2021年11月25日木曜日

【読書感想文】知念 実希人『祈りのカルテ』~かしこい小学生が読む小説~

祈りのカルテ

知念 実希人

内容(e-honより)
新米医師の諏訪野良太は、初期臨床研修で様々な科を回っている。ある夜、睡眠薬を多量服薬した女性が救急搬送されてきた。離婚後、入退院を繰り返す彼女の行動に、良太は違和感を覚える。彼女はなぜか毎月5日に退院していたのだ。胃癌の内視鏡手術を拒絶する老人、心臓移植を待つ女優など、個性的な5人の患者の謎を、良太は懸命に解きほぐしてゆく。若き医師の成長と、患者たちが胸に秘めた真実が心を震わす連作医療ミステリ!


 少し前、通勤電車内で隣に立っていた小学生が文庫本を開いていた。
 電車通学しているので私学のかしこい小学生なんだろうが、それにしてもめずらしい。学校の図書室には文庫本はまず置いてないので、文庫本を読んでいる子はほんとの本好きだけだ。

 しかもちらっと見たら、医師とか捜査とかの文字が見える。ライトノベルではなく正統派ミステリっぽい感じだ。

 小学生が読むミステリってなんなんだろ。気になったぼくは、横目でちらちら見て、彼の読んでいる本の題名を突き止めた。『祈りのカルテ』。

 小学生が駅で降りていくと、スマホで『祈りのカルテ』を検索した(さすがに本人の横で検索するのは気が引けた。もしも小学生がぼくのスマホ画面を見てしまったら相当気持ち悪いだろうから)。
 そして購入。どれ、〝かしこい小学生が読むミステリ〟とやらを読んでみようじゃないか。




 うん、おもしろかった。やるじゃないか、かしこい小学生くんよ。

 主人公は研修医。総合病院で、あちこちの診療科をまわって研修をおこなっているのだが、その先々でふしぎな行動をとる患者に遭遇する。

 精神科では、毎月5日に退院するようなスケジュールで服薬自殺未遂をおこなって入院してくる女性。

 外科では、早期癌の内視鏡手術に同意していたのに、ある面会客に会ったとたんに手術を拒否した老人。

 皮膚科では、火傷での入院・治療の後になぜか火傷痕が増えた母親。

 小児科では、喘息の子どもに処方された薬がごみ箱に捨てられている。

 循環器内科では、秘密裏に入院していた女優の情報が知らぬうちにマスコミに漏れている。


 それぞれ殺人ほどヘビーでもないが、「日常の謎」と呼ぶにはいささか深刻な謎。その謎を、主人公である研修医が解き明かす。
 好感が持てるのは、あくまで研修医の立場から推理をおこなっていること。研修医だから忙しいし、治療の方針を決める権限もない。もちろん警察じゃないから強権的な捜査もできない。本業はおろそかにせず、研修をこなしているうちに偶然にも助けられてたまたま解決してしまう、というストーリー。
 で、それぞれにハートフルな結末が用意されている。

 いい、ちゃんとしてる。


 シリーズもののミステリの難しさって、トリックとか謎とき部分よりも「主人公を誰にするか」にかかってるんじゃないかとおもう。

 一般人が殺人事件を捜査することはまず不可能。むりやりやってしまうとおもえばナントカ田一とか江戸川ナントカみたいに、「行く先々でたまたま殺人事件が起こる死神のような探偵」になってしまう(まあマンガならギリギリ許されるかもしれないけど)。

 探偵でも同様。私立探偵のところに事件が持ちこまれる見込みは相当低い。大金持ちの遺産相続でもからまないと、わざわざ大金払って探偵に依頼する動機がない。

 じゃあ刑事を主人公に……となると、それはそれで難しそう。警察はきちんとした組織なので、権限や縄張りが決まっている。刑事が勝手にあちこち捜査するのには限界がある。
 数々の署員が集めてきた証拠をもとに丁寧な捜査をくりかえして着実に犯人を絞り込んでゆく……というのは現実的だが、小説としてはおもしろみに欠ける(横山秀夫氏のようにそれをおもしろく書ける人もいるけど)。


『祈りのカルテ』は、研修医という(推理に関しては)素人を主人公に据えながら、研修医の立場を超えた出すぎた真似をせず、それでいてきちんと証拠を集めて推理をする。うん、よくできた小説だ。




