2022年3月22日火曜日

【読書感想文】芹澤 健介『コンビニ外国人』

コンビニ外国人

芹澤 健介

内容(e-honより)
全国の大手コンビニで働く外国人店員はすでに四万人超。実にスタッフ二十人に一人の割合だ。ある者は東大に通いながら、ある者は八人で共同生活をしながら―彼らはなぜ来日し、何を夢見るのか?「移民不可」にもかかわらず、世界第五位の「外国人労働者流入国」に日本がなったカラクリとは?日本語学校の危険な闇とは?丹念な取材で知られざる隣人たちの切ない現実と向き合った入魂のルポルタージュ。


 コロナ禍で減ったが、少し前はコンビニで働く外国人をよく見た。というより、ぼくの住んでいる大阪市だと外国人店員のほうが多いぐらいだったかもしれない。

 そんな「コンビニで働く外国人」を切り口に、日本で生活・労働をおこなう外国人の現状や問題点について調べたルポルタージュ。

 もっともこの本の刊行が2018年で、コロナ前とコロナ後ではすっかり社会が様変わりしてしまったので今とはちがう面もちらほらあるけどね。




 コロナ禍で数が減ったとはいえ、今の日本には外国人労働者が大勢いる。彼らなくしては社会が成り立たないといってもいい。

 たとえば、早朝のコンビニでおにぎりをひとつ買うとしよう。具は「いくら」でも「おかか」でも何でもいい。その物流行程を逆回転で想像してみてほしい。
 おにぎりを買ったレジのスタッフは外国人のようだ。
 その数時間前、工場から運ばれてきたおにぎりを検品して棚に並べたのも別の外国人スタッフだ。
 さらに数時間前、おにぎりの製造工場で働いていたのも六~七割が外国人。日本語がほとんど話せない彼らをまとめ、工場長や各部署のリーダーからその日の業務内容などを伝えるスタッフも別の会社から派遣された外国人通訳である。
 そして、「いくら」や「おかか」や「のり」の加工工場でも多くの技能実習生が働いている。
 さらにその先の、米農家やカツオ漁船でも技能実習生が働いている可能性は高い。


 ぼくは移民受け入れに賛成だ。どんどん受け入れたらいい。というか、今の日本は「移民受け入れますか? それとも社会崩壊を選びますか?」という二択の状況なのだ。賛成も反対もない。

 それでも「日本は単民族国家」ファンタジーを信じている人々にとっては、移民はなかなか受け入れがたいものらしい。現実と空想の区別がつかないアホとしかおもえないのだが、問題はそのアホどもが政治的に大きな力を持っていることだ。

 というわけで「アホどもの眼をなんとかごまかしつつ、移民を受け入れる政策」が必要になる。

 しかし、これまで見てきたように、事実として日本で働く外国人の数は増えている。外国人の流入者数を見れば、すでに二〇一四年の時点で、経済協力開発機構(OECD)に加盟する三十四カ国(当時)のうち日本は世界第五位の「移民流入国」だという報告もある。
 にもかかわらず、政府は「移民」を認めていない。
 政府の方針をわかりやすくいえば、「移民」は断じて認めないが外国人が日本に住んで働くのはOK、むしろ積極的に人手不足を補っていきたい、ということだ。
 むしろ外国人に人手不足を補ってもらうための制度は多く、政府はこれまで「EPA(経済パートナーシップ協定=経済連携協定)による看護師・介護福祉士の受け入れ」や「外国人技能実習制度」、「高度外国人材ポイント制」、「国家戦略特区による外国人の受け入れ」、「留学生三十万人計画」といったプロジェクトを押し進めてきた。 

 移民を受け入れないと社会が破綻する。でもアレな人向けには、移民は受け入れていないことにしない。

 そこで、「出稼ぎ労働者を留学生として受け入れる」「外国人技能実習制度という名目で実質的に移民を受け入れる」という嘘をつく。実態は変えずに名前だけ変える。なんとも日本政府らしいこずるい発想だ。

