2020年6月5日金曜日

思春期に幼児から少年に変わる


近所の男の子、Hくん。
人なつっこい子で、よく笑いながら「今日〇〇したんだ~」と話しかけてくれていた。機嫌がいいときはぼくの背中にとび乗ってきたりもしていた。
元気がありあまっていて、いつも走りまわっていた。

そんなHくんと公園で久しぶりに会った。
彼も小学二年生。
「おお、大きくなったなー」
と声をかけたが、軽く会釈をしただけで友だちと遊んでいる。

ありゃ。
久しぶりだからぼくのことを忘れちゃったかなーとおもって見ていたら、Hくんがこけて肘をすりむいた。
ウェットティッシュを持っていたので差しだして「ばい菌入るといけないから拭いとき」と言うと、Hくんは恥ずかしそうに
「ありがとうございます」
と言った。


あ、ありがとうございます……!?

あの、Hくんが!?
あの、すれちがいざまにいきなりパンチを食らわしてきていたHくんが!?
あの、まだ三歳だったうちの娘に出会い頭にいきなり「あげる」とひよこのぬいぐるみを渡してきたHくんが!?
あの、両手いっぱいにダンゴムシを抱えていたHくんが!?

あぁ……。
彼もいつのまにか幼児から少年になったんだなあ。
立派に成長しているのは喜ばしいはずのことなんだけど、正直、さびしい。

自分の子どもは早く礼儀正しくなってほしいけど、よその子はいつまでもむじゃきなままでいてほしい。
勝手な、そして決して叶わない望みだけど。


2020年6月4日木曜日

【読書感想文】歴史の教科書を読んでいるよう / 辻井 喬『茜色の空 哲人政治家・大平正芳の生涯』

茜色の空

哲人政治家・大平正芳の生涯

辻井 喬

内容(e-honより)
スマートとはいえない風貌に「鈍牛」「アーウー」と渾名された訥弁。だが遺した言葉は「環太平洋連帯」「文化の時代」「地域の自主性」等、21世紀の日本を見通していた。青年期から、大蔵官僚として戦後日本の復興に尽くした壮年期、総理大臣の座につくも権力闘争の波に翻弄され壮絶な最期を遂げるまでを描いた長篇小説。

少し前に読んだ中島 岳志『保守と立憲』にこんな記述があった。
 懐疑主義的な人間観に依拠する保守は、常にバランス感覚を重視します。私が尊敬する保守政治家・大平正芳は「政治に満点を求めてはいけない。六十点であればよい」と述べています。大平は、自己に対する懐疑の念を強く持っていた政治家でした。自分は間違えているかも知れない。自分が見落としている論点があるかもしれない。そう考えた大平は、「満点」をとってはいけないと、自己をいさめました。
「満点」をとるということは、「正しさ」を所有することになります。また、異なる他者の意見に耳を傾けるということも忌避します。大平は、可能な限り野党の意見を聞き、そこに正当性がある場合には、自分の考えに修正を加えながら合意形成を進めていきました。これが六十点主義を重んじたリベラル保守政治家の姿でした。
ほう、そんな謙虚な政治家がいたのか、しかも総理大臣だったのか、と軽い驚きがあった。
大平正芳氏はぼくが生まれる前(1980年)に逝去しているのでぼくは彼の政治家としての姿をまったく知らない。

どんな思想を持っていたのだろう、とおもってこの『茜色の空』を手に取ったのだが……。

つ、つまらん……!

