2023年6月6日火曜日

ツイートまとめ 2023年2月



地獄

慣用句

追いだし部屋

耕作放棄地

バスケは友だちのふりをして近づいてくる

まんざい祭り

四字熟語っぽい

eスポーツ

ジャンボ

時間短縮

お年頃

YOU

川柳



2023年6月5日月曜日

【読書感想文】朝井 リョウ『スペードの3』 / 換気扇の油汚れのような不満

スペードの3

朝井 リョウ

内容(e-honより)
有名劇団のかつてのスター“つかさ様”のファンクラブ「ファミリア」を束ねる美知代。ところがある時、ファミリアの均衡を乱す者が現れる。つかさ様似の華やかな彼女は昔の同級生。なぜ。過去が呼び出され、思いがけない現実が押し寄せる。息詰まる今を乗り越える切り札はどこに。屈折と希望を描いた連作集。


 あるスターのファンクラブの幹部を務める女性、小学校ではいじめられっ子だったが中学校で自分の居場所を見つけられた少女、華やかなキャラクターであるライバルと常に比べられてきたベテラン女優。三者それぞれの人生を描いた連作短篇集。


 彼女たちはそれぞれ心にわだかまりを抱えているが、直ちに人生に大きな影響を抱えるほどの深刻な悩みではない。さしあたっては。

 他人に自慢できない仕事についていることを隠している、ファンクラブ内での人間関係に不満を持っている、絵を描くのが上手いし好きだがプロになれるほどの実力はない、小学校時代の暗い過去を隠して中学生活を送っている、年齢を重ねるごとに女優としての限界を感じてしまう、古くからの友人のほうが芸能界で成功している……。

 彼女たちが抱える不満を解消するのはすごくむずかしい。おそらく不可能だろう。そして、抱えたまま生きていけないほどの苦しみではない。だからなるべく蓋をして、そのことについて考えないようにしながら生きていく。その程度の不満。きっと誰しもが抱えているだろう。

 換気扇の油汚れのようなもの。とるのはすごくたいへん。とらなくても換気扇は機能する。でもついているとなんとなくイヤ。だから見ないようにして、換気扇を使いつづける……。

 人生ってそんなものといってしまえばそれまでだけど、でも当事者にとってはやっぱりイヤなものだよね。いつかその汚れが深刻な問題を引き起こすこともあるわけで。




「父親がいない」「おもいもよらない行動で周囲をはらはらさせる」「難病で女優を引退することになった」という〝メディアが好きそうなストーリー〟を持ったライバルをうらやむ女優の語り。

 衝動のように思う。
 私にはどうしていじめや病気を乗り越えた過去がないのだろう。
 私にはどうして幼いころ離れ離れになった父親がいないのだろう。
 私にはどうして説得力を上乗せするだけの物語がないのだろう。
 さまざまなものを積み重ねる前にどうして、表舞台に出ることを選んでしまったのだろう。けれど、もう、引き下がることはできない。

 この気持ち、なんとなくわかる。ぼくは表現者ではないけど。

 作家の自伝を読んでいると、とんでもなく波乱万丈な経歴を持った人がいる。一家離散していたり、借金まみれでアル中の父親がいたり、警察の厄介になっていたり。そんな体験をおもしろおかしくつづっていて、「この人は表現者になるために生きてきたのだな」とおもわされる。

 花村萬月氏や西村賢太氏のように。

 そういう文章を読むたびに、「それに比べてぼくの人生はなんてつまらないんだろう」と嘆いたものだ。サラリーマンの父親とときどきパートに出る主婦である母親。まじめで友だちの多い姉。家はベッドタウンの一軒家。ヤクザな親戚も面倒な隣人もいない。成績も悪くないし、教師に怒られることはよくあるが警察のお世話になるほどではない。そんな人生を歩んできた。

 だから学生時代はいろんな奇行に走った。着物でうろうろしたり、民族衣装を着たり、わけのわからないものを持ち歩いたり、わざと寝癖をつけて学校に行ったり、生徒会長になって意味不明なスピーチをしたり。

 でも、やればやるほど自分の平凡さを痛感した。「変わってるやつだ」とおもわれるけど、著しく損をするようなことはしないのだから。どこまでいってもぼくは「奇人にあこがれてる凡人」だった。

 ま、花村萬月氏や西村賢太氏が作家になれたのは、別に彼らの経歴が独特だったからではなく、彼らに文才があり、またそれを活かすための努力をしたからなんだけどさ。昔はそういうことがわかっていなくて、表現者となるためには「その人のバックボーンとなるストーリー」が必要だとはおもっていたんだよな。