 五つの謎を解きながら、五篇を通して「主人公はどの科を選択するのか」という小さな(当人にとっては大きい選択だけど)謎も語られる。

 ミステリでありながら、研修医の成長物語にもなっていて、いやほんとよくできた小説だ。

 そして、よくできた小学生だぜ、あいつ。


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2021年11月24日水曜日

ポートボールにおけるドリブル再発明の瞬間

 ポートボールを知っているだろうか。

 Wikipedia『ポートボール』


 バスケットボールの子ども向け版というか。だいたいのルールはバスケットボールと同じだが、いちばんのちがいはゴールリングの代わりに人が立つこと。台の上にゴールマンが立って、その人にボールを渡せば得点が入る。

 みんな小学校でやったよね? とおもったが、今調べたら大阪発祥のスポーツなので全国区ではない可能性もある。兵庫県の小学校に通っていたぼくは何度かやったことあります。


 どんなへたくそでも適当にボールを蹴っていれば得点が入る可能性のあるサッカーとちがい、バスケットボールはある程度技術がないと点が入らない。小学校低学年だとそもそもゴールの高さまでボールが届かない、なんてこともある。

 その点ポートボールなら、ゴールは低い(台に乗ってもにせいぜい二メートルぐらい)し、シュートが正確でなくてもゴールマンが手を伸ばしてキャッチしてくれる。




 小学校低学年の子どもたちとよく公園で遊ぶ。

 子どもが未就学児のときはおにごっことかけいどろとか、とにかく走る遊びが主流だったのだが、ドッジボールなど多少複雑な遊びをやるようになってきた。

 ただ、ドッジボールって小学校低学年の遊びの定番でありながら、万人が遊ぶのにはあまり向いてないスポーツなんだよね。
 なぜなら強い子にばかりボールが集中するから。

 強い子は投げて、当てて、キャッチして、当てられて外野に行って、また当てて内野に復帰して……と八面六臂の活躍を見せる一方、弱い子は「逃げる」以外にはほとんどやることがない。

 いやほんと、「すごいスピードで飛んでくるボールから逃げまどい、ボールをぶつけられて痛い目に遭い、外野に行ってぼーっと過ごし、たまに転がってくるボールを拾って強い子にパスするだけ」のスポーツなんかおもしろいわけないよね。ほぼ罰じゃん。
 ドッジボールがスポーツ嫌いを生みだしていると言っても過言ではない。

(ちなみに、男子はそこそこ下手な子でも積極的に敵を狙いにいくのに対し、女子はそこそこうまい子でも空気を読んで自分では投げずに味方にパスすることが多い。既にはっきりと行動に男女差があっておもしろい)


 そんなわけで、ボール遊びが上手な子も下手な子もそこそこいっしょに楽しめるスポーツはないかなーと考えて、小学校のときにやっていたポートボールを思いだした。
 あれなら下手な子でもぼちぼち活躍できるかも。

 ということで、子どもたちにルールを説明してポートボールをやることにした。

  • ゴールマンは大人がやる(ゴールマンはただ立つだけであまりおもしろくないので。またゴールマンは背が高い人でないと点が入らないので)
  • ドリブルは教えなかった。うまい子のワンマンプレーにならないように、パスをつながないと点をとれないようにした。
  • 公式ルールだと2歩まで歩いていいらしいが、低学年には「2歩まで」を意識するのは難しい。また「3歩歩いた」「いや2歩だ」で喧嘩になることが目に見えているので、シンプルに「ボールを持っている人は1歩も歩いてはいけない」にした。投げるときに1歩踏みだすぐらいは黙認。
  • 危険な接触を減らすため「ボールを持っている人から奪うのは禁止」とした。ボールを取ったらあわてなくていい。小学校低学年には「一瞬で状況を把握してパスコースを決める」のは難しすぎる。スチールが禁止なので、ボールを手に入れるには、パスをカットするか、こぼれ球を拾うかしかない。
  • 怪我や喧嘩を招かないよう、2人同時にボールに触れたときはじゃんけんで所有権を決めることにした。




