大語録
天の声地の声
永 六輔
永六輔さんがライフワークのようにしていた、「そのへんの人たちが発した言葉」を集めた本。
このシリーズはほんとおもしろい。
これは演出家の発した言葉だろうか。
そうそう。俳優とか声優っていらない芝居をするよね。演じる人が悪いのか演出が悪いのか知らないけど。
医者を演じる役者は医者っぽく演じる。でも現実の医者は医者っぽくない。“医者っぽい”しゃべりかたもしないし“医者っぽい”動きもしない。
ふつうの挙動でいいのにね。
わかる!
そうだよね。寄附とかおごるとかって、やる側の愉しみなんだよね。ぼくは毎月UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に寄附をしているけど、あれは自分のためだ。「いいことをしているぼくってえらい!」とおもうためだ。
あたりまえだけど、ぼくが寄附した金を受け取った難民はぼくにお礼を言ってこない。それでいい。だってぼくのためにやっていることなんだもん。
上司が部下に食事をおごる、みたいなのも、あれは上司のためにやっていることだもんね。「部下におごってやる俺すごい」という気持ちを金出して買ってるんだよ。部下は、おごらせてやることで上司の自尊心を満たしてあげているのだ。
あけすけだー。でもまあ本音だよね。
幸福って相対的なもんだもんね。現代日本で所得下位10%の人だって、100年前の上位10%の人よりもいい暮らししてるはず。100年前の金持ちよりも便利なものを所持していて、いいもの食って、いいもの着ている。でも金持ちにはなれない。自分の年収が2倍になったって、周囲の年収が3倍になっていたら不幸だ。
みんなおもっているけど大きな声では言えない。そんな言葉を書き残すことには意義がある。
いちばん印象に残ったのはこの言葉。
いやー。これは真実だよね。この人にとってはまぎれもない真実なんだろう。
でも世間一般的にはまちがっているということになってしまう。
「自分にとっては正しいけど他の人にとっては正しくない言葉」って、影響力のある人は口にできない。またSNSのような誰が見るかわからない場でも発しにくい。
友人同士で飲み屋でしゃべっているときは「こいつはどういうやつで今はどういう場でどんな文脈で何を伝えたくて言ったのか」がお互いわかっているから誤ったことや不謹慎なことや乱暴なことを言っても大丈夫。でもマスコミやSNSだと文脈を理解できないバカに見られることもあるから、“正しいこと”しか言えない。「東京ってとこは世界で一番おもしろい街ですよ!」なんてことを言ったらバカが「世界中の街を知っているわけでもないくせにいいかげんなことを言うな!」と言いに来る。
誰でも発信できて誰でもリアクションがとれる今だからこそ、こういう正しくない意見はすごく貴重だ!
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