 そもそもが嘘からスタートしているから、ごまかしが横行する。「稼げるよと言って外国人を集めてるのにいざ日本に来てみたらおもうほど就労できない」「技能実習制度なのに母国に持ち帰るようなスキルが身につかない」となり、ツケを被るのは日本に来た外国人だ。

 韓国は移民を積極的に受け入れ、政府が入国やら就業状況やらをきちんと管理しているそうだ。はじめから「移民」ということにすればきちんとチェックできるけど、日本は嘘で集めているから、外国人が働きつづけようとしたら「逃げて不法移民として働く」「犯罪に手を染める」しか道がなくなる。政府が犯罪者を生みだしているのだ。

 とはいえ、日本にいる外国人の数は増えているのに、外国人の犯罪件数は減っているそうだ。一部の人が持っている「外国人が犯罪をする」というイメージは過去のものになりつつある。まあもともとファンタジーなんだけど。




 日本にいる外国人は優秀だ。アルバイトをしている外国人を見ているとつくづくそうおもう。自分が外国のコンビニで働けるかと考えたら、彼らがどれだけすごいことをしていたかと思い知らされる。

 とはいえ、接客の仕事の中ではコンビニは外国人にとってかんたんなほうだそうだ。たしかに仕事の内容は多いけど、客に対して話す言葉はある程度決まっている。「袋はいりますか」とか「お箸はおつけしますか」とかいくつか覚えればだいたい済みそうだもんね(宅配便とか振込とかはたいへんそうだけど)。

 だが正社員として就職する道はまだまだ険しい。

 日本の就職活動は独特だ。
 留学生に聞くと、「エントリーシートを日本語で手書きで書くのはすごく大変」だし、「SPI(新卒採用の適性テスト)が難しすぎるし、面接のときの言葉遣いも難しい」という。
 NODEではこうした留学生の意見を汲み上げ、採用する側にも伝えていくという。しかし、このように留学生の立場になって就職支援をしてくれる会社はきわめて稀だろう。実際、ASEAN人材の採用支援に特化した会社は日本で唯一ということだ。
 説明会に来ていたタイ人留学生の言葉が印象的だった。「日本で就職するのは本当にたいへん。スーツも靴も高かった。説明会に行く交通費も高いです。日本で働きたいという希望はありますが、日本のシステムのなかで自分が働くことができるかすこし心配です」

 政府は「留学生三十万人計画」を押し進めている一方、留学生の就職のケアまでは行っていない。将来も日本で働きたいという希望者をみすみす国に帰してしまっている。
 本来は国家レベルでのトータルな対処が必要なのではないだろうか。

 あーあ。もったいないなあ。くだらない慣習で優秀な人材を逃しているなあ。まあ外国人にかぎった話じゃないけど。

 採用担当者や経営者の話を聞くことがあるけど、いまだに「採ってやる」みたいな意識の人が多いからね。若い人はどんどん少なくなってるのに。まだ「たくさんいる中からちょっとでも悪いところを探してふるい落とす」感覚なんだよね。育てる気がない。




「コンビニで働く外国人を切り口に日本にいる外国人の問題を読み解く」切り口はおもしろかったけど、後半はコンビニとほとんど関係なかったのが残念。

 あと気になったのが、「二〇三五年には三人に一人が高齢者という超高齢化社会になる」という記述。この認識は遅すぎ。「超高齢社会」の定義は人口の21%以上が高齢者である社会。日本が超高齢社会になったのは2007年だ。2035年には超超超高齢社会ぐらいじゃないかな。


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2022年3月21日月曜日

インデックス型記憶と映像型記憶

 多くの読書好きと同様、ぼくも小説を書いてみたことがある。

 そして多くの人と同様、すぐに挫折した。


 書けない理由はいろいろあるけど、特にだめなのが風景描写だった。

 考えてみれば、自分が小説を読むときも風景や事物の描写はほとんど読み飛ばしている。車がどんな色でどんなデザイン、登場人物が何を身につけているか、まるで興味がないのだ。

