2025年10月3日金曜日

【読書感想文】荻原 浩『神様からひと言』 / すべてがほどよい

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神様からひと言

荻原 浩

内容(e-honより)
大手広告代理店を辞め、「珠川食品」に再就職した佐倉凉平。入社早々、販売会議でトラブルを起こし、リストラ要員収容所と恐れられる「お客様相談室」へ異動となった。クレーム処理に奔走する凉平。実は、プライベートでも半年前に女に逃げられていた。ハードな日々を生きる彼の奮闘を、神様は見てくれているやいなや…。サラリーマンに元気をくれる傑作長編小説。

 2002年刊行。

 社内政治に明け暮れる会社のやり方になじめずトラブルを起こしたことがきっかけで閑職にまわされた主人公。そこは社内の問題児だらけのひどい部署だったが、徐々に仕事のおもしろさを感じられるようになり、仕事に励んでいたら周囲からも認められるようになり、最後は不正をしていたやつらを成敗してめでたしめでたし……とサラリーマン小説のお手本のようなお話。

 正直、似たような話を何度も読んだことがある。古くは源氏鶏太(昭和のサラリーマン小説の第一人者)から連綿と続く王道パターンだ。

 最近は女性作家、女性主人公が多いよね。この手の“ザ・お仕事小説”。ほどほどに業界知識も散りばめられていて、適度なユーモアがあって、それなりの爽快感もあって、すべてが“ほどよい”。

 豚の生姜焼き定食みたいなもの。どこで食べてもいつ食べてもそこそこおいしい。安心感がある。


 ただやっぱり感覚が古いというか、いや20年以上前の小説を今読んで古いというのもおかしいんだけど、でも今の感覚で読むと「会社に属しすぎ」とおもってしまう。嫌な職場なら辞めればいいじゃん、とおもっちゃうんだよねえ。当時の会社員の大半は「会社を辞めてはいけない」がまず前提にあって、そこから考えてるんだよなあ。




 ぼくも大人なので、納得いかないとおもいながら謝罪をしたことも幾度かあるけど、何度やっても慣れない。ついつい顔に出ちゃうんだよね、「なんで俺が」感が。

 そこで謝罪のプロのセリフ。

「まぁ、そうだな、他人がやったことで自分には無関係なんて顔で謝ると反感を買うし。といって全部自分の責任って顔するのもしらじらしいし。先方と一緒になって悪口を言ったりするのはもってのほか。身内をかばうのも禁物。適度な距離感が大切だな。そう、俺はね、こうしてるのよ」
 篠崎はひとさし指を突き立て、それをひたいに押し当てた。
「誰かを頭の中で思い浮かべるといいんだ。代わりに謝らなくちゃしょうがない人間。腹は立つけど自分が謝ってやらなくちゃならない人間。そういうやつが何かやらかした時のことを想像して、代わりにドロをかぶるつもりになってみる。たとえそれがどろどろの泥でもさ。たとえば自分の親父が酔って物を壊した店に謝りに行くとか、喧嘩して怪我させた相手に詫びを入れるとか、借金こさえて雲隠れしてるのを取り立て屋にいい訳するとか。謝罪の言葉のあとに、心の中だけでそういう人間の名前をつけくわえると、案外、すんなり謝れるんだよ。本当にすいません――うちの馬鹿親父が――てな感じでさ」
 ずいぶんリアルな譬え話だった。

 なるほどね。ぼくだったら自分の子どもかな。子どもがよその人に迷惑をかけたとおもえば、自分が悪くなくてもすんなり謝れる。これは使えるテクニックかもしれない。

 ただ問題は、自分が部下の代わりに頭下げるような状況ならともかく、上司の代わりに謝らなくちゃいけないような場面で「子どもの代わりに謝ってるんだ」とおもえるかってことだよな……。


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