2020年6月3日水曜日

脳ストレッチ


コロナ休校中の娘の小学校。
宿題で「ラジオ体操を毎日やること」とあったので、ぼくもいっしょにやる。
ラジオ体操なんていつ以来だろう。
ぼくの通っていた高校では“緑台体操”という独自の体操があってことあるごとにその体操をさせられたので、ラジオ体操をやる機会はまったくなかった。
今にしておもうがいったいあれはなんだったんだ。体操の動き自体はラジオ体操と似ていた。だったらラジオ体操でいいじゃないかとおもうのだが、ラジオ体操を嫌いな教師でもいたのだろうか。

話がそれたが、二十数年ぶりにラジオ体操をやっておもったのは、意外ときついなということ。
第一、第二を通してやるとけっこう息が上がる。
肩を上げるのがけっこうしんどい。
首を回すとごきごき鳴る。

ふだん使わない筋肉を使っているなあ、と感じる。
日常生活で、肘を肩の上まで上げたり、胸をおもいっきり反らせたり、胴体をめいっぱいねじったりすることないもんね。

凝り固まっていた身体がほぐれていくようで気持ちがいい。



緊急事態宣言が解除されて、約二ヶ月ぶりに会社に行った。
感じたのは、脳がほぐれていくような心地よさ。

リモートワークの間は、脳の狭い部分しか使っていなかった。
同じ場所で活動し、同じ人とだけ話し、同じような仕事をする。疲れたら同じような息抜きをする。
楽な生活ではあるが、どうも思考が固まる。

ぼくはふだん息抜きでこうしておもいついたことをブログにだらだら書くのだが、緊急事態宣言中はほとんど書かなかった。何もおもいつかなかったからだ。

会社に出勤するようになり、電車に乗ったり、歩いたり、階段を昇ったり、信号が変わるのを待ったり、道をふさぐように突っ立っているおばちゃんにぶつかりそうになったり、コンビニで店員の動きの悪さにいらだったリしているうちに、またくだらないことをあれこれ考えられるようになった。

脳もあちこち使わないと凝り固まるんだね。


2020年6月2日火曜日

【読書感想文】今じゃ書けない居酒屋談義 / 奥田 英朗『延長戦に入りました』

延長戦に入りました

奥田 英朗

内容(e-honより)
ボブスレーの二番目の選手は何をしているのかと物議を醸し、ボクシングではリングサイドで熱くなる客を注視。さらに、がに股を余儀なくされる女子スケート選手の心の葛藤を慮る、デリケートかつ不条理なスポーツ無責任観戦!読んで・笑って・観戦して、三倍楽しい猛毒エッセイ三十四篇。
書かれたのは著者が作家デビューする前ということで、1990年代の話が中心。
古いんだけど、ぼくからしたら最近はスポーツをほとんど観なくなったので古い話のほうがわかりやすい

とはいえ、この四半世紀で世の中の価値観はずいぶん変わった。
この本を2020年の感覚で読むと
「これは完全にセクハラだ」
「うわあこれは国際問題になりかねない」
「これがユーモアのつもりなのか。多様性を認められない人だなあ」
みたいな表現であふれかえっている。

昔の発言を今の価値観で断罪しようとはおもわないけど、「世の中の価値観って変わっていないようでけっこう変わってるんだなあ」と感じる。
昔は「冗談と言えば許されたこと」が今では「冗談でも言っちゃいけないこと」になってる。

社会全体としてみたらまちがいなくいいことだよね。
誰かが傷つくようなことは言っちゃだめですよ、ってなるのは。

でも「大きな声では言えないけど」という枕詞付きで“みんなうすうすおもってるけど大っぴらには言えないこと”を話すのは楽しい。
ぼくも友人同士ではよくやる。インターネットの網にはとても乗せられないような不謹慎な冗談を口にする。
『延長戦に入りました』は、そんな「酒の席のバカ話」として読むのが正しい。
男女平等とか多様性とかポリティカルコレクトネスとか考えずに読むと、すごく楽しい。