 そりゃあ「貧乏人なのに高級車に乗っている」とか「現代人なのにちょんまげをしている」なら目を止める。それらはきっとストーリー展開に影響を及ぼす情報だからだ。
 ただ、金持ちが高級そうなスーツを着ているとか、成功者が瀟洒な邸宅に住んでいるとか、探偵がよれよれのトレンチコートに身を包んでいるとかはどうでもいい。


 もちろん、そういった描写が小説を奥行きのあるものにしていることはわかる。「金持ちの男」と書くよりも、乗っている車や身に着けているものを描写することで裕福さを伝えるほうが、ずっとリアリティのあるものになることも理解できる。

 ただ、ぼくが個人的に興味があるのが〝情報〟なのだ。

 5W(いつ、どこで、誰が、誰に、何を)には興味があるが、1H(どんなふうに)にはあまり関心がないのだ。

 関心がない。だから書けない。


 小説にかぎった話ではない。

 誰かの話を五分聞いた後に
「どんな話をしていたか、かいつまんで説明してください」
と言われたら、難なくできる。

 でも、
「今の人がどんな服を着ていたか説明してください」とか
「さっきの人はどんな声でしたか」
と訊かれたら、まるで答えられないだろう。それらはぼくにとってまったく興味のない情報だからだ。


 ところが、世の中には逆の人もいる。たとえばぼくの妻がそうだ。

 いっしょに映画を観たりすると、ディティールを驚くほどよくおぼえている。誰がどんな服を着ていたとか、どんな音が聞こえていたかとか、ディティールをよくおぼえている。台詞を一字一句正確に再現できたりもする。

 しかし彼女は要約が苦手だ。
 彼女が観た映画のストーリーを説明してくれることがあるが、すごくわかりづらい。本筋と関係のない些細な情報が多いのだ。「黄色い服を着た人が……」なんて言うので「この情報が後で何かにつながるのだな」とおもって聞いていたら、ぜんぜん関係なかったりする。


 おもうに、情報の整理のしかたが異なるのだろう。

 ぼくは、情報を加工しながら記憶する。得た情報のうち、自分にとって重要だとおもったものだけをインデックス(目録)化して脳に入れる。だから関心のないことはまったく記憶にない。その代わり、はじめから情報を整理しているので要約はすんなりできる。

 妻はというと、見たり聞いたりした情報をそのまま脳に格納しているのだろう。録画型だ。だから細部までおぼえている。その代わり索引をつくっていないので「かいつまんで説明する」が苦手だ。

 世の中の人の記憶のしかたは、だいたいこの「インデックス型」と「録画型」に分かれるんじゃないだろうか。ま、中には「そのまんま記憶するけど整理もできる人」や「どっちもできない人(断片的にぐちゃぐちゃにしか記憶できない人)」もいるんだろうけど。


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2022年3月18日金曜日

万引き小学生

 小学校のとき、同じクラスにAという女の子がいた。Aは四年生ぐらいで転入してきて、卒業と同時ぐらいに転校していった。目を惹くような外見でもなく、話しかけたら返事をするぐらいの活発さで、これといって印象に残るような子ではなかった。Aは眼鏡をかけていたのでぼくは「おとなしい子」という印象を持っていた。小学生にとっては「眼鏡をかけている女子=おとなしい」なのだ。ばかだなあ。


 それはそうと、Aが転校していってから一年ぐらいたったときのこと。
 中学生になっていたぼくは、Aと仲の良かったIという女の子としゃべっていた。どういう流れだったかは忘れたけど、Aの話になった。