だらだらと事実が並べてあるだけ。
〇〇年に〇〇で大平は〇〇と出会った。そこで〇〇について話し合った。その後〇〇が起こった。
ずっとこんな調子。
歴史の教科書を読んでいるようでぜんぜん頭に入ってこない。
時系列順に出来事を羅列していっているだけの、ただの記録。

取捨選択ができておらず、調べたことを全部同じ調子で書いている。
ロッキード事件で田中角栄が逮捕されたことと、大平氏が小料理屋の女将とどうでもいい会話を交わしたことが同じぐらいの分量で書かれている。
司馬遼太郎の悪いところだけをコピーしたようなつまらない文体だ。

誰だこの本を書いたのは、とおもったら著者の辻井喬という人物、どうやらセゾングループ代表だった堤清二氏のペンネームらしい。
あー……。どうりで……。
えらい人だったから誰も「うわーこんな長くてクソつまらない文章よく書けましたねー。書いてて眠くなりませんでした? 逆にすごいっすねー」と言ってくれたなかったんだね。気の毒に。



これだったらWikipediaの「大平正芳」の項を読んでいるほうがずっとおもしろかった。

香川県の裕福とはほど遠い農家の子として生まれ、学生時代にキリスト教と出会って洗礼を受け、大蔵省官僚を経て、池田隼人元首相に引っ張り上げられる形で政界入り。

朴訥な風貌や、演説の合間によく「アーウー」と入るところから「讃岐の鈍牛」の異名もとったが、実際は読書家、思想家であり政界きっての切れ者であり「哲人宰相」とも呼ばれる一方、ユーモアのセンスも持ちあわせていた。また首相にまで昇りつめたものの本人は権力争いを嫌った。

とまあ、今目立っている政治家たちとは真逆のような人物であったことがわかる。
なにしろ今の政治家ときたら舌鋒鋭く政敵を非難することだけに全精力を賭けていて思想は空っぽ、みたいな人物が多いもんね。あの人とかあの人とか。

 彼は久し振りに、迷った時に自分の頭を冷やし冷静にもう一度考え直す機会を持とうと、彼流に“定点観測”と名付けている方法を思い出した。そのひとつは郷里に帰って、昔からの知人に腹蔵のない意見を聴くことである。もうひとつは政界や、万年与党であることしか考えない経済人と違って、直接利害関係のない学者のような立場の人がどう考えているかを知る方法である。
首相になりながらも、決して独善的な人間にならぬよう、はっきりと物を言ってくれる人との話に耳を傾けていた。
このエピソードだけでも、あの総理と比べてどれだけ謙虚で思慮深い人柄だったかがわかる。

しかし「立派な人物だ」と感心するとともに、「この人政治家に向いてなかったのかもしれないな」ともおもう。
大平氏も、ときに密約の存在を知りながら隠すという国民に対する裏切り行為を看過したり、組織を守るために記者が陥れられるのを黙認したり、良心に反する行動をとって葛藤するところが描かれる。
総理になるも自民党の内紛に巻きこまれて退陣。就任したタイミングのせいもあるが、今伝わるほど大きな功績は残っていない。

有権者としてはまともな人間に政治家になってほしいけど、まともな人間が政治家として成功するのはむずかしいのかもしれない(大平さんは総理にまでなってるわけだから十分成功してるけどさ)。



この本は出来事をならべているだけなので大平正芳氏の思想にはほとんど触れることができないが、その数少ない「思想が読み取れる部分」について。
「今の僕の一番奥底の目標は、どうやったら政界全体の水準を上げて、そのことで世の中に民主主義を浸透させることができるか、ということなんだ。自分の責任で判断し行動を決めることができる大衆がいてこそ民主主義はいい制度になる。あの、自由主義者で大衆嫌いの吉田さんもそのことを考えていた。池田さんもそうだった」
 と正芳は故人の思い出を手繰り寄せながら、
「そんなことは実現不可能だ、夢のような理想論だという絶望感に落ち込んでしまう場合がある。しかし、主はニヒリストになることをわれわれにお許しにならない」
何度か書いているとおもうけど、ぼくは政治家は夢想家でいてほしいともおもってるんだよね。
現実主義もいいんだけどさ。でもその先にちゃんとビジョンを見ている人であってほしい。
たとえば「経済成長」ってのは大事だけど、それは手段のひとつであって目的ではないわけじゃない。
経済成長した先にどういった未来をつくるのか、そこにたどりつくための手段は経済成長しかないのか、ということを考えられる人に政を任せたいんだよね。