柔道の判定勝ちについて。
 こんなもの柔道以外なら絶対許されない。
 伝統の巨人・阪神戦。優勝を決める大一番。9回を終わって3対3の同点で決着つかず。いよいよ、旗の判定です。ホーム・プレート上に審判が並びました。さあ判定は! おおっと、赤が2本、白が1本。優勢勝ちで巨人の優勝が決まりました。
 場内騒然。御堂筋は大暴動になり、審判は大阪湾に浮かぶだろう。
 結局、日本人は物事を数量化することが苦手なのかもしれない。得点を競うゲームを何ひとつ生み出していないし、明確な採点も好まない。しかし、日本人同士ならよくても、それでは絶対に国際化はできないのである。
 国際社会の一員への道は険しい。柔道着のカラー化は仕方がないんじゃないの、なんて思ったりして。
たしかにいわれてみれば、日本生まれのスポーツで得点を競うゲームってないなあ。
相撲、柔道、剣道、空手、駅伝……。みんな得点は競わない。得点を競うのはゲートボールぐらいか。

相撲のルールはシンプルだけど、大相撲の番付はかなり恣意的なものだしね。番付上位になるほど、勝敗以外に「勝ちっぷり」とか「品格」とかが求められるし。

剣道なんかわかりやすそうで、知らない人からしたら「何それ?」みたいな決まりだらけだよね。
たとえば剣道試合・審判規則第12条にはこうある。
有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする。
すごい。剣道やってない人間からしたら意味のわからないことだらけだ。
「充実した気勢」も「適正な姿勢」も「刃筋正しく」も「残心あるもの」も全部主観じゃん(だいたい竹刀に刃筋があんのかよ)。
これは規則じゃなくて心構えとか訓示とか志とかに属するものだろ。
これがルールとして成り立つなら六法全書も「悪いことをしたら適正な処分を下す」の一行で済んでしまう。

あいまいなものを白黒つけずに残しておく、ってのは日本的でぼく個人としてはけっこう好きだ。
法律なんかも条文で事細かに決めずに判例で決めるほうが使いやすいっていうしね。
ただ国際スポーツとしてやっていくには不向きなので、柔道の国際化・オリンピック競技化は失敗だったんじゃないかとおもうな。



バカ話にまぎれて、ときどき「たしかにそうかもしれない」と膝を打つような説もある。

「出席番号の早い人は短時間で心の準備を整えることに慣れているので野球のトップバッターに向いている」
とか
「背面跳びはクッションありきのプレーなので、じっさいに高い壁を跳びこえるようなときには自己ベストが低くてもベリーロール派の人のほうが信用できる」
とか。

1996年から高校野球の甲子園大会で女子マネージャーがベンチ入りできるようになったが、その件について。
 ところで、マスコミは今回のこの《女子マネのベンチ入り解禁》を、「男女平等」への一歩前進としてとらえたがっているようであるが、もちろんこんな馬鹿馬鹿しい大義名分を信じているお人好しはいないだろう。
 私が考えるに、これは「認知」と言った方がいいと思う。
 十代にしてすでに《尽くすタイプ》となってしまった少女たちを、教育の現場はどうとらえてよいのかわからないのである。ごく常識的に考えて、貴重な青春を、自分の目標に向かって突き進むのでなく、男子の練習のお手伝いに費やすというのは、理解しづらい価値観なのだ。
 ま、中には男子の中に入ってチヤホヤされたいという邪な考えの持ち主もいようが、大半のマネージャーたちは、
「できることなら男の子たちの、あの額の汗をワタシがぬぐってあげたい」
 という純粋な乙女心の発露から志願してきていることは間違いない。
 つまり、男女平等などといった概念からはほど遠いのだ。「銃後の守り」という言葉さえ頭に浮かぶ、きわめて儒教的で封建的な存在なのである。
 西洋のフェミニスト団体が視察に来たら、きっと「日本の女性はまだまだ虐げられている」と言い出すだろう。
 いや、ほら、彼女たちは自ら志願してやってるんだってば、と説明しても、恐らく「ならば情操教育に問題がある」とか言い出すだろう。
 おまけに男社会は、彼女たちの自立を促すどころか、これ幸いとばかりに便利に使っている。
 こうなったらベンチにでも入れて認知しないことには、女子マネという曖昧な存在を説明しきれない。彼女たちは重要な任務を与えられている、というポーズだけでもとらなければ、教育的にも言い訳がたたない。
 とまあ、これが私が理解するところの今回の経緯なのである。
これはもちろん根拠のない憶測なのだが、当たらずとも遠からずという感じがする。

少し前に、新聞に「毎日選手のためにおにぎりを大量に握ったりユニフォームを洗濯したりしてがんばっている女子マネージャー」みたいな記事が載って、その記事は彼女に好意的な文章で書かれていたのだが、「自己犠牲を美化するのは気持ち悪い」「男尊女卑が根底にある」「戦時中みたいだ」「女子学生に“おかあさん”の役割を担わせるな」みたいな批判的なコメントがネット上にあふれていた。