 問いを考えることに熱中しすぎて裸で街へ飛び出したとか、表現をつきつめるあまり自分の耳を切り落としたとか、そういうわかりやすい逸話がほしかったんだよね。


 想像だけど、朝井リョウ氏も〝説得力のあるストーリー〟を持たないことにコンプレックスを感じていたのかもしれないな。

 何しろ朝井リョウ氏は早稲田大学在学中に作家デビューし、デビュー作が映画化されるほどのヒットになり、23歳という驚異的な若さで直木賞を獲り、その後もコンスタントに売れている人気作家だ。その順風満帆すぎる経歴が、逆にコンプレックスだったのかもしれない。

 西村賢太氏みたいな「父親が強姦で捕まり、母子家庭で育ち、不登校になり、ほとんど本を読まず、中卒でその日暮らしを送り、喧嘩で留置場に入れられ、借金まみれの生活を送っていた」という経歴のほうが作家っぽくて「無頼派のかっこよさ」があるもんね。

 ま、数多の「経歴だけは西村賢太のようだけど作家になれなかった人たち」がいるので、その経歴にあこがれるのはまちがってるんだけど……。




 この本でぼくが好きだった文章。

 白いシャツのボタンを一番上まで留めたウェイターが、それぞれのグラスに水を追加してくれる。まだ少しだけ残っているコーヒーを片付けようとはしない。美知代はずっと前に、このウェイターが最寄りの駅前で煙草を路上に捨てるところを見たことがある。

 これ、本編とはあまり関係のない記述だ。このウェイターは作品の中でまったく重要な役割を果たさない。

 でも、だからこそこの描写が印象に残った。ストーリーに関係のないウェイターだから記号みたいな扱いでもいいのに、わざわざ「このウェイターが最寄りの駅前で煙草を路上に捨てるところを見たことがある」というエピソードを入れて立体的に描いている。

 なかなかできることじゃないですよ、こういう丁寧な仕事は。


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2023年6月2日金曜日

こぶな

 ニュースで「○○川で鮒の放流をおこなわれました。放流された小鮒は元気よく泳いでいました」と伝えていた。

「小鮒」って言葉、童謡『ふるさと』以外ではじめて聞いた!


2023年5月31日水曜日

側転の因数分解

 九歳の長女が「体育の授業で側転をやらなきゃいけないのにぜんぜんできない」と言う。

 やってみてもらうと、たしかにぜんぜんできない。からっきしだ。

 どこがダメかというと、足が上がっていない。側転は足を真上に上げなきゃいけないのに、長女の足は腰の高さぐらいまでしか上がっていない。惜しいとこにすら達してない。これではいくら側転を練習してもだめだろう。もっと根本のところに原因がありそうだ。


 まず足を上げる練習をしなきゃだめだよね、ということで調べてみると「カエルジャンプ」なる練習がいいらしい。

 両手を床につき、ジャンプして両足を上げる練習だ。足と足でタンタンと二回拍手(拍足?)ができるようになるといいと書いてある。

 で、長女にカエルジャンプをしてもらったのだがまったく足が上がらない。四歳の次女のほうがはるかに高く足を上げている。

 恐怖心があるからおもいっきり飛べないのかなとおもい、身体を支えてやる。「どんなに跳んでも支えてるのでひっくりかえらないよ」と伝えるが、それでもまったく跳べない。どうやらびびってるわけではなく、単純に地面を蹴るが足りないらしい。


 地面を蹴る力を鍛えるにはどうしたらいいんだろう、と調べてみると、「壁に向かって倒立をするといい」とある。

 やってもらう。案の定、まったくできない。

 まずはうまくいくイメージをつかんでもらおうとおもい補助をしてやるが、それでも倒立ができない。腕で身体は支えられるのに、お尻が落ちてしまうのだ。

 腕の力が足りないわけではなく、足を上げる力が足りないらしい。


 倒立ができないときは、後ろを向いて(つまり壁のほうに顔を向けて)倒立をするといいそうだ。

 が、やはりできない。エビぞりみたいな恰好になってしまう。長女はバレエをやっていて身体が柔らかいのだが、それがマイナスにはたらいているのか、変にそりかえった格好になる。

 ぼくが両手両足を床につけ、「このまま後ろに下がっていき、足を壁にくっつけるだけだよ」と教える。

 するとここで衝撃的な事実が判明。

 なんと長女は両手両足歩きができないのだ。


 え? なぜ?