 Iが言った。

「知ってる? Aって万引き常習者だったんやで」

 ぼくは驚いた。えっ。だってAだよ。眼鏡かけてたんだよ(まだ「眼鏡=まじめ」とおもってる)。

「あの子、毎日のように万引きしててんで。Aの弟も万引きしてたし。親から万引きしてこいって言われて」

「まさか」

 まさかAが、と言えるほどAのことを知っていたわけではない。
 ぼくがその話を信じられなかったのは、Aが、というよりそもそも「そんな親がいるわけがない」とおもったからだ。

 人の親が、我が子に向かって「万引きしてきなさい」と命じるはずがない。
 中学生のぼくは本気でそうおもっていた。

 まだピュアだったのだ。
 親は子に正しい道を教えるもの、そして眼鏡をかけている女の子はまじめ。当時のぼくはまだ純粋に信じていたのだった。


 だけど今は知っている。

 我が子に万引きを命じる親がいるということを。そして、眼鏡をかけている子がおとなしい子ばかりではないことを。


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2022年3月17日木曜日

出木杉の苦悩


もちろん、おもしろくないですよ。

いや、もっと率直に言うと、不愉快ですね。

こないだは小さくなって宇宙戦争をしてましたよね。その前はタイムマシンで恐竜時代を冒険ですか。その前は、月世界の探検でしたっけ?

ええ、みんな観てますよ。劇場でね。

そうなんです。ぼくはいっつも後から知らされるんです。野比くんから。ぼくたちドラえもんといっしょにこんなすごい冒険をしてきたよ、って。
ぼくは誘ってもらえずに、後から聞かされるだけです。

この気持ちわかりますかね。
野比くんならちょっと考えれば容易に想像できるとおもうんですけどね。彼はいっつも骨川くんから自慢されて、そのたびに悔しい思いしてるんだから。でも彼にはドラえもんがいる。悔しいと言えば、その悔しさを解消してくれる道具を出してもらえる。だけどぼくはただただ悔しがるだけです。

ええと、『のび太の結婚前夜』でしたっけ。
あの作品の中で、しずかちゃんのパパが言ってましたよね。野比くんについて、「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ」って。
ぼくに言わせれば、あんなの嘘っぱちですよ。ぼくが冒険に参加させてもらえずに悲しい思いをしているとき、野比くんがぼくの気持ちを想像して悲しんだことがありますか? 自分だけが世界中の不幸をしょいこんだみたいな顔をして、ぼくみたいな子の不幸については想像してみることすらしないんだ。


自分でいうのもなんですが、ぼくは人一倍知的好奇心の強い子どもだとおもいます。宇宙、過去の世界、海底、地底。どれもとても興味がある。ぜひドラえもんといっしょに探検してみたい。行けば、得るものもいっぱいあるとおもう。はっきりいって、野比くんたちよりずっと多くのことを学べると自負している。

なのにぼくは誘ってもらえない。


いや、いいんですよ。誰を誘おうと彼の自由ですから。

でもね、ぼくは都合のいいときだけ利用されるんです。宿題を見せてほしいとか、むずかしいことを教えてほしいとか。

『のび太の大魔境』観ました? あの映画で、謎の巨像がある場所はヘビー・スモーカーズ・フォレストだと気付いたのは誰だか知ってますか? そう、ぼくです。

『のび太の小宇宙戦争』観ました? 冒頭でジオラマ撮影をしますよね。あそこで知恵を出して映画のクオリティを高めたのは? そう、ぼくです。

決してぼくは貢献してないわけじゃない。それなのに、いざ冒険となるとぼくは誘ってもらえない。それが許せないんです。

そのくせ、連中ときたら映画ではすぐに「仲間は見捨てておけない!」とか「友だちを放ってはいけないよ!」とか口にするでしょ。ぼくのことは見捨てておいて。あれ、どの口が言うんでしょうね。連中にしたらぼくなんて友だちじゃないってことなんですかね。なーにが「あの青年は人の不幸を悲しむことができる人だ」なんですか。


