2024年5月1日水曜日

【読書感想文】三井 誠『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』 / 我々は古代人より劣っている

人類進化の700万年

書き換えられる「ヒトの起源」

三井 誠

内容(e-honより)
四万~三万年前のヨーロッパ。ネアンデルタール人と現生人類のクロマニョン人が共存していたらしい。両者の交流を示唆する痕跡が、フランスなどに残されていた。知能に勝るクロマニョン人が作った石器と同じくらい工夫を凝らした石器(石刃)が、ネアンデルタール人の三万数千年前の化石とともに見つかっている。最新の研究で明らかになってきた私たちのルーツの新常識。

 2005年刊行なので今となっては最新の知見ではないが、それでも人類史の基礎を知るにはちょうどいい本。

 ぼくは人類史の本が好きであれこれ読んでいるので知っている話も多かったが、人類誕生から現生人類への進化までの700万年を一気にふりかえるスピード感は読んでいてなかなか楽しかった。



 直立二足歩行をする生物は人類だけだ(直立でない二足歩行は他にもいる)。これにより両手で食べ物が運べるようになったわけだが、直立二足歩行は他にもいろんな恩恵をもたらした。

 初期の人類が食べ物を運ぶために手を使った可能性を前に紹介したが、石器を作り出すようになって、手の本領は再び開花したといえそうだ。当時の人類がどの程度まで器用だったかはわからないが、二足歩行によって解放された手で石器を作り始めたことが重要だろう。石器を作ったおかげで肉食の効率は上がり、脳が大きく発達できるようになった。脳が発達すれば、さらに手先を器用に使えるという相乗効果もあったかもしれない。第1章で、「獲得した性質が時間差をもって開花する」という「前適応」を紹介した。人類の直立二足歩行の利点も、随分と時間がたって、二百五十万年前以降に再び人類進化に大きな役割を果たすことになったといえる。
 また、直立した姿勢のおかげで人類の脳は大きくなれた、との指摘もある。頭が垂れ下がるのを筋肉で支えなければならない四足動物に比べ、人類の脳は重心の上で安定しやすいからというのだ。これも直立二足歩行の思わぬ恩恵かもしれない。

 直立二足歩行 → 道具を使えるように食事の効率が上がる → エネルギーを大量に使う脳を大きくすることができる

 直立二足歩行 → 頭を支えやすい → 脳を大きくすることができる

 と、複数のルートで直立二足歩行が脳の発達に貢献したわけだ。もちろんこれは結果論であって、人類の祖先は脳を大きくするために二足歩行をはじめたわけではない。

 進化は決して一本道ではなく、何が何の役に立つかわからないということがこの話からもよくわかる。



 こないだ娘と『わんダフル プリキュア!』を観ていたら、犬がプリキュアになったことでしゃべれるようになっていた。それを観たとき、「仮に脳が人間並みに発達したとしても犬の姿形のまま人間と同じように発声するのは無理なんじゃないかな」とおもった。

 もし人間と同じようにしゃべれるようになるとしたら、あごの形とか舌の長さとかが大きく変わってしまい、犬の顔を保てないとおもうんだ。まあそれはさておき……。


 さて、喉頭が下がって言葉を話せるようになったのはありがたいが、困ったことが生じた。チンパンジーのように喉頭が高い位置にあれば、息は鼻へと通じ、食べ物は口の奥に突き出している喉頭の両わきを通り抜けて食道へと入っていく。空気と食べ物は口の奥で立体交差しており、両者が混じり合う恐れはない。だから、物を食べながら息ができる。大きな肉塊を飲み込むときなど喉頭が邪魔になる場合には、喉頭の位置を下げて食べ物の通路を確保する動物もいるそうだ。
 一方、現生人類は食べ物が喉頭にぶつかる心配はないが、食べ物が気管に入っていってしまう恐れがある。「誤嚥」というやつだ。通常は物を飲み込むときに喉頭の先を閉じるのだが、高齢になりこの働きが不十分になると、誤ってモチが気管に入ってしまう。ちなみに、現生人類でも二歳くらいまでは喉頭が高い位置にあるため、ミルクを飲みながら息ができる。