思想からっぽのあの人やあの人じゃなくてさ。

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【読書感想文】からっぽであるがゆえの凄み / 橋下 徹『政権奪取論 強い野党の作り方』



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2020年6月3日水曜日

脳ストレッチ


コロナ休校中の娘の小学校。
宿題で「ラジオ体操を毎日やること」とあったので、ぼくもいっしょにやる。
ラジオ体操なんていつ以来だろう。
ぼくの通っていた高校では“緑台体操”という独自の体操があってことあるごとにその体操をさせられたので、ラジオ体操をやる機会はまったくなかった。
今にしておもうがいったいあれはなんだったんだ。体操の動き自体はラジオ体操と似ていた。だったらラジオ体操でいいじゃないかとおもうのだが、ラジオ体操を嫌いな教師でもいたのだろうか。

話がそれたが、二十数年ぶりにラジオ体操をやっておもったのは、意外ときついなということ。
第一、第二を通してやるとけっこう息が上がる。
肩を上げるのがけっこうしんどい。
首を回すとごきごき鳴る。

ふだん使わない筋肉を使っているなあ、と感じる。
日常生活で、肘を肩の上まで上げたり、胸をおもいっきり反らせたり、胴体をめいっぱいねじったりすることないもんね。

凝り固まっていた身体がほぐれていくようで気持ちがいい。



緊急事態宣言が解除されて、約二ヶ月ぶりに会社に行った。
感じたのは、脳がほぐれていくような心地よさ。

リモートワークの間は、脳の狭い部分しか使っていなかった。
同じ場所で活動し、同じ人とだけ話し、同じような仕事をする。疲れたら同じような息抜きをする。
楽な生活ではあるが、どうも思考が固まる。

ぼくはふだん息抜きでこうしておもいついたことをブログにだらだら書くのだが、緊急事態宣言中はほとんど書かなかった。何もおもいつかなかったからだ。

会社に出勤するようになり、電車に乗ったり、歩いたり、階段を昇ったり、信号が変わるのを待ったり、道をふさぐように突っ立っているおばちゃんにぶつかりそうになったり、コンビニで店員の動きの悪さにいらだったリしているうちに、またくだらないことをあれこれ考えられるようになった。

脳もあちこち使わないと凝り固まるんだね。


2020年6月2日火曜日

【読書感想文】今じゃ書けない居酒屋談義 / 奥田 英朗『延長戦に入りました』

延長戦に入りました

奥田 英朗

内容(e-honより)
ボブスレーの二番目の選手は何をしているのかと物議を醸し、ボクシングではリングサイドで熱くなる客を注視。さらに、がに股を余儀なくされる女子スケート選手の心の葛藤を慮る、デリケートかつ不条理なスポーツ無責任観戦!読んで・笑って・観戦して、三倍楽しい猛毒エッセイ三十四篇。
書かれたのは著者が作家デビューする前ということで、1990年代の話が中心。
古いんだけど、ぼくからしたら最近はスポーツをほとんど観なくなったので古い話のほうがわかりやすい

とはいえ、この四半世紀で世の中の価値観はずいぶん変わった。
この本を2020年の感覚で読むと
「これは完全にセクハラだ」
「うわあこれは国際問題になりかねない」
「これがユーモアのつもりなのか。多様性を認められない人だなあ」
みたいな表現であふれかえっている。

昔の発言を今の価値観で断罪しようとはおもわないけど、「世の中の価値観って変わっていないようでけっこう変わってるんだなあ」と感じる。
昔は「冗談と言えば許されたこと」が今では「冗談でも言っちゃいけないこと」になってる。