 走ったり鉄棒をしたり縄跳びをしたり踊ったりは人並み以上にできるから、そんなに運動神経が悪いわけではないとおもうのだが、なぜか「両手両足を床につけて歩く」動作だけができない。すぐにぺちゃんとつぶれてしまう。

 ぜんぜんむずかしい動作じゃない。四歳の次女はかんたんにできている。

 長女は体幹が異常に弱いらしい。


 ということで、

  側転ができない

   ↓

  なぜなら足が上がらないから

   ↓

  なぜなら地面を蹴る力が弱いから

   ↓

  なぜなら足を上げようとするとお尻が落ちてしまうから

   ↓

  なぜなら両手両足歩きができないから

   ↓

  なぜなら体幹が弱いから


 逆算をしていくことで原因らしきものは突き止められた。

 さあ、あとは体幹トレーニングをして両手両足歩きをできるようにして……。

 ……ううむ、先は長そうだ。



 しかし、お手本を見せるためにぼくがじっさいに何度も側転をやってみせて気づいたんだけど、これ、ジャンプ力必要か?

 検索すると「カエルジャンプの練習をしましょう」とか「手をついて横に跳んでみましょう」とか言われるんだけど、ぼくが側転をするときはほとんどジャンプなんかしていない。

 じゃあどうやって回っているかというと、重心移動だ。

 両手を挙げて、勢いよく左に動かす。右足をおもいっきり上げる。すると、重心が左に移動する。その勢いで勝手に左足が持ち上がる。あとは慣性で勝手に回る。そんな感じだ。

 今まで意識したことなかったけど、改めて自分の身体がどうなっているか考えてみると、ほとんどジャンプをしていない。わずかに地面を蹴っているけど、それよりも重心移動の力で回っている。

 側転にジャンプ力って必要なのかな? 慣れてきたらジャンプ力なしでも回れるけど最初は必要なのかな?



2023年5月29日月曜日

【読書感想文】ミハイル・ゴルバチョフ『我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝』 / ロシアは四面楚歌

我が人生

ミハイル・ゴルバチョフ自伝

ミハイル・ゴルバチョフ(著) 副島 英樹(訳)

内容(e-honより)
「私は、生きてきた歳月を後悔しない。」現代史の生き証人、東西冷戦終結の当事者が自らの言葉ですべてを語る。巻末にゴルバチョフ氏の最新の論考を収録!

 ミハイル・ゴルバチョフ。通称ゴルビー。

 ソビエト連邦最後の首脳。ソ連が崩壊したのがぼくが小学校低学年の頃だったので、リアルタイムではゴルバチョフ大統領のことはほとんど知らない。

 ただ、そのインパクトのある名前と、印象的な顔(「額にソ連の地図がある」なんていわれていた)が妙に印象に残っている。

Wikipedia「ミハイル・ゴルバチョフ」より

 かんたんに経歴を書くと、ミハイル・ゴルバチョフ氏は1931年生まれ。貧しい家庭で育ち、青年時代には独ソ戦も経験する(出征はしていない)。ソ連共産党の書記などとして活躍し、54歳でソ連のトップである書記長に就任。

 ソ連の建て直しを図った「ペレストロイカ」や情報公開「グラスノスチ」など、おもいきった改革を進める。書記長時代にはチェルノブイリ原発事故も起こっている。アメリカ・レーガン大統領と軍縮交渉をおこなうなど冷戦の終結に努める。

 1990年に大統領制を導入しソ連の初代大統領に就任するもクーデターの勃発などで政権は弱体化、1991年にソ連は崩壊し、ゴルバチョフは最初で最後の大統領となった。

 大統領辞任後もロシアの政治に関わりつづけたが、2022年8月に91歳で死去。


 そんなゴルバチョフ氏の自伝。

 2022年7月に刊行され、奇しくもその1か月後にゴルバチョフ氏は亡くなっている。こういっちゃなんだけど、タイミングいいよね。

 申し訳ないけど、ゴルバチョフ氏の訃報を目にしたぼくの感想は「まだ生きてたのか」だった。それぐらい、長く政治の表舞台からは遠ざかっていたので。




 ゴルバチョフ氏は、「おひざ元のロシアでは評価が低く、西側諸国からは高く評価されている」人物だそうだ。海外からのほうが高く評価される首脳というのはなかなかめずらしい。

