2021年5月21日金曜日

いちぶんがく その6

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



僕は1時間、ニンニクを微分し続けていたのだ。

(橋本 幸士『物理学者のすごい思考法』より)




皮肉だが、手綱を手放すことは、影響を与えるための強力な手段なのだ。


(ターリ・シャーロット(著) 上原直子(訳)『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』より)




この女なら杉子みたいに、客の残した寿司の上だけ食べて返すことはしないだろうと思った。


(向田 邦子『思い出トランプ』より)




おやおや、お前に苦痛はもったいないよ。


(伊藤 計劃『虐殺器官』より)




そして何故こんなにも、多くの人が壊れ始めているのかを。


(堤 未果ほか『NHK100分de名著 メディアと私たち』より)




いきなり中年男性が身体をくねくね動かすだけでは、じつに怪しいでしょう。


(広瀬浩二郎『目に見えない世界を歩く』より)




障害者は「健全者」に気に入られようと思ってはいけない。


(荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』より)




「可能性があればなんでもできると考えるのは、自分ではなにもしない奴だけだ」


(石持 浅海『三階に止まる』より)




ようやく「被害者」になれた。


(重松 清『十字架』より)




そこを流れ落ちていくのは、恐怖政治と下水だけだ。


(トム・バージェス『喰い尽くされるアフリカ』より)




 その他のいちぶんがく


2021年5月20日木曜日

【読書感想文】自由な校風は死んだ / 杉本 恭子『京大的文化事典 ~自由とカオスの生態系~』

京大的文化事典

自由とカオスの生態系

杉本 恭子

内容(e-honより)
折田先生像にバリスト、キリン!?西部講堂、こたつに石垣☆カフェ、タテカン、吉田寮まで…最後の(!?)自由領域を大解剖!森見登美彦(作家)インタビュー!&尾池和夫(元京都大学総長)特別寄稿掲載!

 京都大学に関する様々なキーワードを読み解きながら、「京大」の特徴や歴史を説明する本。ちなみに学問の要素はほとんどなく、京大という「場」に関する話が大半だ。

 著者は京大出身者ではなく、そのお隣の同志社大学出身。とはいえ学生時代はよく京大に出入りしていたらしい(京大吉田キャンパスと同志社大今出川キャンパスは自転車で10分ほどしか離れていないので京大内にもよく同志社の学生がいる。といっても女子ばっかりだが)。


 ぼくは20年近く前、京大に通っていた。2001年入学。国立大学が大学法人化したのが2005年だから、京大が国立だった最後の時代を過ごしたことになる。

 じっさい、今おもうとぼくが在籍していたのは「変わり目」の時代だった。
 ぼくが1回生(関西では大学1年生のことをこう呼ぶ)のとき、A号館改修工事がおこなわれた。改修前のA号館はとにかく汚くて、夜中でも出入りし放題だったし、地下には学生が勝手に運営しているバーがあった。ぼくが属しているサークル(持久走同好会)の部室もA号館の地下にあった。「校舎の下に部室があってそこにコタツや漫画やファミコンがある」という夢のようなシチュエーションに惹かれて持久走同好会に入ったようなものだ。
 地下部室では夜な夜な飲み会がおこなわれていた。飲みつぶれてこたつで寝る人もたくさんいた。今おもうとなんとすばらしい環境だろう。

 キャンパスに畳を敷くということにも、コテラさんは「場に対する関わりの特異さ」を感じていたそうだ。「畳を敷くことは『この場を、自分たちのものとして考えるぞ』という意思表示でもあるんですよ。しかも、所有や占有とはちょっと違う。畳によって誰のものでもない空間にしてしまってから、『この場を自分たちのものとして考えよう』と呼びかけるのがミソなんです」
 いつ、こたつをキャンパスに出すようになったのかは定かではないが、一九八○年代には現れはじめ、一九九〇年代には「吉田寮からこたつと古畳をリヤカーに乗せて運ぶ」ことはごく普通に行われていたようだ。なぜ、吉田寮生たちは、キャンパスにこたつを持ち出すようになったのだろうか?