社会全体としてみたらまちがいなくいいことだよね。
誰かが傷つくようなことは言っちゃだめですよ、ってなるのは。

でも「大きな声では言えないけど」という枕詞付きで“みんなうすうすおもってるけど大っぴらには言えないこと”を話すのは楽しい。
ぼくも友人同士ではよくやる。インターネットの網にはとても乗せられないような不謹慎な冗談を口にする。
『延長戦に入りました』は、そんな「酒の席のバカ話」として読むのが正しい。
男女平等とか多様性とかポリティカルコレクトネスとか考えずに読むと、すごく楽しい。



柔道の判定勝ちについて。
 こんなもの柔道以外なら絶対許されない。
 伝統の巨人・阪神戦。優勝を決める大一番。9回を終わって3対3の同点で決着つかず。いよいよ、旗の判定です。ホーム・プレート上に審判が並びました。さあ判定は! おおっと、赤が2本、白が1本。優勢勝ちで巨人の優勝が決まりました。
 場内騒然。御堂筋は大暴動になり、審判は大阪湾に浮かぶだろう。
 結局、日本人は物事を数量化することが苦手なのかもしれない。得点を競うゲームを何ひとつ生み出していないし、明確な採点も好まない。しかし、日本人同士ならよくても、それでは絶対に国際化はできないのである。
 国際社会の一員への道は険しい。柔道着のカラー化は仕方がないんじゃないの、なんて思ったりして。
たしかにいわれてみれば、日本生まれのスポーツで得点を競うゲームってないなあ。
相撲、柔道、剣道、空手、駅伝……。みんな得点は競わない。得点を競うのはゲートボールぐらいか。

相撲のルールはシンプルだけど、大相撲の番付はかなり恣意的なものだしね。番付上位になるほど、勝敗以外に「勝ちっぷり」とか「品格」とかが求められるし。

剣道なんかわかりやすそうで、知らない人からしたら「何それ?」みたいな決まりだらけだよね。
たとえば剣道試合・審判規則第12条にはこうある。
有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする。
すごい。剣道やってない人間からしたら意味のわからないことだらけだ。
「充実した気勢」も「適正な姿勢」も「刃筋正しく」も「残心あるもの」も全部主観じゃん(だいたい竹刀に刃筋があんのかよ)。
これは規則じゃなくて心構えとか訓示とか志とかに属するものだろ。
これがルールとして成り立つなら六法全書も「悪いことをしたら適正な処分を下す」の一行で済んでしまう。

あいまいなものを白黒つけずに残しておく、ってのは日本的でぼく個人としてはけっこう好きだ。
法律なんかも条文で事細かに決めずに判例で決めるほうが使いやすいっていうしね。
ただ国際スポーツとしてやっていくには不向きなので、柔道の国際化・オリンピック競技化は失敗だったんじゃないかとおもうな。



バカ話にまぎれて、ときどき「たしかにそうかもしれない」と膝を打つような説もある。

「出席番号の早い人は短時間で心の準備を整えることに慣れているので野球のトップバッターに向いている」
とか
「背面跳びはクッションありきのプレーなので、じっさいに高い壁を跳びこえるようなときには自己ベストが低くてもベリーロール派の人のほうが信用できる」
とか。