 老人や乳幼児で誤嚥事故が起こるのは、ヒトが言葉を話せるようになった代償なのだ。子どもが小さいときに「ミルクを飲ませたあとは背中をたたいてげっぷを出させてやらないと、飲んだミルクが逆流してしまう」と聞いて「人間ってなんて不完全な生き物なんだ」とおもったものだ。

 しかし「二歳くらいまではミルクを飲みながら息ができる」というのははじめて知った。そういや赤ちゃんにミルクをやりながら「よく息継ぎ無しでこんなに一心不乱に飲みつづけられるな」とおもったものだ。あれは哺乳瓶から口を話さなくても息継ぎができていたからなんだなあ。




 我々はつい、ヒトは特別な動物だとおもってしまうけど、そんなことはない。

 進化の歴史をたどっていくと、ヒトの共通祖先はゴリラと分化した後、分化して一方はチンパンジーになり、もう一方がヒトになったらしい。つまりチンパンジーから見ると、ゴリラよりもヒトのほうが遺伝的に近いんだそうだ。

 進化の系統樹でヒトだけが独立して存在しているわけではなく、チンパンジーのすぐそばにいる。また「現代人が人類史上もっとも賢い」ともおもってしまうけど、これもとんだ勘違いだ。

 一方、ひとたび心が現代的になったときには、その時点で人類の能力は現代人とほぼ変わりなかったと最近の研究者は考えている。少なくとも、オーカーの刻み目を作り出した七万五千年前の時点で、現代人並みの能力を持っていたことになる。コンピューターや携帯電話など最新機器に囲まれる現代生活だが、こうした発展は人類がここ数十年で賢くなったから生まれたというわけではない。もともとの潜在力は、七万五千年前の時点といまで変わりない。
 とすると、当時といまを分けるものは何なのか。この理由は、偉大なる物理学者アイザック・ニュートン(一六四二~一七二七年)の言葉にヒントが隠されている。
「もし私が、より遠くを眺めることができたとしたら、それは巨人の肩に乗ったからです」巨人の肩というのは過去から引き継がれてきた知識の蓄積だ。言語を生み出してから脈々と続いてきた歴史が、私たちのいまを支えているということだろう。

 脳のサイズなどは七万五千年前の人類とほとんど変わっていないそうだ。人間の能力は古代人と比べて優れているわけではない。むしろ、劣っている面のほうが多そうだ。筋力、体力はもちろん、便利なものに囲まれている現代人は手先の器用さも劣っているだろうし、外部記憶装置が多い分、記憶力だって低そうだ。

 我々は、先人の知恵とか、便利な道具とか、社会システムとか、教育制度とか、能力を底上げしてくれるあれやこれやに囲まれて暮らしているから自分がすごいと錯覚しているだけで、あらゆる文明を捨ててしまえば万物の霊長どころか最弱の生き物になってしまうんだよな。大きい会社に勤めているから自分がえらくなったと錯覚してしまうサラリーマン、みたいなことを人類全体でやってるんだよな。


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2024年4月30日火曜日

小ネタ14

本の価値

 本の価値はいろいろあるけど、最大のものは「ずっと未来に物語や思想を残せる」ってことじゃないかな。テレビや映画や音楽はその点で弱い。千年前のものがいまだに鑑賞されているのって本ぐらいだろう。絵画も賞味期限は長いが、複製や保存がかんたんではない。本はその点でも優れている。

 ってことを考えると、本にまつわる賞は数あるのに、そのほとんどが新刊本を対象にしているのは残念なことだ。「二十年以上前に出版された本の中から選ぶ賞」とかあってもいいのに。


目増え

 目減りはあるのに目増えという言葉はない。なんでだろう。現象としてはぜんぜんありうることなのに。


きょうだい1

 同じ単語なのに、狭義の意味とそれを内包する広義の意味を持っていてややこしいものがある。と書いてもよくわからないとおもうが、たとえば、ごはん(米飯と食事の意味)、名前(姓名の姓じゃないほうと姓名の意味)などだ。「きょうだい」もそのひとつだ。

