を殺さないと」という気になる。とても「ラブ&ピース!」なんて気持ちにはなれない。
そんな「いけ! 撃て!」と考えている自分に気づき、己の中にも好戦性があることに直面させられる。そりゃあ戦争はなくならんわな。
少女の成長冒険小説として読んでも、戦記物としても、女同士の友情物語としても、超一級品のすごい小説。
だけど、気になるのは優れたミステリ作品を選ぶアガサ・クリスティー賞を受賞していること。もちろんミステリにはいろんなジャンルがあることは知っているけど、これは広義のミステリにも含まれないんじゃないだろうか……。何が謎なんだろう。教官・イリーナの思惑? でもそれはだいたい想像つくしな……。