1996年から高校野球の甲子園大会で女子マネージャーがベンチ入りできるようになったが、その件について。
 ところで、マスコミは今回のこの《女子マネのベンチ入り解禁》を、「男女平等」への一歩前進としてとらえたがっているようであるが、もちろんこんな馬鹿馬鹿しい大義名分を信じているお人好しはいないだろう。
 私が考えるに、これは「認知」と言った方がいいと思う。
 十代にしてすでに《尽くすタイプ》となってしまった少女たちを、教育の現場はどうとらえてよいのかわからないのである。ごく常識的に考えて、貴重な青春を、自分の目標に向かって突き進むのでなく、男子の練習のお手伝いに費やすというのは、理解しづらい価値観なのだ。
 ま、中には男子の中に入ってチヤホヤされたいという邪な考えの持ち主もいようが、大半のマネージャーたちは、
「できることなら男の子たちの、あの額の汗をワタシがぬぐってあげたい」
 という純粋な乙女心の発露から志願してきていることは間違いない。
 つまり、男女平等などといった概念からはほど遠いのだ。「銃後の守り」という言葉さえ頭に浮かぶ、きわめて儒教的で封建的な存在なのである。
 西洋のフェミニスト団体が視察に来たら、きっと「日本の女性はまだまだ虐げられている」と言い出すだろう。
 いや、ほら、彼女たちは自ら志願してやってるんだってば、と説明しても、恐らく「ならば情操教育に問題がある」とか言い出すだろう。
 おまけに男社会は、彼女たちの自立を促すどころか、これ幸いとばかりに便利に使っている。
 こうなったらベンチにでも入れて認知しないことには、女子マネという曖昧な存在を説明しきれない。彼女たちは重要な任務を与えられている、というポーズだけでもとらなければ、教育的にも言い訳がたたない。
 とまあ、これが私が理解するところの今回の経緯なのである。
これはもちろん根拠のない憶測なのだが、当たらずとも遠からずという感じがする。

少し前に、新聞に「毎日選手のためにおにぎりを大量に握ったりユニフォームを洗濯したりしてがんばっている女子マネージャー」みたいな記事が載って、その記事は彼女に好意的な文章で書かれていたのだが、「自己犠牲を美化するのは気持ち悪い」「男尊女卑が根底にある」「戦時中みたいだ」「女子学生に“おかあさん”の役割を担わせるな」みたいな批判的なコメントがネット上にあふれていた。

いや、それはちがうでしょ。
もちろん女子学生が強制的に連行されておにぎりを握らされたりユニフォームを洗濯させられたりしてたら大問題だ。
でも彼女は好きでやってるのだ。
「男子部員に献身的に尽くす私」が好きなのだ。タカラヅカに入れあげて贔屓のタカラジェンヌにせっせとプレゼントを貢いでいるファンといっしょだ。

それを「いやそんなのはおかしい。彼女は間違った思想を植えつけられている。教育が悪いのだ」と言うのは、「女は男に尽くすものだと教育しなければならない」というのと、根底にある考え方は同一だ。「価値観は一様であるべきでそれ以外は間違った考え方だ」という発想だ。
「結婚したら妻は夫の苗字を名乗らなければならない」というのも封建的な考えなら、「結婚したら夫婦は別々の姓を名乗らなくてはならない」というのもまた(今の日本においては)同じぐらい乱暴な考えだ。

高校生活の大半を野球部員に捧げる女子学生がいたっていいし、逆に女子に尽くす男子学生がいたっていい。

でも、「自分から見たら不合理としかおもえないこと」をする自由を許せない人はけっこう多い。

女子マネージャーのベンチ入りってのは、そういう人対策なのかもなあ。
ほんのちょっぴりだけ前線に引っ張り上げて「彼女たちも10番目の選手なんです。決して男子の後方支援に甘んじているわけではないですよ」と弁明するための。
嘘だって誰もが気づいているけど。


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2020年6月1日月曜日

緊急事態宣言下の生活について


緊急事態宣言下の生活についてのふりかえり。
備忘録的に。

仕事について


丸々二ヶ月ほど、完全リモートワークだった。
元々パソコンと電話さえあればほとんどできる仕事だった。
ときどき客先に行って打ち合わせをすることはあったが、「こんなご時世ですので訪問するのもかえって迷惑かとおもいますので電話かビデオチャットで打ち合わせさせていただけないでしょうか」と言って断られたことはない。
なので比較的スムーズにリモートワークに移行できた。

後輩から教えてもらったChrome リモートデスクトップを使用。
Googleアカウントにログインしてさえいれば自宅PCから会社PCを動かせるのだ。社内ネットワークにもアクセスできるので支障はない。
会社ではデュアルディスプレイにしていたが自宅はモニターひとつなので(二台も並べられるスペースがない)少しストレスだったが、社長に愚痴ったら大きいディスプレイを買ってくれた。
気前がいいなとおもったが、リモートワークになれば交通費や電気代やドリンク代(うちの会社では飲み物を自由に飲んでいい)の会社負担が減るわけだからそれぐらいどうってことないのかもしれない。