 ということで、小学2年生4人+大人2人でポートボールをやってみた。

 うん、いい。かなり白熱する。

 パスをつながないと点がとれないので、全員にまんべんなくボールを触る機会がある。ゴールマンを除けば1チーム2人しかいないので、必然的に下手な子にもボールがまわってくる。これが1チーム4人とかになると下手な子はパスしてもらえなくなるんだろうけど……。

 子どもは走りまわるけど大人はまったく走らなくてもいい、というのもいい。

 子どもは体力が無尽蔵にあるので、子どもといっしょにおにごっこなどをやっていると大人が先にばてるのだ。

 気を付けないといけないのは、なるべく接触を避けるようなルールにしているが、それでもやはりボールをめぐって子ども同士の接触が発生することだ。お互いに頭をぶつけるとか、別の子に引っかかれるとかは多少覚悟しなければならない。

 そうか、小学校でドッジボールが人気なのは、プレイヤー同士の接触が少ないからってのもあるんだろうな。ボールをぶつけられるのは痛いけど、怪我をするほどじゃないもんな。




 子どもたちははじめてのポートボールを楽しんでいた。ルールもそれほど難しくないので、みんなすぐに飲み込めた。

 特に教えたわけじゃないけど、「パスをカットするためにボールを持っている子と、パスを待っている子の間に入る」なんてプレーも自然にできるようになった。

 ところが「パスをカットされないように、ボールを持っていない子が右に左に動きまわる」はなかなかできない。みんな、ぼーっと突っ立ってパスを待っている。目の前に敵がいるからパスがもらえるはずないのに。

 そういやぼくも小学校のときにサッカーをやっていたけど、コーチから「パスもらいに行け!」とよく怒られたなあ。
 小学生にとって「パスをもらいやすい位置に移動する」というのはかなり難しいのだ。自分を客観的に見る、俯瞰的な視点が必要になるもんな。




 おもしろかったのは、自然発生的にドリブルが生まれたことだ。

 歩いてはいけないので、パスコースとシュートコースをふさがれるとどうすることもできない。立往生だ。

 あるとき、ひとりの子がボールを少し前に投げて自分で拾いに行った。ちょっと投げる、拾いに行く。ちょっと投げる、拾いに行く。そうやれば少しずつ前に進めることに気づいたのだ。
 他の子が「あれいいの?」と訊いてきたが、「ボールを持ったまま歩いてはいけない」というルールは破っていないので問題ない。
 OKと答えると、他の子も真似をしはじめた。


 ちょっと投げて、拾う。またちょっと投げる、拾う。

 ああそうか。これは原始的なドリブルだ。この子は、教えられていないのに自然にドリブルを発明したのだ。


 想像だけど、たぶんバスケットボールのドリブルもこうやって生まれたんだとおもう。

 バスケットボールが生まれたとき、「ボールを地面にバウンドさせながらだったら歩いていい」というルールはたぶんなかったはず。あったのは「ボールを持ったまま3歩以上歩いてはいけない」というルールだけ。
 たぶん最初期のバスケットボールにはパスはあってもドリブルはなかったはずだ。

 だがあるとき、誰かが「ボールを地面にバウンドさせながらならルールに抵触せずに進める」ことに気づいた。周囲は「あれアリなの?」とおもっただろうが、ルール的にはセーフだった。
 そこでみなが真似をはじめ、ドリブルが生まれたのだ。

 

 今、ぼくはポートボールにおけるドリブル再発明の瞬間を目撃したのだ!


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2021年11月22日月曜日

【暴言】前後不覚になっている人でも使える包丁

 高齢者の自動車運転免許について。

「高齢者が運転しやすい自動車の開発が待たれる」っていうニュース記事を読んだんだけどさ。

 そもそも発想の出発点がまちがってない?

 高齢者に運転しやすい自動車を開発する必要ある?