ぼくが許せないのは、彼が己の非情さに気づいてすらいないことなんですよ。そうやって、利用できるときだけクラスメイトを利用しておいて、用が済んだら切り離して、それで勝手に地球代表を名乗るんじゃないよって話ですよ。


だいたいね。メンバー選出もどうかとおもいますよ。

しずかちゃんはわかりますよ。好きな女の子を誘いたいって気持ちは理解できます。
骨川くんもまあいいでしょう。なんといっても彼には財力がありますからね。実際、『小宇宙戦争』なんかは彼のラジコンがなければどうしようもなかったわけですし。
理解できないのは、剛田くんですよ。いっつも野比くんをいじめてるじゃないですか。それなのに冒険には誘ってもらえる。そして「映画のジャイアンは男気があっていいやつ」だなんて言ってもらえる。ヤンキーがたまにいいことをするとものすごく褒められて、ふだんから品行方正な人間は評価してもらえないのと同じですよ。みんな何もわかっちゃいない。

自分で言うのもなんですが、あんな粗野な男をメンバーに入れるぐらいならだんぜんぼくを入れたほうがいいですよ。ぼくが、このぼくが、剛田以下だっていうんですか!




2022年3月16日水曜日

【コント】お金をくれる人

「あげるよ」

「えっ。なにこのお金」

「なにって……。一万円だけど」

「いやそういうことじゃなくて……。えっと、おれおまえに金貸してたっけ?」

「借りてないけど」

「だよね。じゃあなんで」

「なんでって……。あれ、もしかしてお金嫌い?」

「嫌いじゃないけど。大好きだけど。嫌いな人なんていないだろ」

「じゃあいいじゃん。もらっとけば。かさばるものでもないし」

「いやいやいや。もらえないよ」

「なんでよ。お金好きなんでしょ」

「お金は好きだけど、こんなよくわかんないお金もらえないよ。怖いよ」

「あーたしかに福沢諭吉ってちょっといかめしい顔してるもんな」

「そういうことじゃなくて。この状況が怖いって言ってんの。いきなりこんな大金渡されたって受け取れないよ」

「じゃあいくらなら受け取ってくれるの」

「いくらとかじゃなくて、百円でも嫌だよ。理由なく渡されたら。まあ十円ぐらいなら受け取るかもしれないけど」

「じゃあとりあえず十円渡しとくわ」

「いやいいって。なんでそんなにお金渡したがるかがわかんないんだけど」

「なんでそんなにお金を受け取ろうとしないのかがわかんないんだけど」

「え、この状況でおかしいのおれのほう!?」

「そりゃそうだよ」

「なんでよ」

「だってさ、おまえはお金が好きなんでしょ。よく金ほしーとか今月金欠だわーとか言ってるじゃない」

「言ってるけど」

「だからどうぞって言ってるの。それで受け取らないほうがおかしいでしょ。定食屋でうどんくださいって言って、うどん運ばれて来たらいりませんって言うようなもんじゃない」

「いやそのたとえは違うくない? おれはおまえから金ほしいって言ってるわけじゃないから」

「じゃあ誰からほしいのよ」

「誰ならいいとかじゃなくて」

「あ、わかった。おまえ、おれが金貸そうとしてるとおもってる? だから嫌がってるんだろ。大丈夫、これは貸すわけじゃなくてあげる金だから。ぜったいに返せとか言わないから」