業務自体はほとんど支障はなかった。
むしろ平常時より効率が良かったかもしれない。
サボってしまうんじゃないかとおもっていたがそれなりにちゃんとやれたし(短時間はサボる。でもそれは会社にいても同じ)、余計な電話や通勤時間がなくなった分、仕事をしている時間が増えた。

インターネット広告の仕事をしているのだが
「こんなご時世なのでインターネットで集客したい」
みたいな問い合わせがちょこちょこあり、ふだんより業績はいいぐらいだった。

体調面について


新型コロナウイルスには感染しなかった(とおもう)のだが、ずっとリモートワークだといろいろと不具合が生じる。

まず痔が再発したこと。
はじめのうちは適当な椅子に座っていたのだが、てきめんにケツがいたくなった。脱肛して、切れ痔になって出血までした。
こりゃやばい。以前にも痔で病院に行ったことがあるが、こんなご時世なのでなるべく病院に行きたくない。こんなご時世じゃなくても痔で病院には行きたくない。
あわてて痔の薬と、痔にいいというクッションを買う。適当な台に座っていたのだがちゃんとした椅子に座ることにする。
座り方を変えたら痛みも治まった。あぶねえ。
「入院することになったんですよ」「え!? コロナですか!?」「いや痔で……」なんてやりとりをしたくない。
椅子は大事だね。

運動不足について。
元々インドア派の人間なのでさほどストレスは感じなかった。
とはいえさすがにこれは運動不足が過ぎるな、とおもった。なにしろ1日の総移動距離が100メートルにも満たないぐらいなんだもの。
そこで朝、子どもと外に出て遊ぶことにした。
すぐ前の公園に行って遊ぶ。といってもボールを軽く蹴ったりいっしょにすべり台をすべるぐらいでほとんど運動にはならないが。まあ一日中家にいるよりはマシだろう。
あと長女の学校の宿題で「毎日ラジオ体操をすること」とあったので、ぼくもいっしょにおこなう。
ううむ、いい運動になるなあ。大人になると肘を肩より上にあげることなんかほとんどないもんなあ。

子どもとのかかわりについて


六歳(一年生)と一歳の子どもがいるのだが、どちらも家にいた(保育園はやっているがなるべく来るなと言われたので)。

六歳のほうは「今から大事なお電話するからちょっと向こうに行っといて」と言えば聞いてくれるが、それ以外のときはぼくの近くにいる。じゃまこそしないが横で本を読んだり勉強をしたりしている。
気が散るが一応おとなしくしてくれているのであっちに行けとも言いづらい。

一歳に関しては当然聞き分けなどないので電話中だろうがビデオチャット中だろうがおかまいなしに叫ぶし寄ってくるし膝に乗ってくるしキーボードや携帯電話をさわる。
幸いふだん使用していない部屋があったのでそこにこもって突っ張り棒で中からロック。子どもたちを締めだした。
すまん娘たちよ、それ以上にすまん妻よ(妻は育休延長した)。

……だが一週間もしたら子どもたちも父親が一日中家にいることに慣れて(そして仕事中の姿をのぞいてもおもしろくないことに気づいて)あまり寄ってこなくなった。ちょっと寂しい。

娘の学習について


長女(小学一年生)のために、妻や娘といっしょに時間割をつくった。
学校に慣れられるよう、なるべく学校と同じ時間配分で。
45分ドリルをやったら10分休憩、次は45分パズル。休憩の後は45分読書。勉強ばかりでは飽きるだろうと体育(近くの公園)や音楽(ピアノの練習)や家庭科(お菓子作り)や図工(絵を描いたり工作をしたり)の授業も入れた。