「高齢者が運転しやすい自動車」ってさ。

「自暴自棄になっている人でも使える包丁」

とか

「泥酔して前後不覚になっている人でもかんたんに使えるチェーンソー」

みたいなもんでさ。

 いやいや、正常な判断ができない人にそんな物騒なもん渡しちゃだめでしょ、って話なんだよ。

 使いやすいとか使いにくいとか関係なく。むしろ、使いにくいほうがいい。


 技術が未熟な人をサポートする自動車はどんどん開発してほしい。

 でも、判断力が衰えている人はサポートしちゃいけない。

 判断力が落ちても運転しやすい自動車って、要は「人を殺しやすい自動車」ってことでしょ。


 こういうこというと「車がないと生活できない高齢者は死ねっていうのか!」みたいなことを言う人がいるんだけど。

 ぼくは「うん。そうだよ。そういう人はぜひ現世から退場していただきたい(婉曲表現)」とおもっている。

 他人を危険にさらした生活の上にしか生きられないなら、さっさとお引き取り願いたい。

「川に垂れ流す汚水の処理なんかやってたらうちの工場はつぶれてしまう!」みたいな話だ。さっさとつぶれろ。


 ついでに言うと、
「徒歩+バスで三十分で駅に行ける場所住んでいて」「引っ越すだけの貯金は十分にある」我が両親も、「車がないと生活できない」と言っていたので、「車がないと生活できない」の99%は「不便な生活を強いられるぐらいなら他人を殺す方がマシ」のわがままだとおもっている。


2021年11月19日金曜日

【読書感想文】安部 公房『砂の女』

砂の女

安部 公房

内容(e-honより)
砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに、人間存在の象徴的な姿を追求した書き下ろし長編。20数ヶ国語に翻訳された名作。

 芥川賞作家・安部公房の代表的作品。

 昆虫採集に出かけた男が、砂丘の村を訪れた。村の家は、一軒一軒が砂丘内に彫られた穴の底に位置している。宿を探していた男は、夫と子どもを亡くした女の家に泊まることになるのだが、翌朝になると縄梯子が外されて砂の穴から出られなくなっていた……。


 設定としては「砂の底に閉じ込められた」といたってシンプルなものなのに、なんとも奥が深い。ぐいぐい引き込まれて、ずっと息苦しい。自分までもが穴の底に閉じ込められた気分になる。

 ふだんまるで意識することないけど、改めて考えると砂っておそろしい。

 子どもの頃、こわかった生き物がみっつある。ひとつはハエトリグサ。アニメ『みなしごハッチ』で、ハッチがハエトリグサにつかまって少しずつ溶かされてゆくシーンが忘れられない。
 それからタガメ。図鑑に「メダカやオタマジャクシにつかまり、生きたまま体液を吸います」と書いていてふるえあがった。
 そしてもうひとつがアリジゴク(あとまんが日本昔話で見た「影ワニ」もこわかったが、これは架空の生き物なので除外)。

 アリジゴク。
 全虫好き小学生のあこがれの昆虫だろう。成虫とは似ても似つかないが、ウスバカゲロウの幼虫である。
 名前は有名だが、意外と目にする機会は少ないのではないだろうか。虫好き少年だったぼくも一度しか見つけたことがない。

 アリジゴクは砂にすり鉢上の巣をつくる。そしてアリなどの獲物が落ちてくるのを待つ。ただひたすら待つ。アリはめったに落ちないらしく、一ヶ月以上待ち続けることがあるそうだ。非常に効率の悪い狩りだ。
 だがアリが巣に足を踏み入れたら最後。もがけばもがくほど砂はすべり、どんどん下に落ちてゆく。そして穴の底で待ち受けるアリジゴクに消化液を注入され、溶かされてしまう。ああおそろしい。
(今気づいたのだが、ぼくは「生きたまま獲物を溶かすやつ」が怖いようだ。カマキリみたいに一気に殺すやつはちっとも怖くない)


『砂の女』は、アリジゴクに落ちたアリの気分が味わえる小説だ。

 そう、この小説を読みとくキーワードのひとつはもちろん〝砂〟だが、〝虫〟も重要なワードだ。

 主人公の男は昆虫採集が趣味。砂の底に閉じ込められるきっかけも、新種のハンミョウを探しにきたことだ。
 また昆虫採集が好きなので、ことあるごとに様々な昆虫が比喩で用いられる。そして気づかされる。
 穴の底での暮らしは昆虫の暮らしと大差ない。もっと言えば、人間一般の暮らしが昆虫の暮らしとほぼ同じなのだと。

『砂の女』では固有名詞はほぼ出てこない。ラストに男の本名が明かされるが、それも大した意味はない。出てくるのは〝男〟〝女〟〝老人〟〝村人〟だけだ。昆虫一匹一匹に名前がないのと同じように。




