クイズ思考の解体
伊沢 拓司
最近読んだ小川 哲『君のクイズ』がめっぽうおもしろかったので、競技クイズについてもっと知りたくなって読んでみた。
クイズメディア・QuizKnockの代表である伊沢拓司氏によるクイズ論。
テレビ番組『東大王』で有名になった人らしいが(高校生クイズで前人未到の2連覇をしたことでも有名になったそうだが)、ぼくは『東大王』を観たことがないので、この人のことは最近まで知らなかった(別の番組で、クイズに答えた後に「どのような思考を経てこの回答にたどりついたのか」という思考の流れを説明しているのを見て、おもしろい人だとおもった記憶がある)。
『クイズ思考の解体』を読んで、あまりにあけすけに語っていることに驚いた。もうクイズから離れた人ならまだしも、今後もクイズプレイヤー・クイズ作家として活躍するであろう人がこんなにも手の内を明かしちゃって大丈夫だろうか、と他人事ながら心配になった。
伊沢さんがここまで手の内を明かしている理由は序文で「マジックからロジックへ」というフレーズとともに丁寧に説明されている。
だがそれを読んだ上でも、やっぱり「こんなに書いちゃって大丈夫?」とおもってしまう。個人の損得よりもクイズ界全体の発展のことを考えている人だからこそなんだろうな。
この本で最も多くのページが割かれているのが、第2章の『早押しクイズの分類』だ。
早押しクイズをパターン分けし、それぞれの構文を解剖し、クイズプレイヤーたちがどのような思考を経てどこでボタンを押しているのかを解説している。
問題文の序盤を聞いただけで構文を推測し、どこで早押しボタンを押せるかを判断する。
この際「どこで早押しボタンを押せるか」というのは「どこで正解にたどりつくのか」とイコールではない。正解がわかってからボタンを押していたのでは、レベルの高いクイズプレイヤー同士の戦いには勝てない。「もう少し問題文を聞けば正解がわかりそう」「八割ぐらいの確率でこういう問題だろうと推測できる」ぐらいのタイミングで押しているのだそうだ。
問題文を聞いている数秒の間に、この先に読まれる問題文を推測し、そこから答えの候補を記憶からひっぱりだし、同時に他のプレイヤーがどのあたりでボタンを押すかを読み、ボタンを押す/押さないの判断をする。
もしクイズプレイヤーの頭の中をのぞくことができたら、きっと1秒未満の間にとんでもない量の思考をめぐらせていることだろう。もしかするとそうした処理を身体化してしまい思考より先に動作があるのかもしれない。
ほとんどスポーツと一緒だ。
このへんはほとんど競技かるたと一緒だ。
ただし競技かるたと違うのは、「ここで押せる」でも100%正解が確定していないこと。
百人一首で「む」と読まれたら上の句は「むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに」しかないから下の句は「きりたちのほるあきのゆふくれ」と決まる(こういう字を“決まり字”という)。でも「きがいっ」で始まる問題の答えは『ゴドーを待ちながら』とは限らない。
「きがいっぽんなら木、木が二本なら林、では木が三本なら?」という問題かもしれない。ただしこれだとかんたんすぎるので、クイズ愛好家向けの大会ではまず出題されないだろう。そういうわけで「ここで押せる」なのだ。「ここで決まる」ではない。
そして競技かるたと異なるのは、クイズの問題は無限にあり、ということは「ここで押せる」もまだ発見されていないだけで無限にあるということだ。
勝負の強さだけでなく研究や勝敗を決する、そのあたりは将棋や囲碁に似ているかもしれない。
『クイズ思考の解体』ではクイズの問題だけでなく、その周辺に関する思考も開陳している。
クイズの大会とは「多く正解することを目指すゲーム」かとおもっていたのだが、どうもそうではないらしい。
戦略的にあえて間違えたり、確率が低い勝負に出たり。極端なことを言えば、1ポイントしかとれなくても、他のプレイヤーが全員0ポイントであればそれでいい、という考えになる。
サッカーのリーグ戦で「この試合は引き分けでもいい」とか「1点差の負けならかまわない」みたいな状況が生まれるが、それに近い。しかもその状況が刻一刻と変わる。
ただの知恵比べではない、クイズの本当の魅力を存分に教えてくれる本だった。
なにしろ「どうやって知識を増やすか」という話はほとんど出てこない。一流のクイズプレイヤーにとっては知識を増やすことなんて自明のことで、そこからがスタートなのだろう。
知識があることは、将棋で言うところの「駒の動かし方を知っている」ぐらいの話なのだ。
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