はじめは順調にこなしていた。
さすが我が娘、なんて優秀なんだ。

だが一週間、二週間経つうちに疲れが見えてきた。
しょっちゅうおかあさんと喧嘩をしている。怒りくるって床にひっくりかえったまま三時間目、なんてことも起こるようになった。学級崩壊だ。

考えてみれば、学校であれば45分授業といってもそのうち35分ぐらいはぼーっと先生の話を聞いているだけだ。ほんとに集中して問題を解いている時間は10分にも満たないぐらいだろう。
だが家庭でドリルをやる、横にはおかあさんがマンツーマンでついているとなると、ずっと集中しないといけない。これは疲れるだろう。
じっさい、保育園ではまず昼寝をしなかった娘が、自宅待機中はちょくちょく昼寝をするようになった。保育園や学校に行くよりも精神的に疲れるのだろう。

これはいかんと勉強時間を減らしたり、テレビを観る時間を設けたりした。
また学校が週二回だけ(しかも90分だけ)始まったり、習い事(ピアノとバレエ)が再開したりで、気がまぎれるようになったらしい。
娘の精神状態も落ち着いてきた。
あと前にも書いたけど進研ゼミのタブレットが届いたのも大きい。おかげで楽しく勉強できるようになった。

うちはぼくが自宅勤務(しかもかなりゆるいので30分ぐらい席を外しても大丈夫)、妻が育休延長で家にいて、かなり恵まれた環境にあったとおもう。
それでもずいぶん手を焼いた。
親ひとりで見なきゃいけない家とか、子どもの多い家とか、仕事の融通を聞かせづらい人とかはめちゃくちゃたいへんだっただろうなあ。

休校の判断については賛否両論あるけど、ぼく個人的には学校はやってほしかったな。
子どもの感染者はほとんど出てなかったし、休校にしたってどっちみち学校内で子どもを預かったりしていたので。

まあこれは収束しつつある(ように見える)今だから言えることで、休校せずに子どもの感染者が大量に出ていたら
「だからあのとき休校にしていればよかったんだ!」
なんて言ってたかもしれないけど。

困ったこと


意外に困ったのが散髪だった。
散髪屋に行くのを自粛。密接するし、マスクをするわけにもいかないし、どう考えたってリスク高いもんなあ。
で、髪が伸びてきた。まあ人に会うわけじゃないからいいんだけど、しかし前髪が長くてじゃまだ。
で、妻に切ってもらったり(娘の髪を切ってるのでへたではない)、娘のヘアピンを借りて前髪を止めたり。
わずらわしい。

で、緊急事態宣言も解除されたので久々に床屋に行ってみた。
あれ? 満員を覚悟していたのに意外とお客さん少ないぞ。みんなまだ自粛モードなのか?
とおもって店に入ったら「2時間半待ちですけどいいですか」と言われた。
「え? でもそんなにお客さんいないですよね」
「感染リスク下げるため店の外で待ってもらってるんですよ」
とのこと。
10分カットの店で2時間半待ちか……。
「また今度にします」と言ってすごすごと帰ったんだけど、帰ってから気が付いた。
しまった。整理券だけもらってから帰宅して2時間半後にまた出直してきたらよかったのか。

楽しみ


せっかくのリモートワークなのでふだんできないことをしよう、ということでヒゲを伸ばしはじめた。
うちの会社はヒゲ禁止じゃないけど、でも中途半端に伸びたヒゲは見苦しいからね。
で、2ヶ月近く伸ばしてみたけどぜんぜん濃くならない。もともと薄いのだ。
さすがに2ヶ月も伸ばしたので長さはそこそこになったけど、長いヒゲがひょろひょろとまばらに生えているだけでぜんぜんかっこよくない。男らしいヒゲではなく仙人みたいなヒゲなのだ。
ということで久々の出社前に剃ってしまった。
ま、ヒゲを伸ばしたところでどうせ毎日の手入れが面倒になってやめたとおもうけど。