 大きな理由のひとつが、ゴルバチョフ氏が推し進めたペレストロイカにある。

 ざっくり言うと、ゴルバチョフ氏はソ連を「アメリカや西ヨーロッパのような国にしようとした」のがペレストロイカだ。統制経済から自由経済へ。

 だから西側諸国からは歓迎されたが、既得権益を失ったソ連国内では人気がなかった。ゴルバチョフ氏のせいで既得権益を失った人がおおぜいいたからね。

 また民主化により失業者が出たり、物価が上がったりして、生活が苦しくなったりもしたそうだ。それまでは「ぼちぼち働いていれば食うに困ることはない。貧しいけどみんな貧しいからしょうがないよね」だったのが、「一生懸命働けば豊かになれるけど、一生懸命働かないと食っていけない」になった。どっちがいいかはかんたんに決められないけど、前者が突然後者になったら困る人はいっぱいいるよね。


 実際、国民所得の成長のテンポはこの15年で半分以下になり、90年代初めまでには事実上、経済的不況のレベルにまで落ち込んでいた。これまで精力的に世界の先進諸国に迫る勢いだった我が国は、明らかに後れをとりはじめていた。さらに、生産効率や製品の品質の向上、科学技術の発展、最新の技術やテクノロジーの開発・応用においても、これらの国々との格差は、我々に不利な方向に拡大していった。
「総生産量」を追い求めることがとりわけ重工業において「最高任務」となり、目的そのものとなった。同じことが、基本建設[工場や住宅など基本財産となるものの建設をめぐっても起きた。そこでは、施工期間の長期化によって、国家の富のかなりの部分が失われていた。高くつくだけで、最先端の科学技術の指標には貢献しない施設が増えていく。よき労働者、よき企業とは、労働力や原料や資金をより多く使い尽くすものだと認識された。そして消費者は生産者の権力下に置かれ、施されるものを使うしかない。
 我々は一つの製品に対して、他の先進国よりもかなり多くの原料、エネルギー、その他の資源を費やした。我が国の天然資源や人的資源の豊かさは、甘えを生んだ。荒っぽく言えば、我々を堕落させたのである。我々の経済は、量的拡大を目指す路線によって数十年のうちに発展を遂げる可能性を秘めていた。しかし、他者の援助を当てにする雰囲気が強まり、良心的で質の高い労働への威信が落ちはじめ、「平等至上主義」の心理が意識に根を張り出す。  簡潔に言えば、量的拡大を目指した成長の惰性が、経済的な行き詰まりや成長の停滞へと我が国を引きずり込んだのだ。

 ソ連がアメリカなどの国から遅れをとっていたことを考えると、国のトップとしては改革に舵を切らなくちゃいけないのもわかるけど。


 市場主義経済だと成果は市場で判定される(儲かる仕事がいい仕事)からわかりやすいんだけど、社会主義経済だと労働を「勤勉かどうか」で判定するしかなくなる。これはよくない。

「勤勉」ってのは成功するための手段のひとつであって(必須条件ではない)、「勤勉」それ自体を評価の対象にするとろくなことがない。「勤勉」を良しとすると、効率の悪い働き方をするのが最適解になっちゃうんだよね。「1時間で10作る人」よりも「10時間かけて10作る人」のほうが勤勉だからね。イノベーションが起こりにくくなる。

 またソ連には資源があった。これはいいことでもあり、悪いことでもある。

「オランダ病」という言葉がある。オランダでガス田が見つかったために他の産業が衰えたことに由来する言葉で、「資源があることでかえって産業が衰えてしまう」状態を指す言葉だ。