 今はどうか知らないが、ぼくが学生のときはキャンパス内にこたつを出している人がときどきいた。
 冬の朝になるとこたつに入って寝ている酔っ払いの姿が見られたものだ。こたつには酒瓶や麻雀牌が散乱していた。

 たぶん、目的があってやっていたのではないだろう。キャンパス内でこたつに入ること自体が目的なのだ。
 ぼくも大学構内ではないが、公園にテントを張って友人たちと意味なく泊まったことがあるので気持ちはわかる。


 だがA号館は改修工事できれいな建物になり、夜間は立ち入れなくなった。まあそっちがふつうなんだけど。
 とにかくいろんなものがすごいスピードできれいになっていった。
 時計台の下に薄暗い生協や床屋もあったがいつしか消えていた。代わりにこじゃれたレストランができた。
 四回生ぐらいのとき、夜中に大学構内のテニスコートで遊んでいたら警備員に注意された。それまではそれぐらいのことで注意されたことなんてなかったのに(見つからなかっただけかもしれないが)。
 百万遍(地名)の石垣取り壊しに反対して学生たちが石垣を占拠し「石垣カフェ」を作ったのがぼくが卒業する直前。

「唯一無二の京大」が「数ある大学のひとつ」になっていった過渡期にぼくは居合わせていたのかもしれない。

 ま、大学から離れた今だからノスタルジックな思いに浸れるけど、在学中は食堂やトイレがきれいになるのは素直にうれしかったし、新しい教室での授業のほうが快適だった(古い校舎の大教室はめちゃくちゃ寒いんだもん)。




 在籍中は、他の大学と比べて「なんて自由な大学だ」とおもっていたが、しかしそれでも昔と比べるとずいぶんお行儀のいい大学になっていたようだ。
 一九六九年一月三〇日、一五○○人の学生が集まったという教養部代議員大会は、無期限バリストを可決。四月になってもバリストは続き、入学式の日には教養部や西部講堂などを舞台に映画上映や講演会を行う、バリケード祭」がはじまった。バリケードのなかで、学生たちが「反大学」をスローガンにした自主講座を立ち上げると、教養部の教官たちも正規の講義に代わる自主講座を開講。学生と教官は「どっちがおもしろいものをやるかで、学生という客を取り合」った。教官たちは「はからずもそれぞれ得意の分野やテーマをもとにして講義を行う機会」に恵まれ、講義の内容も充実していたようだ。ふだんは大学に来ない学生たちも出席。出版社からも聴講に来る人がいて「次はどの先生に本を書いてもらおうか」という算段まではじまったらしい。

 この時代に学園闘争をやっていたのは京大だけではないが、教官たちまでもがそれに乗っかっていた(あるいは対抗していた)というのがおもしろい。

 理学部の建物が学生たちに不法占拠した際(「きんじハウス」事件)、近くにいたサル学の教授がフィールドワーク経験を活かして出入りしている学生を個体識別して勝手に名前をつけていた……なんてエピソードも出てくる(ちなみにこのエピソードを語っているのが京大元総長の尾池和夫氏)。

 学生だけでなく、教官や職員にも「外の世界とちがうこと」を楽しむ余裕があったのだ。

 「反動的管理強化」とは、大学生をひとりの大人として認めず、「勉強させよう」とする京大当局への批判の言葉です。京都大学新聞の記事によると、経済学部は単位が取りやすいため、学生が積極的に講義に出席していないことを認めつつも、「勉強する・しないは学生の勝手である。勉強しなかった結果、おとずれたものが『堕落』であったとしても、それは学生の責任というものだ。否、それどころか学生は『堕落』する権利を有しているとさえ言える」ときっぱり主張。「少なくとも京大では学生の『自主性』『主体性』を重んじることを一つの『売りモノ』としてきたのではなかったか」とまで書いています。