いや、それはちがうでしょ。
もちろん女子学生が強制的に連行されておにぎりを握らされたりユニフォームを洗濯させられたりしてたら大問題だ。
でも彼女は好きでやってるのだ。
「男子部員に献身的に尽くす私」が好きなのだ。タカラヅカに入れあげて贔屓のタカラジェンヌにせっせとプレゼントを貢いでいるファンといっしょだ。

それを「いやそんなのはおかしい。彼女は間違った思想を植えつけられている。教育が悪いのだ」と言うのは、「女は男に尽くすものだと教育しなければならない」というのと、根底にある考え方は同一だ。「価値観は一様であるべきでそれ以外は間違った考え方だ」という発想だ。
「結婚したら妻は夫の苗字を名乗らなければならない」というのも封建的な考えなら、「結婚したら夫婦は別々の姓を名乗らなくてはならない」というのもまた(今の日本においては)同じぐらい乱暴な考えだ。

高校生活の大半を野球部員に捧げる女子学生がいたっていいし、逆に女子に尽くす男子学生がいたっていい。

でも、「自分から見たら不合理としかおもえないこと」をする自由を許せない人はけっこう多い。

女子マネージャーのベンチ入りってのは、そういう人対策なのかもなあ。
ほんのちょっぴりだけ前線に引っ張り上げて「彼女たちも10番目の選手なんです。決して男子の後方支援に甘んじているわけではないですよ」と弁明するための。
嘘だって誰もが気づいているけど。


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2020年6月1日月曜日

緊急事態宣言下の生活について


緊急事態宣言下の生活についてのふりかえり。
備忘録的に。

仕事について


丸々二ヶ月ほど、完全リモートワークだった。
元々パソコンと電話さえあればほとんどできる仕事だった。
ときどき客先に行って打ち合わせをすることはあったが、「こんなご時世ですので訪問するのもかえって迷惑かとおもいますので電話かビデオチャットで打ち合わせさせていただけないでしょうか」と言って断られたことはない。
なので比較的スムーズにリモートワークに移行できた。

後輩から教えてもらったChrome リモートデスクトップを使用。
Googleアカウントにログインしてさえいれば自宅PCから会社PCを動かせるのだ。社内ネットワークにもアクセスできるので支障はない。
会社ではデュアルディスプレイにしていたが自宅はモニターひとつなので(二台も並べられるスペースがない)少しストレスだったが、社長に愚痴ったら大きいディスプレイを買ってくれた。
気前がいいなとおもったが、リモートワークになれば交通費や電気代やドリンク代(うちの会社では飲み物を自由に飲んでいい)の会社負担が減るわけだからそれぐらいどうってことないのかもしれない。

業務自体はほとんど支障はなかった。
むしろ平常時より効率が良かったかもしれない。
サボってしまうんじゃないかとおもっていたがそれなりにちゃんとやれたし(短時間はサボる。でもそれは会社にいても同じ)、余計な電話や通勤時間がなくなった分、仕事をしている時間が増えた。

インターネット広告の仕事をしているのだが
「こんなご時世なのでインターネットで集客したい」
みたいな問い合わせがちょこちょこあり、ふだんより業績はいいぐらいだった。

体調面について


新型コロナウイルスには感染しなかった(とおもう)のだが、ずっとリモートワークだといろいろと不具合が生じる。

まず痔が再発したこと。
はじめのうちは適当な椅子に座っていたのだが、てきめんにケツがいたくなった。脱肛して、切れ痔になって出血までした。
こりゃやばい。以前にも痔で病院に行ったことがあるが、こんなご時世なのでなるべく病院に行きたくない。こんなご時世じゃなくても痔で病院には行きたくない。
あわてて痔の薬と、痔にいいというクッションを買う。適当な台に座っていたのだがちゃんとした椅子に座ることにする。
座り方を変えたら痛みも治まった。あぶねえ。
「入院することになったんですよ」「え!? コロナですか!?」「いや痔で……」なんてやりとりをしたくない。
椅子は大事だね。