 ソ連もまたオランダ病に陥っていたのだろう。この病気に罹患すると、資源が尽きるまではなかなか方針を改めることができない。




 ゴルバチョフ氏より三代前に書記長だったブレジネフ氏の話。

 アカデミー会員チャゾフの記憶によれば、ブレジネフ書記長の病は70年代初めに進行しはじめた。脳梗塞と、鬱や無気力を誘発する鎮静剤の多用が致命的な影響をもたらしていた。みるみるうちに様子が変わっていった。かつてはよりエネルギッシュであったうえ、もっと気さくで、正常な人間関係を築いていた。審議を促したり、政治局や書記局会議の議論にさえ関わったりすることがあった。だが、今となっては根本的に状況は変わった。議論や、ましてや何らかの自己批判を彼のほうからすることなどもはやなかった。
 おそらく、ブレジネフの健康状態や知的な側面に鑑みて、進退問題を提起する必要があったのだろう。これは人として当然のことであり、人道的観点や国益から見ても妥当なことだった。しかし、ブレジネフと彼の側近たちは、権力を手放すことは考えたくなかった。そして、あたかもブレジネフの退任でそれまでの均衡が崩れて安定が損なわれるということを、自らにも、そして周囲に対しても思い込ませたのだった。つまり半死半生の人であってもやはり、「余人をもって代え難い」のだと。 政治局のある会議で、議長役〔ブレジネフ〕が「意識を失い」、議論の思考回路が飛んでしまったのを覚えている。全員が何事もなかったように振る舞ったが、やりきれぬ思いが残った。会議の後、私はアンドロポフ〔1914~84年。ブレジネフの後継のソ連共産党書記長〕と思いを語り合った。
「いいか、ミハイル」と言って彼は、以前私に語ったことを、ほぼそのまま繰り返した。我々はレオニード・イリイチ〔ブレジネフ〕のこの地位を維持するためにあらゆることをしなければならない、と。これは党や国家の安定の問題であるだけでなく、国際情勢の安定の問題ですらあったのだ。

 要するに、健康上の理由でまともな思考や判断ができなくなっていたのに、そっちのほうが都合がいいとおもう人が多かったので、側近たちは彼をそのまま書記長の座に留めおいたのだそうだ。

 うーん。気持ちはちょっとわかるけど。トップの人は変にしゃしゃり出るよりも、お飾りとして何もせず座っているのがいちばんスムーズに動いたりするけど。

 とはいえ、議論ができず、ときには意識や記憶を失ったりする人がソ連のような大国のトップを務めていたなんて……。おっそろしい話だなあ。案外こういうのが戦争の一因だったりするんだろうな。




 ゴルビーの自伝を読んでいると、はじめのほうは理性的かつ客観的に物事を見られる人物なのに、トップ(書記長)になったあたりから、急に謙虚さを失って「人のせいにする」ようになったという印象を受ける。

 軍縮会議がうまくいかなかったのは、こっちが妥協しているのにアメリカが譲らなかったせい。改革がうまくいかなかったのは、国内の反対派がじゃまをしたせい。国民の暮らしが悪くなったのは、後任者(エリツィン)のせい。

 手柄は自分のものにして、失敗の原因はすべて他人に押しつける記述が目立つようになる。

 実際はどうかわからないけどさ。周囲の邪魔があったせいでうまくいかなかったのかもしれないけどさ。でも、そこを乗り越えてなんとかするのが政治家の仕事でしょうよ。

 自伝だからゴルバチョフ氏側の言い分しかわからないけど、書記長になって以降はずいぶん勝手な人だなあという印象を受けた。まったく謙虚さがない。


 この傲慢な姿勢、何かに似ているなあとおもったら日本の政党だ。自民や維新が特に顕著だけど、失敗の原因はすべて他党に押しつけて、手柄だけは自分のものとして吹聴する。「我々がおこなったアレは失敗だった」なんて反省を口にしているのは一度も聞いたことがない。与党、権力者がかかる職業病みたいなものかもしれない。

 やっぱり国や社会体制にかかわらず、権力を持つと人は傲慢になっちゃうんだよね。「己の失敗を認める」がいちばんむずかしい。どこでもおんなじだね。




 あと、読んでいて感じたのは、被害者意識がすごいなということ。これはゴルバチョフ氏が、というよりソ連、ロシアが。

 自分たちは敵に囲まれている、周囲はすべて敵、心を許せる外国はない、そんな意識がずっと漂っている。たぶんこれはゴルバチョフ氏だけじゃなくて現大統領であるプーチン氏も持ってる感覚なんじゃないかな。ひいては、ロシア国民が共通して抱いている感覚かもしれない。

 まあ当たらずとも遠からずなんだけどさ。アメリカ、NATOにはさまれて。日本もアメリカ側だし、中国共産党とだって良好ではないし。四面楚歌と感じてもふしぎではない。

 冷戦中はもちろんそうだったけど、冷戦が終わってからも西側諸国はロシアを敵と見ている。日本人だって、中国や韓国は「いろいろめんどうなこともあるけどまあうまくつきあっていきたいアジアの友人」ぐらいの感覚を持っている人が多いが、ロシアに関しては「まったくわかりあえない国」って距離感だもんなあ。

 ロシアのウクライナ侵攻もそういう雰囲気が引き起こしたのかもしれないなあ。


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