2025年10月8日水曜日

【読書感想文】藤原 てい『流れる星は生きている』 / 身勝手だから生きられた

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流れる星は生きている

藤原 てい

内容(e-honより)
一九四五年、終戦。そのときを満州(現中国東北部)でむかえた著者は、三人の子をかかえ、日本までのはるかな道のりを歩みだす。かつて百万人が体験した満州引き揚げをひとりの女性の目からえがいた戦後の大ベストセラー。新装版にて待望の復刊!

 満洲で終戦を迎えた著者。夫はシベリアでの強制労働に連れていかれ、乳児を含む三人の子を連れて日本への帰国をめざす。その険しい道のりをつづった体験記(一部に創作も含まれるそうだ)。

 ちなみに夫は作家の新田次郎氏で、連れて帰った次男の正彦は数学者の藤原正彦氏だそうだ。



 ほとんどただの日記なので、そこが欠点(文章がうまくなくて読みづらい、説明不足、記憶に基づいて書いているのであやふや)でもあり、長所(生々しい、赤裸々)でもある。

 ほんと、ぜんぜんわからないんだよね。著者は今何をしているのか、どこに向かっているのか、なんでこんなことをしているのか、突然出てきたこの人は誰なのか。「自分にだけわかればいい」という文章だ。

 でもまあなまじっか技巧を凝らした文章を書かれるよりは、日記のような文章のほうが真に迫って感じられていいかもしれない。




 満洲からソ連統治下の北朝鮮に入り、そこから南下し、38度線を越えてアメリカ統治下の南部朝鮮へと逃れる。ひたすら歩き、靴をなくしても歩き、山を越え、橋のない川を渡る。それだけでもたいへんなのに、7歳から0歳までの3人の子を連れて、である。

 道が坂になった。二歩のぼっては、一歩すべる。正彦が、「ひいっ! ひいっ!」と泣く声が風にちぎれて飛んでゆく。わたしは正彦のしりを力いっぱいたたきながら、よろける正広をどなりつけて、のぼっていった。
 やっと、坂をのぼりきったころ、ほのかに明るさがさしてきて、夜は明けてきた。わたしののぼってきた道は、一間ぐらいのはばの道で、両がわは見わたすかぎりのはげ山であった。はげ山といっても木がないだけで、草は道の両がわにおいしげっていた。わたしが道をまちがえずにここまできたのは、いくらか道がひくくなっていたからだった。わたしは、じぶんのすがたを見てびっくりした。それよりふたりの子どものすがたは、ひどかった。赤土のどろを頭からかぶって、上着もズボンもひと晩のうちに赤土の壁のようによごれていた。かろうじて、目だけが光って、もう泣く涙はないのか、つんのめり、つんのめりして前へ進んでいった。正彦はひと晩の難行のために両方のくつをなくしていた。そして赤土の手で目をこするから前が見えなくなる。
「おかあちゃん、見えないよう。」
 と泣く。
「ばか!」
 わたしは思いきって前に突きとばしてやると、まだ起きあがる元気はあった。よろよろと赤土のどろの中から立ちあがって、あきらめたように一歩二歩前に進んでついにたおれてしまう。起きられないと見て、わたしは正彦の左手を引っぱりあげて、引きずって前へ前へと前進した。ズボンの膝から下をずるずるどろの中に引きずりながら。それでもまだ立とう、立とうとする意志があるらしく、いくらか引きずる手がかるくなるときがあった。
 正広はわたしの悲壮な努力を見て、そう泣かなかった。だまってついてきた。おくれそうになるとわたしに、
「ばか、そこで死んでしまいたいか。」
 と、どなられて、苦しそうな目を、わたしにむけていた。

 ばたばたと人が死んでいく中で(約100万人の引き揚げ者のうち約24万人以上が命を落としたそうだ)、4人とも日本に生きて還ってこられたのは奇跡に近いだろう。はっきりいって「0歳児を置いていく」選択をしても誰も責められない状況だとおもう。それでも3人とも連れていったのだからとんでもない根性だ。




 興味深いのは、生きるか死ぬかの状況における人間関係だ。

「極限状態では他人のことなんかかまっていられない」でも「極限状態では助け合う」でもない。

 自分もギリギリなのに他人を助ける人もいれば、余裕があっても他人を見捨てる人間もいる。別の日本人からものを盗む日本人もいる。

「わたしたちの貧乏な団は、とても高い金をだして、案内人をやとえないから、どこかの団といっしょに行動したほうが、よいだろうと思います。」
 みな賛成した。そして宮本団に申しこんでみようということにして、さらに引き揚げの道中のことも相談した。病人は新田さんひとり、足手まといになる幼児はだれとだれをだれとだれが責任もってつれて逃げるということも、とりきめた。わたしは正彦をせおい、咲子は東田さんがせおい、荷物は佐藤さんがたすけてくれる。正広はひとりで歩かせるといったように、話はすっかりまとまった。
 宮本団の副団長のかっぱおやじは、わたしの申し出に対して明らかにいやな顔をした。
「あなた方のような貧乏団といっしょじゃ、こっちがめいわくしますよ。」
 わたしはくやしさをこらえて、
「ただ、あなたたちのあとを、犬のようについていくだけだから、かまわないでしょう。」
「それはかってですよ。」
「じゃ、あなたの団の出発するとき、知らせてくれませんか。」
 かっぱおやじはこれに返事をしなかった。

 この後、“かっぱおやじ”たちは著者の団には教えずにこっそり出発する。その後も“かっぱおやじ”は何度も著者と遭遇してそのたびに著者に悪態をついたりするのだが、“かっぱおやじ”が悪人かというとそうでもなく同じ団のメンバーに対しては面倒見のいいおやじとして描かれている。

 あたりまえのことなのかもしれないが、生きるか死ぬかの極限状態であっても人間の本質なんてそんなに変わらないのだろう。いい人もいれば悪い人もいる。ある人には冷酷な人が別の人には親切だったりもする。根っからの善人も生まれもっての悪人もいない。

 それに著者自身、なかなか身勝手だしね。500円しか持っていない人に300円貸してくれとせがんで、断られたらあんたはひどい人だとなじるんだぜ。そういう人だから“かっぱおやじ”に冷たくされたんじゃねえの、という気もする。生きるのに必死だからというのもわかるけど、周囲だってみんな余裕ないわけだし。

 まあでも、これぐらい身勝手じゃないと子ども三人抱えて生きて日本に帰ってくることはできなかっただろうね。


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