2025年10月20日月曜日

【読書感想文】橘 玲『DD論 「解決できない問題」には理由がある』 / あえて水をぶっかけるような本

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DD(どっちもどっち)論

「解決できない問題」には理由がある

橘 玲

内容(e-honより)
世界を善と悪に分ける「正義」の誘惑から距離をとれ。「善悪二元論」が世界を見る目を曇らせる。ゆたかで幸福な社会と「下級国民」のテロ。女性が活躍する未来は「残酷な世界」?インフルエンサーと「集団の狂気」。日本の「リベラル」は民族主義の変種?国際社会の「正義」と泥沼化する戦争。

 週刊誌に連載しているコラムをまとめた内容ということで、一篇あたりの内容は薄く、おまけに時事ネタを多く扱っているのでわかりづらいところもある。

 おもしろかったのがPart0の『DDと善悪二元論 ウクライナ、ガザ、ヒロシマ』の章。Part0とあるから序文的な扱いかとおもったら、これがいちばん読みごたえがあるじゃないか。


 日本の報道だと「ウクライナに対して一方的に武力行使をしたロシアが悪で、それに立ち向かうウクライナがんばれ!」という論調がほとんどだ。

 ところがそう単純な話でもないと著者は書く。例えばクリミア半島がウクライナ領になったのは1954年のこと。

 ロシア系住民が多数派を占めるクリミアでは、マイダン革命の翌3月に住民投票が行なわれ、96.8%が「ロシアに連邦構成主体として参加」を支持し、それを受けてプーチンがクリミアをロシアに併合しました。

 住民の96.8%がロシアに入りたいと望んでいるんだったら、もうロシアのものになったほうがいいんじゃないの、と思ってしまう。こういう事情を知ったらロシアのクリミア併合も悪とは言い切れない部分がある。

 おまけにウクライナも平和で暮らしやすい国だったわけではなく、ロシア系住民の自治を求める市民たちが銃撃されるなど、ロシア系住民たちにとっては生きづらい国だったようだ。


 ふーむ。ぼくも多くの日本人と同じように報道を見て「ロシアは悪い国だ。プーチンは悪いやつだ」とおもっていたけど、そんな単純な話でもないんだなあ。

 また、日本人やヨーロッパの人々はウクライナの勝利(ロシアの撤退)を望んでいるが、それもむずかしいと著者は書く。

 DD的状況だったウクライナ問題はプーチンの失態によって善悪二元論の原理主義的状況に変わりましたが、戦況が膠着したことでふたたびDD化しはじめています。それには先に挙げたような理由があるわけですが、もうひとつ、欧米の望みどおりウクライナが勝利し、ドンバスやクリミアを奪還したとしても、戦後処理の方途がないという問題があります。
 これほど血みどろの殺し合いをしたあとで、ウクライナがロシア語系住民を「包摂」し、ともにひとつの国をつくっていくために信頼し合うのはほぼ不可能でしょう(松里さんも「十年戦争とおびただしい流血で独特の政治空間となった両人民共和国を、どうやって同化するのか、ちょっと想像がつかない」と書いています)。
 さらに国際社会(リベラル)が求めるように、「加害国」であるロシアが「被害国」であるウクライナに謝罪し、民間人の生命やインフラ・生産設備に与えた莫大な損害を賠償するとなると、その見込みは絶望的というしかありません。仮にプーチンが死んだとしても、ロシアに「悪」のレッテルを貼り、戦争責任と巨額の賠償を求めるかぎり、代わりに登場するのはより民族主義的な極右政治家でしょう。そうなれば、ウクライナに平和が訪れるのではなく、新たな戦争のリスクが高まってしまいます。
 だとしたら、ドンバス地方についてもクリミアと同じく、ロシアの実効支配を事実上容認するかたちで休戦にもちこむしかなさそうです。いわば朝鮮戦争方式で、両国が名目上は戦争を継続したまま、現状を国境として棲み分けるのです。
(ここに出てくる松里さんとは政治学者の松里公孝さん)

 仮にウクライナが勝ったとしても、めでたしめでたし、これからは仲良くやっていきましょう、となるはずがない。両国に怨念は残り、そうすると「ウクライナ国内のロシア系住民」は安心して暮らせない。