 読んでいて、文章のすごさにうならされた。

「冗談を言うな! やつらの何処に、こんな無茶な取引きをする権利があるってんだ……さあ、言ってみろ! ……言えはしまい?……そんな権利なんてどこにもありゃしないんだ! 」
 女は目をふせ、口をつぐむ。なんてことだろう。戸口の上に、ちょっぴりのぞいている空は、もうとっくに青をとおりこし、貝殻の腹みたいにぎらついていた。仮に、義務ってやつが、人間のパスポートだとしても、なぜこんな連中からまで査証をうけなきゃならないんだ! ……人生は「そんな、ばらばらな紙片れなんかではないはずだ……ちゃんと閉じられた一冊の日記帳なのだ……最初のページなどというものは、一冊につき一ページだけで沢山である……前のページにつづかないページにまで、いちいち義理立てする必要などありはしない……例え相手が飢え死にしかかっていたところで、一々かかわり合っている暇はないのだ……畜生、水がほしい! しかし、いくら水がほしいからって、死人ぜんぶの葬式まわりをしなければならないとしたら、体がいくつあったって足りっこないじゃないか!

 はっきり言って、意味が分からない。でも、意味は分からないけど、こうつぶやいている男の気持ちは分かる。
 意味はわからないのに、心情はわかる。すごい文章だ。

 穴底に閉じ込められた男はどんどん追いつめられてゆく。
 外には出られない。穴の中の暮らしは不便きわまりない。口にも目にも砂が入り、何をしていても砂がまとわりつく。水はいつ断たれるかわからない。
 村人からの監視の目が光っている。いっしょに暮らす女は好意的ではあるが、その奥底で何を企んでいるのか判然としない。
 読んでいるだけでも気が滅入る。

 男はどんどん正気を失ってゆく。ほとんど発狂に近いぐらいに。けれども、狂人には狂人の理屈がある。その「狂人の理屈」が巧みに表現されている。すごいよ、これは。


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2021年11月18日木曜日

日常の謎系ミステリ

 勤務先のビル。

 数日前から、エレベーターの横で異臭を感じるようになった。何かが腐ったようなにおいだ。

 はじめは、誰かが何かをこぼしたのかな? ぐらいにおもっていた。

 だが翌日も、その翌日も、エレベーターの横に行くと臭い。

 フロアは毎日掃除のおばちゃんがモップがけをしている。何かをこぼしたとしても、翌日までにおいが残っているのはおかしい。


 ところでこのビル、ずいぶん古くて大正時代に建てられたものらしい。当初はホテルだったそうで、空襲にも耐えぬき、今はオフィスビルになっている。

 ホテルだった名残りだろう、エレベーター横に「金庫室」という部屋がある。

 一度、気になってこっそりのぞいてみたことがある。

 もちろん今は金庫はない。かつては金庫が並んでいたであろう棚がずらっと並んでいるだけだ。何にも使われていない。狭い部屋なので使い道がないのだろう。


 異臭は、金庫室のほうから漂ってくる。

 金庫室に扉はあるが施錠されてはいない。何もない部屋だから鍵をかける必要もないのだ。

 もしや。

 ミステリ小説などを読むと、人の死体というのは時間が経つと強烈なにおいを放つものらしい。

 嗅いだことはないが、ひょっとしてこの異臭は腐乱死体によるもの?

 大正時代に建てられたホテルの金庫室……。ミステリの舞台としてはうってつけだ。なんだかわからないけど事件のにおいがする……。


 どうしよう。こっそり金庫室に入って調べてみようか。

 もし、本当に死体があったらどうしよう。気にはなるけど、死体なんか見たくないな。

 通報したり、事情を説明したりするのめんどくさいな。なんで金庫室に入ったのか訊かれても困っちゃうしな。

 第一発見者がいちばん怪しいっていうしな。ぼくが殺されたんじゃないかと疑われたらどうしよう。身の潔白を証明できるだろうか。

 冤罪事件の本を読んだことあるけど、警察の取り調べってむちゃくちゃらしいからな。犯人でない人でも自白させるっていうし。


……と逡巡していたら、ふと金庫室の前に置かれた観葉植物の鉢が目に入った。

 鼻を近づけてみる。

 くさい。

 まちがいない、異臭の発生源はここだ。

 何かが腐ったようなにおいの原因は、観葉植物の肥料だ。



 真相なんてこんなもんね。