 ぼくも、入学式の日に学部長から「大学に来るのは二流の学生です。一流の学生は大学に来ずに勝手に学ぶ」という話を聞いて面食らった。
 一教官ならともかく、学部長がこんなことを大っぴらに言うのかと。
 当時はまだ「学生には堕落する権利がある」という風土が残っていたんだなあ。


 だがその余裕はどんどん失われつつある。

 最大のきっかけは、さっきも書いたけど2005年の大学法人化だろう。
 国から独立した存在だったのが、何をするにも国にお伺いを立てなくてはいけなくなった。京大だけでなく全国の国立大学が。

 その結果、教職員は疲弊した。この十数年で日本の大学の国際競争力がぐんぐん低下したのは周知のとおり。
 研究力が落ちただけでなく、大学側には学生と対話する余裕もなくなっていった。

 しかし京大当局は吉田寮との話し合いを再開しようとはせず、二〇一九年二月一二日、「吉田寮の今後のあり方について」という文書を公開。吉田寮の運営は「到底容認できない」「不適切な実態」であると決め付けた。また、「安全性の確保」と「学生寄宿舎としての適切な管理」を実現するために現棟からの退去を求め、「入寮選考を行わない」「本学が指示したときは退去する」などの条件を遵守した者のみ、新棟への居住を認めるとした」。同文書では「学生の責任ある自治を尊重する」としながらも、吉田寮の現状について「時代の変化と現在の社会的要請の下での責任ある自治には程遠」いと書かれている。もう一度繰り返すが、寮自治の根幹は自主入退寮権だ。それを否定する京大当局は、いったいどんな寮自治を「責任ある自治」だと考えているのだろう。さらに、「危険な現棟での本学学生の居住をもはや看過することはできない」と、京都地方裁判所に現棟に対する占有移転禁止の仮処分の命令を申し立て、二〇一九年一月一七日に仮処分が執行された。

 これをおかしいとおもうかどうかは難しい。このへんの感覚って、大学自治、寮の自治を知らない人にはぴんと来ないとおもうんだよね。

「学校側の命令に従わない学生に対して、大学側が裁判所に訴えを起こす」
って、世間の人からしたら「それの何が悪いの?」って感じだとおもう。
 私立高校とか私企業とかだったらあたりまえのことだろう。会社所有の寮に住んでいる社員に対して、会社が出ていくよう要求した。いつまでも退去しないので裁判所に訴えた。会社の対応におかしなことはない。

 でも、大学ってそういうもんじゃないんだよね。東大ポポロ事件を知ればわかるように、大学というのは特殊な場だ。国家権力からは独立している。
 学問の自由があるので、外の世界の法律が通用しないこともある。勝手に大学に入った警官を学生がぶん殴っても、無罪判決が出る(ポポロ事件の場合は最終的には有罪になったが)。それぐらい大学における学問の自由というのは強い。

 だから「社員寮を立ち退かない社員」と「大学自治寮から退去しない学生」はぜんぜん違う。
 にもかかわらず京大は裁判所への訴えを起こしたわけで、あまり話題にならなかったけどこれはかなりの大事件だ。

 法的に問題はないのかもしれないけど、つまんねえ大学になっちまったな、とぼくはおもう。
 それって長期的に見ると自分たちの首を絞めてることだとおもうんだけどな。大学にとっても、国にとっても。


