大島新 『なぜ君』制作班
2020年に『なぜ君は総理大臣になれないのか』という映画が公開され、ドキュメンタリー映画としては異例の3万人以上を動員し、さらには各種動画配信サービスでも公開されて大きな話題となった。
わりと政治には関心を持っているぼくとしては「これは観ておいたほうがよさそうだな」とおもったものの、なにぶん長い映像作品を観るのが苦手で、ここ十年ぼくが映画を観るときはたいてい子どもと一緒だ。子どもが興味を持つテーマではないので「いつか退屈で退屈で死にそうになったら観ようかな……」リストに入ったままになっていた。
そんな『なぜ君は総理大臣になれないのか』の書籍版があるということを知ったので、読んでみた。映画のシナリオ(って書いてるけどドキュメンタリー映画でシナリオって言っちゃうと筋書きがあるみたいにおもえるので「書き起こし」のほうがいいのでは?)を収録し、かつ映画に関する対談やコラムを掲載したものだ。
映画を書き起こしで読むことにはメリットとデメリットがある。デメリットとしては、あたりまえだけど映像がないこと。語っている言葉以外の表情やしぐさや周囲の雰囲気がほとんどわからないこと。
メリットは、映像がないこと。これはデメリットでもあるがデメリットでもある。特に今作のような政治を扱ったものであれば余計に。
我々は、語られている内容だけでなく(ときにはそれ以上に)「誰が語っているか」を重視する。それも、顔の造形だとか着ているスーツだとかのような、本人の信頼性とは無関係の要素に大きく左右される。あの政治家やあの政治家が人気があったのは、他の政治家よりも見た目が良かったからだ。
だからこそ『なぜ君は総理大臣になれないのか』をテキストだけで読むことには意味がある。
読んだ感想としては、「この小川淳也さんという人はいいことを言っている。だが発現を読むかぎりでは群を抜いてすばらしいというほどではない。そのわりにはこの映画を観た人からは小川淳也さんはすごく高く評価されている。ということはきっと小川淳也さんは見た目が良くて話し方も誠実そうに見えるんだろう」だった。映像は正しくない情報も伝えてしまう。
いやもちろん小川さんはすばらしい人なんだよ。少なくとも『なぜ君は総理大臣になれないのか』で描かれる小川さんは。
これってあたりまえのことだよね。代議制における議員は全国民を代表している。中学校でも習うことだ。
でもこれをほんとうに理解している国会議員がどれだけいるだろうか。まだ選挙で落ちた議員や野党議員は「負けたほうの意見も尊重しろ!」とおもっているかもしれないが、少なくとも与党議員の中には「負けた議員に投票した人たちの思いも背負って政治をしなければ」と考えている人はいないんじゃないだろうか。野党議員だって、自分たちが与党になったらそんな気持ちは忘れてしまうとおもう。小川淳也さんには、この気持ちをずっと忘れないでいてもらいたい。
ぼくは小川淳也さんひとりに日本政治の未来を託すつもりはない。
小川さんは今は立派なことを言っているが、この先どうなるかはわからない。今は腐った政治をしているあいつだってあいつだって、はじめて立候補したときは立派な信念を持っていたんじゃないだろうか。
人は必ず変わる。どんな人だって道を踏み外すことはある。だから「小川淳也さんが総理大臣になれば日本は良くなる!」と考えている人がいるとすれば、それは大間違いだ。そんな人がたくさんいる限り政治は良くならない。どの党が政権をとるかとか、誰が総理大臣になるかなんてのは、小さな問題だ。我々は絶えず政治をコントロールしつづけれなければならない。
この本を読んでいておもうのは「まともな人は政治家になれないし、総理大臣になれない」ということ。
小川淳也さんの妻・明子さんに話を聞いているところ。
小川さんの妻も娘も、選挙に協力してくれている。選挙事務所に詰めて仕事をして、一緒に街頭に立つこともある。そんな人でも「政治家になりたくない」「政治家の妻になりたくない」と語る。それがふつうの感覚だ。ぼくだっていやだ。自分の家族が出馬するのもいやだし、落選するのもいやだし、当選するのもいやだ。市議だろうが市長だろうが代議士だろうが総理大臣だろうがいやだ。だってまちがいなくふつうの生活が奪われるんだもん。娘が皇室に入るのと同じくらいいやだ。
何かやらかせば叩かれて、やらかさなくても非難されて、うまくやっていても周囲の人からは「政治家だからうまいことやってるんでしょうね」とおもわれる。ろくなことない。お金はそこそこ多く入ってくるけど、出ていくお金も多くて手元にはぜんぜん残らないと聞く。だいたい残ったところで立場上派手には使えないだろう。
まともな人は政治家になんてなりたくない。どう考えたって報酬が労力に見合わない。政治家としてうまくやっていく才覚のある人なら、ビジネスの世界ではずっと多くのお金を稼げるだろう。非難されることも少ないし、自由に使える。どう考えたってそっちのほうがいい。みんな政治家なんてやりたくないからこそ代議制というシステムがあるのだろう。
小川さんも語っているけど、政治家になる人なんておかしい人だけだ。または政治家の家に生まれ育った人。もちろんそれもおかしい人だ。
小川さんだっておかしい。自分や家族の幸せを考えるなら、官僚を続けるか、ビジネスをやったほうがずっといい。
選挙に出たいけど家族に猛反対されて出馬をあきらめる人も多いという。選挙に出るために離婚する人もいるそうだ。よほどの強い信念(というよりは妄執)を持っているか、議員であることからよほどの私益が得られる人だけだろう。
おかしい人たちの中からまだマシなおかしい人を選ぶ場、それが選挙だ。
さらに政治家になってからも、まともな人は党内で出世できない。
鮫島浩さんの文章より。
たくさん金を集めて、自分の言うことを聞く「子分」には便宜を図ってやって、金を出した組織にも見返りを与えてやって、それによってより多くの金と子分を集めて……ということをやらないと党内でえらくなれない。
構造的にそうなっている。国会での評決なんてほぼ記名投票だからね。信念に従って投票した議員は造反者なんて呼ばれて犯人探しをされるからね。
つくづく異常な世界だよ、政界って。
でも、そうやって距離を置いていたらますます政界が異常な世界になって、まともな人との距離が広がってゆき、二世三世と業界の利益代表者と異常者だけの世界になってしまう。
だから何度も書いているけど、議員の数を増やしたらいいとおもうんだよね。「議員の数を減らせ!」って人もいるけどその逆。百倍にしたらいい。その代わり、給与も権限も百分の一。仕事の量も百分の一だから、兼業でもできる。会社員だって主婦だってフリーターだって片手間でできる。議会に集まる必要もないし。
国会議員が何万人もいたら変に注目もされないので負担なくやれる。市議だって何千人、県議だって何千人。立候補だけでたりなければ裁判員みたいに抽選で選べばいい(これはやけくそで言ってるわけではなく「くじ引き民主主義」といういたってまじめな案だ。実現して成果を上げている国もある)。
議員の重みを軽くしようぜ。PTA役員と同じぐらいに!
その他の読書感想文は
こちら