 「姉妹」に対する「男兄弟」の意味もあるが、姉妹も含んだ「同じ親を持つ子同士」の意味もある。また「兄妹」や「姉弟」も「きょうだい」と読む。とてもややこしい。

 もっといえば「自分にとっての兄や姉や弟や妹」の意味でも「きょうだい」と言う。「あの家のきょうだい」と「わたしのきょうだい」はぜんぜんべつの概念だ。


きょうだい2

 そういえば英語の「brother」「sister」もかなり雑な言葉だ。「兄ないしは弟」ってなんて雑な言葉なんだ。特に兄と強調したいときは「elder brother」と言わないといけないらしい。兄なんて相当身近な存在なのに、それをたった一語で表す言葉がないなんて。

 その点、中国語の親戚を表す言葉は細かい。兄、弟、姉、妹が別の言葉なのはもちろん、父方の祖父と母方の祖父、父方の祖母と母方の祖母はそれぞれ別の言葉だ。また、おじに関しても「父の兄」「父の弟」「母の姉弟」「母の姉妹の夫」「父の姉妹の夫」をそれぞれ別の単語で表す(英語は「unkle」の一種類、日本語は「伯父」「叔父」の二種類)。

 文化の違いが表れていておもしろい。



2024年4月26日金曜日

小ネタ13

馬鹿の故事

 秦の政治家が鹿を馬だと言い張り、部下たちに「これは馬だな」と訊いた。彼を恐れた部下は「鹿です」と答えた。正直に「馬です」と答えた部下もいたが、その部下たちは殺された。

 ……という逸話から「馬鹿」という言葉が生まれたという説がある。

 なかなかよくできたエピソードだ。というのは、「知らないこと」「まちがえること」をバカと呼んでいるのではなく「まちがいに気づいていながら気づかないふりをすること」「まちがいを認めないこと」をバカと呼んでいるからだ。知見に満ちている。

 つまり、思考することが苦手な首相がとんちんかんなことを言ってしまうのが馬鹿なのではなく、それに対して記者会見で見解を求められた官房長官が「その指摘はあたらない」と回答することが馬鹿だということだ。


高度なダジャレ

 青酸カリの生産管理


小さなお葬式

 うちの5歳児がよく「ちいさなお葬式♪」ってCMソングを歌うんだけど、今日会った友人の子(6歳)も「ちいさなお葬式♪」と歌ってた。こないだは近所の8歳の子も歌ってた。

 あのメロディには子どもに刺さる何かがあるんだろうか。

 子どもが葬儀屋のCMソングを歌っていることにぎょっとするから余計に印象に残るのかもしれないが。


好景気

「今の日本は賃金も上がってるし失業率も低いから好況だ!」と主張している人がいて、それに対し「こんなに庶民の生活が苦しいのにどこが好景気だ!」と反論してる人がたくさんいた。

 今が好景気かどうかは知らないが、少なくとも「庶民の生活が苦しいのにどこが好景気だ!」という反論は誤っている。

 勘違いされがちだが、好況下においてべつに庶民の暮らしは良くならない。漫画サザエさんを読むと、高度経済成長期にニュースで物価値上がりを伝えていて、サザエさんが「家計が苦しいわ」とぼやいているようなシーンが出てくる(はっきりした記憶ではないが)。

 好況であれば物価が上がり、物価が上がれば貯金は目減りする。ふつう賃金の上昇は物価上昇よりも遅れてやってくるから、安定した職についている人、年金受給者、貯金で食っている人などの生活は苦しくなる。そういう人たちにとってはデフレ不況のほうがむしろありがたい。

 逆に、投資家や求職者、借金を抱えている人などにとっては好況のほうが得をすることが多いだろうが、どちらかといえば好況で生活が苦しくなる人のほうが多いのではないだろうか。