運動不足について。
元々インドア派の人間なのでさほどストレスは感じなかった。
とはいえさすがにこれは運動不足が過ぎるな、とおもった。なにしろ1日の総移動距離が100メートルにも満たないぐらいなんだもの。
そこで朝、子どもと外に出て遊ぶことにした。
すぐ前の公園に行って遊ぶ。といってもボールを軽く蹴ったりいっしょにすべり台をすべるぐらいでほとんど運動にはならないが。まあ一日中家にいるよりはマシだろう。
あと長女の学校の宿題で「毎日ラジオ体操をすること」とあったので、ぼくもいっしょにおこなう。
ううむ、いい運動になるなあ。大人になると肘を肩より上にあげることなんかほとんどないもんなあ。

子どもとのかかわりについて


六歳(一年生)と一歳の子どもがいるのだが、どちらも家にいた(保育園はやっているがなるべく来るなと言われたので)。

六歳のほうは「今から大事なお電話するからちょっと向こうに行っといて」と言えば聞いてくれるが、それ以外のときはぼくの近くにいる。じゃまこそしないが横で本を読んだり勉強をしたりしている。
気が散るが一応おとなしくしてくれているのであっちに行けとも言いづらい。

一歳に関しては当然聞き分けなどないので電話中だろうがビデオチャット中だろうがおかまいなしに叫ぶし寄ってくるし膝に乗ってくるしキーボードや携帯電話をさわる。
幸いふだん使用していない部屋があったのでそこにこもって突っ張り棒で中からロック。子どもたちを締めだした。
すまん娘たちよ、それ以上にすまん妻よ(妻は育休延長した)。

……だが一週間もしたら子どもたちも父親が一日中家にいることに慣れて(そして仕事中の姿をのぞいてもおもしろくないことに気づいて)あまり寄ってこなくなった。ちょっと寂しい。

娘の学習について


長女(小学一年生)のために、妻や娘といっしょに時間割をつくった。
学校に慣れられるよう、なるべく学校と同じ時間配分で。
45分ドリルをやったら10分休憩、次は45分パズル。休憩の後は45分読書。勉強ばかりでは飽きるだろうと体育(近くの公園)や音楽(ピアノの練習)や家庭科(お菓子作り)や図工(絵を描いたり工作をしたり)の授業も入れた。

はじめは順調にこなしていた。
さすが我が娘、なんて優秀なんだ。

だが一週間、二週間経つうちに疲れが見えてきた。
しょっちゅうおかあさんと喧嘩をしている。怒りくるって床にひっくりかえったまま三時間目、なんてことも起こるようになった。学級崩壊だ。

考えてみれば、学校であれば45分授業といってもそのうち35分ぐらいはぼーっと先生の話を聞いているだけだ。ほんとに集中して問題を解いている時間は10分にも満たないぐらいだろう。
だが家庭でドリルをやる、横にはおかあさんがマンツーマンでついているとなると、ずっと集中しないといけない。これは疲れるだろう。
じっさい、保育園ではまず昼寝をしなかった娘が、自宅待機中はちょくちょく昼寝をするようになった。保育園や学校に行くよりも精神的に疲れるのだろう。

これはいかんと勉強時間を減らしたり、テレビを観る時間を設けたりした。
また学校が週二回だけ(しかも90分だけ)始まったり、習い事(ピアノとバレエ)が再開したりで、気がまぎれるようになったらしい。
娘の精神状態も落ち着いてきた。
あと前にも書いたけど進研ゼミのタブレットが届いたのも大きい。おかげで楽しく勉強できるようになった。

うちはぼくが自宅勤務(しかもかなりゆるいので30分ぐらい席を外しても大丈夫)、妻が育休延長で家にいて、かなり恵まれた環境にあったとおもう。
それでもずいぶん手を焼いた。
親ひとりで見なきゃいけない家とか、子どもの多い家とか、仕事の融通を聞かせづらい人とかはめちゃくちゃたいへんだっただろうなあ。

休校の判断については賛否両論あるけど、ぼく個人的には学校はやってほしかったな。
子どもの感染者はほとんど出てなかったし、休校にしたってどっちみち学校内で子どもを預かったりしていたので。

まあこれは収束しつつある(ように見える)今だから言えることで、休校せずに子どもの感染者が大量に出ていたら
「だからあのとき休校にしていればよかったんだ!」
なんて言ってたかもしれないけど。

困ったこと


意外に困ったのが散髪だった。
散髪屋に行くのを自粛。密接するし、マスクをするわけにもいかないし、どう考えたってリスク高いもんなあ。
で、髪が伸びてきた。まあ人に会うわけじゃないからいいんだけど、しかし前髪が長くてじゃまだ。
で、妻に切ってもらったり(娘の髪を切ってるのでへたではない)、娘のヘアピンを借りて前髪を止めたり。
わずらわしい。