 尾池和夫元総長はこう書いている。

一九八九年、京都大学新聞によるサークルBOX特集のなかに、「国有財産は税金でつくられるのであり、特別に問題がない限り誰でも自由に使えるべきだ」という文章がある。最近、公文書を読む機会が多いので、税金を使う以上、その成果をわかりやすく国民に説明する必要があるという内容を頻繁に目にする。そのこととの関連で、京都大学新聞の表現は新鮮であった。何の役に立つかという言葉は、最近の予算書にはしかたなく出てくるが、ふだんの研究者の議論にはあまり出てこない。研究者たちは盛んに「面白い」という言葉を使う。面白いから研究をして、面白いから学習をするのが大学なのである。人類の存続のために、子孫の繁栄を願い、自分の心身の健康のために、食を楽しみ、芸術を楽しみ、知的好奇心に応える学習をする。それらを支えるのが大学であり、面白いと人びとが感じることができれば、それが大学で懸命に仕事する研究者や学生たちが、税金を使って挙げた成果なのである。

「役に立つ」ではなく「面白い」が研究の目的にならないと、大学の力は衰退していく一方だよ。




 巻末の対談で、京大出身の作家・森見登美彦氏がいいことを言っている。

ただねえ、阿呆は「阿呆っていいね」と言ったとたん腐るというかね。自由もそうじゃないですか?「我々は自由なんだ」って言ったとたんにすぐ自堕落なものになる。そこが京大について語るときのいやらしいところというか、ね。持ち上げたとたんに、急にそれが別なものに変わって腐ってしまうのがいやなんです。

「京大ってこんな自由な大学なんですよ」って書くのってすごく野暮なんだよね。そう書いちゃったとたんに自由でなくなる。
 そういうことをあえて口に出さないから自由でいられるというところはある。
「私おもしろいでしょ?」って言う人がおもしろくないのと同じで。

 だからほんとは、こんな本出ないほうがいいんだよね。
「京大ってこんな文化があるんです」
って書いちゃったらおもしろくなくなる。縛りがかかってしまう。

 でも残念ながら京大の自由さもおもしろさも過去のものになりつつある。だからこういう本が出たんだろう。有名人が死んだときに追悼番組をやるようなものだ。
 自由な校風(ほんとはこういうこと書かないほうがいいんだけど)はもう死んだのかもしれないな。悲しいけど。


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2021年5月19日水曜日

【読書感想文】ミラクル連発 / 東野 圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

ナミヤ雑貨店の奇蹟

東野 圭吾

内容(e-honより)
悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されたのか?3人は戸惑いながらも当時の店主・浪矢雄治に代わって返事を書くが…。次第に明らかになる雑貨店の秘密と、ある児童養護施設との関係。悩める人々を救ってきた雑貨店は、最後に再び奇蹟を起こせるか!?

 元雑貨店に侵入した三人の若者。
 その家に突然手紙が投函される。読むと、どうやらこの家の郵便受けは過去とつながっているようだ。そしてこの雑貨店はかつて悩み相談を引き受けていたらしい……。

 そして
「オリンピックに向けての練習と病気の恋人の看病のどちらを選ぶか悩む女性」
「家業の魚屋を継ぐべきか音楽の道に進むか悩む青年」
「不倫相手の子どもを産むかどうか悩む女性」
「夜逃げをしようとする両親についていくべきかどうか悩む中学生」
「恩返しのために水商売で稼ごうと考えるOL」
から、続々と悩みが寄せられるわけだが……。


 どうもぼくは「悩み相談」をする人の気持ちがまったくわからないんだよね。
 深刻な悩み相談をしたこともないし、された記憶もない。「転職しよっかなー」ぐらいは言われたことあるけど、相談というか愚痴に近い。

「愚痴を聞いてほしい」はわかるが、「悩みの相談に乗ってほしい」という人の気持ちがぼくには理解できない。中島らもの明るい悩み相談室にふざけた質問を送りたい気持ちはわかるが。
 法律のトラブルを抱えているから弁護士に相談するとか、健康上の不安があるから医師に相談するとかならわかるけど。結婚の悩みを、一度ぐらいしか結婚していない人に相談してもなあ。