 結局、誰もが納得のいく結末なんてない。遠く離れた日本に住んでいる者からすると「あっちが悪でこっちが正義。がんばれ正義!」と単純に旗を振っていればいいだけなのだが。

 そして、こんな泥沼的状況になった原因が、そんな部外者の正義感にあると著者は厳しく指摘する。

 なぜこんなことになってしまったのか。これについて松里さんは、「国境線を変えられては困る欧米や国際機関が、援助を梃子にウクライナを「励まして」、強硬姿勢に戻したと思う」と書いています。世界には紛争を抱えている地域が数多くあり、武力によって国境を変える前例をひとつでもつくれば、国際秩序が崩壊すると恐れているというのです。国際社会の「正義」によって、戦争は終わりの見えない泥沼にはまりこんでしまったのです。

 両者が100%満足する決着などない。「だったらお互い60%ぐらい納得できるところで手を打ちましょうか」と現実的な幕引きを図ることもできたはず。

 だが、部外国の正義感がそれを許さない。「悪いのは100%ロシアなんだからウクライナ100%納得のいく形になるまで戦うべきだ!」と争いを煽る。


 個人の喧嘩でもこういうのあるよね。喧嘩しているうちに部外者がどんどん争いに加わって勝手にセコンドにつき、当事者たちが「もういいや」とおもっても周りが許さない。

 今年の高校野球である学校の生徒がいじめにあっていたという報道が出たが、あれも本来なら当事者だけの話でいいはず。生徒、保護者、学校で話せばいい。納得できないなら警察か裁判所に行けばいい。なのに関係のない野次馬がどんどん群がってきて、デマが飛び交い、個人情報がさらされ、無駄に大事になってしまった。野次馬たちは自分たちが被害者にも迷惑をかけたなんて少しもおもっちゃいない(というかもうそんな事件があったことも忘れているだろう)。

 正義はおそろしい。



 世代間格差について。

 日本社会のさらなる大きな格差は、高齢者/現役世代の「世代間差別」です。人口推計では、2040年には国民の3分の1が年金受給者(65歳以上)になり、社会保障費の支出は約200兆円で、現役世代を5000万人とするならば、その負担は1人1年当たり400万円です。
「世代会計」は国民の受益と負担を世代ごとに算出しますが、2023年度の内閣府「経済財政白書」では、年金などの受益と、税・保険料などの負担の差額は、21年末時点で80歳以上の世代がプラス6499万円、40歳未満がマイナス5223万円で、その差は約1億2000万円とされました。――この数字があまりに不都合だったからか、その後、政府による試算は行なわれていません。
 人類史上未曽有の超高齢社会が到来したことで、いまの若者たちは「高齢者に押しつぶされてしまう」という恐怖感を抱えています。その結果、政治家がネットで「あなたたちのために政治に何ができますか?」と訊くと、「安心して自殺できるようにしてほしい」と〝自殺の権利〟を求める声が殺到する国になってしまいました。

 社会保障費を、80歳以上は払った分より平均して6499万円多くもらっており、40歳未満は逆にもらう分より平均5223万円多く払うことになる。

 少なくともこういう数字はちゃんと出すべきだよね。政府も報道機関も。

 数字を出した上で、「このまま若者の生活よりも老人の生活を優先させていくべきか」「老人の生活が今より苦しくなったとしても現役世代、将来世代に金をまわすべきか」という議論をするのが正しい政治だとおもうんだけど、今はその議論すらしちゃいけない空気になっている。新聞もテレビも「老人の権利をちょっとでも減らすなんてとんでもない! 若者が苦しんでいるらしいけど、まあそれはそれ」みたいな論調だ。


 橘玲さんって極端な意見が多いので(たぶん意識的に過激なことを言っている)賛同できないことも多いんだけど、少なくともこういう「耳に痛いからみんなが言わないこと」をちゃんと書いてくれる点に関してはすごく信用できる人だとおもっている。

 ある物事について「こうに決まっている」という先入観を捨てて冷静に判断するのってしんどいことだから、みんなやりたくないんだよね。「ロシアが悪いに決まってる」「高齢者福祉を削るなんてとんでもない」と思っていたらそれ以上何も考えなくてよくて楽だからね。

 だからこそ、あえて水をぶっかけるようなことを書いてくれる橘玲さんのような人は貴重だ。


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