「だからそれが怖いんだって。借りるほうがまだいいよ」

「なんでよ。もらうより借金のほうがいいなんておまえ変わってるな」

「変わってるのはおまえのほうだよ」

「なんで怖いの。あ、もしかしてこの金と引き換えになにか要求されるとおもってるんでしょ。後からとんでもないお願いされるかも、って」

「あーそうかも。だから怖いのかも」

「大丈夫だって。ほんとにただあげるだけ。恩を売るつもりもないし。こうしよう、おれがおまえに一万円あげて、そのことをお互いに忘れよう。それならいいでしょ」

「忘れられるわけないだろ。こんな異常な事態

「なんで受け取ってくれないかなあ」

「なんでそんなにおれにお金くれようとするわけ。あ、もしかして宝くじ当たったとか万馬券当てたとか? 幸せのおすそ分け的な?」

「いやべつに」

「こんなこと聞いちゃわるいかもしれないけど……。もしかして宗教の教えとか? 喜捨しなさい、みたいな」

「おれがそういう不合理なこと嫌いなこと知ってるだろ」

「だよなあ。でも、理由もないのに友だちにお金あげるほうが不合理じゃない?」

「おいおい。おれは不合理なことは嫌いでも、人としての情はあるの。
 たとえば、おまえが十個入りのチョコレートを食べてるとするよな。そこにおれが来たとする。おまえはどうする?」

「一個どう? って訊くよ」

「そう。それがふつうの人間の感覚なんだよ。だからおれが十万円持ってたら、おまえに一枚どうぞって言うのが人としての常識なんだよ」

「なるほどな……。ん?  いやいや、やっぱりおかしいって。その例でいうならさ、チョコレートどうぞって勧めて、いりませんって言われてるのに無理やり押しつけようとしてるようなもんじゃん。それはやっぱりおかしいよ」

「まったく、ああ言えばこう言う……。それは本心からチョコレートをいらないとおもってる場合でしょ? そこで無理に勧めるのはたしかにおかしいよ。だけどさ、おまえの場合はお金好きなわけじゃん。そしてお金ダイエットをしているわけでもない」

「なんだよお金ダイエットって。お金減量中です、なんて人いないだろ」

「つまりおまえは遠慮してるわけだよ」

「まあ遠慮といえば遠慮かな……」

「だったら無理やりにでも押しつけてあげるのが優しさだろ。さ、受け取れよ」

「嫌だってば。おまえから一万円渡されたって受け取れないよ」

「じゃあ誰ならいいわけ?」

「誰であっても知り合いからもらうのは嫌だよ」

「じゃあ知らない人ならいいわけ?」

「もっと嫌だよ。知らない人からいきなり一万円渡されるとか、怖すぎるだろ」

「知ってる人からもらうのは嫌、知らない人も嫌。なのにお金ほしいってどういうことだよ?」

「うーん……。わかった、理由がないのが嫌なんだ。貸してた金を返してもらうとか、労働の対価とか、理由があれば受け取るよ、ぜんぜん

「こないだおまえ『あー、どっかの金持ちがぽんと十億円ぐらいくれないかなー』って言ってたじゃん」

「あれは冗談。実際にはもらうべき理由がないのにお金渡されたら怖いよ」

「そんなもんかねえ。でもさ、こないだミナモトさんが四国に旅行行ってきたからってお土産のお菓子買ってきたとき、おまえももらってたじゃん」

「もらってたよ」

「なんでよ。もらうべき理由がないじゃん」

「あれはお土産じゃん」

「だからなんでよ。ミナモトさんが休みの日に四国に行ったこととおまえにどんな関係があるの? おまえがミナモトさんの旅費出したの? だったらわかるけど」

「いやそうじゃないけど。でもほら、お土産ってそういうもんだから。特に理由なくてももらうもんだから」

「じゃあおれもこないだATMに行ってきたから、そのお土産としておまえに一万円あげるよ」

「だからそれはおかしいじゃん」

「なんで? お土産なら理由なくてももらうんでしょ」

「だからそれは……。
 ああ、もういいや。この件で議論するの疲れたわ。もらう、もらうよ。その一万円もらうよ」

「もらってくれるのか」

「ああ」

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

「どういたしまして。で、おまえに折り入って頼みがあるんだけど……」

「やっぱり! やっぱりそうきた! でもちょっと安心した! ちゃんと理由のある金でよかったー!」