で、緊急事態宣言も解除されたので久々に床屋に行ってみた。
あれ? 満員を覚悟していたのに意外とお客さん少ないぞ。みんなまだ自粛モードなのか?
とおもって店に入ったら「2時間半待ちですけどいいですか」と言われた。
「え? でもそんなにお客さんいないですよね」
「感染リスク下げるため店の外で待ってもらってるんですよ」
とのこと。
10分カットの店で2時間半待ちか……。
「また今度にします」と言ってすごすごと帰ったんだけど、帰ってから気が付いた。
しまった。整理券だけもらってから帰宅して2時間半後にまた出直してきたらよかったのか。

楽しみ


せっかくのリモートワークなのでふだんできないことをしよう、ということでヒゲを伸ばしはじめた。
うちの会社はヒゲ禁止じゃないけど、でも中途半端に伸びたヒゲは見苦しいからね。
で、2ヶ月近く伸ばしてみたけどぜんぜん濃くならない。もともと薄いのだ。
さすがに2ヶ月も伸ばしたので長さはそこそこになったけど、長いヒゲがひょろひょろとまばらに生えているだけでぜんぜんかっこよくない。男らしいヒゲではなく仙人みたいなヒゲなのだ。
ということで久々の出社前に剃ってしまった。
ま、ヒゲを伸ばしたところでどうせ毎日の手入れが面倒になってやめたとおもうけど。

2020年5月28日木曜日

ツイートまとめ 2019年10月


覆水盆に返らず

CM

遊び

どうぶつしょうぎ棋士

手料理

ウミガメ

試験紙

挿絵

東京

冬服

木の実

貧乏

馬1万頭分

要求

被告人

出木杉

トマソン

サイヤ人

鍵盤ハーモニカ

廃刊

惜しんで

留守電

2020年5月27日水曜日

今どきの進研ゼミ


昔、進研ゼミにお世話になっていた。
ぼくは人の話を聞くのが苦手なので、塾や予備校はどうも性にあわない。
進研ゼミのように自分の部屋で自分のペースで学習できる教材がいい。
ぼくが第一志望の大学に合格できたのは、進研ゼミ高校講座のおかげだ。

中一~高三まで進研ゼミをやっていた。
だが、それより前、小学三年生ぐらいのときにもやっていた。一年か二年。
で、やめてしまった。
ものすごくよくある話で恐縮なんだけど、

 ポストに進研ゼミのダイレクトメールが届く。
  ↓
 載っている漫画を読み、興味を持つ。ポイントシールを貯めてもらえるプレゼントも魅力的。
 ↓
 親におねだり。絶対にちゃんとやるからと言って始めさせてもらう(子どもに「勉強したい!」と言われて断れる親はなかなかいないよね)。
 ↓
 はじめはちゃんとやるがそのうち読み物だけ読んで問題には手をつけなくなる。ポイントシール欲しさに添削問題だけ出す。
 ↓
 なかなかポイントが貯まらないことに嫌気がさして添削問題すら出さなくなる。
 ↓
 親に怒られる。ゼミ解約。

毎年何万人もの小学生が同じことをやっていたとおもう。ぼくもその一人だった。

中学講座から再開したが、中学生以降はちゃんとやれるようになった。
学校の定期テストというわかりやすい目標があり、自宅学習の習慣もそれなりについてきたからだ。
小学生には早すぎたのだ。



娘が小学校に入った。
「低学年の間は勉強は学校だけで十分!」とおもっていたのだが、そうも言っていられなくなった。
そう、コロナ騒動のせいで授業がなくなったのだ。
「学校だけで十分」と言っていたが、その学校がないのだ。
一応宿題は出されるが一日三十分で終わってしまう。
緊急事態宣言下なので遊びに行かすこともできない。
放っておくとずっとテレビを観ている。

あわてて通信教育の資料請求をした。
進研ゼミ、Z社、S社の資料を取りよせた。
資料を見比べて感じたのは、S社はかんたんそうなので授業についていけない子の補習に使うにはいいがたっぷり時間のある今やるにはものたりなさそう、Z社は問題がよく練られている感じがしたが娯楽要素が少なすぎて低学年には魅力が乏しいのではないか、という印象。
基礎~発展まで幅広く対応していて、ごほうびや読み物も充実していた進研ゼミを申し込むことにした。
なにより、かつてぼくがお世話になったということが大きい(ちなみに妻はZ社を受講していたのでZ社を推していたが「今は勉強嫌いにさせないことが大事だからおもしろいほうがいい!」と言って説きふせた)。