 本来「好況」と「暮らしが楽になるか」はまったくべつのものなのだが、そこを一緒に考える人は多い。

 なぜかというと、漢字のせいだろう。

 好況、好景気という漢字を見ると、さも良いことずくめのようにおもえてしまう。好転、好評、好機、好人物、好青年、好印象と好がつく熟語はプラスの意味を持っている。だから「好況」「好景気」という単語を見ると良いものとおもってしまうのだ。そして「不評」「不人気」などに引っ張られて、不況、不景気は悪いものとおもってしまう。

「好況」は英語だと「boom」である。「boom」には他に「急激な増加」とか「ドーンという大きな音」とかの意味があるので、「好」というよりは「大」とか「拡」とかの意味が近いのではないだろうか。

 好景気とは単純にいえば経済の拡大であり、拡大にはいい影響もあれば悪い影響も伴う。「好景気=いいもの」「不景気=悪いもの」という思い込みから脱するために、「好景気」「好況」ではなく読みはそのままに「広景気」「広況」の字を充てるのはいかがだろう。「高」の字でもいい。対義語は、経済の動きが鈍るという意味で「歩景気」「歩況」で。


2024年4月25日木曜日

小ネタ20

ウソ豆知識

 大阪には喜連瓜破(きれうりわり)という地名があるが、この地名の成り立ちは喜連+瓜破ではなく、喜+連瓜破(き+れうりわり)である。


すずめの戸締り

『すずめの戸締まり』を観た。地上波放送で無料で観たのであんまりえらそうに言える立場じゃないけど……。

 家族での視聴だったので最後まで観たけど、ひとりだったら途中で止めていたな。細かいところが雑なんだもん。

 地震を引き起こす存在がいるとか、それを鎮める力を持った人がいるとか、人が椅子に変えられるとかは、べつにいい。そういう設定だから。

 でも「ふくらはぎぐらいの深さがある水たまりに、主人公の女子高生が靴も靴下も脱がずにいきなり入っていく」「椅子に変えられた男が、物理法則を無視して空間を自由自在に飛び回れるようになる」「男の友人の器が琵琶湖より広く、車が事故って壊れても笑って許す」とかは雑すぎて許せない。

「そうしないと制作者がおもう方向にストーリーを持っていけないから」以上の理由がないんだよなあ。

 実際にあった東日本大震災を扱った映画でその雑さはないんじゃない?


対義語

「冷たい」の反対は「厚い」ではなく「熱い」だが、「冷遇」の反対は「熱遇」ではなく「厚遇」だ。

「厚顔」はあつかましいという意味だ。その反対の意味の漢字を使って「薄顔」という熟語を作ってみる。「薄顔」という字を見て「ひかえめ、謙虚」という意味だとおもう人はいないだろう。ほとんどの人は「薄情そうな顔」あるいは「単純に薄い顔(特徴のない顔)」という意味だと推測するんじゃなかろうか。

 顔は厚くても薄くてもいけないらしい。



【読書感想文】渡辺 佑基 『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』 / マグロはそこまで速く泳がない

ペンギンが教えてくれた物理のはなし

渡辺 佑基

内容(e-honより)
ペンギン、アザラシ、クジラにサメにアホウドリ…大自然を生き、その生態が多くの謎に包まれた野生動物たち。彼らに直接記録機器を取り付ける「バイオ(bio=生物)+ロギング(logging=記録)」によって明らかにされた、驚きの姿とは?若き生物学者が七転八倒しながら動物たちの背景にある物理メカニズムを読み解き、進化的な意義に迫る!第68回毎日出版文化賞受賞作。

 おもしろかった!