 以前、鴻上尚史『鴻上尚史のほがらか人生相談』という本を読んだ。
 中島らもの場合と違い、こっちは深刻な悩みが多く寄せられている。鴻上さんの回答はすごく親身になっているし、読んでいる第三者としても「なるほど。いいこと言うな―」とおもう。
 でも。
 悩み相談をした人って、回答を読んで考えを変えるんだろうか。鴻上さんに「あなたの考えはまちがってます」って言われて(鴻上さんはもっと婉曲に言うけど)、相談者は「ああ私がまちがっていた。これからは考えを改めます」ってなるんだろうか。ぼくはならないとおもう。人間、そんなかんたんに考えを改められない。そんなに柔軟な人はたぶん悩んで人に相談したりしない。「私こう考えてるんですけど正しいですよね?」と同意を求めたい人が悩み相談をするとぼくはおもっている。偏見だけど。

 だから公開悩み相談をすることは無駄じゃない。第三者は「なるほど。こういう視点があるのか」と気づかされるから。
 けど非公開悩み相談にあんまり意味はないんじゃないかとおもう。相談者が求めてるのは同意だけなんだから。


……と、そもそも悩み相談という行為をあまり肯定的に見ていないので、この設定自体があまり好きになれなかった。悩み相談をするやつなんてめんどくさいやつ、という感覚があるからなあ。




 とはいえ『ナミヤ雑貨店の奇蹟』はよくできた小説だった。『新参者』を読んだときもおもったけど、東野圭吾氏って「おもしろいミステリを書く作家」だったけど今は「うまい小説を書く作家」にもなっているよね。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は、伏線の自然なはりめぐらせかたとか(下手な作家によくある「伏線回収やで! どや!」って感じじゃなくてほんとにさりげないんだよね)、物語の構成とかはほんとに見事。

 伊坂 幸太郎『フィッシュストーリー』を思いだした。
 あんまり書くと両作品のネタバレになってしまうけど、あれとあれがつながって、あれがこっちにつながって……というお話。

 ミラクル連発すぎてリアリティはまったくないけど、まあそれはいい。リアリティが求められるタイプの小説じゃないし。


 しかしこの作品が映画化されたらしいけど、映画で観たい小説じゃないけどな……。映画業界は東野作品ならまちがいなく売れるからなんでも映画化しとけっておもってるんだろうな……。

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【読書感想文】一歩だけ踏みだす方法 / 鴻上 尚史『鴻上尚史のほがらか人生相談』

【読書感想文】 東野 圭吾 『新参者』



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2021年5月18日火曜日

【創作】若者党結党宣言

 我々はここに「若者党」の結党を宣言する。


 まず誤解をされないように言っておくが、我々の意図は決して年配者を排除するものではない。分断をあおる気はない。現在の若者もいずれは歳をとる。誰もが若者であったし、誰もが将来の高齢者だ。特定の世代だけを優遇するつもりはない。

 政治はすべての人を救わなければならない。だが現実的にリソースに限りはある。優先順位をつけざるをえない。その際、より若い人に恩恵のある施策を優先したい。当然ながら全世代の最低限度の生活を保障した上で。

 なぜ若い人を優先するかというと、若い人を救うことは将来の高齢者を救うことになるからだ。貧困状態にある若者の就労支援をすることで、将来貧困にあえぐ高齢者を救うことができる。教育や研究に税金を投下すれば二十年後経済は成長する。
 若者を救済することが高齢者を救うことになるのだ。
 ここ数十年間、この国は逆のことをやってきた。若者の就労や子育て世帯の支援や研究教育費を削り、付け焼き刃的な高齢者優遇制度をおこなってきた。その結果が経済成長の停滞であり、貧困層の拡大である。

 我々は未来のために多くのリソースを割く、未来のために投資をすることを党是とする。
 八十歳よりも六十歳、四十歳よりも二十歳、二十歳よりもゼロ歳に優先してリソースを投下する。
 二十年後の未来のための政治をおこなう。それが若者党の結党方針だ。


