小学6年生の長女が1年生の次女に「誕生日何がほしい?」と訊いた。次女は少し考えてから「『アラレちゃん』のマンガ」と答えた。
なんでアラレちゃん知ってるの? と訊くと、学童保育に1冊だけ単行本があるのだという。
なるほど。『アラレちゃん』はぼくも子どもの頃にテレビアニメの再放送を観ていた。低学年でも楽しめそうなギャグマンガだ。
数日後、長女が本屋に『アラレちゃん』を買いに行った。
「買えた?」
「ううん、なかった」
「えっ、○○書店でしょ? あそこは漫画がかなり充実してるけどなあ。店員さんに訊いてみた?」
「店員さんには訊いてないけど、検索機があったから調べてみた。でもヒットしなかった」
「そうかー。前に行ったときにあったような気がしたけどな」
その翌週。ぼくと長女がその書店に行ったときに探してみると、『ドラゴンボール』の隣にちゃんと『アラレちゃん』が全巻置いてある。
なんだ置いてあるじゃないか、検索にヒットしなかったとか言ってたのに。
だがすぐに長女が『アラレちゃん』を見つけられなかった理由がわかった。
そうだった。『アラレちゃん』のタイトルは『アラレちゃん』じゃなかった! 『Dr.スランプ』だった。テレビアニメ版では『Dr.スランプ アラレちゃん』だが、漫画版のタイトルは『Dr.スランプ』だけだ。
そりゃあ検索で引っかからないわけだ。これはむずかしい。入手難度G(グリードアイランドと同等)レベルだ。
というわけで、長女は無事に『Dr.スランプ』を買うことができ、次女にプレゼントした。1巻から5巻まで。
次女はむさぼるように読んで、2日で5巻を読んでしまった。おもしろかったらしく、さっそく「んちゃ!」などと言っている。
ぼくも読んでみた。
なるほど、これは子どもにとってはおもしろいだろうな。
奥付を見ると1巻が刊行されたのは1980年だった。今から45年前。でもぜんぜん古くない(今では通用しなくなったネタも多いが)。絵が古びていないし、デフォルメがうまいので読みやすい。テンポもいい。今のギャグマンガよりもテンポがいいぐらいだ。
残念なのはフォント。すべてのセリフが細めのフォントで書かれている。ボケセリフとか強めのツッコミとかも全部細めのフォント。なんかすごく白々しい。今のマンガだったら太字にしたり手書きにしたりするところだ。フォントって大事なんだなあ。
あと驚いたのは、ほとんどルビがないこと。ふりがながふってあるのは、中学以上で習うであろう漢字ぐらい。
ということは小学高学年ぐらいが想定読者だったのだろうか。でも内容的にはウンコとかパンツとかそんなレベルだしなあ。
でも1年生の次女もふつうに読んでいる。たぶん読めない漢字もいっぱいあるだろうけど、だいたいで読んでいる。そういえばぼくも子どもの頃、習っていない漢字を読めることで大人から驚かれた。あれもマンガから得られたものだった。
漢字は表意文字だが表音文字の要素も持つ(たとえば「鉱」という字を知らなくても「広」を「コウ」と読むことを知っていれば「コウ」と読める)ので、初歩的な知識があればそこそこ読めてしまうのだ。読めなくても文脈から推測してだいたいの意味を察することはできる。小説だと文章しか手掛かりがないがマンガだと前後の文章+絵がヒントになっているのでより読解しやすい。ダイナマイトを手にしている絵の横で「やめろー爆発するぞー」と書いてあれば、「爆発」の漢字を知らなくても「ばくはつ」にたどりつくのは難しくない。
最近の子ども向けマンガはほぼすべての漢字にルビが振ってあるが、もうちょっとルビが少ないほうが勉強になっていいのかもしれないな。
『Dr.スランプ』を読んでいちばんおもしろかったのが、本編ではなく、間に挟まれていたおまけマンガ。
鳥山明氏がどんな感じで仕事をしていたのかが描かれているのだが、愛知県の実家に住んでいたため
「まずラフ原稿を描き、コピーを取って空港に行く。航空便でコピーを編集部に郵送。するとその夜編集者(あの有名なマシリト氏)から電話がかかってきて、修正の指示がある。それを踏まえて修正し、アシスタントに手伝ってもらってペン入れをし、再び空港に行って航空便で送る」
というやり方をとっていたそうだ。
そうかー。メールはおろかFAXもなかった時代、遠方の人に急いで絵を見てもらおうとおもったら空港に行かないといけなかったのか……。これを毎週やっていたなんてたいへんだ。
しかしこのやり方だと、修正は一回しかできないだろう。それ以上だと週刊誌連載には間に合わない。たった一回の修正(それも電話での指示)だけであの完成度の高い漫画を毎週仕上げていたのがすごい。
とはいえ漫画家の立場だったら何度も修正を命じられるよりも、一回だけの修正と決まってるほうがやりやすいかもしれない。あらゆることに言えるけど、チェックが増えるとミスは増える。
修正が少ないと自由に描けるし。極端なことをいえば、編集部からの修正の指示をまったく無視して原稿を完成させたとしても、よほどのことがない限り編集部としてはその原稿を掲載するしかなかっただろう。
『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』のあのいきあたりばったりなおもしろさ(読者には先の展開が読めない。なぜなら作者にもわかっていないから)は、鳥山明氏が愛知県に住んでいたからこそ生まれたものなのかもしれない。
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