 バイオロギングという手法(生物に記録装置をとりつけてなるべく自然な行動を測定する方法)を使って野生生物の生態を研究している生物学者による、研究ルポ。

 「生物学者なのになぜ物理の話?」とおもうかもしれないが、読めばわかる。生物の行動を知るには物理の知識がかなり有用なのだ。それを、ぼくのようにたいして物理の知識がない人間にも(なんとなく)わかるように伝えてくれる。文章も軽妙で、おもしろい。



 たとえば。

 マグロという魚は、他のあまたの魚類とは根本的に異なる生理的な特徴をひとつもっている。
 体温が高いのである。種やサイズにもよるが、マグロ類はまわりの水温よりも一〇度ほど高い体温を常に保っている。血管や筋肉の配置が特殊化しており、尾びれの往復運動によって発生した熱を体内にため込むことができるからである。
 魚類は変温動物であり、体温は周りの水温と常に等しいというのが一般的な常識である。けれども中にはマグロのような常識外れの魚がいることを覚えておこう。
 ともあれ体温が高ければ筋肉の活性が上がるので、マグロは尾びれをすばやく振り続けることができる。尾びれの振りの速さはそのまま遊泳スピードに直結するので、マグロは他の魚に比べて速く、持続的に泳ぐことができる。
 そして速く泳ぐことができれば、途方もない長距離の回遊も限られた時間内に成し遂げることができる。たとえば東西に八〇〇〇キロも広がる太平洋を、もしも時速二・五キロのイタチザメが横断しようとすれば、片道一三三日もかかる計算になる。いっぽう時速七キロのマグロなら、わずか四八日でそれができる。ただし実際の魚は矢のように直進するのではなく、水平的にも鉛直的にもうろうろするので、それよりはずっと長くかかる。

 マグロが速く泳げるのは、体温が高いからだという。運動効率を上げるためには体温が大事だとは知らなかった。変温動物であるにもかかわらず体温を高められるように進化したマグロは、他の魚よりも速く泳げるようになった。生物はいろんな進化をするものだ。

 また、体が大きいほど速く移動できるという。代謝速度はおおよそ体重の3/4乗に比例するが、水の抵抗は体表面積(体重の2/3乗)に比例する。だから体が大きくなるほど代謝速度の余剰が生まれるというわけ。

 そういや短距離走のトップ選手もみんな身体でかいもんなあ(たとえばウサイン・ボルトの身長は195cn)。移動の無駄をそぎ落としていけば、最終的には身体の大きさの勝負になるのか。


 ところで、マグロはどれぐらいのスピードで泳ぐか知っているだろうか?

 ぼくは「80km/hを超える」という話を聞いたことがある。本によっては「100km/h以上の速度で泳ぐ」と書いてあるそうだ。ところが著者によるとそれはとんでもない大間違いで、せいぜい7km/hぐらいなんだそうだ(それでも海中ではダントツで速い)。

 100km/hと7km/hではぜんぜんちがうじゃないかとおもうが、それぐらい海中の生物の生態のことはよくわかっていなかったそうだ。実験場で計測した値(速度ではなく力を測ったりするらしい)と、野生のマグロを計測した値ではそれぐらい違うらしい。

 ちなみに「マグロ 速度」で検索すると、わりと信頼あるサイトでも「マグロ100km/h近い説」を掲げている。

 ほんとはどっちが正しいかはぼくには判断できないけど、やっぱり水中で100km/hってのは無理がある気がする。水中の移動は空気中の十数倍の抵抗を受けるんだから。



 渡り鳥などの移動を記録するジオロケータの説明。

 動物の移動はGPSを使って計測しているのかとおもいきや、そうでもないらしい。GPSは、位置情報を装置自体に記録しているため、動物につけて移動を記録した後、再度同じ動物を捕まえて装置を回収しなくてはならないらしい。しかし一度放した野生生物をふたたび捕獲するのは至難の業。GPSを回収しないことにはどこにいるかもわからないしね。