 若者党の議員は五十歳定年制とする。定年から逆算して、参議院選挙に立候補可能なのは四十四歳まで、衆議院選挙及び地方選挙には四十六歳までが立候補可能とする。
 なぜ五十歳を定年とするかというと、二十年後の未来のための政治をおこない、さらにその結果に対して責任を負うことを考えれば議員もある程度の若さが必要だと考えるからだ。
 若い人からすると五十歳でも十分年配だと考えるかもしれない。じっさい、五十歳で若者党メンバーを名乗るのはいささか気恥ずかしい。だが、被選挙権を有するのが参議院議員や地方自治体首長で三十歳以上であること、任期が最長六年であることを考えると五十歳以下が現実的なラインかと考える。
 なにより今の日本人の平均年齢が四十歳を超えていること、国会議員の平均年齢が五十歳を超えていることを考えると、全員五十歳以下であれば少なくとも政界においては十分「若者党」を名乗る資格があるだろう。

 もっともここでも我々は五十歳を超える人々を排除するものではない。
 五十歳を超えれば議員資格を失う、意思決定者である党幹部からは退くだけであり、何歳であっても党員資格はある。百歳でも十歳でも当人が望めば若者党のメンバーである。党を支えることは未来を支えることにつながるのだから、年齢を問わず党を支える立場として携わっていただきたい。


 我々が政策として掲げるもののひとつに、小選挙区制の撤廃と年齢別比例代表制の導入である。
 そもそも国政選挙を地域ごとに分割しておこなう必然性はない。かつては情報伝達手段や投票集計手段が未熟だったため地域ごとに分割するしかなかったが、現在においても国会議員が地域の代表者なのはナンセンスだ。国政は国民のためにおこなうものであり、特定の地域の住民のためだけにおこなうものではない。小選挙区制が、政治家の地元選挙区への利益誘導や一票の格差問題など様々な問題を生みだしている。

 そもそも小選挙区制は一票の格差を大きくするだけでなく、死票が生まれやすく民意が反映されない、得票数と議席数の乖離が大きい、投票率が下がるなど多くの問題をはらんでいる。
 アメリカ大統領選を見て「なぜ総得票数が多い候補者が少ない候補者に負けるのだろう」と疑問を持ったことのある人も多いだろう。小選挙区制は欠陥だらけの制度なのである。

 代わりに、年齢別比例代表制の導入を検討したい。二十代以下代表、三十代代表、四十代代表……と年齢別に議席を設ける。二十代以下代表枠に立候補できるのは二十代の候補者だけだ。今のように選挙に出馬するために住民票を移すようなことはできなくなる。

 一票の著しい格差が生じないよう、人口構成比別に議席数を割り振る。当然ながら人口の少ない二十代や三十代の議席数は少なくなるが、これはいたしかたない。それでも今よりはずっと若い議員が増えるだろうし、若い人の投票も議席に反映されやすくなるはずだ。


 若者のための政治をすることは、未来のための政治をすることだ。
 さあ、過去の穴埋めのためではなく、未来の財産を築くためにエネルギーを注ごうではないか!


2021年5月17日月曜日

【読書感想文】ゴーマン経済マンガ / 井上 純一『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』

がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか

井上 純一(著) 飯田 泰之(監修)

内容(e-honより)
野菜が高い、銀行の利子が低い、不景気で店がつぶれる…なんで日本はこうなった?身近な経済の疑問を、中国からきたお嫁さん・月サンに分かりやすく徹底解説!笑って読めて役に立つ、世界一やさしい経済マンガ!!