ただ申し込もうとしたら、受講の申し込みが殺到しているので教材の到着が遅れるとの連絡があった。
そりゃあなあ。学校授業がないんだもの。塾にも行けないし。そりゃあ通信教育に群がるわ。
どの家庭も考えることは同じだ。
進研ゼミ小学講座にはタブレットコースと紙のテキストコースがある。
おもしろいほうがいいだろうとタブレットコースにしたのだが、4月上旬に申し込んだのにタブレットの発送は5月下旬になるとのこと。いたしかたなし。

タブレット到着が遅れているので、到着までのつなぎとして紙のテキストを送ってくれた(その分の料金はサービス。ありがたい)。
娘にやってもらう。
はじめは順調だった。
一年生なので「ひらがなをかいてみよう」とか「いくつあるかかぞえてみよう」みたいな問題ばかり。
娘も「かんたん、かんたん、また百点」と言いながらやっていた。

だが少し発展的な問題になると足踏みするようになった。
答えがわからないのではない。問題がわからないのだ。
「①に『かなしかった』とありますが、だれがかなしかったのでしょう。あてはまることばをぬきだしましょう」
みたいな問題が出る。
だがテスト問題を解いたことのない小学一年生には
「本文の中から①を探す」
「その前後の文章を読んで主体をさがす」
「見つけたらそのまま“ぬきだす”」
といった作業ができないのだ。
そういうのはある種のテクニックが必要で、いくつか数をこなしていかないと身につかない。慣れてくると「“ぬきだしましょう”ときたら改変せずに一字一句そのまま書く」とかわかってくるけど、一年生にはわからない。
問題について考える以前に「何を問われているか」がわからないのだ。

横について教えていたのだが、娘もだんだんうんざりしてきた。
「そもそも何を問われているかわからない。その都度人に教えてもらわないといけない」
というのはなかなかのストレスなのだ(ぼくだってそんな仕事イヤだ)。
またぼくも妻も家にはいるがリモートワークをしなければいけないのでつきっきりで教えてあげられるわけではない。


やはり小学一年生に自宅学習は無理があるなと感じはじめていた矢先、ようやく学習用タブレットが届いた。

これがすごい。
食いつきがちがう。
まずアニメで例題の解き方を教えてくれるので「何をどう答えていいかわからない」とならない。
正解/不正解のフィードバックがすぐにあるのものいい。
まちがえた問題はすぐにもう一度出題されるのでまちがえたままにならない。

さすがプロが集まって考えている教材だ。飽きさせない工夫、何度も挑戦したくなる工夫が随所に見られる。
紙の教材だと親がつきっきりで教えてあげないといけない(教えてもうまくいかない)のに、その代わりをタブレットがやってくれるのだ。

分量も多い。
基礎編が終わったら、演習編、発展編の問題も用意されている。
学校の勉強についていけない子は基礎編、もっとやりたい子は演習編や発展編で骨のある問題にチャレンジできる。

またタブレットは勉強をできるだけじゃない。
動画が視聴できたり(猫の動画とか交通安全動画とか子ども向けニュースとか無害なものばかり)、電子書籍が1,000冊読めたり、勉強になるパズルゲームができたり、いろんなコンテンツがある。
とにかく毎日タブレットを起動してもらうことが大事なのだろう。スマホゲームがログインボーナスを与えているのと同じだ。

機能もすごいが、それ以前に小学生からしたら自分専用の端末を持てるというだけでうれしいだろう。
うちの娘は、ぼくが「ちょっとがんばりすぎだから今日はそれぐらいにしときや」と言ってしまうぐらい毎日タブレットの課題に取り組んでいる。


で、ぼくはおもう。
くそう。
どうしてこんないい教材がぼくが小学生のときはなかったんだよ!
いいなあ。
これがあったらぼくだってもうちょっとゼミを続けたのになあ。
ゲーム感覚で勉強できたのになあ。
うらやましいなあ。

だからぼくは娘に「ゼミの勉強もいいけど、本を読んだりピアノを弾いたり、ちがうこともしようね」と言う。
だって横でこんないいものをずっとやってるの、くやしいんだもん。