 そこで、GPSを使わずに位置情報を計測するのがジオロケータだ。

 ジオロケータは数分に一回程度、周りの明るさ(照度)を記録する。測位に使うパラメータはそれだけ。ジオロケータが小型化できるのも、そのわりに長もちするのも、電波を発信したりせず、ただ黙々と照度を記録していくだけだからである。そして一年間の照度の記録から、一年間の鳥の移動経路を算出することができる。
 照度から移動経路がわかる。これは狐につままれたような、でも言われてみればごく簡単な、大航海時代の船乗りも使った天測である。
 一日のうちの照度の変化に注目すれば、照度が急に上がった日の出の時刻と、照度が急に下がった日の入りの時刻がわかる。そして日の出の時刻と日の入りの時刻がわかれば、その日の昼間の長さがわかる。さらに日の出と日の入りの真ん中をとれば、南中の時刻もわかる。必要なのは昼間の長さと南中の時刻。さあ、これで測位の準備は早くも完了。
 地球スケールで見たとき、昼間の長さは緯度(南北方向)によって変化する。夏の間は緯度が高くなるほど昼は長くなるし、逆に冬の間は、緯度が高くなるほど昼は短くなる。だから昼の長さがわかれば、おおざっぱな緯度を推定することができる。
 次に南中の時刻。再び地球スケールで見たとき、南中の時刻は経度(東西方向)によって変わる。たとえば東京とロンドンとでは九時間の時差があるから、南中の時刻もだいたい九時間ずれている。だから南中の時刻がわかれば、ざっくりとした経度を推定することができる。
 このようにして照度の記録から、地球上のだいたいの緯度、経度を推定するのがジオロケータの測位システムである。シンプルこのうえなし。

 なんと時刻ごとの照度の推移がわかれば地球上のどこにいるかがわかるというのだ。

 精度が粗い、春分の日と秋分の日の前後はは機能しない(地球上どこにいても昼と夜の長さが同じになるので)などの問題はあるそうだが、「明るさを計測するだけで場所が特定できる」ってのはすごい仕組みだなあ。

 緯度が低いほど昼の時間が長いとか、南中時間は東に行くほど早いとか、理科の授業で習うから知識としては知っていても、こうやって実際に活用することはむずかしい。

 生物学と物理学と天文学の知識が結びつく。わくわくする話だ。



 あとおもしろかったのは、鳥の翼の話。

 烏にとって飛行速度を下げられるメリットは大きい。ゆったりと空中を舞いながら周辺を広く見渡し、食べ物を探すことができるし、グンカンドリの場合は空中で速度を落とし、ターゲットの鳥にいやらしく付きまとうことができる。そのうえ遅く飛ぶことができれば、上昇気流に乗って上空で円を描く際、円の半径を小さくできるので、規模の小さな上昇気流をうまく利用できるというメリットがある。
 これには少し説明が必要かもしれない。上昇気流に乗って円を描くとき、烏の体には外向きの遠心力がのしかかる。遠心力が強すぎると、カーブで曲がりきれない車のように鳥の体も円の外にはじき出されてしまう。 遠心力は「(速度)の二乗(回転半径)」に比例する。外にはじき出されないよう遠心力を低く保つためには、分子である速度を下げるか、分母である回転半径を増やすか、どちらかしかない。大きな翼のおかげで速度を下げることできれば、回転半径は増やさないで済む。つまり小回りができるようになる。しかも遠心力に対して速度は二乗で効く。ということは、速度をほんの少しでも下げることができれば、回転半径はずっと小さくて済む。
(中略)
 意外なことに、鳥の普段の生活で重宝するのは遅く飛べる能力である。遅く飛べる鳥は速くも飛べるが、速く飛べる烏が遅く飛べるとは限らない。

「速く飛ぶより遅く飛ぶ能力のほうが大事」ってのはおもしろいね。なるほどなあ。ふつうは遅く飛ぶと落っこちちゃうもんな。遅く飛べるってことはそれだけ飛行技術が高いってことか。

「自転車は速く進むよりも遅く進むほうがむずかしい」にも似ているかもしれない。子どもの自転車はたいてい速すぎるし、年寄りの自転車は遅いせいでふらふらしている。



 著者が自分で書いているように、後半になるほどどんどんおもしろくなる。

 科学解説のパートだけでなく調査にまつわるエッセイ部分もおもしろい。科学好きにはおすすめの本。


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