 経済解説マンガ、ということだが……。

 昔流行った『ゴーマニズム宣言』みたいな本だった。

 偏狭な自説を延々と聞かされるので、読んでいてうんざりする。『ゴーマニズム宣言』は「これは傲慢な意見だ」という前置きがあったので(本当にそうおもっていたかはともかく)、あっちのほうがまだマシかも。
『がんばってるのになぜ僕らは』のほうは、ただただ「こっちが絶対に正解なのに、この説を採用しないやつはバカ!」というスタンスが続く。

 そういやこの本には決め台詞のように「希望の光が見えてきた」という言葉がくりかえし出てくるが、これ「ゴーマンかましてよかですか?」とまったく一緒だよな……。




 正直言って、ぼくは経済に詳しくない。それどころかぜんぜん知らない。大学でマクロ経済学を履修したことがあるけどちんぷんかんぷんだった。経済の勉強なんて二十年前に『細野真宏の経済のニュースが良く分かる本』を読んだぐらいだ(あれはわかりやすかったなあ)。
 それでもなんとか生きていけるんだから世の中って案外ちょろいぜ。

 それはそうと、経済に詳しくないぼくだから『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』を読むと「なるほどねー」という気になる。ははあそういうことか、と。

 だが同時に、多くの本を読んできた経験がぼくに警鐘を鳴らす。
「気をつけろ! この本に書かれていることはとんでもない大嘘の可能性があるぞ!」と。

 なぜなら、謙虚さが足りないから。


 顕著なのは第8回。
「なぜ日本政府は増税するのか」というテーマだ。

 著者の結論はこう。

日本政府は雰囲気で増税している」(ほんとにこう書いている)

 減税がいいのか、増税すべきなのか、ぼくには判断できない。
 この本を読むと「減税して市場にどんどん金を流したほうがいいんだろうな」という気になるし、ぼく自身の考えもそれに近い。
 なにしろこの三十年あまり、増税をくりかえしてきた日本経済はちっともよくならないから。

 とはいえ、
「増税をくりかえしてきた時期」と「経済が停滞していた時期」がほぼ重なるからといって、増税は悪だ! と決めつけるのは短絡的すぎる。物事はそんなシンプルに決まらない。増税していなかったらもっともっと悪くなっていた可能性もある。


 ぼくは経済のことはちっともわからないけど、
「経済がどう動くかは、賢い経済学者たちがずっと考えているけど正解を見つけられないもの」
だということは知っている。どの国のどの時代にもうまくいく経済政策なんてないのだろう。
 だから経済学が誕生して百年たっても多くの国が試行錯誤しているし、専門家同士の意見も割れるわけだ。
 経済政策の失敗は事後的にしか測れないし、それだって「この政策を採用していなかったらもっと悪くなっていた可能性」は排除できない。

 フィリップ・E・テトロック&ダン・ガードナー『超予測力』には、
「未来予知の的中率が高い人は、『自分の考えは誤っているのでは?』という自問を絶えずくりかえす人」だと書いてあった。


『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』の著者に、その謙虚さはまったくない。
「日本政府は雰囲気で増税している」「政府は『なんとなく』でプライマリーバランスを黒字化しようとしている」
と書いている。

 ものすごく楽な考え方だ。
 自分の意見がぜったいに正しいとおもう。対立陣営の意見は「思慮が足りないから」で片付ける。
 どんな反対意見も「あいつらはバカだから」で片づけられるから、何も考えなくて済む。思考停止。
 もちろん、こういう人に成長はない。何度でも同じ間違いをくりかえす。


 この本に書かれている説自体は、もっともらしい。
 正しいかどうかの判断はぼくにはつかない。たぶんある点で正しくてある点で誤っているのだろう。経済に関する説のほとんどがそうであるように。

 ぼくにわかるのは、著者(もしくは監修者)が反対意見には耳を貸そうともせず、物事を単純化しようとする偏狭な人間だということだけだ。


 あとコマの強調が多すぎでしんどかったな。3コマに1コマぐらい強調が入る。実はこうなんだ! どやっ! って。

 いたなあ。教科書にマーカーで赤線引きすぎてどこが大事なのかわからなくなってる、勉強できないやつ。

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見事に的中している未来予想 / 藻谷 浩介『デフレの正体』



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